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山本藤光の文庫で読む500+α

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室生犀星『蜜のあわれ』(講談社文芸文庫)

2018-03-08 | 書評「む」の国内著者
室生犀星『蜜のあわれ』(講談社文芸文庫)

ある時は「コケティッシュ」な女、ある時は赤い三年子の金魚。犀星の理想の「女のひと」の結晶・変幻自在の金魚と老作家の会話で構築する艶やかな超現実主義的小説「蜜のあわれ」。(「BOOK」データベースより)

◎匹婦の腹にうまれ

富岡多恵子『室生犀星』(講談社文芸文庫)の冒頭には、室生犀星の次の句がひかれています。

――夏の日の匹婦の腹にうまれけり(犀星発句集)

匹婦(ひっぷ)は、「広辞苑」では「身分のいやしい女」と説明されています。しかし「新明解国語辞典」(「山本藤光の文庫で読む500+αでは、赤瀬川原平『新解さんの謎』文春文庫を紹介)では、「どこの家庭にもいる普通の女」と説明されています。室生犀星の「匹婦」は、前者の意味で用いています。

室生犀星は1889(明治22)年、妻を失った父と女中の間に生まれました。そしていきなり他家に預けられ、生涯実母を知らぬまま過ごしました。生活は貧しく、高等小学3年のときに退学して、金沢の裁判所で給仕として働きました。
やがて俳句を学び、そののち詩を書くようになります。室生犀星を読んだことのない人でも、次の詩句はご存知だと思います。

――ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや(抒情小曲集)

 私生児であること。実母を知らないことは、犀星の著作に深い影を落とします。そのあたりの影響について、確認しておきたいと思います。
――きわめて感覚的な面を伴いながら、女、婦人にたいするこの作家の特殊な卑下、愛、尊敬がそこから生まれる。(『新潮日本文学小辞典』)

◎今夜はあたいの初夜だから

『蜜のあわれ』(講談社文芸文庫)は、室生犀星70歳のときの作品です。物語に登場する主な登場人物は、20歳くらいの女性に化身する3年子の金魚、著者本人と思われる70歳の老作家、彼と関係のあった2人の女の幽霊、金魚屋のオヤジです。本書は、すべて会話体で書かれています。
金魚は自分のことを「あたい」、老作家のことを「おじさま」、幽霊の一人を「田村のおばさま」と呼びます。

老作家と金魚の会話の一部を、3箇所ほど引いておきます。

(引用はじめP52)
「一たい金魚のお臀(しり)って何処にあるのかね。」
「あるわよ、附根からちょっと上の方なのよ。」
(中略)
「人間では一等お臀というものが美しいんだよ。お臀に夕栄えがあたってそれがだんだん消えてゆく景色なんて、とても世界じゅうをさがして見ても、そんな温和しい不滅の景色はないな。」
(引用おわり)

(引用はじめP59)
「今夜はあたいの初夜だから大事にして頂戴。」
「大事にしてあげるよ、おじさんも人間の女たちがもう相手にしてくれないので、とうとう金魚と寝ることになったが…。」
(引用おわり)

(引用はじめP68)
「おじさまのような、お年になっても、まだ、そんなに女が好きだなんていうのは、少し異常じゃないかしら。」
「人間は七十になっても、生きているあいだ、性慾も、感覚も豊富にあるもんなんだよ。」
(引用おわり)

 本書では終始引用例のような、会話がつづきます。色っぽく滑稽なやりとりは、ピンポン球のように飛び交います。金魚は丸ビルの歯医者に行ったり、買い物に行ったりします。化身した金魚は、老作家と幽霊と金魚屋以外には、金魚だとはわかりません。

◎おしゃまで強欲で可憐な金魚

『蜜のあわれ』は、大人向けのファンタジーともいえます。あるいは犀星最後の冒険的な小説ともいえます。さらに細かくいえば散文の中に詩を入れこんだ作品とも読めます。ストーリーははちゃめちゃですので、紹介は控えます。
金魚には赤井赤子という名前がありますが、会話のなかでは用いられていません。また老作家には足の悪い奥さんがいるのですが、そう暗示されているだけで登場することはありません。これだけでも不可思議なことですが、室生犀星は作品中にこんなことまで書いてしまいます。

(引用はじめP124)
「きみを何とか小説にかいて見たいんだ、挙句の果てにはオトギバナシになって了いそうだ、これはきみという材料がいけなかったのだね、(後略)」
(引用おわり)

最後に、本書の書評をいくつか紹介させていただきます。

――夕陽と女の人のお尻が大好きだ、と言うこのおじさまと、金魚のあたいの会話で幻想世界を描くこの小説は、なんとなく最近の「萌え」のムードで表現していて、恐るべき珍作なのである。(清水義範『独断流読書必勝法』講談社文庫P335)

――たわいもない対話の中で、ごく自然に軽みを持って語られているがゆえに、微笑ましいと同時に説得力を持って響くのだ。「蜜のあはれ」の実験的試みは、実に多くの可能性を秘めているので
ある。(長尾健・文、安藤宏・編『日本の小説101』新書館P153)

――自在でパワフルな想像力と実験的精神には、いつ読んでも仰天させられる。欧米語に翻訳されれば、おそらく世界中の読者も感動かつ仰天するに違いなし。(安原顕『乱読すれども乱心せず』春風社P199-200)

 たまには楽しい小説を読みたいと思っている方に、おしゃまで強欲で可憐な一匹の金魚をお届けします。金魚は夏の風物詩ですから、暑い最中に一読を。
山本藤光2017.08.13初稿、2018.03.08改稿


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