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宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)

2018-02-03 | 書評「み」の国内著者
宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)

昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。(「BOOK」データベースより)

◎宮本常一の世界にはまった

 宮本常一が生まれたのは、山口県屋久島(大島郡周防大島町)の農家です。宮本常一は師範学校卒業後、小中学校の教師になっています。教鞭をとるかたわら、郷土や近畿地方の歴史、文化、風習、生活などの調査をつづけました。
 
 32歳のとき、民俗学者・渋沢敬三の主宰する「アチック・ミューゼアム」(現・日本常民文化研究所)の研究員となり、全国各地で多岐にわたる研究をおこないました。宮本常一は戦前からたくさんの民家に泊まり、フィールドワークを重ねます。日本常民文化研究所は網野善彦に引き継がれ、現在は神奈川大学内に拠点を移しています。
 
 宮本常一の研究は文化や生活のみにとどまらず、漂白民、被差別民、性にまでおよびました。そのことで民俗学者・柳田國男からは、無視、軽蔑されていた時期もあります。宮本常一の代表作として、『忘れられた日本人』(岩波文庫)を選びました。私が最初に読んだのは、『ちくま日本文学022・宮本常一』(文庫版)でした。ここには抄録の形で、「忘れられた日本人」も所収されています。宮本常一にふれてみたい方には、お薦めの著作です。
  
 私はその後、『忘れられた日本人』(岩波文庫)を読み、たくさんの著作にまで手を伸ばしました。宮本常一の世界にどっぷりとはまったわけです。どの著作からも古老の生の声が聞こえてきて、自分の豊かな「いま」が恥ずかしくなったほどです。
 
 宮本常一自身が岩波文庫『忘れられた日本人』の「あとがき」に、つぎのように書いています。すさまじいほどのエネルギーです。私がどんな説明をするよりも、本人が書いた仕事ぶりについてご覧いただきたいと思います。
 
――私の方法はまず目的の村へいくと、その村を一通りまわって、どういう村であるかを見る。つぎに役場へいって倉庫の中をさがして明治以来の資料をしらべる。つぎにそれをもとにして役場の人たちから疑問の点をたしかめる。同様に森林組合や農協をたずねていってしらべる。その間に古文書のあることがわかれば、旧家をたずねて必要なものを書きうつす。一方何戸かの農家を選定して個別調査をする。私の場合は大てい一軒に半日かける。午前・午後・夜と一日三軒すませば上乗の方。(「あとがき」より引用)

◎宮本民俗学の代表作

 宮本常一は原稿用紙の束と米を背負って、全国を歩き回りました。農家に泊めてもらうには、米を提供するのが常識の時代だったのです。コピー機もデジカメもない時代の話です。歩く、目で確かめる、聞き取る、探す、文字や絵で写し取る。これが現代流にいうなら、宮本常一のフィールドワークのすべてだったわけです。

『忘れられた日本人』のなかに、「土佐源氏」という章があります。土佐山中の橋の下に、乞食小屋がありました。そこには小柄な、80歳を超えた盲目の老人が独居していました。老人はぼくとつに、自らの生い立ちを語りました。

「母親が夜這いに来る男の種をみごもってできたのがわしで……」
「昔は貧乏人家の子はみんな子守り奉公したもんじゃ」
「わしは家から三里ばかりはなれた在所のばくろうの家へ奉公にいった」
「わしの親方は助平じゃったで、なじみの家のまえを通りかかると、日中でもすぐ座敷へ上がって女をころがす」
(以上本文より引用)

 こんな話が延々とつづきます。この章に関しては、モデルにされたという人の子孫から訴えられたり、でっちあげだという批評家もいたようです。録音機などない時代の取材です。宮本常一の地道な仕事に、ケチをつけるのは見苦しいと思います。本書では盲目の老人の名前は特定されていません。「乞食とはなにごとか」と抗議されても、今風にホームレスなどといわない時代の話なのです。

『忘れられた日本人』のなかで、「土佐源氏」の記述は特筆されます。地域文化を支えてきた老人が、どのように生きてきたのか。時代の波に押し流されながら、なにを考えてきたのか。宮本常一は、手抜きをすることがありません。私は一人の孤独な老人のすべてが、過不足なくつづられていると思っています。

 佐野眞一に『旅する巨人』(文春文庫)という著作があります。副題には「宮本常一と渋沢敬三」と添えられています。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した傑作評伝なので、こちらもぜひ読んでもらいたいと思います。そのなかに「土佐源氏の謎」という章(14章)があります。こちらも併読すると、宮本常一の描き出した「土佐源氏」の世界がもっとふくらみます。
 
 宮本常一の著作については、文庫化されているものだけでも数10冊存在しています。ほかに写真集(ネットでみることもできます)などもあり、宮本常一にはまってしまうと抜け出せなくなります。文章は平易ですし、肩に力が入っていない記述にも好感がもてます。
 
 前記のように『ちくま日本文学022・宮本常一』(ちくま文庫)あたりから、読みはじめてもらいたいと思います。最近、河出文庫が力をいれています。入手しやすいので紹介しておきます。
・山に生きる人びと(河出文庫19-1解説:赤坂憲雄)
・民俗のふるさと(河出文庫19-2解説:岩田重則)
・生きていく民俗(河出文庫19-3解説:鶴見太郎)
・周防大島昔話(河出文庫19-4解説:常光徹)

 もう1冊関連本を紹介しましょう。毛利甚八『宮本常一を歩く』(上下巻、小学館1998年)という本があります。著者は1958年生まれのライターです。図書館で目にして読んでみました。3年がかりで宮本常一の足跡をたどった記録と写真がおさめられています。「まえがき」から、彼の宮本常一評をひろってみます。
 
――とにかく凄い人で、今なら僕たちが自動車を使って三十分足らずで走る道をてくてくと一日がかりで歩いては年寄りの話を聞き、古文書をみつければ徹夜で原稿用紙に書き写して、翌日には次の集落を目指してまた一日がかりで歩く、そういう怖いほど激しい旅を戦前から戦後にかけてやったのです。

 うーむ。完全にはまってしまった人もいるのです。最後に宮本常一にはまった有名人を紹介して本文をしめたいと思います。
 
――三枝さんはこの本(『忘れられた日本人』)を読んで旅に駆り立てられ、島めぐりを始めたそうですね。
三枝:友人をつのって、トカラ列島の宝島とか瀬戸内海の佐高島とか、いろんなところへ行きました。そうすると、あっと驚く社会があるんです。それが、みんないいんですね。
(『NHK・私の1冊日本の100冊・人生を変えた1冊編』Gakkenより引用)

 インタビューに答えているのは、作曲家の三枝成彰氏です。『NHK私の1冊日本の100冊・人生を変えた1冊編』(Gakken)に掲載されていました。この本は、「感動がとまらない編」と2冊シリーズになっています。読書ガイドとしては、高い評価ができます。
(山本藤光:2012.11.28初稿、2018.02.03改稿)


宮部みゆき『火車』(新潮文庫)

2018-02-01 | 書評「み」の国内著者
宮部みゆき『火車』(新潮文庫)

休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか? いったい彼女は何者なのか? 謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。(文庫内容紹介より)

◎ポスト松本清張の位置

宮部みゆきを一躍有名にしたのは、直木賞受賞作『理由』(朝日文庫、新潮文庫)でした。『理由』で宮部みゆきの魅力に取りつかれた読者は、新作に追われるあまり旧作を読み過ごしているかもしれません。そんな人たちに伝えたいと思います。宮部みゆきには、もっとすごい作品があることを。『火車』(新潮文庫)と『蒲生邸事件』(文春文庫)の2作品です。

私は個人的にこの2作品を、『理由』よりもはるか上位に評価しています。宮部みゆきはストーリーテラーとして名高いですし、時代小説(『本所深川ふしぎ草紙』新潮文庫)、ホラー(『とり残されて』文春文庫)、ミステリー、SF(『蒲生邸事件』『龍は眠る』ともに新潮文庫)などと、幅広いジャンルを描き分ける作家としても知られています。

しかも宮部みゆきは、クロスオーバー的な手法を得意としています。たとえば『理由』は、ノンフィクション的な手法を用いたミステリー作品です。私は宮部みゆきの挑戦欲を高く評価している一人です。

宮部みゆきは浅田次郎(推薦作『壬生義士伝』上下巻、文春文庫)とともに、日本の現代文学を代表する作家です。福田和也がいうように、松本清張(推薦作『点と線』新潮文庫)にいちばん近い作家が、宮部みゆきなのでしょう。推理小説、社会派小説、歴史小説など、幅広い引き出しをもったポスト松本清張レースでは宮部みゆきが、浅田次郎と肩を並べて先頭を走っています。
そのうしろを走っているのは東野圭吾(推薦作『秘密』文春文庫)です。残念なことに東野圭吾は、多彩なジャンルの広がりが認められません。それゆえ2人との差は、開くいっぽうです。 
 
文芸評論家の宮部みゆき評を並べてみましょう。
 
――宮部みゆきは構成に凝る作家である。物語をどういう順序で始めるのか、誰の視点で語るのか、さらに枝道をどこにふくらませるのか、というのは小説にとって重要な要素だが、この作家は群を抜くほどその組み立てに秀でている。(北上次郎『面白本ベスト100』本の雑誌社1997年)

――旺盛な執筆意欲と尽きそうもない着想。それをしっかりと作品化してみせてくれる安定感は、まさしく現代日本文学の一方を背負って立っており、「宮部がいるから」という安心感をもたらしてくれる。かって松本清張に占められていた位置にもっとも近い作家である。(福田和也『作家の値打ち』飛鳥新社より)

◎婚約者が失踪してしまう

『火車』については、いろんな人が「あらすじ」を書いています。いまさら私がふりかえる必要もないので、辞書から引用しておくことにします。ネットで発信されている多くの「あらすじ」と、ほとんど変わらないのですけれど。

――長編小説。1992.3-6「小説推理」連載。92双葉社刊。休職中の刑事、本間俊介は親類の青年に頼まれて、姿を消したその婚約者の行方を捜すことになる。己の痕跡を完璧に消し去って、彼女はどこへ、なぜ消えてしまったのか? 消費社会の暗部に飲み込まれた女性の運命に同情を覚えながらも、本間は彼女に一歩一歩迫っていく。失踪者の追跡はミステリーの基本パターンの1つだが、作者はその背景に現代社会が引き起こし得る悲劇を据えることで、90年代日本ミステリーを代表する作品を生んだ。最後の場面に至るまでヒロインが登場しないという物語展開上の趣向も効果を上げ、読者の心に鮮烈な印象を残す。(権田萬治・新保博久監修『日本ミステリー事典』新潮社より)

前掲の「あらすじ」をベースに、『火車』の考えぬかれたストーリーに迫ってみたいと思います。

本間俊介は休職中です。彼に婚約者の蒸発捜査を依頼したのは、遠い親戚筋の銀行員・栗坂和也でした。テーマがクレジットカードなので、「銀行員」の彼氏はおさえておくべきでしょう。

失踪したのは、関根彰子。婚約者のすすめでクレジットカードの申しこみをします。しかしクレジット会社から、申しこみを拒否されてしまいます。栗坂和也はその理由を問い合わせます。数年前に関根彰子は、自己破産しているとのことでした。クレジット会社からの返答の直後に、関根彰子は姿を消してしまいます。
 
失踪を楽観視していた、本間俊介の調査がはじまります。関根彰子が勤務先に提出していた、履歴書の住所はでたらめでした。情報をもっている友人は皆無。関根彰子の足取りはつかめませんでした。

いまではあまりニュースになりませんが、カード地獄は当時の社会問題でした。今回、本稿執筆のために読みかえしてみましたが、時代とともに色あせてはいませんでした。私の書評では『火車』が現代日本文学の第2位という評価です。これは再読しても揺るぎませんでした(ちなみに第1位は、浅田次郎『壬生技士伝』です)。

◎こんなエンディングはなかった

宮部みゆき『火車』は、新しい試みが成功した作品です。最重要人物は、最後まで姿をあらわしません。こんな作品は、これまでになかったと思います。最重要人物についてはあえて記述しませんが、最後までそれを引っ張る筆力には脱帽です。
 
本作は山本周五郎賞に輝きました。しかしそのときの選評は、話題となりました。選者の黒岩重吾は、つぎのように語っています。
――これまでの氏の作品の中では力作といえよう。ただ作者が力を込めている割合には小説としての印象が薄い。私が納得出来なかったのは、○○(ネタバレになりますので山本藤光がモザイクがけをしています)が説明でしか書かれていないことだった。大事な人物なのに人物像が不明確である。(「オール讀物」1993年3月号)

これを読んだときに、なんだなんだこのおっさんは、と思いました。宮部みゆきがあえてそうした部分を、まったく理解していないのです。宮部みゆきは良質なパンで、具材の豊富なサンドイッチをつくりました。プロローグもエピローグも、思わずうなってしまううまさでした。その味がわからないおっさんが、選考委員であったのです。

おっさんがなんといおうと、『火車』は傑作です。技術的にも、非常にレベルが高いものです。「大事な人物像が不明確である」か否か、ぜひ判断してもらいたいと思います。常識のよろいを着たおっさんには見えなかった、あざやかなエンディングを、楽しみに読んでいただきたいものです。
(山本藤光:2009.05.30初稿、2018.02.01改稿)