炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

安心感が災いをもたらしたのでは

2011-06-12 10:09:47 | Weblog
この炉端での話題で「安全性と安心感」のことを取り上げたことがある。安全性は学術的な理論をもとに数値的に与えられた根拠をもとにしており、安心感は各個人の感性によるものとして考えた。元記者の当時の意見を次に再掲する。
「新幹線には安心して乗れるが、アメリカの報道によれば、トヨタ自動車には安心して乗れない。いくら理論的に安全性を証明しようとしても、安心感がなければ駄目なのだ。安全性と安心感とは違うものだ」。

 本日6月12日の産経新聞の第一面に「津波が土台えぐり、倒す」という見出しの記事がある。今回破壊された防波堤とか防潮堤は、過去の津波災害を元に建造されていたという。
朝日新聞の記事によると「総工事費は80年の貨幣価値に換算して約50億円に上る。
 こうして出来上がった防潮堤は、海寄りと内寄りの二重の構造。高さは約10メートル、上辺の幅約3メートル、総延長約2.4キロと、まるで城壁のようだ。岩手県によると、二重に張り巡らされた防潮堤は世界にも類はない。
-中略-
しかし、今回の津波は二つの防潮堤をやすやすと乗り越えた」と書かれている。

今回は、まず大きな地震がきた。しかしながら、このように強健に作られていた防潮堤はこの程度の地震には破壊されなかったであろう。それを見た住民は、津波の警報が発令されたにもかかわらず、防潮堤が津波を防いでくれるという安心感があったために避難しなかった。このことは辛くも生存された方の体験談からわかる。安心感のもとに避難しないことで、この地域の多くの方々が犠牲になったともいえる。
土地の形状から防潮堤が作成できなかった地域の住民は、こぞって避難し、難を逃れたという報道もある。このような地域の住民は津波に対する安心感はなかった。
筆者は、安心感が災いをもたらしたと考えている。

安心感は、個々の持つ感性である。各個人が持っている安心感は、自らの生命を守る手段の一つである。しかし安心感に頼っていては、災いに遭遇する危険性があること、これは今回の災害がもたらした教訓である。
(応)