趣味として囲碁を打っている方の中には、いろんな人がいる。筆者の参加している囲碁愛好会には、会員が60人程いる。土・日の朝9時から17時までが例会の日になっている。その日は、通常会場に着いた順に囲碁を打ち始めるが、一日中同じ人と打っている人がいる。打ってはいるが勝敗を気にしている様子はない。筆者は、同じ人とは3回以上は打たないことにしている。何故かというと、相手の癖がわかってきてこの打ち方をすればたいていは勝てるということがわかってしまい、新しいことが出てこない場合が多いからである。
ある人は、碁を打ちながら盛んに騒ぐ。といっても独り言を言い続けるのである。打った石の反省かと思えばそうではなく、あまり囲碁とは関係ないことをいうことがある。これは相手にとって迷惑な話である。打った後でもっと違ういい打ち方があると気がついてひたすら反省の言葉を口にする。これをぼやきと一般に言うが、碁の上達法は、これをきつく戒めている。よく考えてから打てということだ。
またある人は、相手と漫才よろしく冗談を言い合っていることもある。和気あいあいでなかなかよろしい。
ある人は、3手目から長考に入る。もちろん囲碁は相手の打ち方から自分の碁をどう展開するかということを考えなければならない。その人はおそらくは布石と定石の関係を考えているのだろうと思う。アマチュアの筆者らの碁は、持ち時間(自分が考えることに使える時間をいう)30~40分というのが多く初めから長考に入ると終わりの方で石の生死に関わるような事態が発生したとき時間に追われることになる。そのような碁はたいていは勝てない。また時々時間切れで負けてしまうことがある。
そうかといって、少しでも早くうとうとして左手に沢山の石を握り相手が打った瞬間に自分も打つ、というような碁もいただけない。
碁の上達法の一つに、よく考えてから碁笥に手を入れて石を持ち、その場所に石を置くようにといわれる。つまりこれは置いた石を取り戻し(はがし)別の所へ打ってはいけないという規則を守ると同時に先の先まで、少なくとも3通り5手、合計15手分くらいは考えなさいということである。5手というのは、自分が石を置き、それに対して相手が石を置き、これを2回繰り返すことである。それを3通りつまりは15手分を考えなさいということになる。
このように何手というのは、自分が打ち、相手が打ち、自分が打つ、そして相手が打つ、これで4手になる。
ここで思い出したことがある。今はあるのかどうか不明であるが、昔夕方になると駅の改札口の脇の薄暗い所で暗い電灯を付けて、碁盤や将棋盤をおいて1手十円で勝負好きの人を相手にして商売をしている人たちがいた。いつも人だかりがしており、賑わっていたようだ。ただしこの人だかりはほとんどはサクラであり、カモを呼び込む手段だという。ここでカモなる人が来るとさっと散ってしまう。カモなる人は多くの場合自分はその道ではかなり強いと自負している人であるから、結構がんばって最後までいってしまうこともあったらしい。カモの中には、自分の打った手だけが手数に数えると勘違いしている。最後までいってしまうとかなりの額になってしまい代金を払えず、時計(当時は時計は高価であった)などをおいていくなどという場面を見たことがある。
趣味としての囲碁は今ではボケ防止などいろんな効果が謳われているが、そんなことを抜きにして楽しむことである。