炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

安全性と安心感

2010-03-16 06:32:04 | Weblog
もと読売新聞の新聞記者であった成島忠昭氏と懇談する機会があった。
トヨタ自動車のアメリカにおける様々な問題に議論が及んだ。私は安全性について数値的な根拠をもとにフェール・セーフの思想を示そうとしたが、成島元記者は数値に興味を示さない。
「新幹線には安心して乗れるが、アメリカの報道によれば、トヨタ自動車には安心して乗れない。いくら理論的に安全性を証明しようとしても、安心感がなければ駄目なのだ。安全性と安心感とは違うものだ」という。元新聞記者の説明で、これは傾聴に値すると論議のほこ先を収めた。
自動車事故が起こっても、これまでは事故にかかわる自動車の製造メーカまでは新聞・テレビでは報道しなかった。しかしこのところアメリカの交通事故報道では、トヨタ自動車に限って、これまでは無視されていたような事故でさえトヨタ自動車名が報道されているようである。アメリカが製造するGMとかフォードの自動車がアメリカでは売れなくなっているから、トヨタ自動車をたたきつぶすいい機会とばかりに報道しているかのように思える。
マスコミ報道の影響は大きい。トヨタ自動車に対する安心感は、不安感に変わる。
いかにトヨタ自動車の信頼性は10のマイナス何乗以下と理論的・実験的に証明しても、不安感がつのれば、消費者は購入しなくなる。

 「安全性と安心感は違う」といい、「人の心理は科学的根拠で変えることは困難」と力説する元記者の論拠、これも変えることは困難であった。
 ひとたび失った安心感を取り戻すのは、信頼性の評価だけではなく、製造業者の誠実感と信用であろう。
トヨタ自動車がアメリカで消費者の安心感をもとに信頼を取り戻すには、これからしばらく時間がかかりそうであるというのが、元記者の成島氏との論議から受けた印象である。
(応)

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1 コメント

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安心感て何? ()
2010-03-18 18:30:43
安心感という情緒的反応で安全性を云々するのは、やはり好ましくないのではないか。個人が勝手に安心そうだとかそうでないとか感じるのは勝手だが、いろいろな情緒的反応性をもった多数の人々の集団を対象にして安全性を論じる場合、やはり科学的根拠に基づいて判断を下すべきではないか。となると確率的数値と言うことになるが、たとえば10のマイナス4乗と言った数値だけをいきなり示すだけでは、日常的にどんな意味があるのか、ぴんと来ないであろう。日常生活で確率的数値がどのようになっているかを、身近な例で日頃から示しておくことが必要だ。メディアもそのように、協力してもらいたいものだ。(かつては、通産省が電子部品の信頼性データをきちんと整備していたが、今ではそのような組織もなくなり、信頼性データも霧散してしまっているのではないか)
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