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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

阿川弘之『雲の墓標』(新潮文庫)

2018-02-26 | 書評「あ」の国内著者
阿川弘之『雲の墓標』(新潮文庫)

太平洋戦争末期、南方諸島の日本軍が次々に玉砕し、本土決戦が叫ばれていた頃、海軍予備学生たちは特攻隊員として、空や海の果てに消えていった……。一特攻学徒兵吉野次郎の日記の形をとり、大空に散った彼ら若人たちの、生への執着と死の恐怖に身をもだえる真実の姿を描く。観念的イデオロギー的な従来の戦争小説にはのぞむことのできなかったリアリティを持つ問題作。(文庫案内より)

◎あっち側にいた

2015年8月6日の朝刊に、阿川弘之の訃報が掲載されました。94歳ですから大往生といえるでしょう。少しだけ新聞記事を引いてみたいと思います。

――1942年に東大国文科を繰り上げ卒業して海軍予備学生に。中国大陸で敗戦を迎え、捕虜生活の後、復員して故郷の惨状を目のあたりにした。(中略)戦中、戦後の一途な青春像を描いた長編「春の城」(52年)で読売文学賞。広島原爆の後遺症に苦しむ人々を描いた「魔の遺産」、学徒出陣した特攻隊員の苦悩をテーマにした「雲の墓標」など、優れた戦争文学を著した。(「朝日新聞」2015.8.6)

阿川弘之は志賀直哉門下として、頑固に我が道を歩きつづけました。安岡章太郎や吉行淳之介らとともに、第三の新人としてくくられていますが、時流に乗ることを拒み、置いて行かれてしまいます。何かで読んだのですが、日常でも瞬間湯沸器と呼ばれているほど、一本気な人だったようです。

百目鬼恭三郎はそんな阿川弘之の一面を、次のように書いています。

――山本健吉によると、戦後作家たちを集めた座談会で、武田泰淳が、阿川だけはあちら側だ、という発言をしたそうだ。このように、出発当初から時流の「あちら側」を歩く作家が、ぱっとしないのは当然だろう。しかも、戦争に関する一切を罪悪視する戦後の風潮の中で、「やる気」があった予備学生のことを書いたりしては、なおさらのことである。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社)

このことは阿川本人も自覚しており、娘・阿川佐和子との対談で次のように語っています。

――戦後僕なんか冷遇された。あいつ一人意識の低い向こう岸の人間だといわれた。めざめていないってわけよ、阿川というのは(笑)。だけど目覚める気はまったくなかったな。(阿川佐和子『男は語る・アガワと12人の男たち』文春文庫)

◎純粋な若者の心と行動

『雲の墓標』(新潮文庫)は、学徒動員された4人の京大生の苦悩と行動の物語です。阿川弘之の実体験に、実際に特攻出撃した若者の日記や書簡を重ねた戦争小説です。
 
昭和18年京大生だった吉野次郎は、学友である藤倉、坂井、鹿島らと広島の大竹海兵団に入隊します。物語は吉野の日記の形式で、この場面から静かに滑り出します。

――大竹海兵団/昭和十八年十二月十二日/今日は入団後はじめての日曜日で、日課は身の廻り整理。わずかに晏如の心を得て日記をつけはじめる。(本文冒頭より)

鹿島を除く3人は航空科に入り、土浦、出水などでの訓練の後、大分県宇佐航空隊に配属されます。

吉野次郎は、蕗子という女性と知り合います。しかし吉野は定められた道を進むだけだと、その恋情を断ち切ります。いっぽう藤倉は、特攻出撃の思想を受け入れられず、恩師に宛てて苦悩の胸の内を手紙に書きます。吉野と藤倉は、戦争に対してまったく異質な考え方を抱いています、

藤倉は恩師に手紙を書いた2か月後、訓練中に事故死します。坂井は特攻隊員として、敵機に突っ込み戦死します。そして吉野も特攻隊員として戦死します。

本書は唯一生き残った鹿島が、吉野の日記や遺書、藤倉の書簡をまじえて追悼の気持ちをつづったものです。これらの挿入が作品の現実味を深め、純粋な若者の心と行動を際立たせています。

◎阿川弘之の戦争文学

阿川弘之は『山本五十六』『井上成美』(ともに新潮文庫)などの海軍軍人の伝記も書いていますが、戦争文学の第1人者というのが文壇での位置づけになると思います。そのあたりについて福田和也は、次のように書いています。ちなみに福田和也は、『雲の墓標』の評価は67点としています。

――阿川にとって戦争にかかわる想いは、いささかも観念的なものではなく、むしろ身体の側に肉化されている。古山高麗雄と並んで阿川の作品が戦争について考える時に逸せない所以である。(福田和也『作家の値うち』飛鳥新社)

阿川弘之の戦争文学は、文学史上は3部作ととらえられています。次の引用のなかの『魔の遺産』は、PHP文庫になっていますが絶版で読んでいません。

――志賀直哉の小説技法を継承している阿川弘之は、『春の城』(昭和27)に学徒兵の青春のあり方を描いたが、広島に育った阿川は『魔の遺産』(昭和29)で原爆をうけた戦後の広島を描き、さらに『雲の墓標』(昭和31)で、学徒兵の内診を飾りけのない素直さで描き出した。(松原新一ほか『戦後日本文学史・年表』(講談社P205)

阿川弘之の著作は、文庫だけで40冊以上ありました。本日すべてを引っ張り出し、8月6日の風にあてました。広島原爆投下の日に、阿川弘之は戦争小説を残して消えてしまいました。合掌。
(山本藤光:2013.09.14初稿、2018.02.26改稿)

有吉佐和子『紀ノ川』(新潮文庫)

2018-02-25 | 書評「あ」の国内著者
有吉佐和子『紀ノ川』(新潮文庫)

小さな川の流れを呑みこんでしだいに大きくなっていく紀ノ川のように、男のいのちを吸収しながらたくましく生きる女たち。――家霊的で絶対の存在である祖母・花。男のような侠気があり、独立自尊の気持の強い母・文緒。そして、大学を卒業して出版社に就職した戦後世代の娘・華子。紀州和歌山の素封家を舞台に、明治・大正・昭和三代の女たちの系譜をたどった年代記的長編。(内容案内より)

◎有吉自身の家系をモデルに

最近の若い人は、ほとんど有吉佐和子を読んでいないのでしょうか。書店の棚で両肘を張っていた有吉作品群が、貧相なほど痩せ衰えていることを発見しました。半世紀前、有吉佐和子は現在の宮部みゆきのように、輝いていました。古典芸能や歴史、社会問題と幅広いテーマを扱う、希有のストーリーテラーとして、発表するたびにベストセラーの山を築いていました。

晩年に発表し社会現象にまでなった、『恍惚の人』や『複合汚染』(ともに新潮文庫)はご存じの方が多いかもしれません。また歴史小説の『華岡青洲の妻』(新潮文庫)も代表的な作品です。

もちろんそれぞれが、優れた作品です。しかし有吉作品に触れていない若い方には、『紀ノ川』(新潮文庫)は、どうしても読んでいただきたい作品です。有吉自身の家系をモデルにした本書は、明治・大正・昭和に生きる女性にまつわる社会を学ぶうえでの、すてきなテキストともなります。

明治には祖母をモデルとした花、大正は母をモデルにした文緒、そして有吉佐和子自身は昭和の華子として登場します。華子イコール有吉佐和子であることは、本人も認めています。磯田光一の著作のなかに、次のような文章があります。磯田光一が本人に質問を投げかけます。

――私(補:磯田光一)は有吉さんに、「あの華子は昭和生まれですね、……」といいかけると、すぐさま、「そうよ、あれが、あたし自身なのよ」ときっぱりといいきったのであった。(磯田光一『昭和作家論集成』新潮社P636)

華子の祖母にあたる花は、磯田光一の計算によると明治10年の生まれです。花は紀州の名家・紀本家に生まれました。花は当時では珍しく学問を授けられ、祖母・豊乃の勧めで六十谷(むそた)の地主で村長の真谷敬策のもとに嫁ぎます。

◎美っついのう

物語は花の結婚式当日から動きはじめます。76歳になる祖母・豊乃と花は、朝靄に包まれた早春の石段を上ります。そしてこんな描写につづきます。

――朝靄は晴れかけて、薄く朝日が射し始めていた。/「見(み)、紀ノ川の色かいの」/青磁色の揺らめきが、拝堂を出て東の石段へ戻りかけた二人の眼の前に横たわっていた。/「美っついのし」/花は思わず口に出して感嘆した。/「美っついのう」/豊乃は花の言葉を反芻して、花の左手を握りしめた。(本文P19)


有吉佐和子は紀ノ川の美しさを、紀州弁でみごとに表現して見せます。花はその紀ノ川を、船で下って嫁入りするのです。

美人で才媛の花は、妻として敬策につかえ、嫁として姑・ヤスにしたがいます。花の献身的な支えがあり、敬策は和歌山の政界へと乗り出します。そんな二人のあいだに、文緒という娘が誕生します。長男は目立たぬ存在なのですが、文緒は次第に男顔負けの活発な女性となります。母・花にたいして、ことごとく反発します。母と娘のギャップについて、有吉佐和子は見事な筆さばきで読者に突きつけます。

花は文緒に躾や琴などをしこみますが、文緒はことごとく母親に反発します。母親の古さを軽蔑し、新しい時代の女権を主張します。そしてわがままをいって、東京の女子大へと進学を決めてしまいます。卒業後に銀行員と結婚した文緒は、一向に花のもとを訪れません。そのあげく、夫の海外赴任地へと行ってしまうのです。

文緒は親の恩義に触れることなく、乱暴な手紙で花への反発をつづけます。ところが海外の赴任地で次男の晋を亡くしてから、少しずつ変化をみせます。やがて文緒は、華子と名づけた娘を出産します。

◎紀ノ川と白い蛇

花の祖母・豊乃が亡くなります。花の夫・敬策も亡くなります。時代は多くの身内を黄泉に送り、新たな命を誕生させます。そのなかで変わらぬ存在として、紀ノ川の流れがあります。そしてもうひとつ、真谷家に住み着いている白い蛇の存在があります。

2つの戦争を経て、真谷家も没落してゆきます。夫を失った文緒の生活も、窮乏してしまいます。華子は女子大学を卒業して、出版社に勤務しています。そこへ祖母・花が重態という知らせがとどきます。文緒が駆けつけますが、一命をとどめます。

ラストの場面については触れません。明治・大正。昭和と生き抜いた花は床についたままです。紀ノ川の美しい姿と、白い蛇が時代を生き抜いた花と、そして死のときを迎えようとしている花を象徴します。

結婚式場には、○○家と○○家という看板がなくなりました。花が存命なら、嘆き悲しんだことでしょう。核家族化が進み、孤独な老人が増えています。善悪は別にして、そんな時代になった流れを、『紀ノ川』で振り返ってみてもらいたいと思います。
山本藤光:2013.07.141初稿、2018. 02.25改稿


朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)

2018-02-23 | 書評「あ」の国内著者
朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)

田舎の県立高校。バレー部の頼れるキャプテン・桐島が、理由も告げずに突然部活をやめた。そこから、周囲の高校生たちの学校生活に小さな波紋が広がっていく。バレー部の補欠・風助、ブラスバンド部・亜矢、映画部・涼也、ソフト部・実果、野球部ユーレイ部員・宏樹。部活も校内での立場も全く違う5人それぞれに起こった変化とは…?瑞々しい筆致で描かれる、17歳のリアルな青春群像。第22回小説すばる新人賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

◎桐島はまったく描かれていない

朝井リョウが直木賞を受賞したとき、頭のなかにおびただしいハテナマークが点灯しました。朝井リョウは1989年生まれの24歳。受賞作『何者』(新潮社)にいたるまでに発表したのはわずかに2冊。『何者』を読んでみましたが、若いころの三田誠広『僕って何』(角川文庫)を思い出しただけです。朝井リョウの才能は認めますが、ちょっと早すぎるかなと思いました。

朝井リョウのデビュー作『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)は、小説すばる新人賞受賞作です。現役の大学生が書いた小説ということで話題になり、映画化もされました。タイトルの意外性もすばらしいのですが、物語の展開にも味がありました。

『桐島、部活やめるってよ』は、関西地方の男女高校生5人の視点でつづった学園部活小説です。

学園部活小説といえば、北上次郎編『14歳の本棚・青春小説傑作選・部活学園編』(新潮文庫2007年)があります。「初恋友情編」「家族兄弟編」の3部作アンソロジーの1冊であり、部活学園に関する珠玉を網羅した存在として高く評価しています。「部活学園編」に編纂されている作品の著者は8人。森鴎外「ヰタ・セクスアリス」、井上靖「夏草冬濤」から角田光代「空のクロール」などが所収されています。

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』は、これらの作品とは同化しません。格別な事件や事故はありません。がっちりとしたストーリーもありません。驚愕のエンディングもありません。点描。卒業アルバムをめくっているような、ああそんなこともあったなといった、懐かしさだけが取り柄の作品です。つまり絶対に珠玉の部活学園編には、収められない立ち位置にあるのです。だから駄作だとはいっていません。

『桐島、部活やめるってよ』の評価は、2分されています。私は本書の支持派です。特に映画部の前田涼也のキャラクターが魅力的でした。グラウンドで甲高い声を張りあげる、野球部やテニス部。体育館で重い叩音を響かせる、バレー部やバトミントン部。屋上で音の洪水をまき散らす、ブラスバンド部。そして地味で誰からも、存在を認められていない映画部。華やかな部活の陰で、重い機材をあやつるオタク・前田涼也の存在は、希薄すぎますが。

表題にもなっている桐島は、バレー部のキャプテンです。彼は理由も告げずに、部活をやめてしまいます。桐島の存在は、まったく描かれていません。

本書を読みながら、朝倉かすみ『田村はまだか』(光文社文庫。500+α推薦作)と重なってしまいました。札幌の場末のバーで、吹雪のなかをきっとやってくるだろう田村を、ひたすら待ちつづける40歳の同級生たちの物語です。この作品も田村は登場しません。高校の同窓会の2次会で、過去と現在を行きつ戻りつするこの作品を、私は高く評価しています。

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』に深みがないのは、登場人物が高校生だから仕方がありません。作中で存在しない人を浮かび上がらせる手法として、それぞれの重い人生をそえなければ味がでないからです。
 
◎朝井リョウは対を描く

何人かの書評家が本書を、サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水社)を意識して書かれていると指摘しています。ひたすら救済者・ゴドーを待ちながら暇つぶしに興じる浮浪者を描いた戯曲から、学園部活を連想できたとしたらすばらしい才能です。

――中学校はこわいところだと聞いています。不良に呼び出されたり、先輩からいじめられたり、そういう先輩関係っていうか、上下関係が怖いです。心配です。

引用したのは、椰月美智子『体育座りで、空を見上げる』(幻冬舎文庫)の冒頭部分です。小学校の卒業を控えた主人公が、教師の質問(中学生になることへの不安)に答える場面です。

小学生が抱く中学への不安は、高校ではさらにエスカレートしているはずです。朝井リョウは『桐島、部活やめるってよ』で、そんな世界を描いてみせました。ただし舞台は田舎の中学校でもよかったのかもしれません。登場人物たちの感性は、中学校から成長を止めてしまったごとく幼く感じます。今風の語り口は、ときどき意味不明の部分がありました。登場人物の個性はすべて画一的でした。

映画では前田涼也が憧れている、かれんという女子高生にスポットがあたっているようです。彼女も桐島同様に、明確には描かれていません。朝井リョウは光と陰を巧みに使い分ける、稀有な作家だと思います。さらに言及すれば、校内の上下関係、男子生徒と女子生徒、運動部と文化部など、朝井リョウは対(つい)を描くことに長けています。しかし文章も、比喩も幼稚です。

「対」は世の中に、いくらでも転がっています。私たちから見ると他人面して転がっているものを拾い上げ、命を吹きこむ。朝井リョウには、そうした才能があります。懐かしかったよ、と結ばさせていただきます。
(山本藤光:2012.12.18初稿、2018.02.23改稿)

芦原すなお『青春デンデケデケデケ』(河出文庫)

2018-02-22 | 書評「あ」の国内著者
芦原すなお『青春デンデケデケデケ』(河出文庫)

1965年の春休み、ラジオから流れるベンチャーズのギターがぼくを変えた。「やーっぱりロックでなけらいかん」―。四国の田舎町の高校生たちがくりひろげる抱腹絶倒、元気印の、ロックと友情と恋の物語。青春バンド小説決定版。直木賞、文芸賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

◎村上春樹が刺激に

本を閉じてもまだ「デケデケデケ」と、ギターの低音が鳴り響いています。芦原すなお『青春デンデケデケデケ』(河出文庫)は、青春小説の一級品です。

芦原すなおのデビュー作は『スサノオ自伝』(集英社文庫、初出1986年)です。この作品は原稿用紙900枚の長編で、私は重い単行本で読みました。スサノオノミコトが黄泉の国から、自伝を書いている仕掛けの作品でした。とにかく長くて辟易しながら、読み切りました。すごいパワフルな新人が出て来たな、というのが初対面の印象です。

それから5年後の1991年、書店で「文藝賞受賞」の帯がついた『青春デンデケデケデケ』を発見しました。読んでみて驚きました。『スサノオ自伝』のときの理屈っぽさが消えており、軽快な明るいリズムの作品でした。『青春デンデケデケデケ』は翌年に、直木賞も受賞することになります。

芦原すなおは1949年生まれで、早大では村上春樹と同じクラスでした。村上春樹が『風の歌を聴け』(講談社文庫)で、「群像新人賞」を受賞したことが、芦原すなおには大きなインパクトをあたえました。

実は『青春デンデケデケデケ』は、800枚の長編でした。村上春樹から刺激を受けて、文藝新人賞に応募しようとしましたが、規定では400枚以内となっています。芦原すなおは書き上げた原稿を半分にしました。のちに800枚の元原稿は、『私家版青春デンデケデケデケ』(角川文庫)として出版されます。読んでみましたが、間延びしたデーンデケという音が聞こえてきました。

◎800枚を半分にした作品

『私家版・青春デンデケデケデケ』(作品社1995年)の「あとがき」に、著者自身は次のように書いています。
 
――文藝賞の応募条件の一つが「四百枚以内」ということで、ぼくは書き上げたものを半分に縮める作業にかかりました。これに要したのが半年。せっかく書いたものをカットするのは実につらいものですが、ぼくはなんとか規定の分量に縮めました。

作品の舞台は、1960年代後半の讃岐の港町です。主人公の高校生は、バンドを作るためにアルバイトをして楽器を買います。猛練習をし、文化祭でコンサートを開き、やがて別れの時を迎えます。芦原すなおは、この2つのみを残して文藝賞に応募しました。

『青春デンデケデケデケ』は、単純なストーリーになりました。南国讃岐の方言が随所に盛りこまれていますが、難解なロック用語とともに読者向けの解説がつけられています。

全編にあふれるユーモアと、タイトル通りの懐かしいエレキギターの、デンデケという響き。この作品を読みながら、団塊世代なら自分の青春を思い起こしてしまうことでしょう。何かに夢中になった時代。友がいて、淡い恋心があって、深夜放送があって、そして何よりも若さがあった時代。
 
――デンデケデケデケ……!/ぼくはつむじから爪先に電気が走るのを感じてはっと目覚めた。「電気が走る」といっても別に覚醒剤とは何の関係もない。電気ギターのトレモロ・グリッサンド奏法がぼくに与えた衝撃のことを言っているのだ。机の上の棚に置いたラジオからベンチャーズの〈パイプライン〉が流れていた。心臓がそのペースに合わせて、ドッ、ドッ、ドッと高鳴っている。なぜだか股座がふぐふぐする。それはかって全く味わったことのない強烈な感覚であった。(本文より)

芦原すなおが断腸の思いで切り刻んだ青春小説には、懐かしいもののすべてが凝縮されていました。2つの『青春デンデケデケデケ』を読んでみて、作品をスリムにすることの大切さを痛感させられました。

私家版の方だけだったら、今日の芦原すなおはいなかったことでしょう。村上春樹の存在と文藝賞の400枚が、今日の芦原すなおを作ったのです。しかし直木賞受賞後の芦原すなおは、なかなかヒット作にめぐまれません。出るたびに読んでみるのですが、『青春デンデケデケデケ』をしのぐ作品には出逢えません。
ずっしりと重い作品を待っています。
(山本藤光:1996.10.13初稿、2018.02.22改稿)

秋山利輝『丁稚のすすめ』(幻冬舎)

2018-02-22 | 書評「あ」の国内著者
秋山利輝『丁稚のすすめ』(幻冬舎)

女も坊主。起床は5時前。携帯・恋愛もちろん禁止。仕事で迷い、悩んでいるなら、かつて日本人が実践してきた、苦しくも実りある、この働き方に学んでみよう。(「BOOK」データベースより)

◎「徒弟制度」を頑固に実践

本書のことも著者のことも、まったく知りませんでした。友人からメールをもらいました。「あなたの主義主張と同じことが書いてあった」と知らせてくれていました。いまでは死語になってしまった「徒弟制度」を、頑固に実践しているのが秋山木工である、とメールにありました。

最初に著者のプロフィールにふれておきます。
――秋山利輝:1944年、奈良県生まれ。有限会社秋山木工代表取締役。中学卒業とともに、家具職人への道を歩みはじめ、1971年に秋山木工を設立。秋山木工の特注家具は、迎賓館や国会議事堂、宮内庁、有名ホテルなどで使われている。スパルタ教育で職人を育てる独特の研修制度でも注目を集めており、テレビや雑誌の取材も多い。(『丁稚のすすめ』の「著者紹介」より) 

秋山木工が脚光をあびているのは、だれもができないことをやっているからです。厳格な面接試験をおこない、入社した社員は4年間丁稚奉公をしなければなりません。男も女も頭を丸め、寮生活に入ります。給料はほんのわずかです。彼らは先輩に教えられながら、ノミやカンナを磨く以前に、まず「人間性」を磨くことになります。
 
秋山木工には、「職人心得28箇条」なる教えがあります。丁稚たちはそれを暗記しなければなりません。いまどきの考えでは、時代錯誤と片づけられそうに思います。それを愚直にも継続しているのです。それが秋山利輝の哲学なのですから。「職人心得28箇条」には、目新しいものはありません。
 
1.あいさつのできた人から現場に行かせてもらえます。
2.連絡・報告・相談のできる人から現場に行かせてもらえます。

こんな文章からはじまり、「28.レポートがわかりやすい人から現場に行かせてもらいます」で結ばれています。これらを毎朝全員で唱和し、気を引き締めているのです。
 
丁稚期間中は、恋愛をしてはいけません。親元に帰るのは盆と正月だけです。「職人心得28箇条」以外にも、さまざまな不文律が存在しています。
 
こんなこと、まねができないよな。そんな気持ちで本書を読みました。全部を模倣することは難しいのですが、「こころ」を取り入れることは可能です。そのあたりについて、私の気づきをまとめてみたいと思います。

◎すべてを真似ることはできないが

「丁稚には毎日レポートを書かせる」
きまった書式があるわけではありません。スケッチブックをあてがっています。丁稚たちは自由な思いを書き連ねます。大工道具の写真を張る。イラストを書き込む。なんでもありです。本日気がついたこと、明日への糧になりそうなことなどを、丁稚たちは思い思いに書いています。
 
私が主張している営業担当者の、「1日の思い描きと振り返り」ステップとまったく同じです。本日の最大の成果を思い描く。失敗をおそれずに挑戦する。新しい何かを発見する。それらを明日につなげる。
 
これらのことを、秋山木工では毎晩レポートにさせています。それを先輩が読み、社長も読んで、コメントを記入します。ただ提出しているだけの役にも立たない日報とは、価値観が違います。
 
フリースタイルのレポートには、定型書式と違い管理の臭いがありません。ただ漫然と書かれている日報と異なり、書いたことが自分自身に跳ね返ってきます。これが魅力的です。
 
「腕を磨く以前に人間性を高める」
まったく同感です。企業の新人研修で欠けているのが、この「人間性」を高めるプログラムです。知識を教える。大切なことです。社会人としてのマナーを教える。これも大切なことです。
 
秋山木工で最初に教えるのは、感謝の気持ちです。親に感謝し、恩師に感謝する。その気持ちがやがて、先輩に感謝し、会社に感謝し、顧客に感謝するように、ステップアップすることになります。
 
私の研修プログラムに、「日常を磨く」という項目があります。限られた時間のなかで、このプログラムはもったいない。もっと受講者にノーハウを教えてほしい、という意見も提起されることもあります。そんなとき、私は必死で説得にあたります。まず「人間力」という背骨を鍛えなければなりません。
 
ほとんどの企業のトップは、私の主張を理解してくれます。「焦りすぎだよね」と自戒する幹部もいました。秋山木工は4年間をかけて、丁稚の人間力を磨きつづけます。ウサギとカメの競争ではありませんが、私はこの期間の価値をだれよりも信じています。
 
本書を読んで、ほかにも考えさせられることはたくさんありました。「人を育てる」ことの原点を、ここまで実践している人がいる。秋山木工をそのままあなたの会社に持ちこめないけれど、精神から学ぶべき点は多いと思います。ぜひ読んでみてください。 
(山本藤光:2010.07.07初稿、2018.02.22改稿)

あさのあつこ『バッテリー』(全6巻、角川文庫)

2018-02-20 | 書評「あ」の国内著者
あさのあつこ『バッテリー』(全6巻、角川文庫)

「そうだ、本気になれよ。本気で向かってこい。―関係ないこと全部捨てて、おれの球だけを見ろよ」中学入学を目前に控えた春休み、岡山県境の地方都市、新田に引っ越してきた原田巧。天才ピッチャーとしての才能に絶大な自信を持ち、それゆえ時に冷酷なまでに他者を切り捨てる巧の前に、同級生の永倉豪が現れ、彼とバッテリーを組むことを熱望する。巧に対し、豪はミットを構え本気の野球を申し出るが―。『これは本当に児童書なのか!?』ジャンルを越え、大人も子どもも夢中にさせたあの話題作が、ついに待望の文庫化。(「BOOK」データベースより)

◎圧倒されました

『バッテリー』(角川文庫)は全6巻で、当初は児童書(1996年12月、教育劇画)として発売されました。それが7年後に文庫化され、4年がかりで完結となったのです。

『バッテリー』は「本の雑誌」の推薦もあり、静かな話題となりました。児童書の範ちゅうを超えた重厚な作品にふれ、私自身第1巻で圧倒されました。それからは文庫シリーズが完結するのを待ちきれず、児童書を買い求めたくらいです。

主人公は野球少年。それも完璧を目指す、孤高のピッチャー。原田巧(たくみ)は中学校入学前に、母親の故郷・新田市へ転居します。体の弱い弟・青波(せいは)(小学4年生)の療養が目的でした。母方の祖父・井岡洋三は、元高校野球の名監督です。

投手として自信満々だった原田巧は、そこで最良の相棒・キャチャーの永倉豪と出会います。永倉豪は立派な体格をしており、巧と同じ6年生でした。豪は親しげに巧に近づこうとしますが、拒絶されてしまいます。

野球をやってみたいとせがむ弟・青波。巧から野球を奪おうとする母親。野球の理論を説き聞かせる祖父。原田巧はそれらの家族にたいしても、かたくなに心を閉ざしつづけます。

第2巻からは、中学校へ入学した原田巧が描かれています。野球部の顧問への反発、先輩たちとの対立。永倉豪との確執。あさのあつこは、剛速球投手・原田巧を、執拗に孤立させます。

この作品は、友情物語でもスポーツ根性物語でもありません。巧という幼い少年が、家族、チームメート、大人と真剣に向き合う人生ドラマなのです。

原田巧は、チームプレーなどは信じていません。仲間との協調などは、考えたことがありません。信じられるのは自分の剛速球だけです。
 
――巧は、手の中のボールを握り直した。このボールを誰よりも速く投げること。向かってくる相手よりも強くなること。野球ってそういう単純なものじゃないか。(第1巻より)

一方永倉豪はそんな巧を、受け入れようと努力します。何度も対立しながら、剛速球とともに頑なな巧を理解しようとするのです。少年バッテリーは、少しずつ固い絆で結ばれはじめます。

いつの間にか読者は、永倉豪の立場になっています。マウンド上には、孤高のピッチャーが立っています。「さあ、こい」。読者は一様にミットをかまえます。傑作です。
(山本藤光:ここまでは2005.01.21執筆)


有川浩『阪急電車』(幻冬舎文庫)

2018-02-15 | 書評「あ」の国内著者
有川浩『阪急電車』(幻冬舎文庫)

隣に座った女性は、よく行く図書館で見かけるあの人だった…。片道わずか15分のローカル線で起きる小さな奇跡の数々。乗り合わせただけの乗客の人生が少しずつ交差し、やがて希望の物語が紡がれる。恋の始まり、別れの兆し、途中下車―人数分のドラマを乗せた電車はどこまでもは続かない線路を走っていく。ほっこり胸キュンの傑作長篇小説。(「BOOK」データベースより)

◎ライトノベルと児童文学作家の進出

児玉清『あの作家に会いたい』(PHP研究所)のなかに、有川浩との対談が掲載されています。「小説って本当に愉しいですね」という、児玉清のセリフが聞こえてくる名著だと思います。そのなかで有川浩は、デビューまでのいきさつをくわしく語っています。まとめてみることにします。

有川浩には、明確に書きたいジャンルがありました。ライトノベルです。ライトノベルは「読んで楽しむだけに存在している本」と有川浩は語っています。それも「カッコイイ大人が登場するものを書きたかった」のですが、懸賞小説では最終選考落ちをくりかえしていました。

一時は作家への道をあきらめて就職し、その後結婚します。それでも書くことが好きで、時間があるとせっせと書きつらねていました。最初に生まれた作品が『塩の街』でした。この作品は「電撃小説大賞」に輝きます。

書きたいから書く。書きたいジャンルは明確に存在する。有川浩は、デビューまでの足跡をたんたんと語っています。『塩の街』はやがて角川文庫となり、「自衛隊3部作」(『塩の街』『空の中』『海の底』いずれも角川文庫)として、多くの読者に受けいれられます。

 有川浩がブレイクしたのは、『図書館戦争』(角川文庫)からでした。この作品は、「本の雑誌」で推薦されていました。「自衛隊3部作」にすこし物足りなさを感じていましたので、半信半疑で読んでみました。『図書館戦争』には「自衛隊3部作」とは異質な、女性らしいこまやかな描写がありました。ラブコメディの世界なのですが、設定のユニークさが気に入りました。
 
『図書館戦争』はその後、『図書館内乱』『図書館危機』『図書館革命』と書き連ねられ、『別冊・図書館戦争1・2』(いずれも角川文庫)までにおよんだシリーズとなりました。「図書館戦争」シリーズにかんする有川浩のユニークな言葉を紹介します。

――自分でやりたいと思っていることが、どうすれば楽しんでもらえるだろう、ということを考えながら走ってきたのが「図書館戦争」でした。作品が目の前で動き走りぬけていくライブ感に、読者さんにも一緒につきあってもらった感じがします(有川浩インタビュー。『ノベルアクト2』角川書店より)

近年、ライトノベルや児童書出身の作家の活躍が目立ちます。『ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワークス文庫)でブレイクした三上延は、「電撃小説大賞」の受賞を逃した作家です。『ALL YOU NEED IS KILL』(集英社スーパーダッシュ文庫)で注目の桜坂洋もライトノベル作家のひとりです。『大久保町の決闘』(電撃文庫)の田中哲弥も健在です。

児童書畑から躍りでてきた、作家の代表格は上橋菜穂子でしょう。「守り人シリーズ」や「獣の奏者シリーズ」(講談社文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)は根強い人気をほこっています。2014年には国際アンデルセン賞を受賞し、上橋菜穂子はいまや世界的な作家となりました。

ほかにも最近は石井桃子(推薦作『ノンちゃん雲に乗る』(角川文庫)や角野栄子(推薦作『魔女の宅急便』(全6巻、角川文庫)にもスポットがあたっています。あさのあつこの『バッテリー』(全6巻、角川文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)は記憶に新しいところです。さらに、佐藤多佳子(新潮文庫)、梨木香歩(新潮文庫)、森絵都(文春文庫)などの顔ぶれがならびます。

有川浩は、佐藤さとる『コロポックル物語』シリーズ(全6巻、講談社文庫)を、『コロボックル絵物語』(講談社)として新たに刊行したばかりです。すばらしい仕上がりの本で、友人のプレゼントして利用させてもらっています。

◎『阪急電車』への乗車をお薦め

『阪急電車』(幻冬舎文庫)は、阪急宝塚駅から西宮北口駅までの、往復のものがたりです。私は乗車したことがありません。それでもなんとなく懐かしく感じてしまいました。そこが有川浩の力量なのでしょう。

電車や汽車が登場する小説は、数多くあります。西村京太郎なら、電車を走る密室にしてしまいます。『電車男』なら電車は、メール操作の場なのでしょう。川端康成の『雪国』にも印象的な場面があります。浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』は、鉄道小説の代表格です。
 
そしてこのたび、有川浩『阪急電車』をそのなかの1冊に加えることになりました。彼氏を寝取られた婚約者が、彼氏の結婚式に純白のドレスで参加したのち、引き出物をもって乗りこんできます。図書館で顔見知りだった男女が、はじめて言葉を交わします。祖母と孫。他人を無視して、大騒ぎしているおばさん集団。電車のなかは、人生のるつぼなのです。
 
何気ない女子高生の会話が聞こえます。痴話げんかをしている男女に遭遇します。無遠慮に第三者が、土足で踏みこんでくるのも電車の世界です。
 
有川浩はそうした世界を、阪急電車の沿線とともに描き出します。それぞれのエピソードは、たわいのないものばかりです。それをぐいぐい読ませてしまうのですから、有川浩は並みのエンターテイメント作家ではありません。
 
だれもが遭遇しているだろう、電車のなかのささいなできごと。それを有川浩は、ちょっぴりセンチメンタルで、ちょっぴり笑ってしまう、ものがたりに仕上げてしまいました。阪急電車を知らない人も(私もそうですが)、きっと存分に楽しんでいただけると思います。

私は2つのシリーズの谷間に咲いた花として、『阪急電車』に高い評価点をつけています。『三匹のおっさん』(文春文庫)も『空飛ぶ広報室』(幻冬舎)も楽しく読ませてもらいました。さてライトノベルで産声をあげた有川浩は、この先どこへ向かうのでしょうか。楽しみでもあり、ちょっとだけ心配しています。どんな作家でも、いつかは重厚な作品を書いてみたくなるものなので。
 
発車のベルが鳴っています。駆けこみ乗車はいけません。じっくりと店頭で品定めしてから、できれば電車のなかで読んでもらいたいと思います。あなたが何気なくみていた電車内の景色が、きっと一変してしまうことでしょう。そしてあなたの実体験を、新たな1ページとしてくわえてください。

有川浩の作品は、ゲーム感覚に満ちあふれています。作品の構成を、著者自身が楽しんでいるからです。登場人物のキャラクターも、イメージ化しやすい人ばかりです。有川浩は、ゲーム好きの原点をけっして失っていません。本人が楽しみながら書いている作品を、読者が追いかける。さて今度はどんなものがたりをつむぎだすのか、待ち遠しいほどです。
(山本藤光:2010.10.09初稿、2018.02.15改稿) 
 

赤瀬川原平『新解さんの謎』(文春文庫)

2018-02-13 | 書評「あ」の国内著者
赤瀬川原平『新解さんの謎』(文春文庫)

辞書の中から立ち現われた謎の男。魚が好きで苦労人、女に厳しく、金はない―。「新解さん」とは、はたして何者か?三省堂「新明解国語辞典」の不思議な世界に踏み込んで、抱腹絶倒。でもちょっと真面目な言葉のジャングル探検記。紙をめぐる高邁深遠かつ不要不急の考察「紙がみの消息」を併録。(「BOOK」データベースより)

◎追悼・笑わせてくれた赤瀬川原平氏

 赤瀬川原平氏が亡くなりました。77歳でした。したがって尾辻克彦も、世を去ってしまったことになります。尾辻克彦名義で発表している『父が消えた』(河出文庫)は、「日本近代文学125+α」で紹介する予定です。

今回はあわてて、赤瀬川原平『新解さんの謎』(文春文庫)を、とりあげることにしました。じつは夏石鈴子『新解さんリターンズ』(角川文庫)が、未読のままなのです。それを読み終わってから、夏石鈴子『新解さんの読み方』(角川文庫)とあわせて書きあげようと思っていました。急いで読みました。少し雑な読み方になったかもしれません。

「新解さん」は、いまでは有名な三省堂『新明解国語辞典』(現在第7版)のことです。私はマネージャ研修で、かならずこの辞書は購入するように、と薦めています。もちろんそのユニークさを説明したうえでのことです。『新明解国語辞典』については、あっちこっちから絶賛の声があがっていました。
それを単行本の形で最初に発信したのが、赤瀬川原平『新解さんの謎』(文藝春秋、初出1996年)でした。夏石鈴子『新解さんの読み方』は、それから2年ほど遅れて出版されています。このあたりのことについては、のちほど披露させていただきます。

本名・赤瀬川克彦は、前衛美術家(赤瀬川原平)と純文学作家(尾辻克彦)という、2つの顔をもつマルチ人間でした。赤瀬川原平名義では、『ぱくぱく辞典』(中公文庫)や『全日本貧乏物語』(福武文庫、赤瀬川原平選、日本ペンクラブ編)などで笑わせてもらっていました。
また尾辻克彦名義では、初小説『肌ざわり』(中央公論社、中央公論新人賞)『父が消えた』(河出文庫、芥川賞)と順調に文壇を進んでいました。本書の文庫解説は、「新解さん」コンビの夏石鈴子が担当しています。

私はずっと『広辞苑』の愛用者でした。細かな活字が見えにくくなったため、電子辞書も買い求めました。いまでも書棚には第5版と第6版がならんでいます。ところが『新明解国語辞典』の魅力にはまってからは、ほとんど手にしなくなりました。マネージャ研修では、つぎの単語を紹介しています。

【動物園】
広辞苑(第6版):各種の動物を集め飼育し、一般の観覧に供する施設。
新解国語辞典(第6版):生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする、人間中心の施設。
【恋愛】
広辞苑(第6版):男女間の恋い慕う愛情。
新解国語辞典(第6版):特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。

 これまでに1000人ほどの受講者に「新解国語辞典を知っていますか?」と質問しています。手をあげたのは、わずかに4人でした。いっぽう『広辞苑』はほぼ100パーセントの認知度でした。残念なことに好みの電子辞書には、『新解国語辞典』ははいっていません。1日も早く入れてもらいたいものです。

◎夏石鈴子の企画
 
 赤瀬川原平は当然のことながら、『新解さんの謎』の冒頭部分で「恋愛」をとりあげています。ただし私が引用したものと、少しだけ異なります。赤瀬川原平は、第4版から引用しています。私(赤瀬川原平)と友人の娘(SMというイニシャルです)さんとのやりとりです。笑ってしましました。

(引用はじめP14)
私は変な気がした。読書のような気持になった。辞書なのに。
「何これ、いま見てるけど」
「凄いんですよ。凄いと思いません?」
「いや、たしかにこの通りだよ。この通りだけど、ちょっとこの通りすぎるね」
「そうなんです。その感じなんです。こんな辞書ってほかにあります?」
「うん、合体ね。恋愛の説明に合体まで出るか」
「凄いんです」
「しかも、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、この〈出来るなら〉というのが……」
「そうなんです。真に迫るんです」
「出来るなら、ねえ。辞書ってここまで書くのかな」
「いえ、この辞書が特別なんです」
(引用おわり)

『新解国語辞典』の変遷については、本書のなかで詳しく書かれています。ここではなぜ、赤瀬川原平が本書を書いたのかにふれてみたいと思います。

赤瀬川原平に『新解さんの謎』を書かせたのは、当時文藝春秋に勤務していた、夏石鈴子でした。彼女の企画で本書は、世にでたのです。夏石鈴子は『バイブを買いに』(角川文庫)などで、笑わせてくれる著作を連発している注目の作家です(私だけかもしれませんが)。

『新解国語辞典』が第4版から第5版になってから、『新解さんの謎』の続編の話がでます。しかし赤瀬川原平は多忙で対応できず、白羽の矢がたったのが夏石鈴子だったわけです。「それなら、あんたが続編を書けばいい」といったノリだったようです。詳しくは夏石鈴子『新解さんの読み方』(角川文庫)をお読みください。

ちなみに私が引用した第6版以前の「恋愛」について、夏石鈴子が『新解さんリターンズ』(角川文庫)で紹介してくれています。

(引用はじめP16)
れんあい【恋愛】
初版・2版:一組の男女が相互に相手にひかれ、ほかの異性をさしおいて最高の存在としてとらえ、毎日会わないではいられなくなること。
3版・4版:特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、つねにはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。

 第6版については、前記引用をごらんください。『新解国語辞典』は第7版がでたようです。まだ買い求めていませんが、「恋愛のところは後退だよ」と、友人がメールを送ってくれました。

7版:特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

 赤瀬川原平が生きていたら、「合体」復活の声をあげていることでしょう。女性の論客の声を紹介して、辞書を閉じさせていただきます。

――恋愛、性交、女といった、いかにもの語句説明がふるっているだけではない。この辞書の白眉は、なにげない語句につけられ用例だ。<すなわち>の用例は、「玄関わきで草をむしっていたのが、すなわち西郷隆盛であった」。<なまじ>は、「なまじ女の子が柔道など習ってもしょうがない」。すかさず田村亮子選手の写真などを挿入してこまめに揚げ足をとる本書も本書だが、たかが<すなわち>や<なまじ>の用例が、なんでこんなにオモシロイわけ?(斎藤美奈子『本の本』ちくま文庫P261)

――新解さんの人間像(?)に、実に絶妙なスタンスで迫っていく赤瀬川氏とSM嬢(註:友人の娘のイニシャル)掛け合いがまた楽しい。観察と事物解釈と面白がりの天才・赤瀬川原平、面目躍如の一冊。この本を愉しめない人はちょっとどうかと思う。それほどまでに愉快な本だ。読もう!(豊﨑由美『そんなに読んでどうするの?』アスベクト)

 赤瀬川純平氏の冥福を祈りつつ、辞書を閉じます。
(山本藤光:2014.11.01初稿、2018.02.13改稿)


有島武郎『生れ出づる悩み』(新潮文庫)

2018-02-12 | 書評「あ」の国内著者
有島武郎『生れ出づる悩み』(新潮文庫)

病死した最愛の妻が残した小さき子らに、歴史の未来をたくそうとする慈愛に満ちた「小さき者へ」に「生れ出づる悩み」を併録する。(新潮社文庫案内)

◎絵を抱えた少年の訪問

有島武郎の代表作『或る女』(新潮文庫)をさしおいて、しかも2作品併載のうちB版にあたる「生れ出づる悩み」を選んだ独善性をご容赦いただきたいと思います。

理由は単純です。舞台である岩内には、仕事で何度も行ったことがあるからです。あの寂しい漁港に主人公をおいたら、こんな切ない物語になるのだな、とえらく感動させられました。
岩内は小樽からさらに、車で1時間ほど北寄りにあります。私が製薬会社の営業マン(MR)だったころ、岩内は担当地区でした。
 
1ヵ月に1度、病医院を訪問するのですが、いつも患者さんはまばらでした。そのころ何度も、薬局長と『生れ出づる悩み』の話をしたことがあります。こんな話です。

・有島武郎は、ニセコに農場を所有していました。いまでも有島町という町名は残っています。
・『生れ出づる悩み』の画家志望の男には、実際のモデルがいます。名前は木田金次郎といいいます。(作品のなかでは、木本という名前になっています)
・木田金次郎は、実際に有島農場を訪ねています。
・木田金次郎の絵は、昭和29年の岩内町大火で消失してしまいました。
・ニセコ町の駅舎跡が、木田金次郎美術館になっています。
・薬剤師のK(作中「君」の唯一の友人)が調剤していた店は実在していません。

岩内は積丹半島の西のつけ根にあります。町並みがきれいなのは、大火のせいだということは知っていました。奇岩が連なる光景は、いまでも鮮明に覚えています。
 
『生れ出づる悩み』の主人公は、「君」と書かれています。語り手は「私」で、教鞭をとりながら執筆活動をしています。ある日、16、7歳ほどの少年が訪ねてきます。片手に抱えきれないほどの水彩画や油絵をもち、少年は「見てもらいたい」といいます。

――私は一眼見て驚かずにはいられなかった。少しの修練も経ていないし幼稚な技巧ではあったけれども、その中には不思議に力が籠もっていてそれが直ぐ私を襲ったからだ。私は画面から眼を放してもう一度君を見直さないではいられなくなった。で、そうした。その時、君は不安らしいその癖意地張りな眼付きをして、やはり私を見続けていた。(本文P28より)

この場面から10年後、生臭い小包が届きます。開けてみると、手作りのスケッチ帳が3冊入っていました。いずれも鉛筆で、山と樹木ばかりが描かれていました。強い衝撃を覚えた「私」は、「君」に会うために札幌へと向かいます。

◎『蟹工船』を連想してしまった
 
札幌で「私」は、10年ぶりに「君」と会います。少年は頑健な若者に成長していました。2人はさまざまな日常を話し合いました。「私」は彼が漁師として生活を支えていること。漁獲量が減って、生活が困窮していること。芸術への欲望は尽きていないことなどを知ります。
 
若者は岩内に戻り、「私」は東京へ帰ってきました。それからも「私」は、「君」のことをときどき思い出しています。荒海に船をだして必死に魚を獲る「君」の幻想を、「私」はひょっこりと思い出すのです。有島武郎は荒れ狂う海を、リアリスティックに表現します。
 
有島武郎は、「白樺派」に属する作家のはずです。ところが、文章は志賀直哉(推薦作『暗夜行路』新潮文庫)や武者小路実篤(推薦作『友情』新潮文庫)とはまったくちがいます。思考は抽象的ですし、描写は観念的です。『生れ出づる悩み』を読みながら、小樽出身の小林多喜二を連想してしまいました。白樺派特有の平坦な、丸みのある文章ではなかったからです。
 
荒れた北の海を描くのですから、少しは荒っぽくなるだろうと考えました。角のあるリアリスティックな文体の意外性に、私は完全に魅了されてしまいました。有島武郎は、私の大好きな文体を具現化してくれています。
 
有島武郎の処女作は、1906年に書かれた「かんかん虫」です。1910年に「白樺」に掲載されていますが、文庫化されていません。唯一読むことができるのは、「青空文庫」です。私はダウンロードさせてもらって読みました。物語の要約を紹介します。

――船舶の錆落しという下級労働者たちの上役にたいする反逆を主題としながら、彼らの仲間意識がしるされているので、合棒または相棒と題するにふさわしい内容をもっている。(「新潮日本文学全集9・有島武郎集」新潮社、しおり「瀬沼茂樹・東西を踏まえて」より)

この作品は1955年に「日本プロレタリア文学大系」に収載されています。小林多喜二『蟹工船』の発表が1929年ですから、有島武郎の「かんかん虫」や『生れ出づる悩み』に刺激を受けていたのかもしれません。
(山本藤光:2010.01.12初稿、2018.02.12改稿)


阿刀田高『楽しい古事記』(角川文庫)

2018-02-12 | 書評「あ」の国内著者
阿刀田高『楽しい古事記』(角川文庫)

イザナギ・イザナミの国造り、アマテラスの岩戸隠れ、八俣の大蛇。伝説の主役たちが、嫉妬に狂い、わがままを言い、ご機嫌をとる―。神々と歴代の天皇が織りなす武勇伝や色恋の数々は、壮大にして奇抜、そして破天荒。古代、日本の神さまはとっても人間的だった!「殺して」「歌って」「まぐわって」。物語と歴史が渾然一体となっていた時代、その痕跡をたどり旅した小説家・阿刀田高が目にしたものは!?古事記の伝承の表と裏をやさしく読み解いた一冊。(「BOOK」データベースより)

◎『古事記』は、日本最古の史書

『古事記』は、日本最古の史書です。奈良時代に「壬申(じんしん)の乱」(672年)があり、当時の天智天皇の弟・大海人(おおあま)皇子と、天皇の長男・大友皇子が政権争いをしました。勝利をおさめた大海人皇子が即位して、天武(てんむ)天皇となりました。

 日本最古の史書『古事記』は、この天武天皇の指示により生まれた著書です。そのあたりのいきさつについては、長尾剛『早分かり日本文学史』(日本実業出版社)の解説を引きます。

――天武天皇としては、その政治活動において、天皇家が持つ「日本の支配者としての地位」の正当性を、内外に強くアピールする必要があった。そのためには、天皇家の歴史を中心に日本という国が成り立ってきた過程を、記録して示すこと。そうした〈文化事業〉が有効だったのだ。(本文P16より)

 それを命ぜられたのが、学校でならったことのある稗田阿礼(ひえだのあれ)でした。いまタイプをしながら驚いたことがあります。「ひえだのあれ」は、一発変換できました。そして稗田阿礼の記憶を書き記したのが、太安万侶(おおのやすまろ)という人です。これも一発変換できました。
 
『古事記』は、第1部:神代篇、第2部:人代篇(上)、第3部:人代篇(下)の3部構成になっています。第1部は天地創造と神話の世界、第2部は神武天皇(初代)から応神天皇(第15代)まで、第3部は仁徳天皇(第16代)から推古天皇(第33代)までのエピソードをまとめたものです。
 
 本格的に口語体の『古事記』を読みたい方には、三浦佑之『口語訳・古事記』(人代篇および神代篇の2巻、文春文庫)を薦めたいと思います。最近、待望の文庫化が実現されました。

『古事記』って、とっつきにくいよなと思っている方は、まず阿刀田高『楽しい古事記』(角川文庫)を読んでいただきたいと思います。その後、福永武彦訳『現代語訳・古事記』(河出文庫)で完結するのが理想的なステップだと思っています。福永武彦には『現代語訳・日本書紀』(河出文庫)という著作もあります。『草の花』(新潮文庫。500+α推薦作)や『死の島』(上下巻、講談社文芸文庫)などの小説以外にも、古典の口語訳というすぐれた業績を残しています。

福永版『古事記』を読んでまだ余裕があれば、三浦佑之訳『口語訳・古事記』で一丁あがりとなります。
 
◎「殺して」「歌って」「まぐわって」

 阿刀田高『楽しい古事記』は、古事記へと誘ってくれる「はとバス」に乗るイメージの著作です。のちほど引用文を紹介しますが、読んでいて実に楽しい。阿刀田高流にいうなら、『古事記』は「殺して」「歌って」「まぐわって」という話になります。
 
 物語と歴史の境は、分厚い霧に覆われています。霧のかなたを指差して「本日は霧のために残念ですが、あのあたりに中島があります」などと、摩周湖でのバスガイドばりに伝承の裏と表を解説してくれています。本書は角川文庫の棚にないことが多々あります。角川文庫は最近ソフィア文庫が好調で、既存の文庫スペースが狭まっています。そんな逆境のなかで、ぜひ見つけだしてもらいたいと思います。

 吉野敬介というカリスマ古文講師がいます。よくテレビにでている人です。著作に『学校では教えない古典』(東京書籍)があります。そのなかに古事記の「第1部・大国主神」の解説が掲載されています。原書の口語訳につづく「吉野のツッコミ」というコラムを楽しませてもらっています。引用しておきます。
 
――スサノヲの家の門の前で二人は、互いに一目惚れした。そしてそのまま男女の契りを交わし、結婚してしまった(早いよ!)
(本文P37より引用)
 
 この部分は阿刀田高『楽しい古事記』でも、しっかりと取り上げています。私はこの原稿を書くにあたり、4冊の『古事記』を読みくらべてみました。大学時代に『古事記』を知っていれば、安部公房ではなく間違いなく卒論のテーマにしたと思います。それほど『古事記』に、はまってしまいました。
 
 ヘタなエロ文学を読むのなら、『古事記』の方がずっと重量感があります。古代、日本の神々は淫乱であり破天荒だったのでしょうか。

◎相性のよい『古事記』を選ぶ
 
 私の書棚には、改稿中に5冊目の『古事記』が追加されました。河出書房新社から創刊された『河出日本文学全集1・古事記』(池澤夏樹訳)です。まだ読んでいませんが、期待しています。大学時代に国文学を専攻した者としては、『新潮日本古典集成・古事記』くらいもっていなければなりません。しかしその巻は、ぽっかりと空いています。後輩が持ち出したのか、売ってしまったのか、買わなかったのか、定かではありません。とりあえず既存の『古事記』で、だれもが知っている一節を比較してみましょう。あなた好みの文章を一つ選んでみてください。

――イザナキは、その妹(いも)イザナミにお尋ねになったのじゃった。
「お前の体はいかにできているのか」との。
 すると、答えて、
「わたしの体は、成り成りして、成り合わないところがひとところあります」と、イザナミは言うた。
 それを聞いたイザナキは、
「わが身は、成り成りして、成り余っているところがひとところある。そこで、このわが身の成り余っているところを、お前の成り合わないところに刺しふさいで、国土を生み成そうと思う。生むこと、いかに」と問うたのじゃ。
 するとイザナミは、
「それは、とても楽しそう」とお答えになったのじゃった。
(三浦佑之訳『完全版口語訳・古事記』文藝春秋)
 
――イザナギノ命は妻のイザナミノ命に次ぎのように尋ねた。
「おまえの身体は、どのようにできているのか?」
「私の身体は、これでよいと思うほどにできていますが、ただ一ところだけ欠けて充分でないところがございます。」
 こう女神は答えた。イザナギノ命がそれを聞いて言うには、
「私の身体も、これでよいと思うほどにできているが、ただ一ところ余分と思われるところがある。そこでどうだろう、私の身体の余分と思われるところを、お前の身体の欠けているところにさし入れて、国を生もうと思うのだが。」
「それは、よろしゅうございましょう。
 こうイザナミノ命も同意した。
(福永武彦訳『現代語訳・古事記』河出文庫)
 
――イザナキの命は、その妻にあたるイザナミの命におたずねになりました。
「あなたの体は、どのようになっているの?」
 おたずねをうけて、イザナミの命はお答えになります。
「私の体は、たしかにちゃんとできあがっているはずなのですが、でも一か所だけ、穴のようになって未完成になっているところがあります。」
 その言葉に、イザナキの命も、うなずかれるところがおありだったのでしょう。イザナキの命は、こうおおせになりました。
「わたしの体は、反対に、一か所だけよぶんにみえるようなところがある。だから――。どうだろう? わたしの体のこのよぶんなところで、あなたの体にある未完成な部分をふさいでしまったら? そして、ふたりで国土を生み出そうと思うのだが、あなたはそれをどう思う?」
 そしてイザナミの命は、「それがよろしいでしょう。」とおっしゃったのです。
(橋本治訳『古事記・21世紀版少年少女古典文学館(1)』講談社)
 
――二人はオノゴロ島に降り立って柱を建て、建て終わったところで有名な問答を交しあう。原文に近い形で引用するが、きっと一度くらい小耳に挟んだことがあるだろう。
「汝(なんじ)が身はいかに成れる?」
「吾が身は成り成りて、成り合わぬところ一処あり」
「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎて、国土生みなさむと思ふはいかに?」
「しか善(え)しむ」
と、直截(ちょくせつ)なセックス描写なのだが格調は高い。
(阿刀田高『楽しい古事記』角川文庫)

――イザナキとイザナミはその島に降りたって、まずは天の柱を立て、幅が両手を伸ばした長さの八倍もあるような大きな神殿を建てた。そこでイザナキがイザナミに問うには――
「きみの身体はどんな風に生まれたんだい」と問うた。
イザナミは、
「私の身体はむくむくと生まれたけれど、でも足りないところが残ってしまったの」と答えた。
それを聞いてイザナキが言うには――
「俺の身体もむくむくと生まれて、生まれ過ぎて余ったところが一箇所ある。きみの足りないところに俺の余ったところを差し込んで、国を生むというのはどうだろう」と言うと、イザナミは、「それはよい考えね」と答えた。(池澤夏樹訳『古事記・河出日本文学全集01』より)

 思わずにやにやしてしまいました。難解な書籍を読む場合には、できるだけやさしく書かれているものを選ぶ。これが鉄則です。たとえば『マルクス資本論』を読破しようと思ったら、まず平易な案内本から入る。自慢ではありませんが、私は何度も『マルクス資本論』に挑み、そのつど跳ね返された経験をもっています。「山本藤光500+α」では欠かせない著作なので、私はつぎの順序で読みはじめました。
 
1.まんがで読破『資本論』(イーストプレス)
2.宮沢章夫『「資本論」も読む』(幻冬舎文庫)
3.的場昭弘『超訳「資本論」』(祥伝社新書)

『マルクス資本論』については、さていよいよ本丸だという段階なのです。そういう意味で『古事記』についても、阿刀田高『楽しい古事記』(角川文庫)からはいることをお薦めします。その後は読みやすいものを選ぶ。日本最古の史書は、読書体験からはずさないでいただきたいと思います。
(山本藤光:2013.02.05初稿、2018.02.12改稿)