Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

ものごとがあるとかないとかってこと

2011-10-10 | フォルテネージュ


いったい、何かが存在するか、しないかって、
どう決まっていくのだろう




一般に、
「何かが存在すること」は証明できるけど、
「何かが存在しないこと」は証明できないんだよね



徳川埋蔵金があることは、発見されれば明白だけど、
徳川埋蔵金がないことは、いつまでもはっきりしない・・





思うに、
何かを想像した途端に、その何かは創造されていくから、

「何かが存在しない」と断言することは不可能なのではないかしら?






愛がない
希望がない
家族の理解がない
チャンスがない
自信がない

こんなの、全部、「ない」という視点から見ているから、そう見えるだけのことで、


立ち位置を変えて、
それが「ある」視点から、同じ現状を見るだけで、

たちまち、それは現れてくる


フォーカスすれば、あぶり出しのように、浮き出てくる
今までは、見えない視点を採用していただけ











たとえば、
「私は、今、何かに怒っている」ってことにフォーカスを始めてみたら、
この物理次元に一生懸命生きているひとなら、
かなり多くの割合で、

「怒っている私」を出現させることができるはず・・・








目に見えないものがそうならば、
目に見えるものもそうなんだ


お金だって、
家だって、
欲しいもの、何でも、

「ない」と言うことで、「自分はそれがない」という視点を取ると宣言している

もちろん、それが自分に好ましければ全然OK
でも、そうじゃないのなら、

「ある」の視点に、今すぐぴょんと、飛び移ってみようよ





 

 

だって、私たち、ひとりひとつの宇宙を持っていて、
その中のものは、全部、自分のものなんだから・・・

もともと、全部、あるんだし、
もともとと、全部、ないんだから

 


欲しかったから創ればいい



 

                            ハートサポートサロン「フォルテネージュ」

                                 













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