山本藤光の文庫で読む500+α

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ドストエフスキー『罪と罰』(上下巻、新潮文庫、工藤精一郎訳)

2018-03-13 | 書評「タ行」の海外著者
ドストエフスキー『罪と罰』(上下巻、新潮文庫、工藤精一郎訳)

鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと企てるが、偶然その場に来合せたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第二の殺人が、ラスコーリニコフの心に重くのしかかり、彼は罪の意識におびえるみじめな自分を発見しなければならなかった。(「BOOK」データベースより)

◎追い詰められた状況下で

保坂和志は、著書『小説の自由』(中公文庫)のなかで、『罪と罰』はドストエフスキーが新聞で見つけた小さな殺人事件の記事から生まれたと書いています。その小さな記事に、神や魂や信仰や救済という衣をつけて、つくりあげた作品だとつづけています。

ドストエフスキーが『罪と罰』を書いたころは、精神的に極端に追い詰められた状態でした。そのあたりについて、書かれている文章を紹介させていただきます。

――ドストエフスキーの三大小説の一つである『罪と罰』は、1864年の妻と兄の死、雑誌経営の失敗などで、以後数年、莫大な借金を背負い、海外逃避と波乱の生活が続き、精神的にも経済的にも困難な状況で書き上げられた、窮迫のなかで生まれた傑作である。(三浦朱門・編『読んでおきたい世界の名著』PHP文庫)

ドストエフスキーは、以降『悪霊』(1871年)、『カラマーゾフの兄弟』(1880年)へと書きつなぎます。作品を包みこむ衣に変化はありませんが、作風は次第に明るさを増してゆきます。私は
『カラマーゾフの兄弟』(全5巻、光文社古典新訳文庫、亀山郁夫訳、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)から入って、最後に『罪と罰』にたどりつきました。

結果的にこの順序は、正解だったようです。いきなり『罪と罰』を読んでいたら、ドストエフスキーの他の作品には手出ししなかったかもしれません。それほど『罪と罰』は重苦しい作品で、さわやかな読後感とは無縁の作品でした。

奥泉光(推薦作『シューマンの指』講談社文庫)は『私が選んだベスト3』(ハヤカワ文庫、丸谷才一・編)のなかで、ドストエフスキーの3作品をとりあげています。浪人時代の暗澹たる状況下にふさわしい作品であった、と書いているのもうなづけます。

◎ナビゲーターはこう読んでいる

ストーリーの紹介は、前掲の「BOOKデータベース」に譲ります。そのかわり何人かの『罪と罰』に寄せる言葉を紹介させていただきます。

――私たちはこの小説を読みながら、その青年(引用者注:残虐な殺人鬼・ラスコーリニコフ)を憎み嫌悪する気持ちにはなれない。むしろ彼が司直の手に追いつめられてゆくのを、ハラハラしながら見守るのである。当時のロシアの読者のほとんどがそうだったのではないか。(五木寛之『世界文学のすすめ』岩波文庫別冊、大岡信ら編)

――この小説の中心になるのは、一つの犯行の場面です。ばあさんを殺す場面。それからソーニャに告白する場面。もう一つ、実は、ボルフィーリィっていう予審判事とラスコーリニコフが丁々発止の対話をやる。刑事コロンボと犯人との対話みたいな。ああいうところは実にうまい。(加賀乙彦『小説家が読むドストエフスキー』集英社新書)

――ドストエフスキーは偉大な作家ではなくてむしろ凡庸な作家であり、時たま絶妙なユーモアの閃きはあるとしても、悲しいかな、閃き以外の場所は大部分が文学的決り文句の荒野である。『罪と罰』のラスコーリニコフは何らかの理由から質屋の老婆とその妹を殺す。情け容赦のない警察官という姿を借りて、正義は彼を徐々に追いつめ、追いつめられたラスコーリニコフは、結局、公衆の面前で罪を自白し、気高い娼婦の愛によって精神的再生へと至る。(ウラジーミル・ナボコフ『ナボコフのロシア文学講義・上巻』河出文庫)

――『罪と罰』の娼婦ソーニャは、自分の親しい友だちリザヴェータを殺したのがラスコーリニコフであることを知ったとき、すぐに、「リザヴェータは赦してくれるわ、赦してくれますとも。わたしにはわかるわ」と言います。自分の親友を殺された怒りも殺人者にたいする償いの要求もないのです。(中村健之介『ドストエフスキーのおもしろさ』岩波ジュニア新書)

――ラスコーリニコフが「復活」したかどうかの客観的な証はまったくないにもかかわらず、それについての「暗示」は小説に提示されている。(亀山郁夫『ドストエフスキー・謎とちから』文春新書)

『罪と罰』を読み終えてから、数10冊もの関連本を読みました。最後に、江川卓『謎とき罪と罰』(新潮選書)が永年の疑問に解決をあたえてくれたことを付記しておきます。

本書のタイトルですが、本来なら罰は罪にたいして課せられるものですから、「罪にたいする罰」となるべきだと思います。なぜ罪と罰が対等の関係、「と」で結ばれているのでしょうか。江川卓『謎とき罪と罰』は、「甘いなそんな読み方では」と多くのことを教えてくれました。

「山本藤光の文庫で読む500+α」は1作家1作品の紹介を原則としています。しかし『罪と罰』は絶対にはずせないので、「+α」としてリストに加えさせてもらいました。引用ばかりになりましたが、識者の声をお届けさせていただきました。
(山本藤光:2014.08.09初稿、2018.03.13改稿)

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