今日の絵日記の絵(写真)は、スポーツ・ジムに通いなさいと”強く勧められた”灯台である。
この灯台は、北海道西部(日本海側)江刺町の北に位置する「茂津多岬灯台」である。
2006年・平成18年7月、前年に引続き・二度目となる北海道ツーリングを行った時に立ち寄った。
北海道滞在も、残すは、明日一日となった朝、札幌市のホテルで目覚め、出発した。
途中、小樽で、前年と同じ市場の同じ商店で買物を済ませ、宅配便で自宅へ送付する手続きを済ませた。
積丹半島を周遊し、国道229号線で、北海道・最後となる宿泊地(野営)江刺町方面に向け走行していた。
せたな町に入るトンネル(後日、調べた結果「茂津多トンネル」と判明)を抜けると看板が眼に入った。
「日本一高い灯台」とある。
興味が湧いて「行ってみよう!」と即断した。
トンネルを抜け、右折。
舗装道路も、300m位だったと思うが無くなり、嫌な砂利道となった。
砕石砂利でなく、採石を敷詰めた、それも真新しい丸石で、路肩や法面処理もされていない。
「しまった!大変な処に乗り入れた!」と反省したが”あとの祭り”であった。
回転させて、引き返す道幅もなく、ひたすら転倒しない事を念じつつ進んだ。
国道から分岐し、3Km弱の道程であったが”永遠の距離”とさえ思えた。
玉石を踏んで、スリップでもするものなら転倒するしかない。
途中の道路は、自動車との離合が出来る道幅も無かったことから、この先、反転させられるのだろうか?と不安が増すばかりであった。
やっとの思いで、道路の終点、目的地の「茂津多岬灯台」に到着した。
灯台敷地も道路と同じ、真新しい採石敷きではあったが、反転させられるスペースはあった。
両足は転倒に備え、すり足で、そして、大きく弧を描いて、反転させて停車。
周囲を見渡すも、樹木のため日本海などの風景は望めなかった。
「灯台に来ました」という証拠の写真を撮るだけの訪問であった。苦労(心配)して来たのに・・!
携帯電話機が使えるか確認した。 通話・通信不能である。
助けや支援が必要となった場合、国道まで徒歩で応援・救助を求める方法しかなく、レスキューは呼べないことを悟った。
早々に、退散することを決めた。
帰路は、行きに増して緊張の連続であった。何故なら、帰りの行程を知っているから・・・
童謡の”往きは良い良い、帰りは怖い”ではなく”行きも怖いが還りはもっと怖い”と思った事であった。
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この事があって、独りツーリングは”体力の維持”が欠かせないことを痛感した。
最低限の事として、不幸にして転倒したとしても、引き起こせる体力の維持を!と思い「足腰を鍛えよう!」と一念発起!した。
近くのスポーツジムに見学に行った。
入会金や諸々の経費が懸ることから、自宅で出来ることは無いか探した。
当時、バイク仲間であったK氏が”ボート漕ぎ”の機械で鍛錬している事を聞き、通販で購入した。
そして、音楽を聴きながら、毎日・15~20分程度、実践した。
娘から「カリキュラムを組んで正式にやってみれば!」「入会金ゼロ円・キャンペーンやってるよ」との情報と伴に、スポーツ・ウェアーのプレゼントを受けた。
この様にして、スポーツ・ジムへの入会を果たしたのである。
入会当時は土休日を外し、毎日通っていたが、現在では概ね、週に三日、通っている。
今日・此処に至り、気が付く変化としては、背中を洗うタオルの操作に苦痛が無くなったこと・体重は微増(3Kg)したが腹回りは微減していること・胡坐座りから、手を突かずに立ち上げれること・走っても頭痛がしなくなった。こと等であろうか・・・
筋トレの負荷も維持、若しくは重くなっている。
独りツーリングを維持できる様にと始めた「スポーツ・ジム」通いであるが、その原点は「茂津多岬灯台」での不安な気持ちからであった。
そして、このツーリングには、もう一つの”オマケ”が付く。
茂津多岬から、それほど遠くない処で、北海道・最後の宿泊(野営)をして、函館から(青森県)大間にフェリーで渡って帰路についた。
しかし、その夜、八戸からの高速道で、エンジン停止という、アクシデント(「バイク旅行中の出来事 そのⅠ(2012.06.05)」)がおそったことである。
後日談
この・茂津多岬灯台の「日本一」の称号は一時、兵庫県城崎(伊笹岬)の余部埼灯台の改築によって、譲った経緯がある。
しかし、茂津多岬灯台も、灯台の改修に併せ、塔屋の屋根も改修した様である。
現在では、海面からの灯火の高さは「余部埼灯台」、海面から建物の高さでは「茂津多岬灯台」が”日本一”との事である。
訪れた時、円錐形の屋根が「ハイカラな、変わった灯台やぁ!」と思った事に、納得したものであった。
管区(第一・第八)海上保安本部も”知恵(?)”を出して頑張っている様である。
日本一への拘りが、少し滑稽ではあるが、知恵や工夫で競い合う事は、私は好きである。