寓居人の独言

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思い出話 相原昌光先生のこと(20130723)

2013年07月23日 14時08分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

 相原昌光先生は、色麻小学校6年生の時(昭和23年度)の担任だった。軍服姿M ちょうどその頃、私の住んでいた開拓地の近くに愛宕山と言う小高い山があり、その南西方にある日の出山と言うところの開拓地に河村さんという方が住んでいた。この方は戦闘機乗りの大尉で戦争末期の帝都上空を死守していたという方である。河村さんは軍服を着ることはなかった。いつも開襟シャツ姿であった。その方の所に親友の秀一君と数回お話を訊きに行ったことがあった。私は隅の方で小さい身体をさらに小さくして空中戦の話を聞いていた。河村さんのお話は私も経験したような飛行機の話であったためにいつの間にか引き込まれていったのを思い出す。しかし河村さんは、話の終わりには必ず戦争を否定する言葉で終わった。その河村さんはアメリカ軍の憲兵に追われているという話が伝わって、いつの間にかいなくなってしまった。
 相原先生に対して初めはこどもながらにある距離を置いていたが、2学期に入る頃には勉強の楽しさを教えてくれたり、軍事教練とは関係なく身体を鍛えなければならないと教えてくれた。教室内で男子と女子を並べて座らせたり、掃除当番なんかも両性が共同して行うなど、いろいろな場面で今思えば民主教育をして下さったのだろうと思う。
 相原先生は栄養失調でひ弱そうな私をいろいろ励ましてくれた。卒業式の時には、お前には大きな期待を持っている、もっと体力を付けて勉強を頑張れと励ましてくれた。私が勉強に力を入れるようになった切っ掛けを作ってくれた先生である。
 相原先生は、私が中学校から高校へ進学する頃に県内の少し遠い所の方と結婚されたと言う話をきいた。先生の甥という人が同級生にいて、彼に会うと「昌光叔父が、お前に大きな期待をしていたんだ」とよく言われる。私はその期待に添えたのかどうか自信が無いが私の生き方に影響を与えた先生の1人であると今でも感謝している。

 時を経て 思い出すのは 師の言葉


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