本多秋五『物語戦後文学史』(上中下巻、岩波現代文庫)
現在われわれがいいうること、そして私がいいたいと思うことは、戦後文学者よ、初心を忘れるな、ということである。批評家よ、戦後文学をその最低の鞍部で越えるな、それは誰の得にもならないだろう、ということである。そしてまた、若い世代の人々よ、出来うべくんば戦後文学の精神を精神とせよ、たとえそれが戦後文学の徹底的否定になろうとも、ということである。(文庫案内より)
◎文学史は楽しい読物
日本文学史を学びだしてから、小説を読むことが楽しくなりました。文学史のなかにはふんだんに、時代があり、思想があり、政治があって、社会があります。先達の作品があって、新たな小説が生まれています。
近代日本文学作品を読むとき、文学史が頭に入っているとわかりやすくなります。作品の時代背景はもちろん、文壇事情などを知っていると、読書の幅が広がります。「山本藤光の文庫で読む500+α」では文学史として、三田誠広『書く前に読もう超明解文学史』(集英社文庫)も推薦作にしています。こちらはおいしい袋ラーメンであり、本多秋五『物語戦後文学史』の方は頑固一徹なラーメン屋の味です。
本多秋五『物語戦後文学史』(上中下巻、岩波現代文庫)は、表題とおり「物語」になっています。1人の作家について、豊富なエピソードをまじえて浮きぼりにする技量は、職人技にふさわしいものです。私は毎朝10ページを目安に、赤線を引きながら読みました。したがって全3巻を読むのに、半年以上かかってしまいました。
「文学史」って意外に楽しい読物です、とお伝えしたいと思います。私は松原新一・磯田光一・秋山駿『増補改訂・戦後日本文学史・年表』(1979年講談社)を宝物のように愛用させてもらっています。そのなかの一文を紹介させていただきます。
――本多秋五は『物語戦後文学史』(全3巻、昭和35年~40・新潮社刊)を出し、戦後派の文学運動を中心として戦後の文学の流れを描いた。文学史観が戦後中心になっているとはいえ、物語性をもった具象的な記述は、文学史の書き方に幅の広さを与えたともいえる。(本書P342より引用)
たとえば三島由紀夫に関する記載は、中巻で50ページもさいています。大見出しになっている作家だけでも、驚くほどきめ細かいものです。それぞれ数10ページのボリュームで、社会背景、文壇事情、デビュー作からの変遷、影響を受けたり与えた作家などにもふれています。文学史は、文学部の学生か先生が読むもの。そんな先入観を捨てて、ぜひ楽しんで読んでもらいたいと思います。
◎通常の文学史とは異なる筆致
上巻の見出しだけをならべてみます。あなたが読んでみたい見出しはないでしょうか。
上巻:「抵抗の作家石川淳の登場」「絶対の夢想者坂口安吾の新声」「織田作之助の命をかけた自己燃焼」「野間宏の最初期の仕事」「梅崎春生のデビュー」「怪物・椎名麟三の出現」「手の内見せぬ花田清輝」「実生活と芸術の近藤を斥ける福田恆存」「観念のまどわしを見透かす竹山道雄」「二・一のスト」「火中の栗を拾う田中英光」「滅亡の歌い手太宰治」
本多秋五は文芸評論家だけに、通常の文学史とは異なる筆致で、文壇を描いています。小説家がいて、文芸評論家がいます。文学史はこれまでに何冊も読んでいます。ほとんどの日本文学史は、「○○派」の切り口で文壇をひもといています。
本多秋五『物語戦後文学史』は、「○○派」には拘泥していません。太宰治を語るときは、「近代文学」という雑誌の創刊から切りこみます。青森に住んでいる太宰治と東京生まれの文芸雑誌が、ものがたりのなかで融合します。
くりかえしになりますが、本書を読んで、読書の幅が広がりました。1日10ページ。亀の歩みでしたが、大作を読みきったことに満足しています。いまは伊藤整『日本文学史』(全18巻、講談社文芸文庫)を読みはじめています。もちろん亀の歩みで。さらに、井上ひさし・小森陽一編『座談会・昭和文学史』(全6巻、集英社)も並行して読んでいます。
最後に本多秋五のプロフィールを簡単にまとめてみます。
1906年生まれ。東京帝国大学卒業。1946年、平野謙、山室静、埴谷雄高、小田切秀雄らと「近代文学」創刊。志賀直哉や武者小路実篤など、白樺派の作家を数多く論じています。またトルストイについての著作も残しています。1976年、日本の敗戦は無条件降伏ではなかったとする江藤淳や柄谷行人にたいして、反対論争をしています。2001年死去。
文学史を読んでいると、大好きな作家が街角からひょっこりと顔を見せてくれます。大好きな作品が、街角の裸電球の下に並べられています。梶井基次郎『檸檬』のような世界に、きっとあなたをいざなってくれることでしょう。
(山本藤光:2010.04.16初稿、2018.03.06改稿)
現在われわれがいいうること、そして私がいいたいと思うことは、戦後文学者よ、初心を忘れるな、ということである。批評家よ、戦後文学をその最低の鞍部で越えるな、それは誰の得にもならないだろう、ということである。そしてまた、若い世代の人々よ、出来うべくんば戦後文学の精神を精神とせよ、たとえそれが戦後文学の徹底的否定になろうとも、ということである。(文庫案内より)
◎文学史は楽しい読物
日本文学史を学びだしてから、小説を読むことが楽しくなりました。文学史のなかにはふんだんに、時代があり、思想があり、政治があって、社会があります。先達の作品があって、新たな小説が生まれています。
近代日本文学作品を読むとき、文学史が頭に入っているとわかりやすくなります。作品の時代背景はもちろん、文壇事情などを知っていると、読書の幅が広がります。「山本藤光の文庫で読む500+α」では文学史として、三田誠広『書く前に読もう超明解文学史』(集英社文庫)も推薦作にしています。こちらはおいしい袋ラーメンであり、本多秋五『物語戦後文学史』の方は頑固一徹なラーメン屋の味です。
本多秋五『物語戦後文学史』(上中下巻、岩波現代文庫)は、表題とおり「物語」になっています。1人の作家について、豊富なエピソードをまじえて浮きぼりにする技量は、職人技にふさわしいものです。私は毎朝10ページを目安に、赤線を引きながら読みました。したがって全3巻を読むのに、半年以上かかってしまいました。
「文学史」って意外に楽しい読物です、とお伝えしたいと思います。私は松原新一・磯田光一・秋山駿『増補改訂・戦後日本文学史・年表』(1979年講談社)を宝物のように愛用させてもらっています。そのなかの一文を紹介させていただきます。
――本多秋五は『物語戦後文学史』(全3巻、昭和35年~40・新潮社刊)を出し、戦後派の文学運動を中心として戦後の文学の流れを描いた。文学史観が戦後中心になっているとはいえ、物語性をもった具象的な記述は、文学史の書き方に幅の広さを与えたともいえる。(本書P342より引用)
たとえば三島由紀夫に関する記載は、中巻で50ページもさいています。大見出しになっている作家だけでも、驚くほどきめ細かいものです。それぞれ数10ページのボリュームで、社会背景、文壇事情、デビュー作からの変遷、影響を受けたり与えた作家などにもふれています。文学史は、文学部の学生か先生が読むもの。そんな先入観を捨てて、ぜひ楽しんで読んでもらいたいと思います。
◎通常の文学史とは異なる筆致
上巻の見出しだけをならべてみます。あなたが読んでみたい見出しはないでしょうか。
上巻:「抵抗の作家石川淳の登場」「絶対の夢想者坂口安吾の新声」「織田作之助の命をかけた自己燃焼」「野間宏の最初期の仕事」「梅崎春生のデビュー」「怪物・椎名麟三の出現」「手の内見せぬ花田清輝」「実生活と芸術の近藤を斥ける福田恆存」「観念のまどわしを見透かす竹山道雄」「二・一のスト」「火中の栗を拾う田中英光」「滅亡の歌い手太宰治」
本多秋五は文芸評論家だけに、通常の文学史とは異なる筆致で、文壇を描いています。小説家がいて、文芸評論家がいます。文学史はこれまでに何冊も読んでいます。ほとんどの日本文学史は、「○○派」の切り口で文壇をひもといています。
本多秋五『物語戦後文学史』は、「○○派」には拘泥していません。太宰治を語るときは、「近代文学」という雑誌の創刊から切りこみます。青森に住んでいる太宰治と東京生まれの文芸雑誌が、ものがたりのなかで融合します。
くりかえしになりますが、本書を読んで、読書の幅が広がりました。1日10ページ。亀の歩みでしたが、大作を読みきったことに満足しています。いまは伊藤整『日本文学史』(全18巻、講談社文芸文庫)を読みはじめています。もちろん亀の歩みで。さらに、井上ひさし・小森陽一編『座談会・昭和文学史』(全6巻、集英社)も並行して読んでいます。
最後に本多秋五のプロフィールを簡単にまとめてみます。
1906年生まれ。東京帝国大学卒業。1946年、平野謙、山室静、埴谷雄高、小田切秀雄らと「近代文学」創刊。志賀直哉や武者小路実篤など、白樺派の作家を数多く論じています。またトルストイについての著作も残しています。1976年、日本の敗戦は無条件降伏ではなかったとする江藤淳や柄谷行人にたいして、反対論争をしています。2001年死去。
文学史を読んでいると、大好きな作家が街角からひょっこりと顔を見せてくれます。大好きな作品が、街角の裸電球の下に並べられています。梶井基次郎『檸檬』のような世界に、きっとあなたをいざなってくれることでしょう。
(山本藤光:2010.04.16初稿、2018.03.06改稿)
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