ニワトリさんに「鉄道」の魅力と大切さを教えてくれたのは、2007年3月に廃止された「鹿島鉄道」と「くりはら田園鉄道(くりでん)」でした。
「鹿島鉄道」に初めて乗ったのが廃止直前の3月24&25日。ひどく感銘して、その4日後の29日の夜に仙台に向かい、廃止前日の30日に、「くりでん」に乗りました。
(そのとき使っていたHDDが壊れてしまい、ブログに載せた一部の写真を除いて全ての写真を失ってしまいましたが、記憶は鮮明に残っています)
両鉄道が健在なら、今も乗りに行っているでしょう。本当に残念です。でも、彼らは自分の身を挺して、ニワトリさんにとても大事なことを教えてくれたのでした。最近は、あまり鉄道に乗っていませんが、ローカル線の旅は線路がある限り(そして体が動く限り)続くでしょう。
両鉄道とも、廃線後の日々は非常に険しいものでした。「鹿島鉄道」については、あっという間に線路や駅舎が撤去され(線路の一部区間が茨城空港へのバス専用路になる計画もありましたが、開港までに間に合わず・・・)、昭和12年生まれの現役車両のキハ602を重機で破壊するという信じられない暴挙も行われました。
(KR502に至っては、線路&枕木撤去を手伝わせ、仕事が終わるや重機で破壊した。貨車を牽いて枕木を運ぶKR502は、泣いているかのように見えた)
それでも、何とか6両の車両が生き残り、その中でも「鉾田駅保存会」が所有する昭和11年生まれの
キハ601とKR505が動態保存されることになったり、小美玉市川戸の鹿島鉄道保存館(個人が自己資金で立ち上げた)には、キハ714、キハ431、KR501が静態保存されるなどして、「鹿島鉄道」の記憶を少しでも残したいという気持ちがようやく形になりました。
「くりはら田園鉄道」は「鹿島鉄道」より恵まれていて、廃止後すぐに線路や駅舎が撤去されるようなことはなく、6月と10月に「沢辺」から「栗駒」までの線路の上を歩く「くりでんウォーク」が開催されました。夢はどんどん広がって、翌11月には栗駒駅構内をKD95が走行するという企画が実現、あの横見君も乗りに来ていました。
が、二年前の6月14日に岩手・宮城内陸地震が起き、栗駒市も大きな被害を受けてしまいます。くりでんの保存に関しても、奇蹟の走行会付近から関係者の間に不協和音が流れ始めたようですが、その後栗原市が「くりでん」の本社があった旧「若柳」駅に鉄道公園を建設、若柳駅も他の駅舎の廃材を使って開業当時の姿に復元されました。今年の4月10日には「くりでん保存会」が改めて発足され、片道500mの区間を動態保存車両が往復走行するイベントを月一回程度開催しようと計画、地震の前日に当たる今日6月13日の日曜日には、初めての一般向け走行会「くりでん乗車会」が開催される運びとなりました。
「くりでん復活」のニュースを、東京新聞の小さな囲み記事で知ったのですが、事前に情報を仕入れていれば、休みをもらって乗りに行ったでしょう。でも、「鹿島鉄道」共々、先の楽しみが増えました。あきらめずにここまで活動を続けてきた人々に心から「ありがとう」を伝えたくて、ペン(じゃないけど)を取りました。
復活への序章?「くりでんな風景」のHPは、 → ここをクリック
鹿島鉄道を守る会のHPは、 → ここをクリック