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くりでん&鹿島鉄道

2010-06-13 11:07:00 | 鉄道紀行&乗り物


 ニワトリさんに「鉄道」の魅力と大切さを教えてくれたのは、2007年3月に廃止された「鹿島鉄道」と「くりはら田園鉄道(くりでん)」でした。
 「鹿島鉄道」に初めて乗ったのが廃止直前の3月24&25日。ひどく感銘して、その4日後の29日の夜に仙台に向かい、廃止前日の30日に、「くりでん」に乗りました。
(そのとき使っていたHDDが壊れてしまい、ブログに載せた一部の写真を除いて全ての写真を失ってしまいましたが、記憶は鮮明に残っています)
 両鉄道が健在なら、今も乗りに行っているでしょう。本当に残念です。でも、彼らは自分の身を挺して、ニワトリさんにとても大事なことを教えてくれたのでした。最近は、あまり鉄道に乗っていませんが、ローカル線の旅は線路がある限り(そして体が動く限り)続くでしょう。

 両鉄道とも、廃線後の日々は非常に険しいものでした。「鹿島鉄道」については、あっという間に線路や駅舎が撤去され(線路の一部区間が茨城空港へのバス専用路になる計画もありましたが、開港までに間に合わず・・・)、昭和12年生まれの現役車両のキハ602を重機で破壊するという信じられない暴挙も行われました。
(KR502に至っては、線路&枕木撤去を手伝わせ、仕事が終わるや重機で破壊した。貨車を牽いて枕木を運ぶKR502は、泣いているかのように見えた)
 それでも、何とか6両の車両が生き残り、その中でも「鉾田駅保存会」が所有する昭和11年生まれの
キハ601とKR505が動態保存されることになったり、小美玉市川戸の鹿島鉄道保存館(個人が自己資金で立ち上げた)には、キハ714、キハ431、KR501が静態保存されるなどして、「鹿島鉄道」の記憶を少しでも残したいという気持ちがようやく形になりました。

 「くりはら田園鉄道」は「鹿島鉄道」より恵まれていて、廃止後すぐに線路や駅舎が撤去されるようなことはなく、6月と10月に「沢辺」から「栗駒」までの線路の上を歩く「くりでんウォーク」が開催されました。夢はどんどん広がって、翌11月には栗駒駅構内をKD95が走行するという企画が実現、あの横見君も乗りに来ていました。
 が、二年前の6月14日に岩手・宮城内陸地震が起き、栗駒市も大きな被害を受けてしまいます。くりでんの保存に関しても、奇蹟の走行会付近から関係者の間に不協和音が流れ始めたようですが、その後栗原市が「くりでん」の本社があった旧「若柳」駅に鉄道公園を建設、若柳駅も他の駅舎の廃材を使って開業当時の姿に復元されました。今年の4月10日には「くりでん保存会」が改めて発足され、片道500mの区間を動態保存車両が往復走行するイベントを月一回程度開催しようと計画、地震の前日に当たる今日6月13日の日曜日には、初めての一般向け走行会「くりでん乗車会」が開催される運びとなりました。

 「くりでん復活」のニュースを、東京新聞の小さな囲み記事で知ったのですが、事前に情報を仕入れていれば、休みをもらって乗りに行ったでしょう。でも、「鹿島鉄道」共々、先の楽しみが増えました。あきらめずにここまで活動を続けてきた人々に心から「ありがとう」を伝えたくて、ペン(じゃないけど)を取りました。

 復活への序章?「くりでんな風景」のHPは、 → ここをクリック

 鹿島鉄道を守る会のHPは、 → ここをクリック


6月8日の201系

2010-06-09 09:15:00 | 鉄道紀行&乗り物


武蔵小金井駅に入線する201系


 昨日の火曜日(8日)は、ラストランの日までいよいよ残り少なくなってきた201系に乗りに行きました。朝起きて運行状況を確認すると、この日の201系は東京駅を発車し武蔵小金井に9時28分に到着する【07T】という運用だったので、武蔵小金井駅で待ち伏せして、東京~国立と折り返して乗ってこようと考えました。
 9時少し過ぎに武蔵小金井駅に到着しました。武蔵小金井停まりの電車が次々入ってきては回送されていきます。最初の一編成が回送された後に、たまたま武蔵小金井始発の電車が上りホームに入線したので、ニワトリさんは「なるほど、そのまま折り返すと、通勤時間帯で本線が混んでいるなど何らかの支障が生じるので、一度回送されてから上りホームに入線して折り返すのだと解釈しました。201系がやって来る26分までに5編成以上が回送されたでしょうか? この時間帯に武蔵小金井停まりの電車がこれほどあることも、初めて知りました。


高架になった武蔵小金井駅に入線した201系。


「何事も経験してみないと、わからんものだなあ?」と感心しながら、201系を待ちます。同じようなヒマ人?が二人いました。ペンタックスのK7とニコンのD300Sを持つ本格派です。時間どおりに201系が真ん中の2番ホームに入線し、数分後に回送されていきました。高架から地表に降りる坂道で停まったので、「さては、これから上り線に入線するのだな」と、いそいそ待ち受けていたところ、そのまま降りてしまいました(おそらく、車両基地の方で詰まっていたのでしょう)。
「???」
 不審に思ったニワトリさんは、ここで初めて上りホームの時刻表を見にいきました。すると、武蔵小金井始発の東京行は11時台までないことがわかりました。通勤時間帯の本数の多さにも驚かされました。次々と電車が回送されていくのも、通勤時間帯に増発した電車が御役御免となって、武蔵小金井~国分寺間にある車両基地に引き上げているからだったのです。
「ということは、今日の201系はこれで終わり?・・・」
 先ほどの撮り鉄はすでに姿を消しています(知ってたんだね・・・)。ニワトリさんも、すごすご階段を昇り降りして、下りホームに向かいました。せっかくの休みだったのに・・・201系は車両基地の一番奥に停車していました。ちなみに今日は(途中で運行が変わる可能性もありますが)朝から晩まで走っています。


回送される201系。この時点では、すぐ折り返してくると思っていた・・・


(左)上り線のE233系とすれ違う。この電車の後に入線すると思い込んでいた。見苦しい写真でゴメン・・・。
(右)坂道で待機する201系。そのまま坂を下って車両基地に戻ってしまった・・・。


 通りすがら目を凝らすと、車両基地の一番奥に201系が停まっていた。ラストランを控えたH4編成は一向に姿を見せないし、H7編成も6月20日以降に本線を走ってくれるか不明・・・6月20日が最後だとすると、あと一日しか休みがない! ということは、その日が自分にとってのラストラン?(抽選はとことん外れてます・・・)

 201系H4編成のラストラン、今回も抽選に外れましたが、19~20日と泊まりの研修があるので、今回だけは外れて嬉しかった?


「いすみ鉄道」が、NHK「おはよう日本 首都圏」で取り上げられます!

2010-05-12 01:31:00 | 鉄道紀行&乗り物



 突然ですが、5月12日(水)朝7時45分(BS2で『ゲゲゲの女房』が始まる頃)、『 NHKおはよう日本 首都圏 』のコーナーで、存続の危機に面している千葉県の「いすみ鉄道」が取り上げられます。題して「“鉄道ファン”社長が挑む赤字線再生」。番組HPによれば・・・

「千葉県・房総半島を走る第3セクター運営の【いすみ鉄道】(大多喜町~いすみ市)。毎年1億円近い赤字を出し続け、来年上半期の決算次第では県が廃止を決める可能性も生まれている。その再生に乗り込んだのが、去年6月に公募で社長になった鳥塚亮さん。外資系航空会社でのキャリアを買われたが、実は筋金入りの“鉄道ファン”。愛する鉄道を生き残らせるため、昔から温めていた鉄道ファンならではのアイデアを次々に現場で投入しつつある。全国のローカル線が厳しい経営を迫られる中、その生き残りの可能性を探る “鉄道ファン社長”の奮闘を伝える」 

 
この春、「いすみ鉄道」に乗りに行ったときも、鳥塚社長は最前線?の国吉駅で陣頭指揮を取っていました。訓練費用の700万円を自己負担してもらうことを条件に運転士を募集したことが(採用された4名は40~50代の同世代のおじさん。この話を早く知っていたら、自分も応募していたかも?)ニュースになり、物議をかもしていますが、鳥塚さんが社長に就任してから「いすみ鉄道」は、持っている鉄道資産に付加価値を見出そうと、奮闘努力しています。
 正直言って、ここまで車社会が進み過疎化が拡大すれば、運賃だけで黒字を出すのは絶対不可能です。旧国鉄時代も黒字路線は数えるほどしかなく、JRに民営化されてからは、赤字路線は容赦なく廃止にするか、第3セクターなどに押しつけた上で、運賃以外のところで利益を上げる方式に変わっていきました。
 せこいところでは、駅弁販売を直営の子会社にやらせて従来の駅弁屋さんを締め出すとか、キオスクを発展させたコンビニで小銭を稼ぐとか・・・。さらには、駅構内をビル化してをテナントを募集し、「エキナカ」と銘打って「上がり」をごっそり頂くとか、本当は嫌っている「鉄道ファン」相手に限定グッズを大量に販売するなど、鳥塚さんも大会社のこうしたやり方を嘆いていました。車両の廃止までも「商売」にしているのだから、なかなかどうして・・・といったところですが、何といっても【SUICA】の成功が一番大きかったですね。500円のデポジット金だけでも一体いくらになるのでしょう?
 「いすみ鉄道」も、その意味では運賃収入以外のところで利益を生み出そうとしていますが、「この鉄道が好きだ」という思いと「だからなくしたくない」という思いが土台にあって、単なる儲け主義とは一線を画しています。全ては「いすみ鉄道」に乗りに来てもらうために・・・大原駅に国鉄時代に使用されていた発車ベルを設置したのも、そうした気持ちの表れでした。

 「ムーミン列車」はとてもよいアイデアだったと思います。はっきりいって、鳥塚さんの前の社長は、公募で選ばれて社長になったにもかかわらず千葉県知事選挙に出馬するため任期途中で仕事を放り出した大馬鹿者でした。今の「いすみ鉄道」を見れば、辞めて頂いて正解でしたが・・・。
 鳥塚さんは「社長ブログ」で、自分がしくじれば房総半島の地図から「いすみ鉄道」が消えるのだからその重さは計り知れない、と述べています。休日は殆どなく、毎日奔走しながら、それでも楽しいと、書いていました。「好き」と「楽しさ」がある限り、いすみ鉄道は走ってくれるでしょう。今回、訓練生として採用された方々が晴れて運転士となって菜の花レールの上を走る日が来ることを信じて、私もムーミン列車に乗りに行きます~♪


自分にとっても、スナフキンは大事な友人であり、憧れだった・・・


201と一日遊ぶ ~夕暮れまで

2010-05-10 01:30:10 | 鉄道紀行&乗り物

飯田橋の大カーブ。思い切って窓を開けてみました!


 何が楽しくて一日中電車に乗っているのだろう。それも、ローカル線ならまだしも、通勤電車に・・・確かにそう言われても仕方ありません。さすがのニワトリさんも、二度目の東京駅に着く頃には、いささか退屈していました。でも、次の休み(水曜日です)も、また201に乗りに行くような気がします。自分にとってかけがえのない車両というか「色」なので、それが走っている間は何度でも、そしていつまでも乗っていたいのです。


(左)11時54分に東京駅に到着すると、青梅行になって12時ちょうどに折り返しました。
(右)今度は10号車が先頭車両になります。


(左)国分寺駅で「中央特快」高尾行と待ち合わせします。「願ったり叶ったり」の停車です。
(右)「中央特快」が来るまで、子供たちは忙しい。気持ちわかるなあ~。


(左)「なんだい、同じ写真ばかりじゃないか!」と言うなかれ。角度は同じでも駅が違うので・・・青梅線内に入りました。拝島駅です。
(右)とうとう「青梅」に着きました。201系で最後に青梅に行ったのはいつだろう? 相当昔のような気がしました。青梅に着いた電車は、「青梅特快」になって東京へ向かいます。201系に乗っている限り、201系の走行写真(聖橋とのツーショットも)は撮れないので、「青梅」まで行かずに先行して、御茶ノ水駅で201系がやってくるのを待ち伏せるべきでしたが、「青梅特快」になることがほぼ確実の電車に最後まで乗ってしまったのは、もう一度無駄に「東京」まで行く羽目になろうと、しっかり「青梅」まで乗りたかったからです。


14時44分、二度目の東京駅に着きました。


(左)行先表示が変わり、またしても「青梅特快」になりました。先頭車両に人々が次々現れてはシャッターを切ります。
(右)物心ついた頃から、オレンジ色の電車に乗ってきました。東京駅の中央線用の1番2番ホームが高架になってからも、数え切れないくらい乗りました。


(左)さすがのニワトリさんも二度目の「青梅」は遠慮して、立川で201系を見送りました。「ビックカメラ」で用を済ませて、おでんそばを食べてから「御茶の水」に向かいました。
(右)御茶ノ水の改札を出て御茶ノ水橋の上に立ちました。同じことを考えている「撮り鉄」が4名いました! 10分ほどで210系がやって来ると思ったのですが、そのとおりになりました!(写真は駅を出たところ)


 こうして見ると、実に絵になる光景です。よくよく考えると、こんなところに駅を作ったこと自体が凄いと思います。


(左)先ほど見送った201系が東京駅を折り返して来ました。今度は高尾行です。
(右)御茶ノ水駅には、大きな大きなポスターが貼られていました!


 国立駅に着きました。18時を回ったことだし、名残り惜しいけれど今日はここでお別れすることにしました。


 思えば、高架になった国立駅のプラットホームの先に立つのも、これが二度目です。オレンジ色の電車が走っている間に、景色もずいぶん変わりました。

 今回は夜勤先からUPです。眠~いけど、寝られない・・・。


201と一日遊ぶ ~昨日の実体験から運用情報を読み解く?

2010-05-09 09:39:10 | 鉄道紀行&乗り物

 前回記事と同じ写真ですが、露出&シャッター速度を変えています。先の写真と違って、聖橋の影が神田川にはっきり落ちているのは、電車が入線する際に川面に立ったさざ波が収まったからだと考えられます。


 今、思い返すと、豊田駅で待っていて本当に良かった~! この後、201系は、東京→青梅→東京→青梅→東京→高尾と走ったので、もしも八王子で待ち続けたら夕方18時過ぎまで会うことができませんでした。「さよなら運転」の臨時電車とすれ違っただけで待ちぼうけをくらい、「今日は走っていないのでは?」と、昼過ぎに帰宅していたかもしれません。
 よくよく考えると、中央線は青梅線に乗り入れるし、武蔵小金井で折り返すこともあるので、待つなら武蔵小金井より先、特別快速になることも考えると、三鷹、中野、新宿、四谷、お茶の水、神田、東京で待たねばなりません。今回は運も手伝ってうまい具合に捉まえることができましたが、冷や汗ものです・・・。

 例の運用情報を眺めると、中央線は「03T」から「25H」まで全部で50の運行表があって、何時に車庫を出て、ときには大月に行ったり青梅に行ったりしながら何時に車庫に戻るという具合に、一日のスケジュールが組まれています。201系で稼働しているのは「さよなら運転」中の「H4編成」より、「H7編成」である場合が多いようですが、201系が50の運行表のどこに入っているかを確認すればその日の行程がわかります。
 ところがですよ、例えば「03T」でスタートした車両が、終日「03T」として走っていれば何の問題もないのですが、途中で運用が変わることも珍しくなく、その都度チェックしなければなりません。
 昨日の話だと、自分が豊田で乗り込んだ201系H7編成は、その時点では「79T」でしたが、14時44分に東京駅に着いてから「21T」に変わりました。この日は、多くの鉄道ファンが各駅に待機していましたが、携帯電話を覗き込んでいる人が多かったのは、201系の運行番号(でいいのでしょうか?)をインターネットでその都度調べて、現在位置を確認していたからだと思います。ちなみに今日は、「H7編成」だけでなく「H4編成」も走っているので、昨日の倍はお目にかかれますよ~♪


(左)上り線に入線した201系の横顔を撮影してから跨線橋を駆け上がりました。カメラを落としたせいか、右側上部が歪んでいます。
(右)久しぶりに乗る懐かしい車内。嬉しくてたまりません。10時54分に「豊田」を発車しました。


(左)1号車の先頭車両。何往復する間にモーター車にも乗りました(が、写真を撮り忘れた・・・)。
(右)日野駅を通過。多摩川の土手にはカメラマンが並んでいました。どうしてかと言うと・・・?


 一度も抽選に当たらないニワトリさんはすっかり忘れていたのですが、この日は、「さよなら運転」(笹子トンネルなど)が行われていたのでした。立川駅で臨時列車とすれ違いました。豊田から1号車両に乗った人は全員窓を開けて臨時列車を見送ります。


 

(左)三鷹駅で特急に抜かれます。その間、喜んで外に出ます。
(右)お茶の水駅。聖橋を車内から撮っていたら、丸の内線が来てくれました。


(左)「お茶の水」~「神田」間に幻の駅「万世橋」があります。旧交通博物館は駅跡に造られました。旧交通博物館を何らかの形で残してもらいたいのですが・・・。
(右)駅のホームがわずかに見えます。交通博物館が閉館するときに万世橋駅の遺構を見学しました。また見に行きたいなあ~。


 終点の東京駅に向かって坂を駆け上がります。車内がガラガラになったので、窓を開けて後方を振り返りました。傾いているのはご愛敬・・・。


(左)東京駅に着きました。このアナログメーターも見納めになるのですね・・・。
(右)豊田駅から一緒だった男の子。赤ん坊の妹とお母さんと一緒にお弁当持参で乗りに来ました。お母さんは、「東京まで乗るの? 私は行きたくないわ~」と言いながらも非常に楽しそうで、時折すれ違う各線の車両にも意外と詳しく、神田駅で新幹線MAXと並行して走っているときは子供以上にはしゃいでいました。鉄子だったのか? 子供のようにキラキラ輝やく瞳のお母さんは、東京駅に着くと妹を乳母車に乗せ、新幹線を見に行きました。ブラボ~♪

 仕事です。時間のある限り続きを書きますが、ここでUPします。ちなみにこの時間、「H7編成」は青梅を出たところで、先ほどまで走っていた「H4編成」は車庫に入ってしまった!模様・・・。


201と一日遊ぶ ~祝、201系ダイヤ復帰

2010-05-09 00:07:00 | 鉄道紀行&乗り物





 もう一度乗りたい・・・念願が叶って、一日(7時間半)201系と遊んできました~♪
(茂さん風にいえば、神が差した?)
 お茶の水駅では、聖橋とのツーショットを撮影しましたが、電車が停まっているときに運良く丸ノ内線が
神田川を渡ってくれました。こちらも昔のように赤ボディだったら最高なのですが・・・。
 ニワトリさんはダイヤ編成にも疎いシロウトですが、GWに入って二度もオレンジ色の210系の姿を
「さよなら運転」の臨時列車ではなく目撃したので、201系が再び中央線を走り出したのではないかと喜び、
昨晩「201系ダイヤ」と打ち込んで検索してみました。
 すると、「中央線201系・E233系運用情報」 というのが、いの一番に出てきました。表の読み方は
未だによくわからないのですが、48本の編成のうち1編成が201系でした! 
 明朝(5月8日)、その日も201系が走っていることを「運用情報」で確認したニワトリさんは、壊れたカメラ
と交換レンズを用意し国立駅に向かいました(ブログの記事を書いていたせいでスタートが若干遅れた・・・)。


(左)9時半頃に駅に着きました。電車が来たのでホームに駆け上がると、「修学旅行」と書かれた赤い
文字が・・・ボンネット型489系が消滅した今、最後の砦になった旧国鉄型特急485系481形!ではない
ですか~(間違っていたらごめんなさい。何せシロウトなもので・・・)。空の状態で走り抜けていきました。
修学旅行に出かける生徒を迎えに行くのでしょう。皆を乗せてどこへ行くのかな?
(右)貸切列車を見送ると、下り線ホームに移動しました。豊田車両区(でいいのでしょうか?)に行けば、
確実に停車中の201系が見られるからです。あっ、いました!




(右)電車は結構なスピードで通り過ぎるため、綺麗な写真が撮れません。何度か、豊田~八王子間を
行き来してトライしましたが、失敗の連続・・・。
(左)時刻は10時半。虫が知らせたのか、そろそろ201系が来るような気がして、豊田駅で待機すること
にしました。レンズを70-300mmSSGに交換して、上り電車をテスト撮りします。35mm換算450mm
望遠レンズの圧縮効果で、10両編成もこのとおり・・・。


 いつの間にか、自分のいる下りホームに4人、上りホームに5人のマニアが集まっていました。
 彼らは、自分と違って正確な運行情報を得ているのでしょう。ニワトリさんも、何食わぬ顔で201系
を待ちました・・・電柱が邪魔ですが、10両全て写っています。


(左)電柱が重なってごちゃごちゃしているところを最後部が通り過ぎてからシャッターを切りました。そしたら、
こんなに短くなってしまいました。10両編成には見えませんね~。
(右)そのまま電車に乗ろうと思ったのですが、201系は上りホームに入線しました。このときニワトリさんは、
意味なくあせってます。ズーミングして冷静に車両を追えば、もう一枚編成写真が撮れたのに・・・?

 まだまだ長くなりそうなので、ここで一度記事を切りますね。


風薫る(そして雉が線路を横切る)いすみ鉄道へ

2010-05-03 01:54:10 | 鉄道紀行&乗り物

ムーミン列車は全6両。スタンプラリーもやってます!


 もう昨日になってしまいましたが、GWの唯一の休みだった2日は、「いすみ鉄道」の「ムーミン列車」に乗って、ツバメにウグイス、ヒバリにキジといった鳥たちに会い、カエルの合唱を聴いてくるつもりでしたが、徹夜で出かける元気はさすがになく、ネコに留守番させるのも気がひけたので、絶好の行楽日和に「今からでも遅くはない」と何度かナップザックに手が伸びたのですが、次の日から四日間ハードな日が続くことも考えて断念しました。
連休中に、少しでも多くの人が「いすみ鉄道」に乗ってくれたら嬉しいので、宣伝記事を書くことにしました。
(鉄道関係では、「能登」「500系」「銚子電鉄」「いすみ鉄道」と順番待ちの状態なので、この調子だと秋になってしまう?)



 私は以前から「国吉」駅が大好きだったのですが(例の駅ネコ君にも逢えるし・・・)、今の社長さんがこの駅からイメージを膨らませて、ムーミントロールたちを「いすみ鉄道」に呼んでしまいました。スニフや小さなミーのヘッドマークをつけた黄色いレールバスが走る姿を見て(その日は、ムーミンと両親以外の4両に乗れた)、「いすみ鉄道」のことがますます好きになりました。今年6月に存続か廃止が決定するとのことですが、来年以降も「ムーミン列車」が見られますように~♪
 温暖化もあって、連休前にレンゲの花が咲いてしまうため、残念ながら大多喜の「レンゲ祭り」は今年が最後だそうですが、連休中なら少しはレンゲの花が残っているはずだし、国吉駅に続いて大原駅にも特売店がオープンしました。沿線のどこかに潜んでいる?ムーミントロールやスナフキンを探すのも楽しいかも・・・。
 何といっても、国吉駅のホームに降りて風に吹かれているだけで満たされた気持ちになるから不思議です。私の方は、もしかしたら奈良へ行くかもしれないけれど、GW明けにでも訪ねるつもりです。爽やかな初夏を迎えたことだし、『ムーミン谷の夏休み』でもザックに入れて行こうかな?


トトロじゃありません。ムーミントロールです!


春が来た! ~二日目「碓氷第三橋梁」

2010-04-26 23:57:00 | 鉄道紀行&乗り物

初めて野生のカモシカを目撃しました!


 二日目は、朝早く高崎城跡を散歩してから「横川」に向かい、一年前の冬に訪れた碓氷第三橋梁(眼鏡橋)を訪ねました。「わたらせ渓谷鐡道」の間藤駅ではまだ遭遇していなかったですが(代わりに、ニホンザルが足尾駅に出没)、碓氷峠のアプト式鉄道跡の遊歩道で、ついにカモシカを目撃しました。約10km歩いて駅に戻ると、ボイラー故障から復帰したD51-489号機が停車しているなど、嬉しいハプニング(やけに「撮り鉄」がいるとは思ったのですが、そういうことだったんだ・・・)がたくさんありました。
 帰りは、リクエストにより「高崎」から「八高線」を完乗して国立に戻りました。始発電車で高崎に向かう場合に限って、「八高線」が一番速いので良く乗るのですが、早朝暗いうちに通過してしまうか(明るくなり始めても「群馬藤岡」あたりまで居眠りしている)、完全に陽が落ちてから乗っているため、車窓の景色をきちんと眺めるのは今回が初めてといっていいでしょう、「八高線」は峠越えがいくつもあるちょっとした山岳鉄道だったんですね! 途中下車して歩くと楽しそうな場所も見つけましたし、映画『ノン子36歳(家事手伝い)』に出てきた鉄橋と陸橋も確認できました。田植えの頃&(映画と同じように)真夏に訪ねてみるつもりです。


(左)鯉のぼりと妙義山。5匹以上泳がせている家もありました。
(右)妙義山の奥には雪をかぶった浅間山が見えます。信越線に乗るとすぐに見えてくる光景です。

 

 妙義山の春。今流行りの「ミニチュアライズ」写真みたいだけれど、窓越しにシャッターを切っただけ。先ほどの2枚はトリミングしましたが、この写真は112mm相当の画角で撮影。目の前に鋸状の稜線が広がります。

 

    

(左)煉瓦造の丸山変電所跡では中判カメラを持った女性が構図を練っていました。
(右)『赤毛のアン』のアンなら、きっとスノーホワイトと名付けたでしょう。何桜?それとも? こんなに鮮やかな「白」を見るのは初めてです!


(左)煉瓦造の丸山変電所。悠久の時間の中に佇む・・・。
(右)旧信越本線を利用して「峠の湯」までトロッコ列車が走っています。帰りに遭遇しました。

 

    

(左)アプト式旧鉄道の第一隊道の上も桜が満開でした。
(右)碓井湖下流の渓流。雪解け水と桜の組み合わせ。


第三隊道から第四&五隊道を覗く・・・


第五隊道を抜けると、第三橋梁に出ます。


 

まだ春浅い第三橋梁。


1963年まで現役でした・・・。


染井吉野(左)も八重桜(右)も、皆一緒に咲いていました。


今回食べた駅弁。「味噌カツ&ひつまぶし」と、峠の「釜飯」。やはり美味い!


横川駅に戻ると、D51-489号機が迎えてくれた!


    

どこから見ても絵になる蒸気機関車。仕事でなければ・・・。


横川駅には転車台がないので、電気機関車に牽かれて帰ります・・・。


帰りの電車がやって来ました。この湘南カラーも、近い将来見納めになります・・・。

 

最後にもう一度、機関車の姿を瞳に焼き付け、煙臭い空気を胸に吸いこみました。

 というわけで、盛り沢山な二日間でした!


春が来た!  ~一日目「わたらせ渓谷鐡道」

2010-04-25 23:57:37 | 鉄道紀行&乗り物

 若葉が眩しい日曜日、ウグイスの声を聴きながら碓氷第三橋梁まで歩きました。葉脈が透けてます!


 土曜日=「わたらせ渓谷鐡道」、日曜日=「碓氷第三橋梁」の春を満喫してきました。仕事だったのですが、
仕事だったことを完全に忘れて?いたときがたくさんあったような・・・。
 まだ春のポカポカ日差しが置き火のように体の芯に残っています。長時間鉄道に乗っていたときはいつも
そうなるのですが、まだ体が揺れています。
 疲れているけれど何とも心地良く、さっさとブログを書いて眠りの王国へいざ行かん?


 残念ながら、有名な「神戸(ゴウド)」駅の花桃は終わっていましたが、沿線の至るところで桜が満開でした。
カモシカの見える(かもしれない)「間藤」にも春が来た~♪


 「わ鐡」の春が初めてなら、座席をパタンと動かして対面シートにできる「あかがね」に乗るのも初めて?
(神戸駅を出発したところ。花桃が僅かに残っている)

 

    

 子供たちがレストラン「清流」内の家族に向かって跳ねれば(神戸)、ウサギも空へと跳ねる!(間藤)。
 一応仕事中なので、レンズを向けるのは1秒以内。ファインダーの壊れたカメラで一瞬を切り取るのは
至難の業でした・・・。
 左写真はガラス窓越しにシャッターを切ったので浅い色調になったが、PENのアートフィルター
(ファンジック・フォーカス)を使った感じにも見える?

 

    

 いつものように動き回らなくても、被写体には事欠かない。はっと思ったら、シャッターを切る。色々考える
より、「当たり」が多いかも? それにしても、ファインダーがずれただけでなく、縦位置で撮影すると左側に
「ケラレ」が出ているのがわかる。修理に出さないと・・・。




(左)大好きな「本宿」の国道へ上がる階段横には菜の花が植えられていたんですね!
(右)とても日本とは思えない荒野の絶壁!(間藤駅の上空。カモシカを探す・・・)


 初めて、トロッコ列車(「わたらせ渓谷」号)に乗りました!(足尾駅から水沼まで)。 気持ちよか~♪


 全長5242mの草木トンネル内は「銀河鉄道999」に変わる?(約10分間)。非常に幻想的だけれど、
耳をつんざく轟音が玉にきず・・・。

 

 トロッコ列車は「花輪」には停まらない。でも、兎と亀が見送ってくれる! 兎の眼が「もう帰るの?」と、
言ってるような気がした。「わたらせ渓谷鐡道」は春もいとをかし。来春も来よう~と!


24時間(耐久)北陸ツアー ~最後のボンネット車両489系

2010-04-23 23:45:00 | 鉄道紀行&乗り物


 ボンネット型特急車両は、0系新幹線、小田急ロマンスカー(3000形&3100形)、名鉄パノラマカー(7000形&7500形)、アオガエル(東急5000系)やペコちゃん(東急200形)などと同じように、この時代ならではの近未来的なフォルムが非常に魅力的です。同じような流線形デザインは60年代に登場した車にも見られ、マツダ・コスモスポーツが車部門の最高傑作ではないかと思います。
 流線形デザインは『ウルトラQ』と『ウルトラマン』の世界にも多く見られます。鉄道少年だった実相寺昭雄さんは、アオガエルやペコちゃんのフォルムに魅せられ、演出していた『ウルトラセブン』に登場する宇宙船を「200形」に似せようとしたと、懐かしさを込めて語ってくれました。
(ちなみに、先ほどのコスモスポーツは、『帰ってきたウルトラマン』で「MAT」の隊員が乗る「マット・ビハイクル」に採用されました。ビハイクルって・・・? 車・乗り物を表す「VEHICLE」を「ビーグル」と読めなかったらしく・・・これも和製英語のひとつ?)

 閑話休題、実相寺さん達が演出した『ウルトラセブン』は、怪獣や宇宙人の造形については成田亨さんが『ウルトラQ』『ウルトラマン』に引き続いてチーフデザイナーとして関わっていますが、それ以外の美術については前二作と一線を画していて、「0系新幹線」イコール『ウルトラQ』&『ウルトラマン』の世界、「500系」イコール『ウルトラセブン』の世界と考えると、わかり易いかと思います。ついでにいうなら、「N700系」は大変優れた車両ですが、子供たちが記念写真を撮りたいのは「500系」で、ひと昔前の子供たちは「0系新幹線」や「ボンネット形特急」に憧れました。
 ほんの少し前までこれらの車両が(細々と)線路を走っていました。今の悲惨な状況を考えると、70年代の「あの日に帰りたい」~♪
 

 素晴らしい横顔。ツートンのラインも秀逸だ。二年前の夏、早朝の富山駅で「能登」と遭遇、ボンネット形特急がまだ現役で走っていたことを知り猛烈に感動したのだが、実際に乗ったのは廃止が決まってからだった・・・。

 すみません、もう寝ます・・・今日が明けだというのに、明日土曜も早朝から仕事で家に戻るのは日曜日の夜。追い打ちをかけるように、(スタッフの一人がダウンしたため)来週の火&木に夜勤に入るようメールが届きました。メールで済ますことじゃないだろうに! 利用者さん達とは非常に良好な関係ができているのですが、今年に入って無理難題が常態化しており、事業所に対する不信感はMAXを超えそうです。木曜日から金曜にかけては30時間超の勤務・・・「石の上にも三年」のつもりでしたが、腹を割って話し合うべきかもしれません。