呉明憲コンサルタントの中国ビジネス日記

中国の最新情報を上海・東京・神戸を拠点に活動する株式会社TNCリサーチ&コンサルティングの呉明憲が紹介します。

四川省の離婚人数は中国全土で最多

2010年11月07日 | 日記

 今年1月から9月までの中国全土の離婚数は131万組、そのうち四川省が最多で10万組あまりが離婚しており、これは中国全土でトップである。

 2010年1月から9月までで中国全土で約780万組が結婚し、一方で131万組が離婚している。四川省では38万組が結婚し、離婚数は全国最多の10万組あまりとなっており、数としては全国最多、パーセンテージで見た場合全国第7位となっている。四川省で離婚数が多いのはなぜかという分析が紹介されているが、主に4つの理由があるという。

1.離婚手続きの簡素化

 2003年8月に改正公布された《婚姻登記条例》により離婚手続きが簡素化され、これにより年々離婚が増加していっているというもの。

2.出稼ぎ別居による家庭崩壊
 四川省では毎年1000万人にも上る労働者が出稼ぎに行き、夫が出稼ぎ、妻が現地に残るという生活が多く、これが長く続くことにより家庭が崩壊してしまうというもの。

3.愛情に対する期待が大きすぎた
 物質的に豊かになってきたため、結婚生活に対する期待が大きかったに関わらず、実際の生活はそれでもなかったことに起因するというものもの。性格の不一致に近いか。

 4.震災による影響
 個人的に注目したのはこれだ。四川省における近年の離婚数の増加は地震による影響があるという見方がある。地震により生命の意義、生活の幸福殿重視、個人の感性に対する関心が増し、婚姻生活が今のままでいいのかと思うようになり離婚を選択するというもの。これは阪神大震災のときの震災離婚と同じようなものといえるだろう。ネットで調べたところ、震災離婚とは、「1995年1月17日にあった阪神淡路大震災が原因の離婚のことである。地震と離婚がどう結びつくのか?これは震災が起きたときに妻を置いて逃げた(逃げようとした)夫が原因で不仲となり、離婚にいたったというもので、こういった夫婦のことを当時のメディアが震災離婚という言葉で報道した。」と紹介されている。

 夫婦が震災により離婚するという現象が起きたように、それ以外の人間関係でもおそらく問題が発生したものと思う。というのも、阪神大震災のときには会社内の人間関係がおかしくなったという話を聞いたことがあるからだ。社内の人間関係については特に紹介されていなかったが、おそらく同じようなことが起こっていたのではないかと思う。やっぱり人間って同じなんだなあと思いました。


まもなく9年目突入

2010年11月07日 | 日記
 2002年11月16日に上海にやってきてから8年が経ち、まもなく9年目に突入する。私は関西空港から出発したが成田空港から出発した一年後輩のT君と浦東空港で落ち合って一緒にしないにタクシーで移動したのが懐かしく思い出される。最初は銀行員としてやってきたが、すぐにキャストコンサルティングに研修生として約7ヵ月半ほど派遣された。このときに学んだことは大きかった。仕事内容そのものもそうだが、どちらかというとどのような道筋で考えるか、どのように調べていくか、こういったことが本当に役に立った。また、中国コンサルにおける調べモノではお役人へのヒアリングが必要になるケースが多いが、研修生という立場上結構好き勝手に突撃インタビューもしてきた。故梨本勝さんばりにあちらこちら行っては嫌がられながらもなんだかんだとヒアリングができたりした。懐かしい思い出だ。最初の頃はおそらく「中国ビジネス経験のない銀行員に何ができるんだ」という目で見られていたかもしれないが、こんな経験をしているうちに認められるようになったと思う。最初の頃と比べるとプロジェクトに入れてもらえる頻度も増えていった。その後銀行に戻ったが、ほどなくして日綜(上海)投資諮詢有限公司の設立に伴い、副総経理として派遣されて本日に至る。

 過去8年の中で最も長く過ごしたのが日綜(上海)投資諮詢有限公司だ。2005年1月の設立なので本日時点で5年と10ヵ月半になる。振り返ってみて、私はここでどれだけのことができただろうか。正直なところ、私がイメージしていたことはあまりできなかったように思う。会社のトップではなかったため、できることにどうしても制限があったように思う。ああしたい、こうしたいというイメージは持っているのだが。。。 もちろん、そのイメージされることが正しいのかそうでないのかは実行して初めてわかるのとなので、現時点で検証できるものでもないのだが。

 これだけ長く駐在していると、当然そう遠くないうちに帰任になることを意識してしまう。仮に帰任することになったとしよう。どう感じるだろうかについて考えてみた。

 まず最初に感じるのは従業員に対する思いだ。特に今在籍してくれている従業員は助けられたし今も助けられている。私が従業員を思っているほどに従業員は私のことを思ってくれているだろうか。後任者はみんなを大事にしてくれるだろうか。

 次に感じることとしては、上述したように自分のイメージどおりのことができたかどうかという点である。正直なところせっかく会社という箱があるのだから、この会社を自分のイメージどおりに切り盛りしたかった。それができなかったのは残念である。何でもかんでも決めれる立場になかったのでしょうがないといえばしょうがない。しかし、自分のイメージどおりに切り盛りしてうまくいかなければ甘んじて批判を受け入れざるを得ないという思いがあるので、なんというか、言い訳のできない状態の中で切り盛りしてみたかったということだ。

 帰国した場合、中国ビジネスに携わらなくなることも考えられる。中国という国に対する見方、考え方は色々あるが、少なくとも「中国ビジネス」に対しては思い入れがある。これに携われなくなるのは非常に残念ではある。仮に日本で引き続き中国ビジネスに携わったとして、私自身は中国にいてこそ値打ちがあると思っているので、日本に戻った場合にどこまで自らのバリューをキープできるのかというところに不安を感じる。周りに人もそういってくれているので、そんなに間違った考えでもないのだろう。住んでいるが故の肌で感じることのできる部分も失われるだろう。ということもあって、日本に帰任するのであれば中国ビジネスはもういいかななんて思ったりもする。とはいうものの、いちおうは現時点における自らの優位性を最も発揮できる場なので、簡単には捨てがたい。

 こんなところでしょうか。まだまだがんばりたいものです。