寓居人の独言

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思い出話 北館長十郎先生のこと(20130722)

2013年07月22日 10時59分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

  北館先生は、色麻中学校2年生(昭和25年)の時のクラス担任であった。北館先生は何かと話題のある先生だったようです。私は授業時間が終わると直ぐ家に戻り手伝いをしなければならなかったという家庭の都合で学校にいる時間は授業の時だけだった。それが理由で同級生の中で特別親しくなった友人は数人くらいしかいなかった。
 北館長十郎先生は私にとっても大きな影響を与えてくれた先生の一人です。2年生の時、いわゆる番長争いで二つの小学校からきた代表みたいな子が昼休み時間に教室で壮絶な喧嘩をしたことがあった。私たちは周りを取り囲んでただただ見ているだけだった。喧嘩は無鉄砲な小柄な子の勝ちになった。鼻血を出して顔を腫れ上がらせた大柄の子は、恐らく喧嘩に勝っていたのだと私を初めみんなも思った。何故かというと最後は手加減をしたように見えたからである。喧嘩が終わったところに先生がやってきた。先生は事実を確認した後で、男子全員を教室の前方に並べて往復ビンタをしていった。そのときの先生の目は潤んでいたようだった。私は先生はきっと悲しかったんだろうと思った。小さかった私はビンタを受けて吹っ飛んでしまったが、先生が手を貸してくれたので元の位置に立つことができた。全員にビンタをした後で先生は何故喧嘩を止めなかったのかと尋ねた。私たちは誰も発言しなかった。

 その年の冬になって、だるまストーブが焚かれるようになった。ある朝、学校へ着くと教室の中に煙が充満していた。その中で数人の男子がタバコを吸っていた。女子は煙いので教室から外へ出ていた。しばらくすると先生が走って教室へきた。一目でタバコを吸っていたことが判明した。このときは先生が未成年者はタバコを吸ってはいけないことを説いた。その後で、男子全員を向かい合わせの2列に並べて向かい合った者同士がビンタをするようにと言い実行させた。こうして先生は、私たちにやってはいけないことを教えてくれた。
 3年生になると、担任は替わったが数学を受け持ってくれた。夏休みが過ぎるといよいよ高校進学のことが話されるようになった。私が進学希望で、少し遠い(自宅から約20キロメートル)市にある県立高校に進学したいというと、先生は、放課後に中学数学の復習と高校数学の手ほどきをしてくれることになった。そのとき先生は数学は必ず答えが出るものであることを教えてくれた。答えが出ないのは解答の方法が分からないか方法が間違っているのだと言うことを教えてくれた。数学は私にとって面白い科目になった。そして卒業式の時にまた驚いた。先生は数学クラブ賞というのを作って私に授与してくれた。その年、私はこの賞も合わせて学業優秀賞と1年間無欠席賞というのをいただいた。
 私が中学を卒業した後、先生は隣町に転勤し、数年して県都の学校へ転勤したという。私が大学を卒業した後、中学の同期会でお目にかかったが全く若いときと変わらないようだった。先生は定年後県都にある私立高校に勤務していた。そこへもお訪ねしたがやはり昔のままの顔立ちと様子であった。北館先生は恋多い方だったようだが、それが若さの源になっているのだろうか。

  私はいつも先生には恵まれていたと思う。

 北館長十郎先生ご指導ありがとうございました。先生の期待に添えたかどうか心配ですが私は頑張って教育という仕事をやり遂げることが出来たと自分では思っています。


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