僕の練習はいつも車椅子同士ではなく健常者の方とばかりやっている。
以前は週に1度程度、車椅子同士での練習をすべくあちこちへ出かけていたけど、それも今年の2月を最後に行えていない。
だから、それ以降の練習はずっと健常者の方とだけ。
もちろん、車椅子に座って打ってもらうなど、ご理解いただき練習内容に協力いただくことも多くある。
けれど、コーチ達との練習は別として、誰かと普通に練習していただく場合、自分の練習だけをやって相手の方の練習にならないなんていうのは失礼な話。
デートと同じで、好奇心から1度目はあったとしても2度目は無いってことになりかねないし、「お願いされたから仕方なしに付き合う」なんていうのも癪に障る話で僕は嫌だ。
卓球は2人以上で練習をするもの。
だから自分だけでなく相手の練習も同時に出来なきゃいけない。
「自分の練習になるからあの人と打ちたい!」
そう思ってもらえる人と練習するのが良い。
その方が内容が濃く深いし、熱い練習が出来るから。
だから、そう思ってもらえるように自分のレベルアップを果たさなきゃいけないし、自分が頑張らなきゃいけない。
車椅子だけど健常者の練習に付き合えますよ、そういうプレーヤーになりたいと、僕は始めたころからずっと思っている。
ということで、そんな練習のワンシーンをお見せします(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=oU7afc4ZV-A&feature=youtu.be
車椅子であるが故に、一番大きな特徴はフットワークの無さです。
単歩動やボディワークも皆無です。
だから、少しずれると綺麗に打てなかったりもします。
でも、逆にフットワークを要しないメニューであれば全然可能です。
僕がワンコースから2点3点とボールを送るフットワークの練習だったり、コート半面固定でサーブから3球目など、そういった練習は問題なく出来ます。
車椅子だけど健常者と一緒に練習をする。
健常者の練習に普通に加わる。相手をする。相手が出来る。
それもまた「障害者の社会進出」だと僕は考えます。
まぁ障害者というのは社会の中で「してもらう」側のことが多い。
だからこそ、逆に「してあげる」ことに不慣れなのかもしれない。
健常者からしても、障害者に「してもらう」のは申し訳ないっていう感覚が少なからずあると思うし。
そういうところがマイナスに噛み合っていて、だから障害者側が「しない」場合が多いようにも思う。
また、「車椅子だから健常者と一緒に練習するなんて無理だよ」
と障害者側が言うのは、それは障害者側が生じさせている「バリア」だと思います。
「バリアフリー」という言葉があるけど、そのバリアというのは案外障害者サイドが生み出しているものが多いのではないかと。
それを差し置いて、障害者が社会に対して「バリアフリー」を訴えることに僕は正直違和感を覚えます。
出来ないことは確かにある。
でも出来ることもある。
それを磨く、伸ばす努力をしないで、最初から諦めるのは、自分の可能性を断つこと。
それは嫌だなぁ。
逆に、僕のような車椅子の場合は特に、健常者と同じことをするだけで「障害があるのに凄いですね!」と驚かれる。褒められる。
同じことをしただけなのに。
ラッキーな話じゃないか(笑)
僕が健常者の方々と一緒に練習をする。
それこそがある意味「バリアフリー」だとも考えるので、僕はこれからもどんどんそうしていくつもりです。
車椅子ルール無しの一般の試合にも出てますからね(笑)
「車椅子」「障害者」である前に僕は「社会人」でありたいし、普通の男でいたい。
「あの人は車椅子だけど強いよ、上手いよ」
そう言われたい。
ただ、一般の卓球と、パラ卓球の、特に車椅子の僕くらいのクラスではプレーにも結構な違いがあるのは事実です。
だからと言って別に考えるのは間違っている。
卓球には攻撃マンがあれば守備型のカットマンもいるし、速攻型があればラリー型もいて、正統派(?)があれば異質型もあり、プレースタイルは様々。
それらすべてが、年齢身長体重関係なく同じコートで競うのが卓球。
その一つに「車椅子」があるというもの。
対戦相手によって戦術を変えるのは普通の事だから、自分がその引き出しを持てばそれでいい話。
引き出しを持てるように努力しなさいってだけのこと。
なんか深い話をしてしまった(笑)
ちょっと毒を吐いてしまったかもしれない(笑)
ということで、僕はこんな感じで卓球を楽しませてもらっています。
今は試合の予定も何にもないけど、でも良い環境でボールをしっかり打てることがとにかく楽しいし、喜びを得ています。
「障害者感のない障害者」
として、僕は卓球を通じて社会に出しゃばっていきます(笑)
以前は週に1度程度、車椅子同士での練習をすべくあちこちへ出かけていたけど、それも今年の2月を最後に行えていない。
だから、それ以降の練習はずっと健常者の方とだけ。
もちろん、車椅子に座って打ってもらうなど、ご理解いただき練習内容に協力いただくことも多くある。
けれど、コーチ達との練習は別として、誰かと普通に練習していただく場合、自分の練習だけをやって相手の方の練習にならないなんていうのは失礼な話。
デートと同じで、好奇心から1度目はあったとしても2度目は無いってことになりかねないし、「お願いされたから仕方なしに付き合う」なんていうのも癪に障る話で僕は嫌だ。
卓球は2人以上で練習をするもの。
だから自分だけでなく相手の練習も同時に出来なきゃいけない。
「自分の練習になるからあの人と打ちたい!」
そう思ってもらえる人と練習するのが良い。
その方が内容が濃く深いし、熱い練習が出来るから。
だから、そう思ってもらえるように自分のレベルアップを果たさなきゃいけないし、自分が頑張らなきゃいけない。
車椅子だけど健常者の練習に付き合えますよ、そういうプレーヤーになりたいと、僕は始めたころからずっと思っている。
ということで、そんな練習のワンシーンをお見せします(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=oU7afc4ZV-A&feature=youtu.be
車椅子であるが故に、一番大きな特徴はフットワークの無さです。
単歩動やボディワークも皆無です。
だから、少しずれると綺麗に打てなかったりもします。
でも、逆にフットワークを要しないメニューであれば全然可能です。
僕がワンコースから2点3点とボールを送るフットワークの練習だったり、コート半面固定でサーブから3球目など、そういった練習は問題なく出来ます。
車椅子だけど健常者と一緒に練習をする。
健常者の練習に普通に加わる。相手をする。相手が出来る。
それもまた「障害者の社会進出」だと僕は考えます。
まぁ障害者というのは社会の中で「してもらう」側のことが多い。
だからこそ、逆に「してあげる」ことに不慣れなのかもしれない。
健常者からしても、障害者に「してもらう」のは申し訳ないっていう感覚が少なからずあると思うし。
そういうところがマイナスに噛み合っていて、だから障害者側が「しない」場合が多いようにも思う。
また、「車椅子だから健常者と一緒に練習するなんて無理だよ」
と障害者側が言うのは、それは障害者側が生じさせている「バリア」だと思います。
「バリアフリー」という言葉があるけど、そのバリアというのは案外障害者サイドが生み出しているものが多いのではないかと。
それを差し置いて、障害者が社会に対して「バリアフリー」を訴えることに僕は正直違和感を覚えます。
出来ないことは確かにある。
でも出来ることもある。
それを磨く、伸ばす努力をしないで、最初から諦めるのは、自分の可能性を断つこと。
それは嫌だなぁ。
逆に、僕のような車椅子の場合は特に、健常者と同じことをするだけで「障害があるのに凄いですね!」と驚かれる。褒められる。
同じことをしただけなのに。
ラッキーな話じゃないか(笑)
僕が健常者の方々と一緒に練習をする。
それこそがある意味「バリアフリー」だとも考えるので、僕はこれからもどんどんそうしていくつもりです。
車椅子ルール無しの一般の試合にも出てますからね(笑)
「車椅子」「障害者」である前に僕は「社会人」でありたいし、普通の男でいたい。
「あの人は車椅子だけど強いよ、上手いよ」
そう言われたい。
ただ、一般の卓球と、パラ卓球の、特に車椅子の僕くらいのクラスではプレーにも結構な違いがあるのは事実です。
だからと言って別に考えるのは間違っている。
卓球には攻撃マンがあれば守備型のカットマンもいるし、速攻型があればラリー型もいて、正統派(?)があれば異質型もあり、プレースタイルは様々。
それらすべてが、年齢身長体重関係なく同じコートで競うのが卓球。
その一つに「車椅子」があるというもの。
対戦相手によって戦術を変えるのは普通の事だから、自分がその引き出しを持てばそれでいい話。
引き出しを持てるように努力しなさいってだけのこと。
なんか深い話をしてしまった(笑)
ちょっと毒を吐いてしまったかもしれない(笑)
ということで、僕はこんな感じで卓球を楽しませてもらっています。
今は試合の予定も何にもないけど、でも良い環境でボールをしっかり打てることがとにかく楽しいし、喜びを得ています。
「障害者感のない障害者」
として、僕は卓球を通じて社会に出しゃばっていきます(笑)