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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

小池真理子『恋』(ハヤカワ文庫)

2018-02-26 | 書評「こ」の国内著者
小池真理子『恋』(ハヤカワ文庫)

〔直木賞受賞作〕連合赤軍が浅間山荘事件を起こし、日本国中を震撼させた一九七二年冬。当時学生だった矢野布美子は、大学助教授の片瀬信太郎と妻の雛子の優雅で奔放な魅力に心奪われ、かれら二人との倒錯した恋にのめりこんでいた。だが幸福な三角関係も崩壊する時が訪れ、嫉妬と激情の果てに恐るべき事件が!?(文庫内容紹介より)

◎サスペンスから恋愛小説へ

1990年、小池真理子は夫の藤田宜永とともに、軽井沢へ転居します。小池真理子は、ずっと退屈なミステリー小説を書いていました。そのあたりのことを福田和也はつぎのように表現しています。
 
――言葉の最良の意味での「通俗作家」である。軽井沢、避暑地の生活、旧華族の子弟、全共闘運動の挫折といったショート・ケーキのような紋切り型を組み合わせながら、コクのある物語を作る力量をもっている。ハーレクイン的道具立てにたじろがない消化力のある読者ならば、相応に楽しむことができよう。(福田和也『作家の値打ち』飛鳥新社P53より)
 
軽井沢で小池真理子は、いきなり恋愛小説を書きはじめます。苦労して完成させた作品が『恋』(ハヤカワ文庫)でした。それまでの作品に辟易していた私は、『恋』のあとに発表された『欲望』(新潮文庫)の方を先に読んでいます。当時はPHP研究所メルマガ「ブックチェイス」に書評を連載していました。そんな関係で、『欲望』が謹呈本として届いたからです。
 
『欲望』の帯には、「ミステリー」や「サスペンス」という単語はありませんでした。噂では小池真理子の転身を知っていました。どんなふうに変わったのか、興味深く読みました。

――彼は抱かなかった。抱けなかった。エクスタシーなどあり得ないはずだった……。新潮書き下ろしエンターティンメント。直木賞以来2年目の沈黙を破る『究極の恋の物語』(初版本帯コピーより)
 
『欲望』を読んでみて驚きました。ハーレクイン臭が、完全消失していたのです。『欲望』についての言及は、最後にさせていただきます。これがあの小池真理子なのか、と半信半疑になりながら『恋』を買い求めました。『欲望』をはるかに上回る傑作でした。この時点で、新たな小池真理子を認知しました。

恋愛って、一種のサスペンスだと思います。『恋』は、そんなことを実感させてくれました。語り口の巧みさでは定評のあった小池真理子が、一皮むけました。私は『恋』をわくわくしながら読みました。坂東齢人(馳星周の書評家時代の筆名)『バンドーに訊け』(本の雑誌社)で、彼は「サスペンスとしては物足りない」と書いています。そのとおりです。本書は以前の小池真理子の幻影に、しばられないで読んでもらいたいと思います。

◎妻の浮気を公認している

女ともだちから電話がありました。
「あなたの読書感想文がバレンタインのチョコレートと一緒に配られているよ」

ある店の企画のひとつだったようです。私の書評が使用されているのは、知りませんでした。でも抗議はしませんでした。いいじゃない、ありがたいことだと思いました。以下そのときの文章に加筆修正しています。

ずっと読んでみたかったのですが、新刊に追われて機会をのがしていました。小池真理子の最新作品は、『欲望』(1997年新潮社)しか読んだことがありません。私は『欲望』の「読書ノート」に、浅田次郎『鉄道員』に匹敵する作品と書いています。作品の構成力、人物描写、会話の妙には何度もうならせられました。

『恋』は、著者の直木賞受賞作です。読んでおかなければ、今後の作品にふれることがなくなる。そんな強迫観念にかられて、正月に読みました。

『恋』は、主人公・矢野布美子の葬儀場面から書きおこされます。会葬者は13名。鳥飼三津彦が遺影を見上げます。そこには殺人罪で10年間、服役していた矢野布美子の笑顔があります。彼女の死因は子宮癌。享年45歳。時は1995年4月。

鳥飼三津彦が、矢野布美子の名前を知ったのは2年前です。浅間山荘事件の原稿を書こうとしていた鳥飼は、偶然にも同じ新聞紙面のなかから若い女の犯罪記事を発見します。1972年2月29日付朝刊でした。

東京の私立大大学院生が、猟銃で25歳の電機店員を射殺。片瀬信太郎という35歳の大学助教授にも、重傷を負わせています。恋愛感情のもつれによる犯行で、現場には片瀬の妻・雛子もいあわせていました。

事件に興味をもった鳥飼は、刑期を終えていた布美子への取材を重ねます。「布美子が鳥飼に語った話は、以下のようになる。」との記述で、1970年4月に引き戻されます。そこには、主人公・布美子がいます。
 
――今からちょうど、二十五年前の春、私は片瀬夫妻と出会った。晴れていたが花冷えの、風の強い日だった。(本文より)

小池真理子は物語のなかに、もうひとつの物語をはさみこみます。同棲していた学生運動家と別れたばかりの矢野布美子は、翻訳のアルバイトをもちかけられます。それが片瀬信太郎と雛子夫妻との運命的な出会いとなります。

2人は仲の良い夫婦なのですが、夫は妻の浮気を公認しています。妻も、布美子が信太郎と性的な関係になることを拒みません。布美子は、次第に2人の奇妙な夫婦関係にのめりこみます。

なぜ布美子は、殺人を犯したのでしょうか。どうして恋する信太郎に重傷を負わせたのでしょうか。小池真理子は、官能と嫉妬、絶望と疑心に揺れる布美子を、見事な筆さばきで描きだします。浮世離れした片瀬夫妻の日常に、徐々に染まってゆく布美子を、安定した視点で読者に提供します。

布美子は死んでいます。布美子は事件を起こしています。私はしばしば、そんな前提を忘れてしまいました。小池真理子は、布美子の「今」を執拗に突きつけます。私はいつの間にか、「殺すな、撃つな」と叫んでいます。

「文庫版あとがきに代えて」に、非常に興味深い記述がありました。阿刀田高に指摘された箇所を、迷った末に訂正しなかったというくだりです。

私も読んでいて気になりましたが、「あとがき」を読んでみてなるほどと思いました。この作品の「あとがき」は、絶対に先に読まないこと。お薦めの一冊です。

◎三島由紀夫『豊饒の海』を基軸に

『欲望』(新潮文庫)は、『恋』(ハヤカワ文庫)に匹敵するほどの傑作です。作品の機軸に、三島由紀夫の『豊饒の海』(全4巻、新潮文庫)をおいています。類子と阿佐緒と正巳は、中学生時代からの仲良し3人組です。『欲望』は彼らが、大人の恋をする年代になってからを描いています。

中学生のときに遭遇した交通事故が原因で、性的不能者になった正巳。三島由紀夫の家と全く同じ建物を建てた男と結婚した阿佐緒。2人の狭間で揺れる類子。3人の人生が微妙に重なり、また離れてゆきます。

作品は類子が病弱な夫の主治医への、お礼の品物を買いに出るシーンからはじまります。しかし類子の夫が再び登場するのは、終章になってからです。その間はずっと過去の回想がつづきます。
 
作品は私(類子)の視点で展開されますが、間にはさまった正己の手紙が下敷きになっています。欲望とは何か。セックス、芸術、金、住まい、仕事など、『欲望』の冠をつけるに相応しいものはたくさんあります。

この作品に、たった1回だけ子供の描写があります。池の鯉に食パンを投げ与える5歳の少女。少女は赤ん坊の成長産物ですが、赤ん坊はセックスでの産物です。

赤ん坊とはまったく無縁の正巳。阿佐緒の夫も、自分の遺伝子には無頓着な男です。阿佐緒をはらませたいという正巳の欲望。阿佐緒をはらませることを考えてもいない袴田(阿佐緒の夫)。はらんでしまうかもしれないセックスに溺れる類子。はらみたいと思いつづける阿佐緒。

小池真理子は、この作品を楽しんで書いたと思います。読んでいてじれったさはありませんでした。仲良し3人組が大人になって、違う人生を歩きはじめると、こうなるのだと素直に思えました。

7章の正巳と類子の夜。8章(終章)の袴田と類子の会話。大きな波が弾け、静かな凪を迎える展開に脱帽しました。最後に著者自身のコメントでしめくくります。
 
――人間性の歪みの一部とか倒錯した何かを織り混ぜることによって、美意識が刺激されるようなところが昔からあったんで、その流れで書いてしまうんでしょうね、恐らく。何かそこに一つのショッキングなテーマを持ってきたくなっちゃう癖が昔からある。(新潮社「波」1997年7月号より)  

小池真理子の初期作品『知的悪女のすすめ』(初出1978年、角川文庫)は、書店でも新古書店でもみつかりません。小池真理子は、ミステリー作家としてデビューしたわけではありません。それゆえ、ミステリー以外の女性論を読んでみたいのですが、ずっと入手できないでいます。
 
『欲望』は、恋愛とサスペンスを融合させた、『恋』のシリーズ第2弾という位置づけになります。『恋』の読者には、ぜひ読んでいただきたいと思います。
(山本藤光:2010.07.16初稿、2018.02.26改稿)

小山鉄郎『白川静さんに学ぶ・漢字は楽しい』(新潮文庫)

2018-02-22 | 書評「こ」の国内著者
小山鉄郎『白川静さんに学ぶ・漢字は楽しい』(新潮文庫)

私たち日本人の生活になくてはならない漢字。毎日使っていながら、どうしてその形・意味になったのかは、なかなか知られていません。複雑で難しそうに見える世界には、一体何が隠されているのでしょうか?この本は、漢字学の第一人者白川静さんの文字学体系を基に、古代文字やイラストを使い、成り立ちをわかりやすく紹介します。学校とは全く違う楽しい漢字の授業の始まりです。(「BOOK」データベースより)

◎漢字は楽しい

若いときの実話です。新入社員を助手席に乗せて、彼の担当する病医院を案内していました。助手席の新入社員は、こんなことをいいました。「所長、札幌の駐車場はゲッキョクというところが独占しているのですね」

何をいっているのか、わかりませんでした。ゲッキョク。頭のなかで単語を転がしているうちに、思い当たりました。彼が見ている看板には「月極駐車場」とあったのです。

白川静『漢字百話』(中公新書)を読んでから、がぜん漢字の成り立ちに興味を持つようになりました。前記のエピソードを思い出しながら、楽しく1日1話を読みました。良書に触れると、興味の世界が広がります。しかし本書はちょっと難解かもしれません。

推薦作にすべきか迷っているとき、小山鉄郎『白川静さんに学ぶ・漢字は楽しい』(新潮文庫)を読みました。白川静の世界をみごとに再現しており、イラストも豊富です。そこで本書を推薦作とし、本家本を副読本にさせていただくことにします。

以下は白川道、小山鉄郎を読んで、漢字に興味をもってからの発見です。漢字は楽しい。ぜひトライしてみてください。

◎この漢字わかりますか

Q1:「非常に驚くことを、たまげるといいます。どんな漢字なのでしょうか」という問題に直面しました。まったく想像できません。まさか「玉蹴る」ではないだろうな、などと思いました。解答を知って、さらに驚きました。とんでもない漢字をあてはめるのです。

Q2:子はカスガイ。本を読んでいて、「カスガイ」はどんな漢字だろうかと考えました。戸をとざす金具。両者をつなぎとめるもの。意味は明瞭だけれど、漢字がわかりません。

こんなときにも、いきなり辞書に頼りません。まずは考えてみます。想像をめぐらすのです。金具だから、金偏だろうな。ここまでは、想像できます。でもわかりません。おもむろに辞書を引きます。

漢字を確認して、笑ってしまいました。カスガイ。子は夫婦をつなぐものと同時に、とんでもない意味があったのです。

Q3:エイエイオーの「オー」って何? その答えが司馬遼太郎『項羽と劉邦(上)』(新潮文庫)のなかにありました。

――楚人がおおぜい集まって気勢をあげるときは、いっせいに、一動作で、ひるがえるように右肩をぬぐ。まことに威勢がよかった。たとえば群集に向かって、「否(いな)か応(おう)か」というと、群集は「応」と、どよめき、いっせいに右肩方をぬぐのである。(本文P210)

普段何気なく用いていた「オー」という掛け声。「エイエイオー」の「オー」の正体をはじめて知りました。拒絶するのか、応じるのか。一致団結して戦うという意味が「応」だったのです。

白川道、小山鉄郎は、私に新しい楽しい世界を教えてくれました。

◎「産」を解読してみる

「産」という漢字の意味を、紹介させていただきます。むかしは一家に一冊あった「漢和辞典」は、ほとんど見かけなくなりました。暇つぶしに漢和辞典を眺めて過ごす人がいなくなったのでしょう。
「産」の字の部首は何か? おそらく多くの人は答えられないと思います。漢和辞典があっても、部首検索はできないことになります。

【ウイクショナリー】(ネット検索)
部首: 生 + 6 画、総画: 11画
異体字 : 產(旧字体、繁体字)、产(簡体字)
字源:(ウイクショナリーより)
「產」の略体。「產」は「文(模様)」 + 「厂(断崖、くっきりした)」+ 「生(うまれる)」の会意文字。「文」 + 「厂」→「产」で「はっきり際立った模様」を意味(「彦」「顔」の原字)。生命が誕生したことがはっきりする様。

【白川静『漢字百話』(中公新書)】
――人が生まれたときにも、やはりその額にしるしをつけて、邪霊の依り憑くのを祓った。転生の祖霊を迎えるためである。厂(ひたい)の上に文をしるし、下に生を加えた字は產(産)である。成年のときにも厂の上に文をしるし、下には文彩を示す彡(さん)を加えた。その字は彥(彦)である。その文身(補:入れ墨)を加えたものを顏(顔)という。(本文P16)

【小山鉄郎『白川静さんに学ぶ・漢字は楽しい』(新潮文庫)】
小山鉄郎は「産」の前に、「文」の説明からしています。

――「文章」といわれる言葉のうち、「章」の字のほうは、入れ墨をする針(辛)の先の部分に、墨だまりがある字形である。(中略)、「文」は、文身の形、そのままです。いくつかの古代文字の形を挙げておきましたが、これらは人の正面の形の胸部に「×」や「心」や「V」などの入れ墨を書き加えたものです。(本文P79)

そして「産」をつぎのように解説しています。

――旧字の「產」のほうを見てください。旧字は「文」と「厂」と「生」でできています。そして「文」は文身ですし、「厂」は額の形です。つまり生まれた子供の額に一般的に朱や墨で文身をかく儀式を「產」というのです。(本文P81)

小山鉄郎は白川静を敬愛し、やさしい解説本を書いてくれました。本書を読んでから白川静へ入ると、難解な記述の理解が進むと思います。漢字って楽しい。本当にそれを実感させてくれた小山鉄郎『白川静さんに学ぶ・漢字は楽しい』(新潮文庫)は、日本人ならぜひ読んでいただきたい1冊です。

◎追記(2017.10.24)

2007.10.19発信の「過・渦・蝸・禍・鍋」へはいまだに毎日アクセスがあります。こんなことを書いています。

(コピペはじめ)
過・渦・蝸・禍・鍋。これらの漢字の、部首右の形(つくり)は何だ。気になる。総画数9で、「咼」だけを調べてみた。「カ」「カイ」と読むらしい。

つくりが「咼」になっている漢字のいくつかは、すぐに思い浮かべられる。「過去」「渦(うず)」「蝸牛(かたつむり)」「禍根(かこん)」「鍋」など。

渦と蝸牛から類推すると、「咼」はおそらく、渦巻き模様の意味なのだろう。鍋も想像力があれば、なるほどと思える。沸騰するときにお湯が、何となく渦巻く感じがする。
では、「過ぎる」には、どんな意味があるのだろうか。どうしても、ぐるぐる巻きのイメージは浮かばない。禍根も過去に近いイメージである。
「咼」の形がついた漢字は、ほかにもあるのだろうか。これも浮かんでこない。「咼」って何だ?
(コピペおわり)
 
なんとも尻切れトンボの文章ではありませんか。疑問をそのままにするとは、あまりにも無責任といえます。そこで10年ぶりに調べてみました。
 ネット検索をしました。「咼」という漢字を手書きして、検索することにしました。そして私が2007年に抱いた疑問に答えてくれているサイトに行きあたりました。「風船あられの漢字ブログ」
では、みごとに私の疑問に答えてくれていました。
 約10年ぶりに、喉にささっていた魚の小骨が取れたような感じになりました。
 ちょっと長いので、引用はできません。興味がある方は、訪ねてみてください。
「咼」のつく漢字は、たくさんありました。𠷏渦蝸𣄸緺鍋堝禍諣楇萵騧媧窩過。ちなみに「骨」という漢字も親戚のようです。というよりも、「咼」には骨の関節のような意味合いがあったのです。「風船あられの漢字ブログ」さん、ありがとうございます。勉強になりました。
(山本藤光:2016.06.09初稿、2018.02.22追記)


小島信夫『抱擁家族』(講談社文芸文庫)

2018-02-21 | 書評「こ」の国内著者
小島信夫『抱擁家族』(講談社文芸文庫)

家庭崩壊・危うい現代の予見。谷崎賞受賞作。妻の一石をきっかけに崩壊は緩やかに始まった。建直しを計る健気な夫を嘲るように音もなく解けてゆく家庭の絆。時代を超え現代に迫る問題作「抱擁家族」とは何か(文庫案内より)

◎夫婦・家族・性・家へのこだわり

小島信夫は「第3の新人」として、くくられています。しかし他の作家(安岡章太郎、小沼丹、吉行淳之介、三浦朱門、曽野綾子、庄野潤三)と比べるとやや高齢であり、むしろ松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』(講談社)の分類が適切かと思います。そこでは小島信夫は、庄野潤三や三浦朱門とともに、「戦後不安の文学」の1群としてとらえられています。

小島信夫はその前の「第2の新人」(堀田善衛、安部公房ら)に近い作家なのです。小島信夫は1915年に生まれ、東大の英文科を卒業しています。その後召集され、中国の戦線を体験しています。

文壇へのデビューは「小銃」(講談社文芸文庫『殉教/微笑』所収、初出1953年)で、ゴーゴリの強い影響を受けた作品です。その翌年『アメリカン・スクール』(新潮文庫/講談社文芸文庫『殉教/微笑』所収)によって、芥川賞を受賞します。そして1965年(50歳)に、代表作ともいわれる『抱擁家族』(講談社文芸文庫)を発表します。

2015年6月、『小島信夫長篇集成』(全10巻。水声社)の刊行がはじまりました。高価なので手が出ませんが、案内パンフレットのなかですばらしい文章を発見しました。

――夫婦の問題にこだわり、家族の問題にこだわり、性への憧れにこだわり、マイホーム建設にこだわり、しかし、それを全て喜劇の形に読みかえた。戦後日本、日本近代という沸騰する時間のなかに汗するゆえにそれを全て悲劇の影絵として、喜劇のグロテスクとして描いた作家、その全容がいま全十巻に顕現する。(案内パンフレットより)

小島信夫の「こだわり」に伴走するかのように、当時文壇の中心にいた作家たちが同様のテーマで作品を発表します。それらの作品をひとくくりにしたのが、江藤淳『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)でした。本書については、「山本藤光の文庫で読む500+α」として取り上げています。興味があれば、そちらを読んでください。繰り返しになりますが、『成熟と喪失』の俎上にのった作者と作品を列挙しておきます。

・安岡章太郎『海辺の光景』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)
・小島信夫『抱擁家族』(講談社文芸文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)
・遠藤周作『沈黙』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)
・庄野潤三『夕べの雲』(講談社文芸文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦予定)
・吉行淳之介の作品は『星と月は天の穴』(講談社文芸文庫、推薦作は『夕暮まで』新潮文庫)

◎家族崩壊のドラマ

『抱擁家族』の舞台は、1963年ころの東京です。ちょうど東京オリンピックが目前で、アメリカ文化がもてはやされていた時代です。家長の三輪俊介45歳は、大学講師であり翻訳家です。1年前にアメリカ留学から戻り、夫婦間には微妙な陰りがあります。

『抱擁家族』は作品の冒頭に、家族以外の準家族を描いてみせます。家政婦のみちよがいます。俊介はみちよがきてから、この家は汚れてきたと感じています。もう一人の準家族として、23歳のアメリカ人兵隊ジョージが時々起居しています。俊介はジョージに対して、いつまで家に出入りするつもりなのか、と疎ましく思っています。

三輪俊介の家族は、2歳年上の妻・時子、高校生の良一、中学生のノリ子という構成になっています。

俊介は妻・時子がジョージと、不倫をしていることを知ります。みちよから告げ口されたものでした。俊介は嫉妬と怒りにさいなまれますが、時子に対して厳しく追及することはありません。そして妻を懐柔するために、家を新築しようと思い立ちます。ところが家ができあがるまえに、時子の乳がんが発覚します。

俊介の献身的な看病のかいなく、時子は世を去ります。新築の家は妻という主役を失い、空虚さがただよっています。主婦不在の家に、新たな住人が入り込んできます。しかし息子の良一や娘のノリ子の反発を招きます。俊介の努力は、すべて空回りに終わります。そして息子の良一は家を出ていきます。

◎主人公の人間像

『抱擁家族』の最大の読みどころは、主人公・三輪俊介の人間像にあります。主人公について言及した、適切な文章があります。

――戦前の家族制度の常識が価値を失っていく中で、新たな夫婦関係や家庭のビジョンを持ちえないでいる典型的な知識人像として俊介は登場している。(栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』東京堂出版)

俊介は妻の浮気をなじることもできず、逆にその弱腰を妻からののしられます。自身は神経症になり、たえず下腹部の痛みと闘います。せっかくの新築家屋は、欠陥だらけの器でした。小島信夫はそうした主人公を、喜劇と悲劇的な手法で描き分けます。

江藤淳の著作を引いておきたいと思います。

――私がほとんど本能的に感じるのは、時子の気まぐれや嘲笑に耐えて「優しい声」を出したりしている俊介の発散するあのみじめな寂しさである。(江藤淳『成熟と喪失』講談社文芸文庫)

◎初期作品集から

小島信夫の著作のなかで、いちばん好きな短篇の引用をさせていただきます。初期作品の一部ですが、小島信夫のスケッチ能力がみごとに表出されている文章だと思います。

(引用はじめ)
東海道線上り列車は、くたびれかけていた。九州を出てから、一昼夜はしりつづけていた。デッキの上だけでも二十人は乗っている。ステップの上だけでも三人はぶらさがっている。列車が、尻をぶっ叩かれた馬のように、仕方なしにあえび始めると、この連中も観念して静かになるけれども、それまでの喧(やかま)しさは、屠所(としょ)であばれる豚みたいだ。(小島信夫「汽車の中」講談社文芸文庫『公園/卒業式・小島信夫初期作品集』所収)

小島信夫作品は、ほとんどが講談社文芸文庫になっています。ぜひ店頭で立ち読みしてみてください。
(山本藤光:2012.07.19初稿、2018.02.21改稿)

幸田文『流れる』(新潮文庫)

2018-02-15 | 書評「こ」の国内著者
幸田文『流れる』(新潮文庫)

梨花は寮母、掃除婦、犬屋の女中まで経験してきた四十すぎの未亡人だが、教養もあり、気性もしっかりしている。没落しかかった芸者置屋に女中として住みこんだ彼女は、花柳界の風習や芸者たちの生態を台所の裏側からこまかく観察し、そこに起る事件に驚きの目を見張る…。華やかな生活の裏に流れる哀しさやはかなさ、浮き沈みの激しさを、繊細な感覚でとらえ、詩情豊かに描く。花柳界に力強く生きる女性たちを活写した幸田文学を代表する傑作。日本芸術院賞、新潮社文学賞受賞。(「BOOK」データベースより)

◎いい文章というものは

 幸田文は父・露伴の没後に、『父・こんなこと』(新潮文庫)や『みそっかす』(岩波文庫)などの随筆を発表し、注目されるようになります。幸田文にとって、父の存在は厳格で近寄りがたいものでした。箸の上げ下げから話し方まで、露伴は徹底して教育しました。その教えのなかに、次のような思想があります。

――生活者としての行動は、露伴から教えられた「格物致知」の精神が生きていた。物を通じて、知としての真意を会得するにいたる考えである。豊富な体験をとおして、「流れる」では、生活者として直面した日常の実態や実感を写しとる方法を、獲得したといえる。(熊坂敦子・文、『現代作家110人の文体・国文学』1978年11月増刊号 P170)

格物致知(かくぶつちち)とは、(補:読書だけではなく)「具体的な事物に対する観察と沈潜とによって知見を深めること」(『新明解国語辞典6版』という意味です。現在では博物学に該当します。

その父が亡くなり、彼女は堰を切ったように原稿用紙に向かったのです。幸田文は数多くの随筆を発表した後、一時期断筆宣言をします。そして柳橋の芸者置屋で4ヶ月ほど働きます。その体験で生まれたのが、名作『流れる』(新潮文庫)なのです。この作品は、幸田文の小説デビュー作でもあります。
幸田文が女中として住みこんだことについては、もっぱら取材のためと受けとめられています。しかし一人娘の青木玉は、そんな意図はなかったと否定しています。

幸田文の文章は緻密で繊細でリズミカルです。それは短い一文のなかから、絵になって浮かび上がってきます。むかしは活字拾い職人が、木枠のなかに鉛活字を入れていました。それを紙に印刷すると、一つの絵になっている。幸田文の文章には、そんな味わいがあります。

幸田文には、『木』(新潮文庫)というすばらしいエッセイ集があります。この作品は1999年86歳で亡くなった二年後に上梓されました。文庫解説で佐伯一麦は、サマセット・モームの文章を引いて、まるで幸田文のことをいっているようだと書いています。
引用されているモームの著作は持っていません。孫引きさせていただきます。

――いい文章というものは、育ちのいい人の座談に似ているべきだと言われている。(略)礼儀を尊重し、自分の容姿に注意をはらい(そしていい文章というものは、適当で、しかも控えめに着こなした人の衣服にも似ているべきだとも、言われているではないか)生真面目すぎもせず、つねに適度であり「熱狂」を非難の眼で見なければならない。これが散文にはきわめてふさわしい土壌なのである。(佐伯一麦の巻末解説より。サマセット・モーム『要約すると』新潮文庫、中村竜三訳)

『木』のなかの文章を、紹介させていただきます。

――いま杉形といっても、通じることは少なくなった。杉の木立の姿のように、頂部を高く尖らせ、下部をひろく安定ささせる形のことだが、私は子供のころ、霊前の盛菓子、神前の御供、来客へだす鉢に盛った菓子、料理の盛付、薪や炭俵の積みかたなどで、この形を整えるようにと、耳たこにおぼえさせられたので、知っているのである。(本文P111)。

 ◎家政婦は見た

 主人公の梨花は、40歳過ぎの未亡人です。幸田文『流れる』(新潮文庫)は、芸者置屋「蔦の家」に女中として雇われた梨花の視点でつづられています。「蔦の家」には、元名妓といわれた美貌の女主人、その娘で気の強い勝代、女主人の姉の娘で横着な米子、そして米子の娘の不二子が同居しています。
 ここへ何人もの芸者が通ってきます。いわゆる看板借りの芸者たちです。勤めてすぐに、梨花(りか)という名はややこしいからと、「春さん」と呼ばれます。

幸田文『流れる』(新潮文庫)は素人の目線で、玄人の社会を好奇心に満ちた息づかいで描き出しています。「蔦の家」は、まるでコインの裏表のような世界でした。本音と建前、嘘と誠、外向きと内向きの使い分け。そんなものが蔓延した場所だったのです。

 慌ただしい、一日が終わります。
――ようやく寝られる段になった。紅(あか)くはでな模様の蒲団をあてがわれていた。きたない蒲団には馴れていても、女性の特徴であるしみが点々と赤黒く捺染(なつせん)してあるきたなさには堪えられない。同性の生理のおぞましさの上には寝られない。シーツがないから、ごそごそしても新聞紙をしこうとおもう。*「はで」「しみ」に傍点(本文P26)

 2日目もめまぐるしいほど、起伏に富んだ一日でした。芸者の失踪。以前逃げた芸者の叔父が、売春させたと乗りこんでくる。それらのできごとは、梨花にとって刺激的で魅惑的なことでした。見習い期間を終え、梨花は正式に女中として働くことを決めます。

 ストーリーは、深追いしないことにします。傾きかけている芸者置屋の状況とそこに暮らす人々の喜怒哀楽。幸田文はひたすら素人の目で、忠実に再現して見せます。
 本書には女主人の名前も、蔦の家の所在地も出てきません。実際に幸田文が働いた、芸者置屋を伏せたかったからだと思います。しかし小林信彦には、柳橋が舞台だとピンときたようです。

――うるさいほどの擬声語で創られた世界であるにもかかわらず、柳橋だな、とわかったのは、ぼくが通り一つへだてた町に生まれ育ったからである。(小林信彦『読書中毒・ブックレシピ61』文春文庫P108)

 こう書いて小林信彦は、擬声語を次のように並べています。
「手づま」「あたじけない」「けち」「ごまける」

◎高い評価

『流れる』を高く評価している書評を、いくつか紹介させていただきます、

――話の内容は、梨花という中年住み込み女中の見た、落ちぶれ掛けた芸者屋のさまざまな女たちの、「金」「没落」に絡んだ、凄まじい自我の角突き合わせと、哀切な悲しみの色もようである。恐らく近代日本の小説中で、これほどまでに女の自我の哀しさをくっきりと、奥深く描いた作品はほかにないのではないか。(車谷長吉『文士の魂・文士の生魑魅(いきすだま)』新潮文庫P18-19)

――女性たちを群像としてしっかりと描きながら、一つの文化の崩壊を確実に書いている。登場する女性は、みんな崩壊していくけれど、その崩れ方がそれぞれに違う。その細かいところまで、よく見届けていますね。(坂本忠雄・談、坪内祐三・角田光代との鼎談『KAWADE夢ムック』2014年6月号P225)

――「流れる」に登場する芸者さんたちは、本当に生き生きとしていますよね。視覚だけではなく、聴覚のおもしろさも含め、人物像が鮮やかに描かれている。(角田光代・談。上記出典P225)

――彼女(梨花)が奉公した置屋は、ひどい廃れ方をしています。その「滅び」の過程を主人公が冷静に眺めているという構造になっているのですが、何が魅力かと問われれば「歴史記述」の方法です。「流れる」は歴史小説なんですね。(関川夏央『NHK:私の1冊日本の100冊・感動がとまらない1冊』学研P144)

本書は、思いがけないラストを迎えます。

――「あたし女中ですから」とうそぶきつつ、観察者に徹してきたヒロインの逆転劇。「家政婦は見た!」ならぬ「家政婦はやった!」。小さなガッツポーズが見える、少々コワイ終わり方だ。(斎藤美奈子『名作うしろ読み』中央公論新社P65)

 幸田文『流れる』のタイトルについては、著者自身が文庫の巻末に「小さいときから川を見ていた」との文章を寄せています。川面に弾ける雨滴のような、美しい文章を堪能してください。冒頭で梨花という名前を剥奪された主人公が最後に見たのは、雨空ではなく満天の星だったのです。
(山本藤光2017.09.03初稿、2018.02.15改稿

小林秀雄・岡潔『人間の建設』(新潮文庫)

2018-02-14 | 書評「こ」の国内著者
小林秀雄・岡潔『人間の建設』(新潮文庫)

有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ、非ユークリッド幾何学、三角関数、プラトン、理性…主題は激しく転回する。そして、その全ての言葉は示唆と普遍性に富む。日本史上最も知的な雑談といえるだろう。(「BOOK」データベースより)

◎史上最強の雑談

 文庫のコピーには、「史上最強の雑談」とあります。そのとおりの内容でした。良質な言葉のキャッチボールに、度肝をぬかれました。買い求めたばかりの文庫本は、たちまち真っ赤な線や書きこみでうまってしまいました。文系と理系のコラボレーション。単純な図式で読みはじめたのですが、話は時空を超えていました。
 
 私が稚拙な紹介をするよりも、赤い線を引いた箇所のいくつかをおすそ分けさせていただきます。

――ヨーロッパの大学は、四年間大学いれば卒業証書が貰えるという仕組みには出来ていないでしょう。資格を得るのには何年かかるかわからない。また何年かけてもよい。学問は非常にむずかしい。どうしてもむずかしいことをやりたいと願う人だけが学者の資格を取れる。従って大学の先生というものは、そういうむずかしいことを好んでいた人だから、ということになっております。(本文P12,小林秀雄の発言)

――岡さんは、絵がお好きのようですね。ピカソという人は、仏教のほうでいう無明を描く達人であるということをお書きになっていましたね。私も、だいぶ前ですが、同じようなことを考えたことがある。(本文P13,小林秀雄の発言)

 ここから対談は、「ピカソ」「無明」「世界の四賢人」(ソクラテス、キリスト、釈迦、孔子)の話しになり、漱石や芥川などまで登場します。かくして私は知の大海で、アップアップしてしまいました。「無明」という概念をわからないまま、何度も活字から顔をあげて息を整えます。
 
――勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを表現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観のなかで書いていくうちに、内容が流れる。それだけが文章であるはずなんです。(本文P24,岡潔の発言)

 長くなるので、引用はおわりにします。「男女関係」「たくあん石」「本居宣長」「ドストエフスキー」「トルストイ」「個人主義」「同級生」と、話は途切れることなく広がります。耳を澄まし、言葉の源泉を知ろうと考えこみます。薄い本なのですが、容易に前に進めません。これまでさまざまな対談を読んできましたが、こんなに崇高なラリーを目のあたりにしたことはありませんでした。
 
 本書の巻末に「注解」が掲載されています。23ページにわたる「注解」は、すべてノートに書き抜きました。折にふれて学んでみたいと思っています。まだ空っぽの引き出しですけれど、学問はエンドレスなのだよ、という2人の声が聞こえてきます。
 
◎モーツアルト、ドストエフスキー、本居宣長

 少しだけ、小林秀雄のことを紹介します。

――小林秀雄が文芸評論家として登場したのは1930年前後、プロレタリア文学と芸術主義文学(新感覚派や新興芸術派)の対立と言う構図の中で、そのいずれをも批判することを可能にするいわば絶対的な「文学」の拠点を構築する役割を担ったわけだ。(『群像日本の作家14・小林秀雄』小学館所収、「阿部良雄「同時代人・小林秀雄」より)

 私は好んで、文芸評論を読みます。前記引用のとおり小林秀雄の批評は、ニュートラルなのでわかりやすいものです。もうひとつ、江藤淳の小林秀雄論を紹介させてもらいます。

――「Xへの手紙」の背後には明らかに「暗夜行路」があるが、そのむこうにはおそらく「明暗」がある。漱石が発見した「他者」を、志賀直哉は抹殺し去ることによって「暗夜行路」を書いた。そこには絶対化された「自己」があるだけである。小林は、この「自己」を検証するところからはじめた。つまり、彼の批評は、絶対者に魅せられたものが、その不可能を織りつつ自覚的に自己を絶対化しようとする過程から生まれる。(『群像日本の作家14・小林秀雄』小学館所収、「江藤淳「小林秀雄」より)

 小林秀雄については、別に『無常ということ』(新潮文庫)をとりあげています。短い著作ですが、小林秀雄の英知が集約されています。できれば『考えるヒント』(全4巻、文春文庫)も読んでいただきたいと思います。非常にわかりやすい文章で、「考える」ことの醍醐味を教えてくれます。
 
『モオツアルト』『ドストエフスキーの生活』『本居宣長』(ともに新潮文庫)と、小林秀雄の著作は幅の広いものです。表出されたものから、その本質に迫る思考のプロセス。それは本書『人間の建設』で味わうことは可能です。しかし、対談には限界があります。相手に思考を合わせなければならないからです。一人黙考する。そんな小林秀雄の世界への誘いとして、『人間の建設』はお勧めの1冊でした。

 2014年9月に、小林秀雄・岡潔の対談「破壊だけの自然科学」が収載されている、『夜雨の声』(角川ソフィア文庫、山折哲雄・編)が文庫化されています。また角川ソフィア文庫から、岡潔『春宵十話』(500+α推薦作)と『春風夏雨』も新装されています。

 本書により自分の思考の貧弱さを、いやというほど知らされました。トップレベルの思考回路を知ってこそ、並のレベルの底上げが可能になります。あなたが私の部下なら、「読んでみたら?」ではなく、「読め!」といいたいと思います。それが小林秀雄・岡潔『人間の建設』なのです。
(山本藤光:2010.04.05初稿、2018.02.14改稿)

小林秀雄『無常という事』(新潮文庫)

2018-02-10 | 書評「こ」の国内著者
小林秀雄『無常という事』(新潮文庫)

小林批評美学の集大成であり、批評という形式にひそむあらゆる可能性を提示する「モオツァルト」、自らの宿命のかなしい主調音を奏でて近代日
本の散文中最高の達成をなした戦時中の連作「無常という事」など6編、骨董という常にそれを玩弄するものを全人的に験さずにはおかない狂気と平常心の入りまじった世界の機微にふれた「真贋」など8編、ほか「蘇我馬子の墓」を収録する。(「BOOK」データベースより)

◎批評を文学に

小林秀雄は初期には、同時代の作家の批評をしていました、しかし次第に、日本や海外の古典と向かい合うようになります。

――古典は淘汰されて残ってきているのだからそれ相当に優れたものだ。古典へ向かった理由の一つはこの点にあるのではないか。(吉本隆明『日本近代文学の名作』新潮文庫P119)

 古典を通じて小林秀雄は、「歴史」「美」「伝統」「生」「死」などを考えるようになります。その典型が『無常という事』(新潮文庫)の中に記されています。

――生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例があったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな。(P86、2行目)

『なつかしの高校国語』(ちくま文庫。「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)を読み終えてから、ずっと気になっていたのが小林秀雄「無常という事」です。昨日意を決して、書棚から文庫を引っ張り出して再読しました。活字面は茶ヤケしており、無数の赤線は瘡蓋(かさぶた)色に変色していました。
「無常という事」は、新潮文庫『モオツァルト・無常という事』というタイトル本の1篇です。4ページ半というきわめて短いものです。この著作は、小林秀雄の代表的な著作とされています。
ただし、難解であると多くの人がいいます。高校生の教科書に載っているのですから、尻ごみせずにぜひ読んでもらいたいと思います。「山本藤光の文庫で読む500+α」では、小林秀雄・岡潔『人間の建設』(新潮文庫)も紹介しています。こちらは対談集ですから、非常にわかりやすい一冊です。先にこちらを読んでおくと、理解が深まると思います。

秋山駿は小林秀雄を「批評というものを文学にした人」(『文藝別冊』2003年、総特集・小林秀雄P3)と語っています。

批評の巨人・小林秀雄について書かれた著作は、たくさんあります。いくつかあげてみます。

・『考える人』2013年春号・小林秀雄最後の日々
・江藤淳『小林秀雄』(講談社文庫)
・川副国基『小林秀雄』(学燈文庫)
・『群像日本の作家14・小林秀雄』(小学館)
・高橋昌一郎『小林秀雄の哲学』(朝日新書)
・二宮正之『小林秀雄のこと』(岩波書店)
・橋本治『小林秀雄の恵み』(新潮文庫)
・山本七平『小林秀雄の流儀』(新潮文庫)
・森崎信尋『小林秀雄の脳を覗く』(近代文芸社新書)

 小林秀雄の考え方を象徴するような文章が、『モオツァルト・無常という事』のなかの「当麻」に書かれています。これが理解できれば、小林の考える構図がわかります。

――美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。(P77―78)

◎生死無常の有様

「無常という事」の書き出しは、心に残っている古書(一言芳談抄)の転写ではじまります。全文を紹介します。

――或云(あるひといわく)、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、鼓を打ちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問はれて云く、生死無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給と申すなり、云々。

 下線部分は私がつけました。『徒然草』にも引用されている「一言芳談抄」を転記したとき、小林は強く「生」と「死」に思いをめぐらしていたのです。

名文を書き写す作業は、その後に続けなければならない者にとって、大きなプレッシャーになります。その点については、『なつかしの高校国語』でも指摘されています。
 小林秀雄は比叡山の散策中に、この文章を思い浮かべました。目の前の情景を見て、なぜこの短文を思い浮かべたのだろう。小林は考えこみます。しかし2つを結びつけるものには、行きあたりません。
えーい、ままよと、小林は原稿用紙に不完全燃焼の状態で筆を走らせることになります。ここまでが2ページ5行目となります。

 転記した古書は、きっと吉田兼好の愛読書だったに違いない。そして兼好の『徒然草』に、引用文を入れても遜色はない、と連ねます。小林秀雄にはこの時点で、「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」(序段)を大いに意識しています。そして思考に終止符を打ちます。

――僕は、ただある充ち足りた時間があった事を思い出しているだけだ。(P85の2行目)

そんなことを書きながら、当時の感動がよみがえらなくなっていることを、あれこれ考え続けます。ここまでで、ちょうど文章の半分です。

◎死後を祈る「なま女房」

3ページ目の8行からは、思考が「歴史」へと跳びます。そして次のような結論を導き出します。ここでは「歴史とは思い出すものである」という、小林の言説を書き記しています。

――解釈を拒絶して動じないものだけが美しい。これが宣長の抱いた一番強い思想だ。(P85、3ページ目の後ろから3行目)

 このあと、川端康成に語った言葉が続きます。生きている人と死者の対比がつづられ、いよいよ本稿の核心部分になります。

――思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんな間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。(P86、4ページ目の10行目)

 この展開も、先に紹介した「当麻」と同じです。そして最後にこんな記載があります。

――この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。(P87、最後のページ2行目)

 この文章については、『なつかしの高校国語』の注釈にたよりたいと思います。

――「常なるものを見失った」現代人は、「なま女房ほどにも、無常ということがわかっていない」ということになる。(P570)

 小林秀雄は一心に死後を祈る「なま女房」に、解釈を拒絶し動じないものを見ました。引用文のなかにあった文章ですが、これが本書の核心だと思います。

 ここまで書いていて、先日書き上げたばかりのチェスタトンの逆説的な思考と、小林秀雄の文章が近いことに気づきました。ひょっとすると、小林は「ブラウン神父」シリーズの愛読者だったりして。
(山本藤光2017.08.09)

神坂次郎『縛られた巨人・南方熊楠の生涯』(新潮文庫)

2018-02-03 | 書評「こ」の国内著者
神坂次郎『縛られた巨人・南方熊楠の生涯』(新潮文庫)

異常な記憶力、超人的行動力によって、南方熊楠は生存中からすでに伝説の人物だった。明治19年渡米、独学で粘菌類の採集研究を進める。中南米を放浪後、ロンドン大英博物館に勤務、革命家孫文とも親交を結ぶ。帰国後は熊野の自然のなかにあって終生在野の学者たることを貫く。おびただしい論文、随筆、書簡や日記を辿りつつ、その生涯に秘められた天才の素顔をあますところなく描く。(「BOOK」データベースより)

◎南方熊楠を理解するまで

 原稿を書くまでの間、何人に「読め、読め」と強要したでしょうか。すばらしい本に出会ったとき、ついつい有頂天になってしまうのです。南方熊楠を知ったのは、わが師(書物のうえだけでお会いしたことはありません)花村太郎の熱い著作『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)で紹介されていたからでした。その部分を引用してみます。

――南方熊楠は、明治九年一〇歳のとき『和漢三才図絵』(一〇五巻)を本屋で立ち読みして筆写をはじめた。一二歳のとき、学校からの帰り道に、古本屋に積まれてある和本『太平記』(四〇巻)を三枚、五枚と立ち読みし、いそいで家にかけこんで読んできたところを紙に写す、ということをやって、半年たらずで全巻写してしまった。このほか一二歳までに『本居宣長』『諸国名所図鑑』『大和本草』等を書写。(中略)明治四四年、『大蔵経』(三三〇〇巻)の抄写をはじめて、大正二年に終える、というぐあいだ。(花村太郎『知的トレーニングの技術』)
 
 当然、南方熊楠は未知の人であり、名前すら正しく読むことができませんでした。すごい人がいる、と圧倒されました。すぐに鶴見和子『南方熊楠』(講談社学術文庫)を読んでみました。なるほどとてつもなく行動力のある、稀有な人だとわかりました。つぎに『南方熊楠全集・第2巻・南方閑話・南方随筆他』(平凡社)を買い求めてきました。ところが難解すぎて、まったく歯がたちませんでした。

最近では『南方熊楠コレクション』(全5巻、河出文庫)や『南方熊楠随筆集』(ちくま学芸文庫)なども市販されています。「十二支考」は「青空文庫」から無料ダウンロードも可能です。

そんなときで出会ったのが、神坂次郎『縛られた巨人・南方熊楠の生涯』(新潮文庫)だったのです。神坂次郎の安定した筆運びは、南方熊楠のとてつもない生涯をみごとに活写していました。私には南方熊楠自身の著作について、語る資格はありません。しかし『縛られた巨人・南方熊楠の生涯』は、なんとしてでも読んでいただきたいと思います。

◎南方熊楠と親交のあった人たち
 
『縛られた巨人・南方熊楠の生涯』には、南方熊楠の生涯が生々しくつづられています。ただただ圧倒されました。鶴見和子『南方熊楠』を上まわる衝撃でした。ページを読み進めるうちに、自分自身が小さくなっていくのを感じたほどです。裕福な家庭に生まれたはずの南方熊楠は、極貧のなかで地味な研究をつづけました。
 
 ざっと足跡をたどってみましょう。幼少より記憶力がすぐれ、多くの書物を筆写していました。そのことは前記引用のとおりです。和歌山中学を卒業後、上京して大学予備門に入学。病気のために退学し、回復してから渡米しています。5年間アメリカで学校を転々とし、1891年にキューバに渡ります。キューバでは地衣類の新種を発見しています。
 
 独立戦争に参加して負傷したのち、イギリスに渡ります。1893年イギリスの科学誌「ネイチャー」に寄稿。大英博物館の出入りを許され、研究をつづけます。1900年帰国。熊野山中に入り、粘菌などの採取をはじめます。
 
 ここまで淡々と足跡を追ってきましたが、貧乏生活、外国人とのケンカ、大英博物館追放などの紆余曲折があります。裕福な家庭に生まれた南方熊楠ですが、父親の死後に次男が遺産を独占して熊楠への送金を止めてしまいます。兄弟の確執についても、本書では生々しく描かれています。
 
『縛られた巨人・南方熊楠の生涯』には、南方熊楠と親交のあった人たちがたくさん登場します。柳田國男、孫文、土宜法龍(どきほうりゅう)・高野山管長……。これらの著名人はもちろんですが、神坂次郎、名もないゆかりの人をみごとに描きだしています。 

 日本の民俗学者といえば、柳田國男(推薦作『口語訳・遠野物語』(河出文庫、佐藤誠輔訳)に代表されます。柳田國男に関しては、こんな記述があります。
 
――熊楠と熱烈な友情で結ばれた柳田との、後年の確執、訣別はこの〈性〉に対する姿勢の決定的な相違にあった。柳田にしてみれば、官吏としての立場上、そしてまた生まれてまだ日の浅い民俗学を品のよい学問として印象づけ、認めさせるため世間体を配慮し、あえて〈性〉に蓋をしてきたのであろう。が、それは無垢で滑稽なほど生まじめな熊楠には偽善としかうつらなかった。(本文P389より)

 南方熊楠は生まじめなるがゆえに、薄っぺらな机上の学問を嫌いました。現場至上主義。南方熊楠ほど、この言葉が似合う人はいません。南方熊楠が学者をばっさりと切り捨てる場面も紹介しておきます。高弟の雑賀貞次郎に宛てた書簡です。
 
――わが国には学位ということを看板にするあまり、学問の進行を妨ぐること多きは百も御承知のこと。(そのうえ)御殿女中のごとく朋党結託して甲が乙を排し、丙がまた乙を陥る、さいじたる東大などに百五十円や二百円の月給で巣を失わじと守るばかりがその能で、仕事といえば外国雑誌の抜き読み受け売りの外になき博士、教授などこそ真に万人びんしょうの的なれ……小生は何とぞ福沢先生の外に今二、三十人は無学位の学者がありたきことと思う。(本文P205より)
 
 ひたむきな人生にふれてみたいと思うなら、迷わずに『縛られた巨人・南方熊楠の生涯』を読んでいただきたいと思います。私に元気と勇気をくれた1冊として、胸を張って「お薦めです」といいます。

南方熊楠はロンドンの学者たちに、「ミスター・クマグスこそウォーキング・ディクショナリーだ」といわせたようです。本書では天皇陛下との触れ合いについても語られています。だれもが驚嘆する偉大なる南方熊楠の生涯を、神坂次郎とたどってみませんか。

また松居竜五『クマグスの森・南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)や水木しげる『猫楠・南方熊楠の生涯』(角川文庫)なども、機会があれば読んでみてください。
(山本藤光:2010.04.19初稿、2018.02.03改稿)

幸田露伴『五重塔』(岩波文庫)

2018-02-02 | 書評「こ」の国内著者
幸田露伴『五重塔』(岩波文庫)

技量はありながらも小才の利かぬ性格ゆえに、「のっそり」とあだ名で呼ばれる大工十兵衛。その十兵衛が、義理も人情も捨てて、谷中感応寺の五重塔建立に一身を捧げる。エゴイズムや作為を越えた魔性のものに憑かれ、翻弄される職人の姿を、求心的な文体で浮き彫りにする文豪露伴(1867‐1947)の傑作。(「BOOK」データベースより)

◎頑固一徹な職人を描いた骨っぽい文章

幸田露伴は、あまりメジャーな作家あつかいをされていません。現に「新潮日本文学(全64巻)」(1968年配本、新潮社)からははずされています。娘の幸田文は全集入りしているのですけれど。
 
 幸田露伴が活躍したのは、明治20年から30年代です。坪内逍遥が「近代文学とはどうあるべきか」を書いた論文『小説神髄』は、明治18(1885)年の発表です。その理想を具現化したのは、二葉亭四迷『浮雲』(明治20年)といわれています。『浮雲』は近代小説の先駆けでした。それまでは文語文で書かれていた小説を、はじめて口語体で貫きとおしたのが『浮雲』だったのです。

 ところが幸田露伴は、その流れを好ましくないと思っていました。幸田露伴は、『浮雲』の主人公・文三とは真逆な、気骨のある男を描いています。それらの世界を描くには、浮ついた口語体はふさわしくないと思っていました。それが「擬古典主義」とも呼ばれ、文体も和漢混交文に近い男性的な文章にあらわれたのです。
 
 幸田露伴『五重塔』(岩波文庫)は、江戸時代の頑固一徹な職人を描いた作品です。『五重塔』は、読者に語りかける体裁をとっています。しかも和語、漢語、仏教語、俗語などがふんだんに盛りこまれた、幕の内弁当のような様相です。文章のリズムを楽しみながら、できれば声に出して読んでいただきたいと思います。ほとんどの幸田露伴紹介本に引用されている箇所を、書き抜いてみますのでためしてみてください。

――上りつめたる第五層の戸を押明けて今しもぬっと十兵衛半身あらはせば、礫(こいし)を投ぐるが如き暴風雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までも址断(ちぎ)らむばかりに猛風の呼吸(いき)さへ為(さ)せず吹きかくるに、思はず一足退きしが屈せず奮って立出でつ、欄を握(つか)むで屹(きっ)と睥(にら)めば天は五月の闇より黒く、ただ囂囂(ごうごう)たる風の音のみ宇宙に充て物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聳(そび)えたれば、どうどうどつと風の来る度ゆらめき動きて、荒浪の上に揉まるる棚無し小舟のあはや傾覆(くつがえ)らむ風情(後略)(本文P86より)

◎最初の文章をおさえておく

『五重塔』の冒頭では、いきなりひとりの女の描写が長々とつづきます。私はそのまま、読み流してしまいました。ここは絶対におさえておかなければならない、後半につづく大切なポイントだったのです。
わけがわからなくなり、私のようにあともどりしないためにも、ここだけは熟読してもらいたいと思います。長い一文ですので、ポイントのみを転載します。女は煙草をふかしながら……。

(引用はじめ) 
――(略)思はず知らず太息吐(ぶといきつ)いて、多分は良人(うち)の手に入るであらうが憎い“のつそり”めが對(むか)ふへ廻り、去年使ふてやった恩も忘れ上人(しゃうにん)様に胡麻摺(ごます)り込んで、強(たつ)て此度(こんど)の仕事を為(せ)うと身の分も知らずに願ひを上げたとやら、清吉の話しでは上人様に依怙贔屓(えこひいき)の御情(おごころ)はあっても、名さへ響かぬのつそりに大切の仕事を任せらるる事は檀家方の手前寄進者方の手前も難しからうなかれば、大丈夫此方(こちら)に命(いひつ)けらるるに極まったこと、(略)
(引用おわり、本文P4より)

 谷中感応寺に、五重塔を建立する計画があります。これまでの実績から、当然五重塔は川越の棟梁・源太が請け負うことになるはずでした。ところが横槍がはいりました。源太の世話になっている「のつそり」というあだなの若者・十兵衛が、建立を請け負いたいと策略していたのです。女のひとりごとには、そんなことが背景にあります。
 
 十兵衛は職人としての腕は確かですが、世渡りがへたでよい仕事に恵まれていません。彼は感応寺の建立を、自分で請け負いたいと一念発起します。十兵衛は感応寺へ出向き、朗円上人との面通しを願いでます。ところがあまりにも汚い身なりのために、門前払いを受けることになります。
 
 上人はすでに、源太に対して見積書の依頼をしていました。いまさらキャンセルすることはできません。やがてのっそり十兵衛は、朗円上人との面通しに成功します。十兵衛は自らの熱い胸中を訴えます。 
――御上人様御慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され、拝みます、ここ此通り、と両手を合わせて畳に、涙は塵を浮かべたり。(本文P18より)

 上人を納得させるために、十兵衛は精密な五重塔の模型を造りあげます。上人は模型のみごとさと十兵衛の人柄に感服します。結局、朗円上人は、2人で話し合ってきめるように申し渡します。十兵衛は日頃、名人と名高い棟梁・源太の下で働いていました。負い目はありますが、100年に1度あるかないかの仕事です。絶対に譲れない、と引き下がりません。最終的に源太が男気をみせます。十兵衛に邪心がないことを知っている源太は、自らが身を引くことを選ぶのです。
 
 源太は十兵衛に、支援を申し入れます。十兵衛は独力でやると協力を断ります。さすがの源太も、激しい怒りを覚えます。
 
 さまざまな紆余曲折があって、五重塔は完成します。落成式前夜の江戸に、信じられないような暴風雨が襲いかかります。この描写が最初の引用文です。五重塔は絶対に倒れない、と自信に満ちた十兵衛が塔の上にいます。下からは心配げな源太が見上げています。江戸に大きな被害を与えて、暴風雨は去ってゆきました。
 
 五重塔は、無傷ですっくと立っています。落成式が終わったとき、五重塔に源太と十兵衛を呼び、朗円上人は晴れやかな言葉で2人に告げます。
 
◎タイトルが物語の骨組み

『五重塔』に関する興味深い記述があります。塩谷賛『幸田露伴』(全4巻、中公文庫)に詳しいらしいのですが、絶版になっていて入手できません。したがって、花村太郎が『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)に掲載したものを孫引きさせていただきたいと思います。

――幸田露伴『五重塔』は、小説のタイトルがそのまま物語の骨組みになっているような小説である。主人公の大工・のっそり十兵衛は、親方の源太とあらそって五重塔建立の仕事を引き受けるのだが、物語の進行につれて十兵衛と源太とのあらそいと友情がちょうど四回出てくる。そして最後に、完成した五重塔は暴風雨におそわれ十兵衛と源太が塔の上と下とでこれを見守っているという場面がくる。つまり、争闘と友情とが初層二層三層四層と組み重ねられていって、嵐と大いなる友情の場面で五層が完成する、というストーリーなのだ。(花村太郎が『知的トレーニングの技術』ちくま学芸文庫P340より)

 谷中感応寺の五重塔は1664年に建立され、1772年に火災で焼失しています。1908年に再建されましたが、今度は男女の無理心中の場として放火炎上されました。現在跡地には、「幸田露伴『五重塔』の舞台」という説明がついた碑が残されているのみです。
私は本書を、日本近代文学のベスト3位に位置づけています。
(山本藤光:2010.03.01初稿、2018.02.02改稿)