昨日の放射能に続いて、今日は電磁波のお話
我が家のリビングは3階で、窓の外5,6mのところを、目の高さに送電線が走っているの
だから、窓辺に植物を置くときは、
シータヒーリングでもって、電磁波の悪影響から守ってあげる必要がある
これをしないと、
どんなに水や肥料をあげても、
どんどん元気をなくしていって、ひどいときには枯れてしまうんだ・・・悲しいんだけど
初めて、シータで、植物たちを守るように命じたとき、
リビングの窓一面に、黄色い幕が張られるヴィジョンがあったんだけど、
それ以後、実際、
植物たちは、ずっと元気で、活き活きしたグリーンを見せてくれているから、ホント、ありがたい
で、そうして、生命への脅威からしっかりと守りながら、
私は、イメージの中で、電磁波とともに過ごしてみるんだけど、
ちょっと思いついて、かのキミと一体になってみようと思ったわけ
そう、○○そのものになってみるってやつね
わんわんとした、水面の波紋のような、音波のような、そんなエネルギーは、
あちこちに電気を届けている本流から発生して場を作っていた
半永久的に終わらない、乳白色でとろみのある、葛湯のような粘着状の質を感じて
私は、その電磁波の中に入って、体を横たえて皮膚を溶かしてみたのね
そしたら、ふと、
去年の秋の、ある体験が思い起こされたの
そのとき私は、現実と夢の間で、見たことのないようなまぶしさの大きな光に全身を包まれながら、
轟音と静寂を一度に味わったんだけど、
あのときの激しい振動と、電磁波の中に入ったときの体感が同じだったんだ
へえ
こんなところに、私の至高体験の要素が潜んでいただなんて、
あぁ、そうやって、毒と薬、崇高と下劣は、一本の軸を共有しているんだって思った
非可逆的、現象的なこのアプローチは、
意識の中でそれが起こると、もう、電磁波に対する、目を背けたくなるような、あの独特な抑圧感がないの
っていうか、健全に抑圧するって感触なのかも知れないんだけど
「私」というものが、実体のない、関係性の中の縁の積み重ねなんだという見地から言うと、
電磁波が、確実に今、「私」の一部であることが、分かるって思った