阿蘇山を眺めて暮らす自由人!

四季の移ろいを肌で感じ、阿蘇で暮らす自由人が見たもの・聞いたこと・感じたこと

ビヴァ→ウルゲンチ→タシケント~市内観光

2018年04月13日 | 早春のウズベキスタン(タシケント、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ)

 早朝ヒヴァのホテルを出発、ウルゲンチ発午前6時5分の飛行機に乗りタシケントに午前7時35分に着く…ウルゲンチ国際空港



 タシケントは2,200年の歴史があり中央アジア最大の都市、ウズベキスタンの首都(人口220万人)である。13世紀モンゴル襲来で破壊されたが、15世紀後半ティムール帝国では活況を呈し寺院や神学校が建てられ学術・文化・宗教が隆盛を極めた。1917年トルキスタン共和国首都、1929年ウズベク・ソビエト社会主義共和国首都、1991年独立してウズベキスタンの首都となる。約65%がウズベク人、13.5%がロシア人、その他カザフ、キルギス、トルクメ等多くの民族…タシケント市街は緑が多い



”カファリ・シャーシ廟”カファリ・シャーシは10世紀タシケントに住んだ神学者、イスラム教の熱心な布教者として敬愛された。建築家グリャム・フセインが建立…建物に16世紀のマジョリカ焼き・タイルが残る



 ”バラク・ハーン神学校”はウズベク部族のシャイバニ朝のバラフ・ハーンが建立。20世紀半ばから中央アジアのイスラム教本庁が置かれた。1955-1963年優れた職人ウスタ・シリンにより修復、2006-2007年再修復…16世紀のアラビヤ語とモザイク模様の文様が残る



 ”ナポイ・オペラ・バレエ劇場”は第二次世界大戦でソ連の捕虜になった2万5千人の日本人がウズベキスタンで強制労働、約500人(79人死亡)がナポイ劇場の建築に係わる。タケシントは1966年4月26日直下型大地震、町の大半は瓦礫の山と化したがナポイ劇場だけビクともせず現状を保っている(親日感情が高まった)…バレエ劇場と日本人を称えるプレート




 ウズベキスタン歴史博物館のクシャン朝(1-2世紀)の”ガンダーラ仏像「三尊仏像」”、”ブッダ像”テルメズのファヤズ・テパ遺跡の仏教寺院から出土…仏教はテルムズから中国さらに朝鮮半島を経て日本に渡来した




 シルクロードの地図(アフラシャブ考古博物館)…シルクロードはシルクなどの通商の道、文化や宗教(ゾロアスター教、キリスト教、仏教、イスラム教)もこの道を通って東西各地に伝えられた



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