一週間の間にご覧下さった方々、どうもありがとうございます。
デサン殿のモデルになった英国館の経営者、ムッシュー・デサンは、
L.スターンの小説「センテイメンタル・ジャーニィ」で、強欲なユダヤ人みたいな顔とか乱暴者のトルコ人みたい
―とか書かれています。
日本人は歴史背景上、この二つの民族には、この小説の主人公とは別の印象を持っていると思われ、
ムッシュー・デサンよりも二つの民族の方々に対してひょっとして失礼な表現なのでは?
―と思ってしまうかも知れませんが―。
(…トンデモ本ビリーバーの方々はまた違った意見かもしれません。)
この漫画のデサン殿の髪型―18世紀~19世紀の初め頃までのこういう髪型している人を、
現代人は西洋時代劇や歴史ドキュメンタリー系番組の再現ドラマで見かけますが、
今こういう髪型を、特別な職業や場所以外でしていたら絶対ヘンですよね。
こういう髪型って地毛でもできるのでしょうか?カーラーできつく巻いて、スプレーで固めといたりとかすれば。
…できない事はないでしょうが、キープするのが大変でしょうな。
トリエント公会議とは―トリエント公爵様が主催した…ではありませんでした。
1545年12月13日から1563年12月4日までの18年間、北イタリアのトリエント(現在名はトレント)
という場所で行われた宗教会議の事です。
カトリックとプロテスタントの和解のために当初計画されたのですが、プロテスタント側がいろいろ事情があって出席せず、
カトリック側のみで教会内の様々な問題について大激論していたらしいですな。
そこから転じて自分とは違う比ゆ的な意味での宗旨(好み・ライフスタイル・主義主張)の人と話し合いをしようとしたけど・・・
―という意味でも使えそうな言葉なんですがね。
ハリソンさんは比ゆ的ではない本来の意味での「宗旨」として話をしています。
これと同じような使用法は、1760年にスイスで生まれた、ヨハン・ペーター・ヘーベルが作った暦話集の「改宗」という話の中にあります。
ハリソンさんの宗派を特定する範囲がまた狭まりましたね。