子供のころの私の勉強机といえば、家業の商売で使っていた事務机のおさがり。妹も同じだった。
同級生の新品の学習机は、高さ調節ができたり、キャラクターの絵が描いてあったり、電気スタンドや本棚が付いていたり…。とてもまぶしく、うらやましかった。
両親は子供の考えていることはうすうす分かってはいただろうが、大人の知恵と経験で学習机は不要というムードを最初からかもしだし、リクエストすら出させてはくれなかった。
中学生くらいになると、両親の判断に感謝した。
学習机の高さ調節機能も、キャラクターの絵も、大人の階段を上りはじめた少年にはありがたくないものになりさがっていた。
事務机はシンプルで据付の本棚もスタンドもなく、机の上はいかようにもカスタマイズできた。
もし自分でねだって学習机を買ってもらっていたら、使い続けることが憂鬱だっただろう。ねだっておきながらまだ使えるものを買い換えろなどという要望は貧乏性一家には通用しない。
自分に子供ができたときも、この経験から子供用の学習机を買おうとはまったく思わなかった。実際、私が使っていた古い事務机を与えていた。
家を建て替えよう、と決断したとき、さて机をどうするか、というのが検討課題となった。事務机を引き続き使うにはボロすぎるし、どうにも収まりが悪い。
建築家から出された提案は、造りつけの大きな一つの机。
これは要望として伝えていた工作室構想がワークショップという形になり、その部屋のメインのパーツとしてあらわれたものだ。
工作台兼勉強机といえる長いデスクである。
何年か活用してみた身として、大きな机の効能をまとめてみよう。
<その1>コミュニケーションの発生
子供たちが並んで勉強し、娘がわからない問題を息子に聞いたり、世話焼きな息子がのほほんとしている娘をたしなめたりしている。夜遅くに帰ってきた私がパソコンをいじっていると、欄間でつながっている子供部屋から「お父さん、電気がまぶしいから手元のスタンドを使ってよ」なんて声がかかったりする。休日は私がなにやら工作しているのを見て質問してきたり、逆に妻と娘が作った手芸作品の感想を聞いてきたり…。
ようするに自然にコミュニケーションが生まれる。家族をつなぐ効果がある。コミュニケーションスキルも自然に修得される。コミュニケーションスキルは場数によって養われるものである。すぐに自室に引き篭ってしまってはスキルは身につかない(※)。
<その2>共有スペースの意識とマナー
大きな机では使う人のテリトリーが明確に決まらない。交互に使ったり、複数で使っても境界線があいまいだったりする。おのずと譲りあいや整理整頓が美徳であるという意識になる。個室の中の個人の机では「片付けないこと」に罪悪感が生まれにくい。
整理整頓がちゃんとできているかと問われれば、私が一番反省しなくてはならないかも知れない(笑)。子供たちも散らかしっぱなしの時もあるが、私にしろ子供にしろ、個人の机より、いやおうも無く片付けなければならない場面は多くなる。
このように建築家の提案は実効性のあるものになった。
建築家に批判的な発言をする人は、「家の見た目ばかり気にしていて使い勝手が悪い」なんて簡単に口にする。それはあまりに乱暴な断定である。建築家といってもタイプは様々なのに、芸術家気取りの建築家をスタンダードな建築家像と決めつけて語っている(「『家』の問題」も背景にありそうである)。
使い勝手の良さを追求すれば機能美にもつながる。施主家族のオリジナルなニーズを満たそうとすればオリジナルなデザインになる。そういう方向で設計して見た目がよくなれば一挙両得だ。
4mを超す机なんて、ハウスメーカーからはなかなか出てこない提案ではないか。規格外のため、妙にに高い金額になってしまうから。
私は強度面で少々懸念もあったが、施工にプライドのある工務店に依頼したことでウデのいい大工がしっかり作ってくれた。いまのところ、ゆがみや傾きなどはない。
設計者と施工者がそれぞれ技を競い合う、そうした面白さもある。
(※)人間一人になりたい時もあるので、子供部屋で篭ることは可能。しかし長時間篭っているわけにはいかないようにあんまり便利でない部屋になっている。
私の考えでは、個室を与えることで自立心が養える、なんて大きな間違いである。便利な個室を与えることは篭りっぱなしを可能にし、むしろ自立できにくくする恐れがある。子供が、精神がコドモのままで自分の城(殿様としてずっといられる快適な場所)を与えられれば、「城」を獲得する苦労も、「城」に対する責任も知ることができないだろう。
自室にいる時間が短くて親との接触機会が多すぎてウザイと思ったら、それこそ自立について考えるチャンスなのだ。いわばウザイと思わせることだって子育ての一環なんである。
同級生の新品の学習机は、高さ調節ができたり、キャラクターの絵が描いてあったり、電気スタンドや本棚が付いていたり…。とてもまぶしく、うらやましかった。
両親は子供の考えていることはうすうす分かってはいただろうが、大人の知恵と経験で学習机は不要というムードを最初からかもしだし、リクエストすら出させてはくれなかった。
中学生くらいになると、両親の判断に感謝した。
学習机の高さ調節機能も、キャラクターの絵も、大人の階段を上りはじめた少年にはありがたくないものになりさがっていた。
事務机はシンプルで据付の本棚もスタンドもなく、机の上はいかようにもカスタマイズできた。
もし自分でねだって学習机を買ってもらっていたら、使い続けることが憂鬱だっただろう。ねだっておきながらまだ使えるものを買い換えろなどという要望は貧乏性一家には通用しない。
自分に子供ができたときも、この経験から子供用の学習机を買おうとはまったく思わなかった。実際、私が使っていた古い事務机を与えていた。
家を建て替えよう、と決断したとき、さて机をどうするか、というのが検討課題となった。事務机を引き続き使うにはボロすぎるし、どうにも収まりが悪い。
建築家から出された提案は、造りつけの大きな一つの机。
これは要望として伝えていた工作室構想がワークショップという形になり、その部屋のメインのパーツとしてあらわれたものだ。
工作台兼勉強机といえる長いデスクである。
何年か活用してみた身として、大きな机の効能をまとめてみよう。
<その1>コミュニケーションの発生
子供たちが並んで勉強し、娘がわからない問題を息子に聞いたり、世話焼きな息子がのほほんとしている娘をたしなめたりしている。夜遅くに帰ってきた私がパソコンをいじっていると、欄間でつながっている子供部屋から「お父さん、電気がまぶしいから手元のスタンドを使ってよ」なんて声がかかったりする。休日は私がなにやら工作しているのを見て質問してきたり、逆に妻と娘が作った手芸作品の感想を聞いてきたり…。
ようするに自然にコミュニケーションが生まれる。家族をつなぐ効果がある。コミュニケーションスキルも自然に修得される。コミュニケーションスキルは場数によって養われるものである。すぐに自室に引き篭ってしまってはスキルは身につかない(※)。
<その2>共有スペースの意識とマナー
大きな机では使う人のテリトリーが明確に決まらない。交互に使ったり、複数で使っても境界線があいまいだったりする。おのずと譲りあいや整理整頓が美徳であるという意識になる。個室の中の個人の机では「片付けないこと」に罪悪感が生まれにくい。
整理整頓がちゃんとできているかと問われれば、私が一番反省しなくてはならないかも知れない(笑)。子供たちも散らかしっぱなしの時もあるが、私にしろ子供にしろ、個人の机より、いやおうも無く片付けなければならない場面は多くなる。
このように建築家の提案は実効性のあるものになった。
建築家に批判的な発言をする人は、「家の見た目ばかり気にしていて使い勝手が悪い」なんて簡単に口にする。それはあまりに乱暴な断定である。建築家といってもタイプは様々なのに、芸術家気取りの建築家をスタンダードな建築家像と決めつけて語っている(「『家』の問題」も背景にありそうである)。
使い勝手の良さを追求すれば機能美にもつながる。施主家族のオリジナルなニーズを満たそうとすればオリジナルなデザインになる。そういう方向で設計して見た目がよくなれば一挙両得だ。
4mを超す机なんて、ハウスメーカーからはなかなか出てこない提案ではないか。規格外のため、妙にに高い金額になってしまうから。
私は強度面で少々懸念もあったが、施工にプライドのある工務店に依頼したことでウデのいい大工がしっかり作ってくれた。いまのところ、ゆがみや傾きなどはない。
設計者と施工者がそれぞれ技を競い合う、そうした面白さもある。
(※)人間一人になりたい時もあるので、子供部屋で篭ることは可能。しかし長時間篭っているわけにはいかないようにあんまり便利でない部屋になっている。
私の考えでは、個室を与えることで自立心が養える、なんて大きな間違いである。便利な個室を与えることは篭りっぱなしを可能にし、むしろ自立できにくくする恐れがある。子供が、精神がコドモのままで自分の城(殿様としてずっといられる快適な場所)を与えられれば、「城」を獲得する苦労も、「城」に対する責任も知ることができないだろう。
自室にいる時間が短くて親との接触機会が多すぎてウザイと思ったら、それこそ自立について考えるチャンスなのだ。いわばウザイと思わせることだって子育ての一環なんである。
表向きは、子供部屋をきちんと片付けられないから、今のままでは置く場所がないよって言ってあるのですが、実は娘には私が近くで勉強を教えたいから。
お兄ちゃんは一人でもきちんと勉強できるけど(たとえサボったりしていてもこちらはわからないけど、今のところそれなりの成績を残しているので信用しています)
子供3人をもつ母ですけど、子供部屋は一人一人与えていません。
しかも居心地が良くなりすぎないように、あえて冷暖房を付けていません。
なるべくリビングでコミュニケーションを図るためです。
もちろん、子供たちだけで子供部屋で遊んだりはしますけど、ひとりで・・・って訳じゃないので、喧嘩したり仲良く一緒に遊んだり・・・それがいいと思います。
これから年頃になったら、お兄ちゃんは旦那の部屋に同居ということになるかな?とは思っていますけど。
机に関しては来年小学校入学の末娘のこともあるので、色々思案中です。
さすが、敏腕ママ。
考え方がしっかりしてますね。
子供に対する愛情も伝わってきます。
リビングでのコミュニケーション、我が家も大事にしています。
家族の団欒ってとても大事なことですよね。
それはそうと、最近のchiezokunさんのマルシェシリーズいいですね。
私は男のくせに女物を作るのも好きなのですが、ああいったデザインはできません。女性ならではですね。