アクアワールドから県道173号線を南下して大洗公園のサイクリングロードを走りました。途中で、OVA「アンコウ・ウォー」の舞台となったベンチを見ました。
鹿島灘の海原が、青空のもとで絶え間なく白波を起してうち寄せていました。前回は曇り空の下でしたから寒々とした景色でしたが、今回は晴天のもとでしたので、暖かな雰囲気の風景として映りました。午前中に買い求めたココスの「ばくだんおにぎり」をザックに入れたまま忘れていたことに気付き、ベンチに腰を下ろして、海を眺めながら食べました。
私は実家が岐阜県で、大学時代からは奈良県に住んでいたのですが、どちらも海無し県ですから、海に対しては憧憬に等しい感情をずっと持っていました。海を見ると、とにかく嬉しくなります。幸せと元気をたくさん貰えます。
アクアワールドの方角を振り返ると、ひたちなか市の海岸線が望まれました。今回は海門橋までとしましたが、暖かい季節になったら橋を渡ってひたちなか市にも足を伸ばしてみよう、と思いました。
大洗磯前神社の鳥居前への坂道を降りていく途中、ふと大洗シーサイドホテルの方を見やると、その駐車場の脇にアサヒの青色自販機があるのに気付きました。まさか、と思って急ブレーキをかけ、よく見直すとガルパン自販機でした。わー、こんなとこにあったのかー、と半ば感動しつつ、近づいて写真を撮りました。カバさんチームとⅢ号突撃砲F型の組み合わせで、初めて見ました。
撮っていたら、背後から声がかかりました。ホテルの若い従業員の方でした。「パネルでしたら中にありますよ」と玄関口を指し示してきました。
それで、中に進むとサンタコスの西住みほが居ました。御自由に撮っていって下さい、と言っていただきました。御礼を言い、フロントの方にも会釈して写真を撮らせていただきました。
退出しようとすると、先ほどの若い従業員の方が私を呼び止めました。「どこから来られたのですか」と。それに答えたところ、「これは遠い所からお越し下さいました、大洗に来ていただいて有難うございます」と言い、「ちょっと待って下さい」と言って外へ出ていきました。
何かあるのかな、と思いつつ、玄関口を出ると、包みのような物を持って戻ってきました。「これ、今日のうちで一番遠くからお越しいただいたガルパンファンの方にお贈りしようと思っていたんですよ」と包みを私の手に乗せてくれました。その端を僅かに開いた途端、見慣れた図柄が目に飛び込んできました。
全てを察した私は恐縮してしまい、「このような大事な品物を・・・・」と返そうとしたのですが、相手は「いえよろしいんですよ、ここではもう全て外して処分してしまって、これだけが残っておりましたもので・・・。うちで預かるよりは、ガルパンファンの方に大切にお持ち頂いた方が、これにとっても良いのではないかと思いまして」と爽やかな笑顔で応えて下さいました。
思わぬサプライズでした。贈られた包みの中身は、大洗町の各商店街の至る所に掲げられている「祝 大洗女子学園 優勝おめでとう」の幟でした。基本色と、プリントされているキャラクターによって数種類がありますが、私が貰ったのは水色で、カバさんチームの歴女四人とⅢ号突撃砲F型がプリントされているものです。
この幟は、帰宅して数日後に、部屋の壁にかけてあります。本当に、よい思い出をともなう宝物になりました。実は、この幟を貰ったから、新年の模型始めをカバさんチームのⅢ号突撃砲F型に決めたんですよ・・・。
大洗ホテルの前まで来ました。以前は「ガールズ&パンツァー」応援宿泊プラン実施施設の一つだったようですが、その実施期間は終了したようです。でもいい感じの宿みたいなので、いつか泊まってみたいですね。
折り返す形で、大洗磯前神社への車道に進みました。劇中でもお馴染みの場所です。
今回は、この与利幾神社にも参拝する予定でしたので、自転車を押して参道へと進みました。
参道は左へ曲がり、そして右へ曲がって続きました。すぐ下に県道2号線が見えましたので、この神社の鎮座地は神域の西端にあたっていることが理解出来ました。
拝殿を見ました。本殿はその奥にあります。祭神の建御名方神(たけみなかたのかみ)は長野県の諏訪大社の主神として知られており、ここの神社も諏訪信仰の広がりによる勧請の一つであったのでしょう。社名は正しくは與利幾神社といいますが、「大洗町史」では「寄木神社」の表記にて紹介されています。
拝殿前からは、鹿島灘もよく見えました。大洗磯前神社本社からの眺望と大して変わらないので、與利幾神社の祭祀の始源もまた海神への信仰にもとづくものであったかもしれません。建御名方神(たけみなかたのかみ)の名前の「みなかた」は「水潟」の意でもあるので、これも元来は水神であったと考えられます。
與利幾神社の東隣には、茶釜稲荷神社があります。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ですが、これは稲荷神の「日本書記」表記です。京都伏見稲荷大社の主神ですから、私のような京畿在住の人間には近しい神様の一人です。
茶釜稲荷神社の東側には小高い丘があり、それに登る小さな石段の登り口付近には、「石尊宮」とかかれた標柱がありました。
石段の上にみえる朱色の小祠が「石尊宮」であるようです。とすれば、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社の分社ということになります。大山阿夫利神社の本来の祭神は、山頂に祀られた霊石で、これを神仏分離以前まで「石尊大権現」と呼んだのです。現在の祭神は神仏分離後に新たに導入されているので、本来の祭神は「石尊宮」とされて分社の格に列しているわけです。
大山阿夫利神社へは、学生時代に伯耆大山の天狗信仰を調べた折に、全国八大天狗の一に数えられた大山伯耆坊の故地として参拝したことがありますので、懐かしい気分にもなりました。こういう信仰の神社は、奈良県には存在しないのです。
「石尊宮」から東へ参道をたどると、左手の雑木林の中に二つの祠が見えました。資料では「櫛形山神社」、「大甕磯神社」とあります。「櫛形山神社」というのはよく分かりませんが、「大甕磯神社」の方は日立市大みか町にある大甕神社からの勧請のようです。
大洗磯前神社本社横の案内図には、與利幾神社と茶釜稲荷神社はありますが、石尊宮や櫛形山神社や大甕磯神社の名は記されていません。あと烏帽子岩というのがあり、これも御神体つまり磐座の一種で、烏帽子厳神と呼ばれます。
旧海軍の軽巡洋艦「那珂」の忠魂碑です。奈良県に在る旧海軍の軍艦の忠魂碑といえば、航空母艦「瑞鶴」でしたね。
こちらは大洗磯前神社本社の東側に鎮座する御嶽神社です。社名から御嶽信仰の勧請かと思ったのですが、国常立命、大己貴命、少比古名命の三神合祀の形をとるので、歴史は新しいようです。
国常立命(くにのとこたちのかみ)は、奈良県吉野郡十津川村の玉置神社の祭神でもありますので、吉野大峯奥駈道を歩いた経験もある私にとっては、奥駈道の靡(なびき)の神様として親しみがあります。思わず、「よっしの、おおみね、おーくがけーみちをー、かーけーて・・・」と奥駈道詠歌を口ずさんでしまいました。
本社前の広場からも鹿島灘が望まれます。正面の石段を南へ降りたところにも神社があるので、寄ってみました。
正面石段の脇に鎮座する清良神社です。御霊信仰の社で、不運の死をとげた小幡宥円の祟りをおさめるために祀られたといいます。この小幡宥円なる人物についてはよく知りませんので、機会があったら調べてみたいと思います。
清良神社に向かって右手には方形の神池があり、中央に鳥居が建てられています。「大洗町史」では、先ほど訪ねてきた岩崎山の弟橘比売神社の場所にもともと祀られていた沖洲八幡宮を、大洗磯前神社本社前の鳥居近くに移した、というような旨が述べられていますが、その名残がこの神池なのかどうかは、社務所で尋ねても分かる方がいらっしゃいませんでした。
とりあえず、これで「大洗明神」とも呼ばれた大洗磯前神社の広大な神域に祀られる摂社および末社の全てを巡りました。さていよいよ本社に参るとするか、と石段を登りました。 (続く)