
飯田橋の大カーブ。写真は下り線から振り返ったものだけれど、その昔、中央線の上り快速が右に大きくカーブを切って飯田橋を通過したところで、右手に巨大な貨物駅のターミナルが現れた(今も引き込み線の一部が残っていて、その先には「通せんぼ」をしているかのようにエドモンドホテルが建っている)。小さい頃、窓から身を乗り出して貨物駅を眺めた(お茶の水では左側の席に移って、丸の内線が神田川を渡らないかと目をこらした)。
最近は、都内の映画館に行く場合に、朝一番で中央線の【201系運行状況】を調べてから「それ」に乗って映画館に向かいます。今まで嫌々仕方なく払っていた交通費が「201系」の乗車切符になったため、交通費を切りつめる目的で行っていた映画の「はしご」もしなくなりました。
でも、この至福の時間も、そろそろおしまいです。「201系H4編成」が6月20日のラストランを終え廃車になれば、今度はH7編成の「さよなら運転」が始まるでしょう。
H4編成は全6回の「さよなら運転」で1022万円の売上を計上してくれました(子供が3割いたとして約870万円の売上)。第二弾が当然ある筈。JR東日本は、ダイヤ改正後にサービスのつもりなのか?H7編成を本線上に復帰させましたが、6月20日以降は「さよなら運転」だけになるような気がします。
そうだとすると、6月15日(火)は、くじ運ゼロのニワトリさんにとって、201系に乗車できる最後の日かもしれないのです。心して?乗ってきました。
目が覚めたのは4時。(WCの日本対カメルーン戦を見ていたのではないのですが)正味2時間ほどしか寝ていないのに、青空のせいで目が覚めてしまいました。
前日までは雨のち曇りの予報だったのに、真夏の朝に変わるとは・・・できることなら、この日は雨の方がありがたかったのです。毘沙門湾に行かないで済む理由ができるから。
「毘沙門湾から帰ってきてから201系に乗りに行けばいい。晴れたのだから、行くべきだ」と思いましたが、体の方がついていかず、次に目が覚めたのは6時30分・・・強烈な日差しが「この時間でも、2時間半で着くよ」と誘ってきたのですが、まずは201系の運用情報を調べることにしました。
この日の201系は【79T】という運用で、東京~高尾と東京~青梅を往復していました。この時間帯はちょうど国立駅を通り過ぎる頃ですが、そのあと【79T】は7時52分に東京を折り返して9時03分に高尾に着く予定なので、8時30分頃に国立駅にいれば、国立→高尾→(国立)→(新宿)→東京→新宿という具合に、長時間
201系に乗ることができます。新宿には10時40分頃に着くでしょう。
映画の上映時刻は11時40分。それこそ10時30分に家を出れば十分間に合うのですが、201系に乗るならあまり時間が残されていません。ニンゲンと猫の朝食を済ませ、BSで『ゲゲゲの女房』を見終わると、(クルミサンに噛まれて)急いで出発しました。
最後になるかもしれない乗車は、3年前に「琴電」の京王5000系に乗車したときのような気持ちで臨んだのですが、車内がかなり混み合っていたことも関係しているのか、モーター車に乗ったのに浸るところまでいきませんでした。それでも、約2時間があっという間に過ぎてしまったのです・・・。


(左)高架になった国立駅の下りホームに入線してきたH7編成。上り線のホームはまだ工事中。201系が完成した上りホームに停まることはない・・・。
(右)24mm相当の広角レンズだと、幅広の顔になってしまうので、右半面をカット。


(左)豊田車両区で最期のときを待つ201系H4編成(だと思う)。
(右)高尾に着いたH7編成。このオレンジ色を目に焼き付けようと思いながら最後尾に向かう。

休む間もなく高尾を折り返すH7編成。


(左)高尾を発車した直後。このときは旅情さえ感じられたのだが・・・
(右)7号車のプレートは無くなっていた。心ない人が盗んだのだろう。


(左)東京駅に着いた。先頭車両に群がる子供たちが見えるかな?
(右)この子は、何がきっかけで鉄道好きになったのだろう?

新宿駅を発車した201系H7編成。さよなら!

終着駅の「東京」で記念写真? いい顔してます・・・
ショックだったのが、旧交通科学博物館。旧万世橋駅の遺構もあるので、撤去されないと勝手に思い込んでいたが、跡形もなく更地となっていた。跡地には20階建ての商業ビルが建つらしい・・・JR、お前もか!