こんばんわ。
人には、3パターンあります。
相手の想いを感じ取れるかどうかという点についてです。
以前のあなたのパートナーはどんな人だったろうか?
そして、あなた自身はどうだったろうか?
一番いいのは、
心から相手のことを思いやれるひと。
時には、自分のことよりも相手のことを考えることができる人。
けして、相手に依存するとか、自分自身を生きていないのとは違う。
本当に自立して、心からやさしい人はそうなんです。
自分自身がしっかりあるけれど、
それと同等かそれ以上に、相手のことも考えることができる人。
そんな人間はけして人を裏切りはしない。
相手に間違いを犯す権利も与えるし、許すやさしさも持っている。
だから一緒にいても、お互いに楽にいることができる。
双方に相手の自由を認めながらも、相手への思いやりも欠かすことがなく、
自分と同じように相手のことも大切にしている。
これでうまくいかないはずがない。
2番目は、
ある程度は、相手のことを考えることができるひと。
多くの人が当てはまるし、
最近は自分中心の生き方も、本質を離れて流行っているから
多いのかもしれない。
でも、軸足は自分が主。
状況が自分にとって都合が良かったり、気分が良いときは
相手にもやさしくふるまえるし、思いやることもできる。
もしあなた自身がわりとしっかりしていても
こういう相手には心を許しやすい。
でも、こういうタイプの人は
自立していない。
人間としての成熟度が不足しているので、
本人も悪気はないし、気づいてもいないが、
いざというときは自分をとる。
そのときに、相手のことを思いやるゆとりはなくなる。
だからある意味で、利己主義な行動にでやすい。
そうしないと自分自身が守れないと思っているから。
でも、本当は1番目に紹介したような人こそが
自分を一番大切にしているし、
相手にも大切にされるのだということに
いつまでたっても気づけない。
3番目は、
全く相手のことが考えられないひと。
2番目と同じで、自分が軸足に見えるが、
こういうタイプの人は、
そもそも、軸足がない。
だから、興味のあること、その場の雰囲気、勢い
楽しいこと、自分にとって快適なところを好む。
つまり、
状況によってコロコロと変わる。
付き合ったり、結婚したては誰でも楽しいし、ウキウキする。
だから、上機嫌だし、一見すると、
自分に尽くしてくれるような感じもする。
だが、あくまで軸足がないから、
周囲の状況や、自分が追い込まれると
あっという間に変化していく。
それは相手からすれば、急変のようにも見える。
一番わかりやすい例は、
アルコール依存や、親への依存、また物への依存など
依存傾向が強い。
つまり、自分が楽な方へ常に動くのだ。
日常生活で見ていると、実は見抜きやすいものだが、
恋愛をしているとどうしても見落としてしまいやすい。
なんせ、そのときは一番楽しい相手でもあるのだ。
つまり、盛り上がりやすい。
見抜くポイントは、
その人がいう言葉や行動がどれくらい長続きしているか?である。
思いつきが多かったり、方針がコロコロと変化したり、
相手の言動によって動きやすい場合は注意。
2番目、3番目に共通していえるのは、
相手のことを本当に大切に考えることができる人は
軽率な言動や、行動はしない。
そのことが相手をどれだけ傷つけるかを知っているから。
だから、1番目のようなタイプの相手では、
距離が縮まるには多少の時間が必要だ。
逆にいうと、それくらいをしっかりと待つことができて、
相手との関係を大切にできるくらいでなければならない。
いうまでもなく、
2番目、3番目の人を避けられるように
あなた自身が成熟して、1番目のような人と関係ができるように
なってほしいと思う。
いつもいうように、
パートナーは自分の鏡やパズルのようだから、
似たもの同士、補うもの同士、正反対同士で近づきやすい。
自分が成熟していないと、成熟した人と付き合うことはできませんよ。
人には、3パターンあります。
相手の想いを感じ取れるかどうかという点についてです。
以前のあなたのパートナーはどんな人だったろうか?
そして、あなた自身はどうだったろうか?
一番いいのは、
心から相手のことを思いやれるひと。
時には、自分のことよりも相手のことを考えることができる人。
けして、相手に依存するとか、自分自身を生きていないのとは違う。
本当に自立して、心からやさしい人はそうなんです。
自分自身がしっかりあるけれど、
それと同等かそれ以上に、相手のことも考えることができる人。
そんな人間はけして人を裏切りはしない。
相手に間違いを犯す権利も与えるし、許すやさしさも持っている。
だから一緒にいても、お互いに楽にいることができる。
双方に相手の自由を認めながらも、相手への思いやりも欠かすことがなく、
自分と同じように相手のことも大切にしている。
これでうまくいかないはずがない。
2番目は、
ある程度は、相手のことを考えることができるひと。
多くの人が当てはまるし、
最近は自分中心の生き方も、本質を離れて流行っているから
多いのかもしれない。
でも、軸足は自分が主。
状況が自分にとって都合が良かったり、気分が良いときは
相手にもやさしくふるまえるし、思いやることもできる。
もしあなた自身がわりとしっかりしていても
こういう相手には心を許しやすい。
でも、こういうタイプの人は
自立していない。
人間としての成熟度が不足しているので、
本人も悪気はないし、気づいてもいないが、
いざというときは自分をとる。
そのときに、相手のことを思いやるゆとりはなくなる。
だからある意味で、利己主義な行動にでやすい。
そうしないと自分自身が守れないと思っているから。
でも、本当は1番目に紹介したような人こそが
自分を一番大切にしているし、
相手にも大切にされるのだということに
いつまでたっても気づけない。
3番目は、
全く相手のことが考えられないひと。
2番目と同じで、自分が軸足に見えるが、
こういうタイプの人は、
そもそも、軸足がない。
だから、興味のあること、その場の雰囲気、勢い
楽しいこと、自分にとって快適なところを好む。
つまり、
状況によってコロコロと変わる。
付き合ったり、結婚したては誰でも楽しいし、ウキウキする。
だから、上機嫌だし、一見すると、
自分に尽くしてくれるような感じもする。
だが、あくまで軸足がないから、
周囲の状況や、自分が追い込まれると
あっという間に変化していく。
それは相手からすれば、急変のようにも見える。
一番わかりやすい例は、
アルコール依存や、親への依存、また物への依存など
依存傾向が強い。
つまり、自分が楽な方へ常に動くのだ。
日常生活で見ていると、実は見抜きやすいものだが、
恋愛をしているとどうしても見落としてしまいやすい。
なんせ、そのときは一番楽しい相手でもあるのだ。
つまり、盛り上がりやすい。
見抜くポイントは、
その人がいう言葉や行動がどれくらい長続きしているか?である。
思いつきが多かったり、方針がコロコロと変化したり、
相手の言動によって動きやすい場合は注意。
2番目、3番目に共通していえるのは、
相手のことを本当に大切に考えることができる人は
軽率な言動や、行動はしない。
そのことが相手をどれだけ傷つけるかを知っているから。
だから、1番目のようなタイプの相手では、
距離が縮まるには多少の時間が必要だ。
逆にいうと、それくらいをしっかりと待つことができて、
相手との関係を大切にできるくらいでなければならない。
いうまでもなく、
2番目、3番目の人を避けられるように
あなた自身が成熟して、1番目のような人と関係ができるように
なってほしいと思う。
いつもいうように、
パートナーは自分の鏡やパズルのようだから、
似たもの同士、補うもの同士、正反対同士で近づきやすい。
自分が成熟していないと、成熟した人と付き合うことはできませんよ。
今回の記事、残念ながら自分は2番です。
離婚を経験しても2番のままだと思います。自分磨きが足りないですね。
最近の私はと言うと、全くないと嘘になりますが、離婚に対しての絶望感はなくなりました。不安に駆られる事も少なくなり、
普通にテレビも見られるようになりました。
一方で、今後の自分の生きていく方向が見えなくなりました。
日々時間だけが過ぎて、日にちだけが過ぎての毎日です。
加えて、毎日鬱とは違う起きていられないだるさがあり、一日の半分以上眠気があります。
さすがにマズイと思い、先日血液検査して、その結果が明後日出ますが、不摂生が祟ったのかもしれません。
自業自得ですね。
すいません。なんか離婚とは違うコメントになってしまって。またコメントします。
こんばんわ。おひさしぶりです。
「離婚に対しての絶望感はなくなりました。不安に駆られる事も少なくなり、普通にテレビも見られるようになりました。」
>まずは、そこからのスタートですよね。少しずつです。
「今後の自分の生きていく方向が見えなくなりました。」
>そんなにあせることないと思いますよ。
誰でも、離婚した後は、そんな気持ちになります。
私もそうでした。
生きていく方向は、自分で一生懸命探しているときは
見つからず、力を抜いて、ただただ日々を過ごしている
なかで、ふと自分が気になること、
だれかに誘われて、しょうがなく出掛けたこと
意図せず出会うひと
そんなところから、気づきが得られて、
しかも、パッとすっきりとはいかずに、
なんとなく、○○がしてみたいな。。。
こんなふうに生きれたらいいな。。。
そういうふうに思えるときが来るもんです。
焦って、何かを得ようと努力しすぎると
どうでもいいことに、
捕まってしまいやすい。
正常ならもちろんわかることでも、
気持ちのバランスが不安定なときには
楽園に見え、千載一遇のチャンスに思え、
まさに天命のようにも感じてしまいやすい。
だから、落ち着いて、あせらず
ただただ毎日を過ごすのも悪くないのですよ。
絶望するほどのどん底を経験し、
知力と体力のすべてを使い切ったのだから
充電期間も必要なんだと思いましょう。
またコメントくださいね。
ふと、あれこれ真摯に思い悩んでいるけど、それは一時的なもので、実は自分はめちゃくちゃ3番目の人間なんじゃないかと思えてきました。
都合のいいときだけ、相手のことを考えて悦にいってるのでは…いったい自分の軸足はあるのか、どこに置いてるのか…
元気になってしまったら考えなくなるでしょう。
そしたら自分は変われない。
そしたらまた同じことを繰り返して苦しむのか…それが嫌だから、変わりたい。
という考え自体がものすごく自分勝手じゃないですか。
2番目、3番目の人を避けられるように、1番目のような人と関係ができるように、と願うこと自体が、すごく利己的な気がしています。
そういうことじゃないんですかね。私はものすごい思い違いをしているのか??
さっぱり分からなくなってきました。
考え過ぎなのか?
考える方向性を間違ってるのか?
自分が楽な方へ常に動く…常に、ではないと思いますが…少なくとも自分が楽しいと思える方へは常に動こうとしています。いまも目標はそこです。苦しいのは嫌です。病みたくもない。
心から相手のことを思いやることもあると思います。
時には、自分のことよりも相手のことを考えることがあります。
でも私の勘違い独りよがりかもしれません。
都合のいいときだけかも。追い詰められて、救われたいからそういう人間になるというパターンなのかも。