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トゥルゲーネフ『初恋』(光文社古典新訳文庫、沼野恭子訳)

2018-03-08 | 書評「タ行」の海外著者
トゥルゲーネフ『初恋』(光文社古典新訳文庫、沼野恭子訳)

16歳の少年ウラジーミルは、年上の公爵令嬢ジナイーダに、一目で魅せられる。初めての恋にとまどいながらも、思いは燃え上がる。しかしある日、彼女が恋に落ちたことを知る。だが、いったい誰に?初恋の甘く切ないときめきが、主人公の回想で綴られる。作者自身がもっとも愛した傑作。(「BOOK」データベースより)

◎『初恋』は「真実の話である」

トゥルゲーネフ『初恋』(光文社古典新訳文庫)は、ツルゲーネフという筆名の時代に読んでいます。昔は「トゥ」とか「ヴァ」などの表記は見かけませんでした。いまは逆に、ツルゲーネフ表記は消えつつあります。それはロシア語の音読みに近づけるための知恵なのですから、納得することができます。
 
しかし『はつ恋』と表記されると、翻訳者や出版社の見識が疑われます。なんだか焼肉屋のイメージがぷんぷんして、レモンの香がしてきません。新潮文庫は、なぜ「初」の字を避けたのか。購入していないので、その理由はわからないままです。
 
同じことですが、ヘッセ『車輪の下で』(光文社古典新訳文庫)を読んだときにも違和感を感じました。私たちは『車輪の下』でなじんでいます。訳者の言い訳が掲載されていましたが、そんなことで読後感がかわるはずはありません。出版社は古典文学のタイトルを、大切に考えてもらいたいと思います。簡単にいじってもらいたくないのです。
 
というわけで、10代に読んだ『初恋』に60代で触れ直してみました。いいな、と思いました。作品に気品があるのです。風化していないというか、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)とともに、後世の若者に残したい作品の代表格でありつづけていました。
 
トゥルゲーネフは『初恋』について、「真実の話である」と語っています。詳細については「文庫解説」に譲ります。初恋って、空想だけで描くと軽薄なものになります。むかしからいわれているように、切なく、ほろにがく、ちょっぴりと甘く……。そんなウソ話を書ける作家など存在しません。
 
ためしに、北上次郎編『14歳の本棚・初恋友情編』(新潮文庫)を読んでみてもらいたいと思います。逃げ腰で書いている作品ばかりですから。「初恋っぽい作品」と、編者の北上次郎も予防線を張っていたくらいです。
 
この作品集で不満なのは、伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)が選ばれていないことでした。日本版で唯一共感できるのが、伊藤左千夫『野菊の墓』です。私の稚拙な読書経験でも、そう断言できます。
 
◎たちまちに一目惚れしてしまう

作品の構成は40歳代になった主人公が、2人の男ともだちに「初恋」時代の話を読んで聞かせる形になっています。トゥルゲーネフは読者が感情移入しやすいようにと、この形式を選んだのだと思います。私が再読した光文社古典新訳文庫について、翻訳家の鴻巣友季子は賛辞をのべています。

――古典の新訳を専門とする野心的な文庫が創刊された。一作ずつ、文体や人物造形などの点で新しい試みをとりいれているそうだ。なかでも、個人的に思い出深い『初恋』がとてもよかった。訳者の沼野恭子は、なぜ語り手が話を始めたかという点に着目し、だれかに話し聞かせる「です・ます調」で訳した。コロンブスの卵的転換で、柔らかな語り口に、少年の多感さや空回りの痛ましさが鮮明に感じられた。(鴻巣友季子『本の寄り道』河出書房新社P89より)

手記は主人公・ウラジーミルが、16歳のときの話です。1833年の夏ウラジーミルは、両親とモスクワの近郊の別荘にやってきます。彼は大学受験を控えており、勉強に明け暮れるはずでした。
 
ある日別荘の隣に、没落公爵・ザセーキナ夫人一家が引っ越してきます。ザセーキナ家には、ジナイーダという21歳の美しい娘がいました。垣根越しにジナイーダをみたウラジーミルは、たちまち一目惚れしてしまいます。
 
翌朝ウラジーミルは、引っ越してきたザセーキナ家に出向きます。歓迎の晩餐会の催しを、伝えるためです。その場でウラジーミルは、間近でジナイーダと対面します。そして彼女の部屋に誘われます。以降の進展については、ジナイーダのセリフをいくつか拾ってみます。
 
――私の顔を見てごらんなさい。どうして私のほうを見てくださらないの。(本文P27より)

――見られてもちっとも嫌じゃないの。あなたの顔、好きよ。私たち、いいお友達になれそうな気がするけれど、あなたは私のこと好きかしら?(本文P27より) 

――今日から少年侍従に取りたててあげましょう。忘れちゃだめよ。侍従っていうのは、ご主人様のそばを離れてはいけないんですからね。(本文P105より) 
 
ジナイーダには、とりまきの男が4人います。軽騎兵、詩人、医師、若い伯爵。ウラジーミルは彼らとの、恋の戦いに参戦することになります。しかしウラジーミルは、もてあそばれてしまいます。そのあたりの描写は秀逸です。
 
――ジナイーダがいないと胸がふさがり、何ひとつ頭に浮かんでもこなければ、何ひとつ手にもつかないというありさまです。明けても暮れても、ひたすらジナイーダのことばかり考えてしまいます。離れていれば身を焦がすほどなのですが、だからといって、ジナイーダのそばにいても気が休まるわけではありません。嫉妬に苦しんだり、自分のつまらなさ加減を思い知ったり、馬鹿みたいにぶんぶん膨れたり、馬鹿みたいにおもねったりするのですが、それでもなお抗いがたい力が働いて、いやおうなくジナイーダに惹かれ、彼女の部屋に足を踏み入れるたびに幸せのあまり体が震えるのでした。(本文P62より)
  
ある日ウラジーミルは、悲しみに打ちひしがれたジナイーダを発見します。彼女はだれを愛しているのか。苦悩する彼女をみて、ウラジーミルの心は、さらに乱れます。やがて彼は、その秘密を知ることになります。
 
◎父と息子のものがたり 

これ以上作品に深いりすることはよします。最近「子は父と必ず対峙する」という典型的な物語が、『初恋』であるとの解説を目にしました。小川洋子もその点に言及しています。

――これは初恋を描いた小説であるとともに、父と息子の物語です。息子が父親を仰ぎ見て、ぶつかっていって、そしてどのように乗り越えていくかを描いています。(小川洋子『心と響き合う読書案内』PHP新書より)
 
息子は父親を尊敬しています。父親の愛を欲しています。ところが父親は、少年の心をかえりみようとはしません。母親からも強い愛情は感じとれません。このような環境下で、主人公のウラジーミルは、魔性のジナイーダに恋をしたのです。

後半はすさまじい展開となります。私も主人公と同じ年代で、一度読んでいます。しかしこの作品は大人になって再読すると、印象は大きく変わります。尊敬する父が母と結婚した理由。ジナイーダが愛していた男の正体。身近な人の死。

そしてなぜトゥルゲーネフがものがたりに「語り手」を登用したのか。「です・ます調」の翻訳は、私に新たな『初恋』体験をさせてくれました。
(山本藤光:2010.04.22初稿、2018.03.08改稿)

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