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林芙美子『放浪記』(新潮文庫)

2018-02-13 | 書評「は」の国内著者
林芙美子『放浪記』(新潮文庫)

極貧の中、作家としての成功と、安らぎを求め続けた林芙美子。彼女が愛した男たちや、生きるためにした仕事…その全てを赤裸々に描いた、魂の日記。(「BOOK」データベースより)

◎でんぐり返しの「放浪記」

「放浪記」といえば、森光子主演の舞台を連想する人はたくさんいます。舞台は森光子死去のために、2009年5月29日の2017回目の公演が最後となりました。でんぐり返しも見られなくなりました。喜びの表現として演じられた「でんぐり返し」を、林芙美子の原作のなかに探し求める人も、まれではないようです。「でんぐり返し」は、役者としての森光子が考案したオリジナルです。原作のなかにはでてきません。

林芙美子『放浪記』は主人公の「私」が、自らを励ますためにつづった日記がベースとなっています。主人公の私は、8歳のときから行商である養父と母との3人で、九州一円を転々とします。そのため木賃宿に泊まり、小学校も4年間で7度も転校しなければなりませんでした。結局小学校を断念し、行商の手伝いをすることになります。

――「お父つぁん、俺アもう学校さ行きとうなかバイ……」/せっぱつまった思いで、私は小学校をやめてしまったのだ。私は学校へ行くのが厭になっていたのだ。それは丁度、直方(のうがた)の炭坑町に住んでいた私の十二の時であったろう。(本文P9)

『放浪記』で描かれているのは、主人公「私」のどん底の放浪ものがたりです。「放浪」にはいくつかの現実がかさねられています。
もちろん出発点である行商生活がひとつ。その後私は、女中、女工、店員、事務員、記者、女給などと職業を転々とします。これが仕事に関する「放浪」として描かれています。そして男との
あれこれも「放浪」としてかさねられます。

『放浪記』は、3部構成になった作品です。その前に「放浪記以前」という小さな章がおかれています。小学校で習った唱歌がいきなりでてきます。「更けゆく秋の夜 旅の空の/侘しき思いに 一人なやむ/恋いしや古里 なつかし父母」。そしてつづけられるのが、つぎの文章です。

――私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。(中略)旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。(本文P8より)

小学校をやめた私は、12歳から本格的な行商をはじめます。炭坑町などを歩き、どん底の生活をかいま見ながら、世の中が金でまわっていることを実感します。その後私は、尾道で深い仲になった男に連れられて上京します。しかし男に逃げられ、東京での一人ぐらしを余儀なくされます。

――さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき(本文P21)
 啄木の歌を思い出しながら、主人公「私」は東京の空の下にいます。私は作家の家の女中として、生活の糧を得ることができました。しかし2週間でヒマをだされ、ふたたび放浪生活がはじまります。

◎『放浪記』の魅力に迫る

手元に新聞の切り抜き(「昭和史再訪」朝日新聞2012年6月30日)があります。6月28日は林芙美子が47歳で急逝した日です。この日は多くの新聞が特集をくみ、林芙美子の代表的な詩「花のいのちはみじかくて くるしきことのみ多かりき」を掲げたようです。その切抜きから、少し引用させていただきます。

――『放浪記』は戦時中は絶版にされていた。芙美子は「ペン部隊」の一員として戦地ルポを執筆。戦後は戦前の価値観を引きずる男の哀しみを描き、市井に生きる女を活写する作品を次々に生み出し、女性から厚く支持された。邸宅は、割烹着の女性で埋め尽くされた。(新聞切抜きより)

ところが林芙美子の死にたいして、文壇は冷たかったようです。その理由を関川夏央は、つぎのように書いています。

――流行作家となっていた彼女は過労死をとげた。他の女性作家に雑誌のページを渡したくなくて書きまくったからだ、という観測には真実味があった。共同体を支える原理である友情や恩義にも、彼女は冷淡であった。ゆえにその死を悼む空気は文壇には薄かったのだが、林芙美子の葬儀の席は、彼女が脱しようとつとめつづけた「庶民」の広大かつゆるやかな共同体、近所のおかみさんたちで埋めつくされた。(関川夏央『新潮文庫20世紀の100冊』新潮新書より)

また「ペン部隊」のころについては、桐野夏生(推薦作『柔らかな頬』文春文庫)が『ナニカアル』(新潮文庫)として小説化しています。文庫本の表紙コピーを抜粋してみます。

――昭和十七年、林芙美子は偽装病院船で南方へ向かった。陸軍の嘱託として文章で戦意高揚に努めよ、という命を受けて。ようやく辿り着いたボルネオ島で、新聞記者・斎藤謙太郎と再会する。年下の愛人との逢瀬に心を熱くする芙美子。だが、ここは楽園などではなかった――。戦争に翻弄される女流作家の生を狂おしく描く、桐野夏生の新たな代表作。

現実の林芙美子は、2年遅れで小学校を卒業しています。そして19歳で尾道市立高等女学校(現・広島県立尾道東高等学校)を卒業しています。女学校卒業直後、遊学中の恋人をたよって上京し、下足番、女工、事務員、女給などで自活し、東京にきた養父・実母の露天商も手伝いました。

恋人との破局がおとずれます。恋人は親の反対で、林芙美子を棄てました。『放浪記』の原形になる日記は、失意のもとに書きはじめられたものです。

一人ぼっちになった林芙美子は詩や童話を書き、平林たい子と親しくなります。2人は女給をしながら、売文への道をさぐるために助け合います。やがて林芙美子は結婚します。生活の安定をえた林芙美子の創作意欲に火がつきます。

『放浪記』の魅力について、作家が書いている文章はあまり多くありません。その理由について、林芙美子を研究する北九州市立文学館長の江間川英子さんはつぎのように書いています。

――(林芙美子は)「放浪記」を機に昭和史に残るベストセラー作家の道を歩み始める。こうした物語のヒロインとしての印象が強すぎ、作品そのものの評価がないがしろにされてなかったでしょうか。(「朝日新聞」2012年6月30日)

林真理子は、林芙美子についてつぎのように書いています。読んでいて、『放浪記』の主人公「私」についての記述かと思ってしまいました。

――食べるものがない、住むところもない。着たきりスズメのひどい格好をしている。だからといって、彼女(林芙美子のこと)はそのために嫌いな男に抱かれることをしないし、当時の女たちのように結婚に逃れることもなかった。/彼女は生きるためには何でもする。カフェの女給にもなるし、知り合ったばかりの他人に借金を申し込む。けれども、そこには痛快さがある。この痛快さというのは、自分を客観視する強さ、どんな不幸も心のどこかでほくそ笑んで見ている、作家の魂というものかもしれない。(林真理子『林真理子の名作読本』文春文庫)

最後に、前出の関川夏央には、『女流・林芙美子と有吉佐和子』(集英社文庫)という著作があります。林芙美子の生きざまがみごとに描かれています。もうひとつ上京する以前(尾道時代)の林芙美子に興味があれば、これも自伝ですので『風琴と魚の町』(新潮文庫『清貧の書』併載)をお読みください。

蛇足ながら、追記しておきます。佐藤正午(推薦作『Y』ハルキ文庫)のような思いをしてもらわないようにです。佐藤正午はこれまでに、2回『放浪記』を読んでいます。なんとなく物足りない感じがしていたようです。そして3回目の読み直しをしようとして、気がつきました。私は冒頭で『放浪記』は3部構成になっていますと書きました。

第1部は昭和5年に出版されて、ベストセラーになったものです。第2部はベストセラーになったので書いた、いわゆる続編にあたります。そして第3部は検閲をおそれて出版を見送られていた、昭和24年刊行の部分となります。旧版の新潮文庫には第3部がふくまれていません。また第1部と第2部がつながっていました。

したがって佐藤正午のようにならないように、古書店で買い求める場合には注意が必要です。(佐藤正午『小説の読み書き』岩波新書を参考にしました)

(山本藤光:2014.10.09初校、2018.02.13改稿)

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