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144:恭二の回想

2019-09-24 | 小説「町おこしの賦」
144:恭二の回想
 翌日、恭二は早朝の標茶駅で、釧路行きの電車を待っていた。リュックサックを背負い、大きなスーツケースを足下に置いている。待合室には誰もいない。暖房のない駅舎には、戸外と変わらぬ寒さがあった。
 所在なく壁面を眺めていると、南川理佐が描いたポスターが目に留まった。中学時代の壮行試合の応援席には理佐がいて、そして隣りには詩織がいた。
札幌の理佐の祖父母の家へ、卒業旅行に行った。そのときも、詩織が一緒だった。恭二はポスターを眺めながら、深いため息をつく。
――結婚するかもしれない。
 冷酷な一言が、恭二の回想に蓋をしてしまう。畜生と思う。ばかやろう、と叫びたくなる。恭二は宙を見上げ、心のなかに居座る澱(おり)と闘う。
 改札が始まった。さよなら標茶。心のなかでつぶやく。そして、さよなら詩織と小さな声でいってみる。

 釧路発札幌行きの特急電車は、空席が目立った。恭二は太平洋をのぞめる、進行方向左側の席を選んだ。荷物から「笑話の時代」ノートを出し、二つの荷物は網棚に乗せた。そしてポケットのスマホを取り出し、電源をオフにした。
車内販売がきた。恭二は、コーラを注文した。コーラを飲みながら、恭二は詩織に思いをはせている。長い入院生活をしてから、詩織はおれと距離をおくようになっていた。おれの受験を案じてのことだ、と思っていた。それが違っていたのだ。
――プロポーズされているの。
 またもや、詩織の声が聞こえてくる。また悔しさが、突き上げてきた。心のなかにぽっかりと空いた空洞。洞窟には、詩織の放った毒がある。

窓外に太平洋が、広がっている。大きな波頭が盛り上がり、白い塊になって浜辺に叩きつけられている。どんよりとした空に隠れて、水平線は見えない。まるで今のおれと同じだ、と恭二は思う。そして、固く目を閉じる。

すべてを遮断するのだ。おれは流浪の身なのだ。失ったものはあまりにも大きかったが、これから手に入れようとしているものは、もっと大きい。すべての未練を断ち切るのだ。
恭二は目を開けた。太平洋と別れを告げて、電車はひた走る。一浪生活の幕開けである。


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