GOCCIのオトコヲミガク旅(w)

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忌野清志郎さんの「アオヤマ・ロックンロール・ショウ(告別式)」に行ってみましたが・・・・。

2009年05月10日 | *イベント・展覧会*


忌野清志郎さんの「アオヤマ・ロックンロール・ショウ(告別式)」に行ってみましたが・・・・。



「忌野清志郎」
さんの「アオヤマ・ロックンロール・ショウ(告別式)」に参加(参列)しようと仕事の合間を縫って現場まで来て見たのですが、「忌野清志郎」さんにお別れに来た「人・人・人(4万人以上)」の途轍もなく長い列だったので、青山葬儀場の中に入る事は泣く泣く諦めました・・・・・







外から見ただけですが「告別式・本葬儀」の会場には大きな「ラビットのバルーン」がディスプレイされ、「彼のヒット曲」が流されていて、まさに「アオヤマ・ロックンロール・ショウ」の雰囲気でした。参加(参列)している人々の多くは、自分と同じく多分40才を越していたんじゃないかと思います。ちょっとだけ心の中で別れの挨拶をし、「忌野清志郎」さんの曲を通じて時代を共有した同世代の長い列を逆に歩きながら会場を後にしました。 

改めてご冥福をお祈りいたします。有難う御座いました。






清志郎さんド派手ロック葬にファン4万人

2日にがん性リンパ管症で死去したロック歌手忌野清志郎さん(享年58)の本葬儀・告別式が9日正午から、都内の青山葬儀所で営まれた。深夜まで続いた一般用の告別式では、89年7月の美空ひばりさんの告別式と並ぶ約4万2000人が訪れた。本葬では、竹中直人(53)大竹しのぶ(51)甲本ヒロト(46)が弔辞を読み、桑田佳祐夫妻ら約1000人が参列。バンドが生演奏もする、盛大なロックンロール葬となった。 上空にヘリコプターが旋回した正午から、満月がのぼる夜中まで、弔問客の列が途絶えることはなかった。献花に並ぶ列は、3キロ先の六本木ヒルズ手前と、1・5キロ先の青山一丁目交差点の2方向にまで伸びた。ひばりさんの式に並ぶ4万2000人の熱狂的なファンのおかげで、葬儀と呼ばない「アオヤマ・ロックンロール・ショウ」は、盛大に盛り上がった。 本葬では、桑田夫妻ら芸能人の参列者の前で、清志郎さんのバンドが演奏した。ギタリストの三宅伸治が祭壇に一礼すると、武田真治らがホーンを高らかに鳴り響かせた。司会が「スター、キング、ゴッド、夢助、本当の神、紹介しましょう!! フォーエーバー忌野清志郎ぉぉぉ!!」。曲が流されマントがはがされると、マイクスタンド前には、身代わりの大きな位牌(いはい)が置かれていた。40年来の大ファンだった竹中が、涙の弔辞を読み、大竹はファンに向かって「愛し合ってるか~い?」とさけんだ。トリの甲本は「あなたとの思い出に、ろくなものはございません。数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。今日もそうだ、ひどいよ、この冗談は」と悲しみをユーモアで包み、必死に右手を振り、さよならした。外で聞き耳を立てていたファンも、涙した。終電間際まで残った彼らは、最後に「雨上がりの夜空に」を大合唱し、「ボス、愛してま~す!!」と永遠の誓いを立て、けじめをつけた。  ただ、弟子として最も身近で接してきた三宅は「こういう集まりは、ボスもちょっと苦手だった。皆がいないところで、よく2人でタバコを吸って、なんだな~なんて話をしていた」と明かす。皆が涙した祭壇ではなく、隅っこの喫煙所から、照れくさそうに眺めていたのかもしれない。多くの人に愛された清志郎さんとは、そういう男だった。【日刊スポーツ新聞社:2009年5月10日】