SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

想い出の名車、名鉄パノラマカー 7000系

2016-07-15 | 鉄道・バス
西枇杷島駅の写真を撮った日は、2006年3月13日の朝の9時頃からとなっている。
10年前の名鉄の写真だ。
長男は4歳ということか。
日帰りで早朝に出発したのだろう。
名鉄7000系パノラマカーが無くなりつつあるので撮りに行ったのだ。
1961年生まれの名車中の名車。
先にデビューしてブルーリボン賞を受賞した近鉄ビスタカーに対抗するために
ライバル心を起爆剤としてデビューしたと言われている。
近鉄10100系ビスタカーの最高速度が170km/hで、名鉄の7000系が150km/hであったが、
改良型の名鉄7500系の最高速度が180km/hに引き上げられたのは、ライバル心だったのかもしれない。
いずれにせよ、最近の電車が省エネで使わない最高速度を追わないのに比べて、
1960年台の特急車は200㎞/hに迫る最高速度を誇っていたのが面白い。
夢を追いかけていたんだろうな。






名鉄もこの区間は複々線だ。
今見ても夢の有る名車だ。
イタリアのセッテベロを参考にしたデザインだと言われている。












その反面、時代なのか、車掌や運転手は大変。
お客を第一に考えたため、乗務員は犠牲を強いられている。
両端が展望室のために、車掌室が無い。
車掌は車内の端に立ったまま、車掌台のみがあり、放送したり開閉したりしている。
お客にいつも見られたまま立っているのは辛かっただろう。










見れば、温度計なども見える。
車内の温度を見ていたんだろう。
いやあ、たいへんだ。
その昔、国鉄職員がタバコを吸ってたりしたのとは大きく違うなあ。











そして最もすごいのは、運転室は車体の外から上る構造だったことだ。
これは展望車の先輩であるイタリアのセッテベロが車内に階段を設けていたのだが、
その場合は、階段から後ろの客が展望できなかったことによる。
名鉄パノラマカーは先頭車のお客さんが全員、展望することができるように、外階段にしたのだ。
大雨の日に、雨合羽を来て、ステップを上る運転手をよく見たが、
危ないし気の毒であった。
でも、顧客第一主義だったのだなあ。
ちなみに2年後に登場した小田急3100形ロマンスカーは車内に梯子が下ろせる構造になっていた。












後ろ姿は長男。























まだ小さかったなあ。
今は私と同じぐらいの身長だ。
やんちゃな雰囲気は小さいころから変わらないけれど。












今は無き、犬山のモノレール。









コニカミノルタ α‐7D、タムロンズーム28mm-75㎜/F2.8












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コメント (4)
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