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帰って来た青春? ~野川を遡る

2008-08-11 23:56:20 | 日常&時間の旅


サクラソウが咲き始めた頃に購入したのに、殆ど未使用だった・・・


 映画『レインマン』をご覧になった方ならおわかりだと思いますが、車についてものすごい知識を持っている少年と仕事で知り合い、スーパーカーや50~60年代の日本車の話をすることのできる平成生まれの若い友人ができたことを大いに喜びました。
 その彼が、ボロボロになったママチャリ(でも去年は、この自転車で『耳をすませば』のロケ地になった聖蹟桜ヶ丘周辺を走った)の代りとなる新しい自転車を選んでくれたのですが、(自転車に限らず)新しく買ったものをもったいぶってなかなかおろさない性格が遺憾なく発揮され、彼と一緒に行動するとき以外は、今までどおりギーコギーコと、ママチャリを漕いでいました(ヒキガエルを拾った夜も)。

 ところが先週、少年と猛暑の中4時間ほどサイクリングした際、風を切って自転車を走らせる楽しさと、自転車で流す汗の気持ち良さを思い出しました。
 翌日の日曜日、「昨日より暑い日になるでしょう」と、朝から天気予報が言ってましたが、ゾウのはな子に会いに行くのに(&アオノリュウゼツランをちゃんと見るため)、自転車で行ってみようと急に思い立ち、玉子焼きとウィンナーソーセージを焼き、おにぎり(昆布と青梅の梅干し)を握りました。すっかり、遠足気分?


   

 
 野川は国分寺から三鷹にかけて、こんな感じで流れています(地図上、ハの字に直線が走っているが、左側がJR中央線で、右側が西武多摩川線。案内図は、野川公園の自然観察園前にあった)。
 野川の源流は、国分寺崖線の崖上にある池(左端に緑色で表示されている大きな森の中にあり、日立研究所の敷地内なので普段は立入禁止)と、真姿の池など国分寺崖線から湧き出る水で、これらが合流して野川となり、国分寺崖線と平行する「はけの道」に沿って流れてゆきます。今回は寄らなかったけど、国分寺駅近くにある「殿ケ谷戸庭園」の池も源流の一つです。
 野川は人々の生活に溶けこんでいて、散歩やジョギングや川遊びを楽しんでいる人がたくさんいることや、「はけの道」沿いには神社や庭園など、見どころがたくさんあることもわかりました(次回の課題?)。けっこう近くに住んでいるのに全然知らなかったとは、正しく「灯台もと暗し」ですね!
 今回、まずは「お鷹の道」にある「真姿の池」を目指しました。名水百選に選ばれた水を水筒に汲んで、いざ川巡りに出発!というわけです。10分ほどで、万葉植物園に到着しました。あのヒキガエルは元気にやっているだろうか?
 水を汲んでいる間に、もぎたてのトマトを冷水で冷やしました。後で食べたら、これがうまいのなんのって~♪



                   

 人も虫たちも、ここに集まるようです。ニワトリさんが顔を洗っていると、青色の翅がとても美しいルリシジミが水を飲みにきました(飛んでる写真が撮れず、美しい色をお見せすることができないのが残念です)。続いてカラスアゲハとアオスジアゲハが、ひらひら飛んできました。その直後、アキアカネの倍はある大型のトンボが目の前をよぎりました。緑色の大きな目玉の持ち主は、もしかして・・・オニヤンマ?
 トンボの王様を見たのは数十年ぶりでした。私が子供の頃にも、オニヤンマは滅多に現れてくれず、カブトムシやミヤマクワガタ同様、子供たちの垂涎の的になっていました。まさか、オニヤンマがいるとは・・・興奮しました。ホバリングしてくれれば写真に収めることもできたのですが、飛んでいるところを写すのは、やはり無理だった?(写真はかろうじて写ったオニヤンマ。緑色も鮮やかな複眼が見えますか?)
 オニヤンマのオスは、自分の縄張りをパトロールする性質があります。そのため、縄張りを行き来するオニヤンマの姿を、長時間眺めることができました。あの雄姿、今でも目に焼きついています。
 時刻は11時。まだ10分しか走っていないのに、早くも1時間使ってしまいました。この調子で、13時半(はな子のランチタイム)までに井の頭に着けるでしょうか?
(続く・・・)


羽村の堰(その2)と郷土博物館

2008-06-14 23:55:10 | 日常&時間の旅


子供の頃はとてつもなく大きかった羽村の堰。空は今も広い。
最上段の水の中に佇んでいるのは・・・?(わかるかなあ~)


 こちらの記事を先に書いていたのですが、不名誉の負傷(といっても小指を切っただけ)をしたので?そちらの記事を先に書いてしまいました。さて・・・
 あんこさんから、懐かしい「社会科見学」についてコメントいただきましたが、私がこうした文章をブログに書いているのも、自分が物知りだからではなく、(大げさにいえば)「勉強」しているからに過ぎません。身近なものを見ているだけなのに、このトシになっても「目からウロコ」の連続です。それをそのままにしておくと片っ端から忘れてしまうので、散歩や小さな旅から帰ってきてから、復習して記録してるというわけ。
 インターネットの功罪については、もしかすると「罪」の方がパーセンテージが高いかもしれませんが、ブログを始めたおかげで、以前と比べて格段に世界が広がったと思います。最近ご無沙汰してくれるけど、ほんと、背中を押してくれたびわちゃさんには、背中を向けて眠れません。


                   

 堰の浅瀬に佇んでいた白い影は・・・シロサギでした。望遠側に切り換えて後を追います。獲物を狙っているのかと思ったら、そうでもないみたいで、雨の羽村の堰を悠然と逍遥している感じに見えました。水の流れはかなり速いのですが、シロサギはそれをものともせず、マイペースで足を運んでいきます。まるで、水墨画から抜け出してきたような・・・


       

(右)玉川上水の取水口。1654年に設置された。現在の形になったのは、明治33年(1900)。
(左)一定量以上の水は堰に戻される。結構すごい勢いで水が噴き出していた。


     

(左)桜の若葉が青々と茂る中をかなりの勢いで下ってゆく玉川上水。ここから下流1kmほどは、桜の名所として有名。
(右)玉川上水を開削した玉川兄弟。玉川上水は全長43km。自然落下のみで引かれた水道として世界屈指の存在。しかも上流から下流まで高低差が92mしかないので、工事は困難を極めた(単純計算して、100mで21.3cmしか勾配を取れない)。言い伝えによると、玉川兄弟は幕府から6000両を渡されたが、2度の失敗で資金が足りなくなり、私財を投げうち、ようやく開設させたらしい。


                   

 「羽村の堰」の上流100mほどの川の向かい側にある羽村市郷土博物館。縄文時代の出土品から、水道関連、養蚕、そして羽村の自然など、実に見学しがいがあるのに入場無料! ここまで来たら、寄らない手はない。羽村の堰の下流にかけられた橋を渡って向こう岸に渡り、遊歩道を上流に向かって10分ほど歩くと、郷土博物館に到着する。
 右の写真は、羽村の堰の上流から向こう岸に覗く博物館の三角屋根。「はなと水のまつり」の会場に向かう途中に撮影した。


                  

 堰の実物大模型。開設当時の水門(左)と、現在の水門。現在も、都水の3割は玉川上水から取水されている。


                   

 郷土博物館に隣に残されている「旧下田屋住宅」。1847年に建てられた農家を移築した。生活用具や養蚕道具など1200点が展示されている。ここの縁側で昼寝したいな~(この日は雨宿りだけど)。この頃になって、雨粒が写真に写るほど本格的に降ってきた。


                  

(右)江戸時代中期に作られた「赤門」。昭和10年に中里介山が譲り受け、中里介山記念館の正門にした。記念館閉館後に寄贈され、現在の地に立っている。
(左)〈旧田中家〉にあった長屋門。門の左右に6畳ほどの土間があるので長屋門と呼んでいるのだろうか? 土間は使用人の住まいや物置として使われたが、農村ではかなり珍しい門だとか・・・二百年以上前に作られ、1986年に寄贈された。


                   



(右)郷土美術館の前の川原に置かれていた「牛枠」。水の勢いを弱め、堤防が崩れるのを防ぐ「川倉」の一種。「牛枠」は、堤防に植えた川畔林を切り出し、川床の玉石をつめた蛇籠で固定して作ります。堤防を強化する林が治水の材料を提供。地産地消でエコですね~。
(左)堤防を築いている河畔林。雨なのに、鳥たちはさかんに鳴いていた。初めて聴く声も多かった。

      

 マクロ機能のついたコンデジだと、こういう写真も取れる・・・このあとチューリップ会場へ足を向けたのですが、4月とは思えない暑い日が続いたので、開花は例年より遅かったのに、大半のチューリップが終わってしまい・・・羽村駅に戻りました。「三度目の正直」というわけで、河辺の駅前温泉「梅の湯」に繰り出しました。「梅の湯」については、改めて・・・


羽村の堰 ~江戸の水の出発点

2008-06-11 23:21:35 | 日常&時間の旅

開設当時の「羽村の堰」模型図(羽村市郷土博物館)
水も鶯色なのでわかりにくいけど、右側が玉川上水の取水口。


 ちょうど一年前に、「江戸の水を旅する」と題して、江戸の初期に開かれ昭和8年まで水道水として使われていた「神田上水」跡を、早稲田から小石川後楽園(水戸藩邸跡)を経て御茶ノ水(東京都水道歴史館)まで歩きましたが、「神田上水」跡を辿ってゆくうちに、300年前の江戸の町に着いてしまったかのような楽しさを覚えました。
 そして今度は、「神田上水」と共に江戸の二大上水と呼ばれた「玉川上水」の取水口になる「羽村の堰」を訪ねようと思いました。
 光陰矢のごとしとはよく言ったもので、それから本当に一年が経過してしまいましたが、羽村で開催された「はなと水のまつり」に行きすがら、羽村の堰を訪ねました。ここに来るのは、「まいまいずの井戸」と同じように、小学校の遠足以来だから、実に数十年ぶりです。「まいまいずの井戸」が縮んでしまったように、「羽村の堰」も当時より小さくなったかというと・・・?


                   



(右)井の頭池と妙正寺池を水源とする神田上水。主に江戸城と藩邸に供給。
(左)羽村の堰から取水された玉川上水。三田&青山上水は玉川上水から分岐し、末端にいきわたる前に農業用水にも用いられた。(羽村市郷土博物館)


 百万都市となった江戸は、世界一清潔な都市だったと言われています。反対に、世界一不潔な都市がパリだったのは有名な話。マリー・アントワネットが隣国のオーストリアからルイ16世に嫁いできたとき、臭さに卒倒したとか・・・。
 パリやロンドンと違って背の高い建物がなかったので、上下水道の整備もやり易かったでしょうが、きれいな水を供給して使用後の水を速やかに川に流すことに関しては、他の都市を圧倒しています。パリでは水は水売りから「買う」ものだったし、汚水&汚物は甕がいっぱいになった段階で、窓から道路に捨てていました。空から糞尿が降ってくるのだから、たまりませんね~。
(『レ・ミゼラブル』にも出てくる巨大下水道が整備されていたのに・・・)
 江戸幕府を開くにあたって、井の頭池+妙正寺池を水源とする神田上水を整備しましたが、絶対量が足りないということで、関が原の戦いからわずか半世紀後の1654年に、全長43kmにも及ぶ玉川上水を新たに開設させています。さらに亀有・青山・三田・千川の四上水もひきましたが、これらの四上水は1722年に揃って廃止になりました。昭和8年(1933)に神田上水も廃止されましたが、羽村の堰は健在で、玉川上水は今も水道水として東京都民に使用されています。


      

(左)遠目にはガレージに見えた「馬の水飲み場跡」。荷役に使う馬が坂道を上がったところで水が飲めるように、国分寺崖線の豊富な湧水を使って「水飲み場」を作った。明治27年(1894)に!青梅鉄道が開通してからは、多摩川の砂利を羽村駅まで運ぶ馬たちがここで水を飲んだらしい。さぞかしきつい仕事だったでしょう。合掌。
(右)羽村駅を左に降りて道なりに進むと、「羽村の堰」と「はなと水のまつり」の会場に着く。開催期間中の土日は送迎バスも出るが、のぼりが道しるべのように立っているので、歩いても迷うことはない。こんな可愛い道案内も!ありました。
(小さいので、見落とす人もいるかも?)


                   



(右)徒歩20分ほどで多摩川のほとりに出る。右折して50mほど歩くと「羽村の堰」が現れる。写真の右奥が水を取りこむ「第一水門」。手前の橋になっているところが「第二水門」。
(左)「第二水門」のすぐ先にさらに水門(堰)がある。ここが玉川上水の出発点。もう少し下ったところに「第三水門」があり、ポンプを回して村山貯水池(多摩湖)まで水を圧送する(村山線)。貯水池の水は東村山浄水場に送られ、水道水になる。「第三水門」をさらに下ったところでも、直接東村山浄水場に送水している(砂川線)。


 自分が飲んでいる水の何%は、ここから来ているんですね~。その日は、ここに着いた途端に雨がポツポツ降り出しました。明日も雨・・・


京成バラ園 ~薔薇薔薇薔薇!

2008-06-02 23:58:30 | 日常&時間の旅


 久しぶりの全休です。ちょうど良いタイミングだったので、「京成バラ園」に行ってきました。あいにくの曇り空でしたが、強い影ができてしまう晴れの日より撮影向きです。
 途中から今にも泣き出しそうな天気になったのですが、最後まで雨に降られずに済みました。平日の月曜日でしたが、結構多くの人が訪ねていました。
 ここでは、色鉛筆とパステルを片手に「お絵描きデート」をしている若いカップルを見かけましたが、スケッチっていいですね~。香りの良いガリカローズのコーナーでスケッチしていた女の子は本気になってしまい、男の子(こちらもまあまあのスケッチ)がときおり様子を見に来ては「全然構ってくれない」と愚痴をこぼしたので、「とても素敵なデートですね」と、優しく二人に声をかけました。
 上の写真は、バラ園につくなりバラのソフトクリームに「誘われてふらふら」したニワトリの図です。見事な垣根を作っているのは「ボニー」という品種(2000年産)。一房に15~20も花をつけ、見てのとおり伸張力も非常に強く、とてもいい香りを漂わせていました。ニワトリさんがバラソフトを美味しく食べている間も、ミツバチが花から花へ忙しそうに飛び回っては花粉を集めていました。


                   




 「京成バラ園」の敷地は3万平方メートル。2008年度は原種からオールドローズそして最新品種まで969品種約7000株を、バラの歴史を辿りながら楽しむことができます。ご覧のように、見渡す限り薔薇、薔薇、薔薇・・・午後3時を過ぎると、人々の数も減ってきました。
 今回はバラにしか目がいかなかったのですが、四季折々の花々200種と樹木200種も植えられています。ちなみに、先ほど例にひいたカップルは、「〈築地でデート〉よりこっち=〈スケッチ・デート〉の方が全然楽しいね~」と口を揃えて言いました。(別に美術系の学校に通っているわけではないとのこと)。カテゴリー上は「日常の旅&時間の旅」にしましたが、ここはちょっとした「非日常の空間」だったかもしれません。目も鼻も酔いしれました。一日中いられて良かったワン!
 気になるアクセスですが、中央線沿線に住んでいる自分には非常に行きやすいところでした。バラ園のある東葉高速鉄道に地下鉄東西線が西船橋から乗り入れているので、中野で中央線から勝田台行の東西線快速電車に乗り換えるのが、一番簡単だと思います。八千代緑ヶ丘駅で下車、徒歩13分でバラ園に到着。道音痴の人でも迷う心配はないのでご安心を。ちなみに私の場合は、ドアTOドアで2時間5分の行程でした。 


 ミツバチたちは花粉集めに忙しい。どのハチも、足に花粉をたっぷりつけていました。道路を挟んでバラ園の向かいに蜂蜜屋さんがあって、いろいろ試食させてもらいました。残念ながら欲しかった「レンゲ」の蜂蜜は完売・・・バラ園に来るミツバチたちが集めていたように、薔薇の蜂蜜も食べてみたいなあ~♪


                   



 蜜蜂つながりで・・・右写真はロサ・ムルティ・フローラ(四季咲きの野バラ)、左写真は、ロサ・ガリカ・オフィシナリス(ガリカ・ローズは紀元前から栽培されてきたそうです)。どちらも香りがとても良く、蜜蜂も引き寄せられた?



 テラスを飾っていた涼しげなバラは、その名も「サマースノー」。バラ園の見ごろは6月中旬までとのことですが、最近雨が多くて痛みも進んでいます。なるべく早く見に行った方がいいでしょう。なお、7月4日放送(5月26日に撮影)の『美の壺』で、京成バラ園のバラがたくさん登場するので、興味のある人はご覧くださいね。

 「京成バラ園」の公式HPは、 → ここをクリック
   900種は無理だけど、素敵なバラたちを少しずつ紹介しますね~♪


まいまいずの井戸 ~羽村を旅する

2008-05-13 13:37:00 | 日常&時間の旅


 
 最近は「遠出」ができないのですが、家から1時間以内で行かれる「近場」にも、足を運びたい場所がたくさんあって、ちょっとした時間の合間に「小さな旅」を楽しんでいます。最近は青梅線沿線にハマッているのですが、中でも「羽村」は穴場的なお勧めスポットです。
 「羽村」の特徴をひと言でいえば、豊かな自然と歴史が育んだ町。先日、「羽村の堰」周辺を歩いたのですが、聴いたことのない野鳥の声をたくさん耳にしました。何でも140種の野鳥が生息しているそうです。羽村を歩くときには双眼鏡を持っていくと、より楽しめるかもしれません。
 4月15日に訪れたとき、市内のあちこちでチューリップが色鮮やかに咲いていました。これから少しずつ歩きながら、羽村の魅力に触れていきたいと思います。

 羽村市は、東京都心から西へ約45キロメートルに位置し、多摩川周辺の自然や武蔵野の面影を残す雑木林などの緑につつまれ、住宅地と工業地域がバランス良く配置された都市です。面積は、9.91平方キロメートル。市の西から南へ多摩川が流れ、江戸時代に開削された玉川上水の取入口のあるまちとして知られています。(羽村市のHPより)


                   



(右)わ~い、柿色の中央線がやって来た! たまに目撃すると、ほっとする。一日でも長く走り続けてほしいな~。
(左)斬新なデザインのJR羽村駅東口駅舎。メインストリートが一直線に延びてゆく。2007年11月3日に西口新駅舎も完成した。青梅線沿線もすごい勢いで変わっているけれど、緑をたっぷり残しているのが「羽村」の特徴。




 いの一番に訪ねたかった場所がここ、「まいまいずの井戸」です。確か、小学2年の遠足で見学した覚えがあり、そのときの写真も残っています。
 「まいまいず」とは、「かたつむり」のことです。井戸に向かって降りてゆく道が「かたつむり」に似ているため名づけられました。水の乏しい武蔵野台地では水脈が深かったのですが、井戸掘り技術が発達していない時代でも、このようにすり鉢状に穴を掘ってから縦掘りすれば、深い井戸も掘ることができました。
 「まいまいずの井戸」は、鎌倉時代から昭和35年まで大切に使われてきました。井戸は、地表面の直径が16mで、底面の直径が5m。深さは4.3mもあります。すり鉢上のくぼ地の中央に、直径1.2m深さ5.9mの堀り井戸があって、渦巻状の道を約2周して、ようやく井戸に達します。「行きはよいよい、帰りは怖い(重い)」だったと思いますが、面白がって何度も往復していたら、目が回ってしまいました・・・。


      


 「まいまいずの井戸」はJR羽村駅東口から徒歩1分、五ノ神神社内にありました。その昔、遠足で来たときは山道を歩いた印象があるのですが、高尾山登山の遠足と記憶がごちゃまぜになっているのかもしれません。写真の私はニコニコはしゃぎながら斜面を下っているのですが、当時と比べて何が一番変わったかというと、井戸の大きさ! 3分の1くらいのの大きさに縮んでしまったような気がしました。子供の頃は、まわりのものが全て、今の3倍の大きさに見えていたんですよね。すっかり忘れてしまったけれど、久しぶりに思い出すと、ほんの少しでもいいからあの頃に戻りたくなりました。


      


 羽村市では、毎年3~4月末にかけて「はむら花と水のまつり」が開催されています。前期の「さくらまつり」は、羽村の堰と玉川上水の桜が主人公。八雲神社の神輿の川入り(来年は見たいな~)が終わると、後半の「チューリップまつり」にバトンタッチされます。会場は、羽村の堰にほど近い「根がらみ前水田」。農閑期の水田に、毎年36万株のチューリップを植栽しています。私が行ったときは、残念ながら殆どの花が終わってしまっていましたが、4月15日にはこのとおり赤白黄色のチューリップが、羽村動物公園に至るメインストリートの両脇を縁取りしていました。羽村の春はチューリップの春でもあったんですね!


                   

(右)パンジーの花壇に一輪だけ咲いているチューリップ。目立ちたがり屋さん?
(左)朝日に輝くチューリップの向こうに見えてきた「羽村市動物公園」の正門。行き方は簡単、東口を降りて正面の道を20分歩くだけ。つき当たりが「動物公園」です。キリンや「おかか」に会いたいな~♪


吉野梅郷を歩く ~二俣尾へ・・・

2008-03-29 00:16:00 | 日常&時間の旅


          

 GOOブログ標準サイズだと画像がここまで小さくなってしまうのですが、左の写真は先に試してみた「大きな写真」よりアップで撮影しています。確かに、「しだれ梅」が水しぶきをあげて滝のように斜面を流れているみたい! 実は初めて見ました。
 それから、右写真のサンシュユは「梅の公園」の正面口に数えるほどしかないのですが、黄色が混じると梅林がより華やかになります。その意味では、「黄梅」と呼んでもいいかも?
 ツツジも見られたし、「二度来て良かった~」と思ったのですが、帰宅後「梅まつり」HPのフォトギャラリーに載っていた《思いのまま=輪違い》と呼ばれる品種の梅を、この目で見なかった点が唯一悔やまれます。この品種は、同じ枝に色違いの花(写真では白とピンクを互い違いに・・・)を咲かせる器用な?梅だけど、1500本の梅の木から「輪違い」を見つけるのは至難の業かもしれません。とはいえ、来年の楽しみができました~♪


                   



 「梅の公園」を後にして、吉野梅郷「観梅コース」を歩き始めたのですが、全く違う色の花を枝ごとに咲かせている珍しい木に遭遇しました。お札の原料にもなるという《ミツマタ》です。《ロウバイ》に良く似た上品な香りも何ともいえず魅力的・・・黄色の花の中には、このように全体が黄色くなるタイプもありました。一見地味だけど、カメラを向けると、とても華やかで愛らしい花でした。


     

 ここから先は、樹齢の高い梅などを見ながら歩くのですが、すでに16時を回ってしまい、「青梅きもの博物館」と「吉川英治記念館」は見学できず、スタンプラリーも終了してしまったらしく、10ヵ所のうち最初の2ヵ所しかスタンプを押せませんでした。
 写真は「青梅市 中道公園」の隣にある個人梅園「梅花園」の《鎌倉の梅》。旧鎌倉街道の傍らに咲いていたという梅は、何と樹齢400年! このあたりには個人所有の梅園が幾つも並んでいるのですが、日当たりが良いため多くの梅が盛りを過ぎていました。《鎌倉の梅》の足元の岩に座っていたカエルの置物が可愛い~。


                   

 全体的には見ごろを過ぎてしまっても、個々の梅になると微妙に開花の時期が異なるので、実に長い期間「梅見」を楽しめることがわかりました。別名「悲恋の梅」こと《岩割の梅》と、吉野梅郷の梅の始祖とされる大聖院の《親木の梅》は、看板どおりに歩いたつもりなのに、なぜか行きそびれました。来年の課題です・・・


                   

 吉川英治記念館は午後4時に閉館されますが、愛宕神社は24時間オープンです。ただし、写真の境内にたどり着くには、名物の?急階段を登らねばなりません・・・それにしても、愛宕神社と名のつく神社の階段は何でこんなに急なの~?


     

 二の鳥居までは誰でもくぐれるが垂直の壁に行く手を阻まれる!

 山頂を極めれば、市内を一望できる! ツツジが咲き乱れる頃、もう一度登る価値あり・・・この時点で17時を回ってしまいました。ここから二俣尾の駅まで、徒歩15分。


                   


 二俣尾の駅に着く前に、奥多摩橋を渡ります。どうしてこんな光景を撮れたのかというと、橋の途中に張り出しが設けられているからでした。神代橋といい、スリル満点、景色最高!
 最後にたどり着いた二俣尾駅・・・駅標が見える絶妙の位置に菜の花が咲いていました。四駅=2万歩歩いた後は、今度こそ河辺の駅前温泉「梅の湯」でリフレッシュしようと手ぬぐいも用意していたのですが、所持金3千円を葛切り&買い物で使い切ってしまいました。「三度目の正直」に期待しましょう!


 明らかに、八日前より素晴らしかった「梅の公園」。間隙を縫って訪れた甲斐がありました。来年も素晴らしい光景が見られますように~♪


吉野梅郷を歩く ~「しだれ滝」の図

2008-03-28 19:59:10 | 日常&時間の旅


 「梅の公園」の一番高いところにある「しだれ梅の滝」の落ち口から下界を見下ろすと、こんな感じになるのですが、少しでも臨場感が出るように、大きめの画面に挑戦してみましたが、どんなものでしょう?


 適当にやってみたのですが、縦位置で撮影すると、画面一杯に広がっていいですね~。「しだれ滝」を下から見上げると、↓こんな感じでした。たくさんの人が見下ろしたり見上げたりしているのがいいですね。来年も行こう~♪


吉野梅郷を歩く ~梅とツツジの競演

2008-03-28 00:31:10 | 日常&時間の旅


 前回訪れてから一週間が過ぎましたが、まだ蕾だった枝垂梅も真っ白な花を鈴鳴りに咲かせていました。これで、全ての役者が出揃った?
 今年は例年に比べて開花が遅かったのですが、そのおかげで梅が散らないうちにツツジも開花しました。「梅の公園」のツツジは冬になると葉が落ちるタイプで(白=ミツバツツジ?桃色=アカヤシオ?)、紅白饅頭か落雁みたいな白色と桃色の花が、入り混じって足元を飾ってくれました。常連さん?たちは、「今年は梅がとても綺麗だし、ツツジと重なるなんて初めて!」と、嬉しそうに話していました。


                   

 勝手がわかっているので、今回は東口から入場して、梅林の斜面を登っていきました。このあと雲に覆われてしまうのですが、光を浴びて一段と輝きを増した姿が実に素敵でした。このあたりが一番日当たりの良い斜面とのことですが、中心部に比べて開花が早かった分、散り始めた木もありました。




                   

 遊歩道の両脇に植えられているツツジも、満開を迎えていました。頭の先から足元まで、白と桃色に囲まれて・・・これは凄い! 上から見下ろすと、こんな感じ。人々が皆立ち止まるため、この坂道は終始渋滞していました。


                   



(右)遊歩道のない北側の急斜面でも見事に満開です。危険を冒して?急斜面に降り、三脚構えて撮影している人もいました。
(左)そして、この真っ白な枝垂梅が「梅の公園」の見どころの一つで、「しだれの滝」と呼ばれています。


吉野梅郷を歩く ~日向和田エトセトラ

2008-03-27 22:07:00 | 日常&時間の旅


     

 日向和田駅から吉野梅郷へ向かう際に多摩川を渡ります。同じ多摩川でも、国立あたりとは様相が大きく異なっていて、峡谷を跨ぐ神代橋は高さ100m(は大げさかな)の絶景ポイント。下を覗くと確実に足がすくみますが、欄干にはこのように梅のレリーフが施されています。二種類あるので確かめてみてね~♪
 吉野梅郷では道路標識も、丸ではなくて梅の花びら型をしています(うそうそ)。この標識を見て初めて知ったのですが、青梅市は1965年にボッパルトと姉妹都市の提携を結んでいます。ところでボッパルトって、いったいどこにあるのだろう? 初めて耳にする地名です。ナポレオンはボナパルトだけど・・・


 

 青梅市より出土した「三角縁神獣鏡」・・・じゃなくて、マンホールの蓋。何から何まで梅づくしだけど、街道沿いの出店で人気を博していたのは山葵と蒟蒻! 私も、できたての蒟蒻(500円)、山葵海苔(500円)、山葵漬け(350円)、無添加梅干(1050円)を買いました。ますますご飯が進みそう~♪


     

 今回は、吉野梅郷スタンプハイクの最初のスポットになっている「紅梅苑」に寄りました。定番の「のし梅」(商品名は「梅絹」)や、上品で可愛らしい紅梅饅頭(梅の花を模った人形焼といった方がいいかも)などが人気の和菓子屋さん(梅酒も扱ってます)ですが、真っ先に目をつけたのは「青梅葛切り」845円也。最上級の葛切りを青梅(あおうめ)の甘露煮が添えられた蜜に浸して、するする召し上がります。くせになりそうな一品でした。甘露煮も白玉もおいしい~♪

 腹ごしらえ&買い物が終わったところで、いざ「梅の公園」へ! 東京では桜が満開になったというのに、まだまだ梅の話が続きます・・・


吉野梅郷を歩く ~電車より速く・・・

2008-03-27 00:41:00 | 日常&時間の旅


一番高所にある枝垂梅も満開になった「梅の公園」

 
 26日は5時半起きでしたが、午前中に仕事が終わったので、その足で青梅に行ってきました。この日を待っていたのだ。うししし。今回は、前回時間がなくて断念した「吉野梅郷」を完全踏破! 仕事+おまけも入れて2万3000歩稼ぎましたが、昨日も2万歩歩いており、その前二日間は何時間も自転車(ママチャリ)を漕いだせいで腿がパンパン、少し腰に疲労が来ているようです・・・。


1924年、青梅鉄道本社として建てられた大正モダンな駅舎

2006年11月の青梅駅。ところどころ塗装が剥げているが・・・


 11時に仕事を終え、明日の予定を確かめて12時に帰宅。α-700とタオルを1本持って、ルンルン気分(死語)で国立駅へ向かいました。13時直前に青梅に着いたのですが、奥多摩方面への乗り継ぎが悪く、次発は30分待ちの13時29分。
 30分歩けば確実に次駅に着くはず・・・天気もいいことだし、歩くことにしました。時間制限もないしね。
 まずは、大正時代に建てられたままの駅舎をα-700で撮影しようとカメラを向けたところ、何とまあ、駅舎が塗り変えられているではありませんか! 帰宅してから、去年の12月に喫茶「夏への扉」と「鉄道公園」を訪ねた際に撮影した写真を調べてみたら、そのときすでに駅舎は塗り変えられていました(なのに気づかなかった)。
 以前の塗装の方が絶対良かったと思いますが、そうなると、旧塗装の青梅駅舎や引込線の201系大集合など、2007年4月までに撮影した写真の内、「にわとりブログ」にダウンコンバートしたもの以外の写真を全て失ってしまったことが、今となって何とも悔やまれます・・・。


     

 何度も訪れているのに気づかないことは結構あって(と、一般論にすりかえてる)、例えば、青梅駅構内の時計と照明。いつ頃からここにあったのか不明・・・そのくせ、いかにも応急修理的な「塩ビ」の雨どいはいただけません。煉瓦の煙突と面白い窓は、青梅~宮ノ平間で撮影。探検すると、「浪漫」がザクザク出てきそう~♪


                   

 「いざ、いかん」と、青梅街道を歩き出したニワトリさん。天気は良く(この歩きで日焼けした)、空気がうま~い。1時間前まで仕事をしていたことが信じられません。その道中の陽気なこと~♪ 立ち止まっては道草こいていたら、無人駅の宮ノ平に着いたときに電車も到着・・・。


 電車が行ってしまったので、日向和田まで歩くしかない・・・ほどなく明白院というお寺に出た。日向和田の城にあった山門を、寺建立の際に(1573~1592)移設した。明白院は「青梅七福神巡り」の一寺で、福禄寿が祭られている。


     

 街道沿いにちょっとした空間があると、草木が植えられています。2万5千本の梅以外には、ロウバイ、サンシュユ、ミツマタ、ボケ、マンサク、コブシ、モクレン、ユキヤナギ、ジンチョウゲ・・・ミツマタを植えている家が結構多かったです。
 宮ノ平から20分ほど歩くと、木の間から梅の公園が見えてきて、懐かしい?日向和田に着到着。駅前の白梅はほとんど散っていました。

 地元「国立」では、桜が今日の暖かさで一気に見ごろを迎えました。コブシの花もとてもきれい~♪