狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

漱石忌

2006-12-13 22:13:15 | 怒ブログ
 夏目漱石が自宅の「漱石山房」で面会するのは、木曜日と決まっていた。ある木曜の晩、門下の数人が漱石を囲んでいる時、初めての客が来たと手伝いの女性が告げた。「紹介状がなければ会わない」と漱石が言い、女性からそれを聞いた客は「田舎から先生にお目に掛かりたくてわざわざ上京したのだから」と粘った。

 座が気まずくなって誰も口をきかない。「紹介状がなければ会わない」。今度は漱石に怒るように言われ、女性はお辞儀をして去る。「みんなが黙つてゐる中で、私は漱石先生を憎らしいおやぢだと思つた」と内田百〓(門の中に月)が書いている(『菊の雨』新潮社)。

 漱石が没して、きょうで90年になる。明治改元の前年に生まれた。日本が欧米と出会い、近代国家へと移り変わる激動の時代を生きた。

 漱石山房には、文壇の若い星たちが集まった。没する年の夏、芥川龍之介と久米正雄に「牛になるように」と書き送っている。「あせつては不可せん……根気づくでお出でなさい」

 死の前月の知人への手紙には、やや驚かされる一節がある。「変な事をいひますが私は五十になつて始めて道に志ざす事に気のついた愚物です」(『漱石全集』岩波書店)。

 昨日、東京・早稲田の漱石山房跡の小公園には、時折冷たい風が吹き渡っていた。サザンカの白い花びらにサクラの枯れ葉が散りかかる。由来説明の板には、三四郎、それから、門、明暗などが山房で執筆されたとある。それらは、偉大な「憎らしいおやぢ」が世界とこすれあって奏でた不朽の交響楽のように思われた。(12月9日朝日新聞「天声人語」)