ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

ソーシャルメディア

2014-03-19 06:58:58 | 日記

ここ、数年の間に、飛躍的に広まったソーシャルメディア。

携帯電話が、ひたひたと、普及を始めたのには、多少時間がかかっていたように思う。

 

iphoneなるものが登場したと聞いてからは、普及の波は、それこそ、潮の満ち引きの

ような勢いだった。

 

スマホと呼ばれる端末を持つ人があっというまに広がった。

電車に乗ると、7割くらいの人がスマホに夢中。

ゲームをしたり電子本を読んでいたり、何やらに興じている。

 

電車との接触、交通事故などの、危険行為や事件も増えた。

メールも普及した。

 

「友達」という言葉が、「トモダチ」として広がった。

一度もあったことのない「トモダチ」ネット上だけでの付き合い。

そうした、少し前には、水面下だったことが、どんどん、生活の中に浸透してきている。

 

人間関係、ヒト社会は、地域、隣近所、町内、勤務先、趣味、こども、などで、関係が広がっていくものだった。

最近の傾向は、閉鎖的。

隣近所は、挨拶もない。旅行などで家をあけても、お隣さんへ、留守にしますとも話さない。

何人の家族で、どういう暮らしをしているのか、ご近所でも、知らない。

携帯電話や、スマホに登録されているのは、あったこともないハンドルネームのついた判読できないローマ字や、記号が並ぶ。

 

携帯中毒、チャット仲間、ゲーマー等。

人が人とつながるのがネットの世界。

人間関係が様変わりして、「トモダチ」の意味も軽くなった。

 

知人と面と向かっていながらネット世界での「トモダチ」とのメール。

一つの部屋、同じ電車に乗り合わせながら、手元のゲームや、音楽に興じていたり、化粧中であったり、隣り合わせのものは、皆他人。言葉どころか視線さえあわさない誰もが一人ぼっち。

 

人のぬくもりが欲しい潜在意識が、見知らぬ者のメールアドレスとなって、その者達を「トモダチ」と呼ぶ。

 

群れを成すのが人の社会なのだということを再認識した。

 

ウェブ社会のゆくえ

<多孔化>した現実のなかで

鈴木謙介

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