山本藤光の文庫で読む500+α

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馳星周『不夜城』(角川文庫)

2018-03-06 | 書評「は」の国内著者
馳星周『不夜城』(角川文庫)

新宿・アンダーグラウンドを克明に描いた気鋭のデビュー作! おれは誰も信じない。女も、同胞も、親さえも…。バンコク・マニラ、香港、そして新宿―。アジアの大歓楽街に成長した歌舞伎町で、迎合と裏切りを繰り返す男と女。見えない派閥と差別のなかで、アンダーグラウンドでしか生きられない人間たちを綴った衝撃のクライム・ノベル。(「BOOK」データベースより)

◎坂東齢人のころ

『本の雑誌』の創刊号からの愛読者です。もちろん」、その雑誌の書評欄を担当していた、坂東齢人の名前はよく知っています。しかしそれが馳星周と同一人物であることは、しばらくはわかりませんでした。

坂東齢人はハードボイルドを中心として、毎回辛口の書評を展開していました。そんな坂東がなぜ、自ら作品を書きはじめたのか。『不夜城』の誕生を、彼自身が『バンドーに訊け』(坂東齢人著・文春文庫、初出1997年)のなかで、次のように書いています。

――坂東齢人が馳星周になって『不夜城』を書くにいたった道筋というものが、おぼろげに見えてくる。アンドリュー・ヴァクス→花村萬月→梁石日→ジェイムズ・エルロイ。なるほどぼくは、自分が見つけた道を清く正しく真っ直ぐ歩んできたのである。(本文より)

残念なことにこれらの小説家は、花村萬月(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作『ゲルマニウムの夜・王国記1』文春文庫)しか読んだことはありません。花村萬月を一言で説明するなら、不器用な登場人物の不器用な愛と暴力物語作家となるのでしょう。

本人が書いているように、馳星周はまさしくこの領域に割って入りました。『不夜城』は書評人・坂東齢人が、徹底的に書評されることを意識して書かれたものです。

◎金と嘘と裏切り

物語の舞台は、新宿歌舞伎町です。主人公はケチな日台混血の古買屋の劉健一(リウジェンイー)。登場人物は歌舞伎町に暗躍する中国人組織。台湾マフィア。北京のチンピラ。おカマに情婦……。眠らない歌舞伎町に、うごめく利害関係と利権争いの舞台をいろどるにふさわしい面々です。

馳星周はこれらの登場人物を、微妙な糸で結びます。結ばれている糸が「信頼」を表すとしたら、どれもがすぐにでもちぎれそうに張り詰めています。さっきまで結びついていた糸が、いつの間にか違うところにからみついていたりします。

馳星周は実に巧みに糸をかけかえ、糸を解き放ちます。緊張と弛緩。からみ合う糸。それらを短いセンテンスの文章と、会話で表現します。
 
――待つことは苦痛じゃない。孤独を感じることもない。おれは一個の完結した存在なのだ。泣き事をいっていいのは、堅気だけだ。おれは泣き事をいわない代わりに、堅気から金をかすめとる(本文より)

――「おまえは狡賢い。兵士としては最低だが、参謀としてならそれなりに才能を発揮するタイプだ」/「誉めてるのか?」/「おれは勇敢な兵士が好きだ」/腰に押しつけられた銃口の圧力が強くなった。(本文より)

生き残りをかけて、金と嘘と裏切りがはびこる世界。劉健一はそんな世界を、器用に泳いでいました。しかし突然かっての相棒だった呉富春(ウーフーチュン)が歌舞伎町に戻ってきます。その時点から、劉健一の世界が一変します。同じころ、夏美という正体不明の女とかかわります。女の存在がストーリーの展開に、微妙なあやをつけます。

『不夜城』は、花村萬月の著書『笑う山崎』(祥伝社文庫、初出1994年)『皆月』(講談社文庫、初出1997年)に匹敵する傑作です。馳星周がねらったとおり、ベストセラーにもなり、映画化もされました。
(ここまでは1998年5月 9日・PHP研究所「ブック・チェイス」掲載)

◎小説はおもしろくなければならない

書評家・坂東齢人はチャンドラーの流れをくむ、ハードボイルドに違和感を覚えていました。そして好んで読んでいた花村萬月や梁石日のような世界を、みずから描く道を選びました。『不夜城』から3年。ますます磨きがかかった馳星周は、『M(エム)』(文春文庫)にて更に変身してみせました。

馳星周は藤沢周との対談で、次のように語っています。

――主語も何もかも省きたいと思うときがありますね。(中略)ただ、なるべく簡潔に、簡潔にしたいと思います。(『文藝別冊』1998年8月号)

馳星周は、文体にこだわりをもっています。そして何よりも書評家の経験から、読者が喜ぶ作品を仕上げようとしています。『M(エム)』は簡潔な文章どころか、これまで一貫して描いてきた暗黒街まで削ぎ落としてしまいました。

『M(エム)』には、一連の作品に見られる暴力場面はありません。殺し屋もアウトサイダーも、登場しません。『M(エム)』に収載されている4つの作品は、いずれも倒錯した性を描いたものです。

表題作「M(エム)」の主人公・稔は父親を刺殺し、母親の妹を孕ませて自殺に追いやっています。少年鑑別所を出て、今は勤労学生としてアルバイトをしています。
アルバイト先の先輩に誘われて、SMクラブを体験します。はじめは仕方なしに行ったSMクラブでしたが、そこで知り合ったまゆみとのSMプレーに溺れます。まゆみの昔話に、自分の過去が重なります。

文芸評論家時代の、馳星周の文章を拾ってみます。
 
――花村萬月『夜を撃つ』(廣済堂出版)について。「最近の萬月は暴力よりも性をとおしての濃密なコミニュケーションにより比重を置いているのか、セックス・シーンがやたらと多い。(中略)これで、性描写と同じほど濃密なストーリーがあれば、言うことなし。

――藤沢周『刺青』(河出書房新社)について。「人間の魂の暗黒と虚無と紙一重の絶望を描く小説により魅かれてしまうのは、結局はその切実さとどこかグロテスクな美しさが、すべての肯定的なものを蹴散らして迫ってくるからだ。

馳星周は好意的に読んできた、花村萬月や藤沢周を超えようとしています。大好きだった香港のスーパースター・周星馳をもじった名前が、輝きを増してきました。

最近では直木賞候補にも、名を連ねるようになりました。成熟した作家・馳星周は、書評家時代の初心を大切にしています。小説はおもしろくなければならない。
(山本藤光:1999.12.11初稿、2015.03.06改稿)

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