完成前の「大橋ジャンクション」を撮ってみました。5
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忌野清志郎さんの「アオヤマ・ロックンロール・ショウ(告別式)」に行ってみましたが・・・・。
「忌野清志郎」さんの「アオヤマ・ロックンロール・ショウ(告別式)」に参加(参列)しようと仕事の合間を縫って現場まで来て見たのですが、「忌野清志郎」さんにお別れに来た「人・人・人(4万人以上)」の途轍もなく長い列だったので、青山葬儀場の中に入る事は泣く泣く諦めました・・・・・。
外から見ただけですが「告別式・本葬儀」の会場には大きな「ラビットのバルーン」がディスプレイされ、「彼のヒット曲」が流されていて、まさに「アオヤマ・ロックンロール・ショウ」の雰囲気でした。参加(参列)している人々の多くは、自分と同じく多分40才を越していたんじゃないかと思います。ちょっとだけ心の中で別れの挨拶をし、「忌野清志郎」さんの曲を通じて時代を共有した同世代の長い列を逆に歩きながら会場を後にしました。
改めてご冥福をお祈りいたします。有難う御座いました。
清志郎さんド派手ロック葬にファン4万人
2日にがん性リンパ管症で死去したロック歌手忌野清志郎さん(享年58)の本葬儀・告別式が9日正午から、都内の青山葬儀所で営まれた。深夜まで続いた一般用の告別式では、89年7月の美空ひばりさんの告別式と並ぶ約4万2000人が訪れた。本葬では、竹中直人(53)大竹しのぶ(51)甲本ヒロト(46)が弔辞を読み、桑田佳祐夫妻ら約1000人が参列。バンドが生演奏もする、盛大なロックンロール葬となった。 上空にヘリコプターが旋回した正午から、満月がのぼる夜中まで、弔問客の列が途絶えることはなかった。献花に並ぶ列は、3キロ先の六本木ヒルズ手前と、1・5キロ先の青山一丁目交差点の2方向にまで伸びた。ひばりさんの式に並ぶ4万2000人の熱狂的なファンのおかげで、葬儀と呼ばない「アオヤマ・ロックンロール・ショウ」は、盛大に盛り上がった。 本葬では、桑田夫妻ら芸能人の参列者の前で、清志郎さんのバンドが演奏した。ギタリストの三宅伸治が祭壇に一礼すると、武田真治らがホーンを高らかに鳴り響かせた。司会が「スター、キング、ゴッド、夢助、本当の神、紹介しましょう!! フォーエーバー忌野清志郎ぉぉぉ!!」。曲が流されマントがはがされると、マイクスタンド前には、身代わりの大きな位牌(いはい)が置かれていた。40年来の大ファンだった竹中が、涙の弔辞を読み、大竹はファンに向かって「愛し合ってるか~い?」とさけんだ。トリの甲本は「あなたとの思い出に、ろくなものはございません。数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。今日もそうだ、ひどいよ、この冗談は」と悲しみをユーモアで包み、必死に右手を振り、さよならした。外で聞き耳を立てていたファンも、涙した。終電間際まで残った彼らは、最後に「雨上がりの夜空に」を大合唱し、「ボス、愛してま~す!!」と永遠の誓いを立て、けじめをつけた。 ただ、弟子として最も身近で接してきた三宅は「こういう集まりは、ボスもちょっと苦手だった。皆がいないところで、よく2人でタバコを吸って、なんだな~なんて話をしていた」と明かす。皆が涙した祭壇ではなく、隅っこの喫煙所から、照れくさそうに眺めていたのかもしれない。多くの人に愛された清志郎さんとは、そういう男だった。【日刊スポーツ新聞社:2009年5月10日】
YOU TUBEで在りし日の「忌野清志郎
忌野清志郎さん、壮絶死…がん闘病3年
「愛しあってるかい」のフレーズで一世を風靡し、日本のキング・オブ・ロックと称えられた歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう=本名・栗原清志)さんが2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため都内の病院で死去した。58歳だった。清志郎さんは2006年7月に喉頭(こうとう)がんであることをHPで公表。その後、08年2月に東京・日本武道館公演を行い復活したが、同年7月に左腸骨にがんが転移し、再入院。感動を与え続けた不屈のロック魂が天国へ旅立った。一度は克服したがんだった。再び、ステージに立つことを夢に見、不屈のロック魂で病魔に立ち向かった清志郎さんが、ついに、力尽きた。関係者によると、夫人の景子さん(53)と長男の竜平(たっぺい)さん(20)、長女の百世(ももよ)さん(17)ら家族が最期を看取ったという。最初にがんが見つかったのは06年7月。医師から声帯摘出手術を勧められたが、歌手生命が絶たれることから拒否、放射線治療を選んだ。玄米菜食法や漢方など民間療法も取り入れ、克服。07年12月「ジョン・レノン・スーパーライヴ」で1年半ぶりに復活を遂げた。「完全復活祭」と銘打った08年2月の単独公演では、竜平さん、百世さんがサプライズでステージにあがり、清志郎さんに花束を贈呈。2人が幼少のころ、スタジオに呼び寄せ一緒にレコーディングするほど子煩悩で、家族思いだった清志郎さんが、思わず落涙するシーンもあった。同年7月、がんが再び清志郎さんを襲う。左の腸骨に転移し、治療に専念するため、同夏に予定していた野外ライブやイベントをキャンセル。再入院の際の直筆メッセージに「このくらいのことは覚悟してたんで、ぜんぜんヘコんでないから」と気丈に綴っていた。高校のとき、「RCサクセション」を結成。どぎついメークと派手な衣装のステージが注目を集め、ヒット曲を連発。ソロに転向後は、俳優にも挑戦した。昨年11月20日の東京・青山のブルーノート東京。92年にバンドを組んだ縁で、米ソウル歌手、ブッカーT&THE MG’sの来日公演に姿を見せた。メンバーに請われ、「え~聞いてないよ」と言いながらも、「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」「ソウルメン」の2曲を披露。最後の熱唱だった。「ベイベー」「愛してます」「愛しあってるかい」。清志郎さんがステージからかすれた声で叫ぶ、あのキメぜりふはもう2度と聞けない。 (5月3日7時52分配信 サンケイスポーツ)
「青山墓地」の「散桜」・2009。5
「青山墓地:散桜」 2009:5 OLYMPUS E-30+Leica Vario-Elmar 14-150/3.5-5.6