寓居人の独言

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囲碁の話(7)「ライバル意識?」

2012年03月20日 11時15分19秒 | 日記・エッセイ・コラム

 勝負事には、いつの間にか好敵手という相手が出来る。筆者がやっている素人囲碁でもそうである。土日に行っている町の囲碁愛好会には、通常25~30人ほどの囲碁愛好者が集う。その中で絶対にやりたくないという相手もいれば、目が合うといつの間にか対戦していて同人と何回もやってしまう相手もいる。

 筆者の場合は、同段者で何人かいる。そんな中の一人の方H1氏は、常に自分の方が上手だと思っている。それは勝手であるが、対戦すると初めは筆者の方が勝率がよく3回以上になると後は惰性で打つようになり、5分5分ほどで終了する。それでもH1氏は自分の方が上手と思っている。H1氏の特徴は、何しろ対戦中の口数が多いことである。それも相手をくさすような発言が多い。これはいけないことであると筆者は思う。

 先日は、筆者が上段者のO氏と打っていると、脇に来て、筆者の対戦相手にこんな弱い人とやるんですかなど口汚くいう。比喩を交えてやんわりといさめると、比喩の意味が伝わらず比喩に対してしつこく絡んでくる。

 ちなみにH1氏とO氏との対戦は圧倒的にO氏が優勢なのである。筆者とO氏との対戦成績は、記録をとっていないが恐らく5分以上に筆者の方に分があると思う。そのときの対戦では最後に逆転して筆者の勝利という結果になった。それを見てH1氏は、私にもこういう風に打って下さいなどという。これも失礼な言である。

 囲碁というのは智略を戦わすゲームだと筆者は考えているので、智に長けた方が勝利を収めるのは当然であろうと思う。智略を戦わすのはあくまで碁盤の上でのことであって口言ではない。といっても自分を反省するあるいは打った手を悔やむ発言は、プロの方でも口にすることがある。しかし対戦相手に関することは絶対にいわないのがマナーでもあろうと思う。

 ライバルというのは、相手と競い合うことによって自分を向上させることである。何が何でも勝つという相手をライバルということもあるらしいが、筆者はそのようなライバルを必要としない。

 


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