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JR鉄道最高地点にて

2010-10-13 21:50:00 | 鉄道紀行&乗り物


 JR小海線の「野辺山」駅は、JRで最も標高が高い駅として有名です(海抜1345.67m)。「2」を飛ばして1から7まで並べると、野辺山駅の標高になります。わかりやすいでしょ?
 洋風の駅舎と牛の置物?は、お隣「清里」駅のメルヘン調風景の影響を受けてこのように形を変えたのでしょうか? 実は、去年ツーデーパスを使って乗った小海線の記事もまだ書いていないのですが、先日アオガエル君と「野辺山」を訪れたときの写真をUPします。右下の「けられ」は、α700を落としてから出るようになってしまいました(何枚か撮っている間に消えた)。構えたとおりに写ってくれないため、駅とアオガエル君と牛がきちんと画面に収まっている写真1枚撮るのに、何度シャッターを切ったことか・・・。


 慌て者のニワトリさんは、もう少しで間違うところでしたが(何度も列車で通過しているのに・・・)、こちらが本物のJR鉄道最高地点の踏切です(清里を過ぎ、急な勾配を上りきって、高原の直線路に入ると、すぐに現れる)。標高は1375m! 


(左)踏切の向こう、道路を渡ったところにJR鉄道最高地点の碑が立っている。
(右)かつて小海線を走っていたC56蒸気機関車。高原のポニーと呼ばれた。96号機が「野辺山」駅前の公園に展示されている。


しばらくすると、ハイブリッド車両(キハE200)がJR鉄道最高地点を通過した。


第17回鉄道フェスティバル

2010-10-09 21:53:20 | 鉄道紀行&乗り物


 今年も「鉄道フェスティバル」の日がやってきましたが、あいにくの雨模様となってしまいました。今まではよく晴れた秋晴れの日だったので、残念です。にもかかわらず、初日の今日はかなりの人々が日比谷公園に集まり、人気私鉄のブースの前には長蛇の列ができていました。
 今年は連れがいたので(仕事)、自由気ままに動くことはできなかったのですが、当初の目的は果たせたから満足しています。四年前と比べると、落ち着いてきたというか、自分のような「にわか鉄」が少なくなったような気がします。「鉄」ブームの立役者=横見君もひな壇に上がらなかったし・・・(午後のステージに出演したとのこと。ご苦労様でした) 
 オープニングセレモニーには、世界中の鉄道に乗っている関口君(すいません、下の名前知りません)と、
『RAILWAYS』に出演していた本仮屋ユイカさんがゲストに招かれていました。
 本仮屋さん、鉄道が好きだったんですね。プライベートでも電車によく乗るそうです。「電車」への想いを熱く語ってくれました。「鉄道」という言葉を使わなかったことから「鉄子」ではないこともわかったのですが、「鉄オタ」アイドルもいることだし、「電車で十分」だと思いました。個人的には、これくらいの距離感がある「鉄道好き」の女性の方が親しみを感じます(豊岡真澄さんは別として)。「鉄子」より「鉄道デート」が楽しめるのでは? という自分勝手な妄想が発動しただけのことですが・・・本仮屋さん、可愛かったですよ~♪


NHKラジオに「くりでん」登場!

2010-09-23 08:10:41 | 鉄道紀行&乗り物


旧若柳駅を発車した「くりでん」(8月の走行会にて)。

 おはようございます~♪
 突然ですが、今日23日に放送予定のNHKラジオ第一放送「ふるさとラジオ」(12時15分~55分)は、
鉄道公園となった旧くりはら田園鉄道「若柳」駅から生中継されます。
ニワトリさんもお世話になっている「くりでんママ」も出演して、
「くりでん」と栗原の魅力を伝えてくれることになっています。

 8月の走行会に行ったとき、若くてきれいなNHKのアナウンサーが熱心に取材と打ち合わせをしていました。
私もその時間に聴くことができたらいいのですが・・・多分勝沼「葡萄畑」で食事中だと思います。
全国の「くりでん」ファンは必聴ですよ~! 「くりでんママ」がんばってね~♪
それでは、わたくしもそろそろ・・・

 駅構内で取材中のNHKアナウンサーと、答える「くりでんママ」


JR小海線 ~小淵沢の大カーブ

2010-09-21 12:15:00 | 鉄道紀行&乗り物



 JR小海線に乗って小淵沢を発車すると、列車は右に大きなカーブを描きます。基本的には「乗り鉄」
のニワトリさんですが、一度ここに立ちたかったのです。歩くとちょっと大変ですが、バイクだとこのとおり・・・!
 待つこと二十分、線路が揺れたかと思ったら、ハイブリット車が現れました。


 黄金の稲穂と白い蕎麦の花がきれいです。今度は蕎麦畑からUPで狙ってみました。
ここから見ると、上り勾配になっているのがわかります。綺麗な半円を描いて駆け抜けていきました。


201系の「さよなら駅弁」

2010-08-24 09:36:00 | 鉄道紀行&乗り物


 先週の金曜日、映画帰りに新宿駅南口のコンコースを通った際、有名駅弁が並んでいる駅弁屋さんに「オレンジ色」の駅弁が置いてありました。何かと思って進路を変え駅弁屋さんに立ち寄ると、写真の「201系中央線卒業記念弁当」でした。
 オレンジ色の包装紙にオレンジ色の弁当箱だから、余計に目立つのかもしれませんが、わずか 0.1秒(ちょっと大袈裟だけど)で目ざとく見つけるとは、「さすがオレンジ色にこだわるニワトリだ」と我ながら感心したのですが、「卒業記念」というのは少し違うような気がしました。だって、全然晴れがましくないもの・・・。オレンジ色が中央線から姿を消すという厳粛な事実が胸に迫ってきました。

 それにしても、とうとう明石小学校の本体解体工事が始まってしまいました。関東大震災の復刻小学校については危機感を抱いていたのですが、またしても名建築が姿を消してしまいます。この国には余分にコストがかかっても「これだけは後世に残していこう」という気持ちが全くないのでしょうか?(餘部鉄橋も新しいコンクリート製の鉄橋に切り替わりましたね)。消えゆく建造物や消えてゆく乗り物たち・・・私は悲しい!


(左)味はまあまあだったけれど、1000円は高すぎる気も・・・橙色にこだわるものとしては、ここはチキンライス(とハンバーグと唐揚げ)で攻めて欲しかった。お子様ランチと同じじゃないか、という意見もあるでしょうが・・・
(右)写真の中央線は、レモンイエローの総武線とすれ違っている。ひと昔前の貴重な写真だが、個人的にはオレンジ色の10両編成全てと桜が写っていて欲しかった。「卒業」というなら、やはり「桜」でしょう!

 今日も暑いですね! 個人的には今日の夜勤が終われば一山を越えるので、ゆるゆる頑張るしかない。色々考えたところで明日は必ずやってくるのだから・・・。


10.17(日)中央線201系ラストラン!

2010-08-14 23:28:10 | 鉄道紀行&乗り物


 国立駅の下りホームに到着した201系H7編成(【71T】運用)。見事な日の丸写真(ダメ写真)になってしまいましたが、未だ建設中の上りホームが見えるということで許されて~♪


 とうとう、その日が決まってしまいました。最後に残った201系H7編成もこれでおしまいです。JR東日本では、「中央線201系さよならキャンペーン第2弾」が始まりましたが、前回のような貸切の「さよなら運転」は行わない模様。一度も抽選に当たらなかったニワトリさんにしてみれば、数回の臨時運転をするより、その日まで定時運行されてくれた方がどんなにいいか・・・。
 ファンの声に応えるかのように、201系H7編成は【71T】という運用で、今日もごく普通に走っていました。そこで例によって、【71T】に乗りながら都会に出て映画を2本観た後、夜のお茶の水駅でライトアップされた聖橋とのツーショットを撮って、東京駅を折り返してくる【71T】に乗って帰る=完璧な計画を立てたのですが、実際は穴だらけで、夜のツーショットを断念して予定より1時間早く、でも疲れ果てて帰宅する羽目になりました。途中までパーフェクトだったのに・・・。


(左)ネコに指を噛まれても国立駅に走った! 9時34分の豊田行に乗る(逆方向だが)。
(右)夏休みのせいか、ギャラリーも多い。でも、殆どの人が「201系」だけに乗りに来たのではないことがよくわかった。


(左)日野駅で車内はガラガラになった。流れてゆく景色を心ゆくまで味わう。
(右)行き先表示が「東京」に変わった。今日は0時10分まで働く。上がりはこの駅だ。


(左)豊田から次駅の日野まで、10号車はニワトリさんの貸切状態。こんな幸運は初めて!
(右)次第に混んできたので、中野~新宿間の大カーブは窓を開けることができなかった・・・新宿でお別れして、渋谷に向かった。
 この日の写真がこれで最後になるとは・・・続きは明日?(いたずらに引張るつもりはないのですが、もう眠くて・・・おやすみなさい。


最高の夏休み ~くりでん走行会

2010-08-08 23:58:30 | 鉄道紀行&乗り物


また逢えたね!!


 やはり、栗原は遠かった・・・国立から東北自動車道【若柳金城 IC】まで、461kmありました。片道約6時間! でも、アオガエル君(Ninja250R)は長距離走行にも弱音一つ吐かなかったし、栗原では色々な人の力を借りて、夢のような時間を過ごすことができました。もう最高です! 来月も行きたいな~♪


夏草や くりでんの 夢の跡


日曜日の主役。KD95形、小さな機関車、夏の空・・・


そして、日本最古の貨車ワフ74たちも走った!
(腕木式信号機と並ぶと絵になりますね~♪)

 今晩も、いい夢見られそう・・・まだ、もう少し起きてるけどね。


「くりでん走行会」に行ってきます~♪

2010-08-07 00:28:00 | 鉄道紀行&乗り物


 晴れて専用ベッド?になった壊れたリュックの上で寝息をたてるクルミさん。留守番お願いしますね~♪


 11月まで毎月第二日曜日に、くりはら田園鉄道=くりでんの旧若柳駅でKD95の走行会が開催されています。明日&明後日と連休がもらえたので、宮城県栗原まで行ってきます。
 コーディネーターがくれた夏休み第一弾なのかな? 粋な計らいとも言えるけれど話が急だったし、当日は早出をすると言っていたのに、よりによって前日夜22時までの仕事をまわしてくれるとは・・・これを書いたらすぐに寝て、4時には出発するつもりです。3時半に起きればいいかな?
 今回はアオガエル君(Ninja250R)で行きます。前日になる土曜の昼までに栗原に着けるように早朝出発して、午後は廃線跡を辿るつもりです。今回のような旅の場合に、バイクの機動力が最も発揮される筈です。それに、ETC割引が使えることだし・・・。
 宮城県栗原まで片道460kmぐらいでしょうか? バイクでこれだけの距離を移動するのは本当に久しぶりです。しかも社会人になってからは、京都&奈良以外の長距離移動はしていません。東北道は一番縁遠い高速道路で(先日車で走行しましたが)、バイクで走るのは実に学生時代の日光以来だったりして・・・ちょっとした耐久レースに出場するつもりで気合を入れ、無事完走を目標に行って参りま~す!


ラスト乗車? 

2010-06-17 23:59:20 | 鉄道紀行&乗り物


 飯田橋の大カーブ。写真は下り線から振り返ったものだけれど、その昔、中央線の上り快速が右に大きくカーブを切って飯田橋を通過したところで、右手に巨大な貨物駅のターミナルが現れた(今も引き込み線の一部が残っていて、その先には「通せんぼ」をしているかのようにエドモンドホテルが建っている)。小さい頃、窓から身を乗り出して貨物駅を眺めた(お茶の水では左側の席に移って、丸の内線が神田川を渡らないかと目をこらした)。


 最近は、都内の映画館に行く場合に、朝一番で中央線の【201系運行状況】を調べてから「それ」に乗って映画館に向かいます。今まで嫌々仕方なく払っていた交通費が「201系」の乗車切符になったため、交通費を切りつめる目的で行っていた映画の「はしご」もしなくなりました。
 でも、この至福の時間も、そろそろおしまいです。「201系H4編成」が6月20日のラストランを終え廃車になれば、今度はH7編成の「さよなら運転」が始まるでしょう。
 H4編成は全6回の「さよなら運転」で1022万円の売上を計上してくれました(子供が3割いたとして約870万円の売上)。第二弾が当然ある筈。JR東日本は、ダイヤ改正後にサービスのつもりなのか?H7編成を本線上に復帰させましたが、6月20日以降は「さよなら運転」だけになるような気がします。
 そうだとすると、6月15日(火)は、くじ運ゼロのニワトリさんにとって、201系に乗車できる最後の日かもしれないのです。心して?乗ってきました。

 目が覚めたのは4時。(WCの日本対カメルーン戦を見ていたのではないのですが)正味2時間ほどしか寝ていないのに、青空のせいで目が覚めてしまいました。
 前日までは雨のち曇りの予報だったのに、真夏の朝に変わるとは・・・できることなら、この日は雨の方がありがたかったのです。毘沙門湾に行かないで済む理由ができるから。
 「毘沙門湾から帰ってきてから201系に乗りに行けばいい。晴れたのだから、行くべきだ」と思いましたが、体の方がついていかず、次に目が覚めたのは6時30分・・・強烈な日差しが「この時間でも、2時間半で着くよ」と誘ってきたのですが、まずは201系の運用情報を調べることにしました。

 この日の201系は【79T】という運用で、東京~高尾と東京~青梅を往復していました。この時間帯はちょうど国立駅を通り過ぎる頃ですが、そのあと【79T】は7時52分に東京を折り返して9時03分に高尾に着く予定なので、8時30分頃に国立駅にいれば、国立→高尾→(国立)→(新宿)→東京→新宿という具合に、長時間
201系に乗ることができます。新宿には10時40分頃に着くでしょう。
 映画の上映時刻は11時40分。それこそ10時30分に家を出れば十分間に合うのですが、201系に乗るならあまり時間が残されていません。ニンゲンと猫の朝食を済ませ、BSで『ゲゲゲの女房』を見終わると、(クルミサンに噛まれて)急いで出発しました。
 最後になるかもしれない乗車は、3年前に「琴電」の京王5000系に乗車したときのような気持ちで臨んだのですが、車内がかなり混み合っていたことも関係しているのか、モーター車に乗ったのに浸るところまでいきませんでした。それでも、約2時間があっという間に過ぎてしまったのです・・・。


(左)高架になった国立駅の下りホームに入線してきたH7編成。上り線のホームはまだ工事中。201系が完成した上りホームに停まることはない・・・。
(右)24mm相当の広角レンズだと、幅広の顔になってしまうので、右半面をカット。


(左)豊田車両区で最期のときを待つ201系H4編成(だと思う)。
(右)高尾に着いたH7編成。このオレンジ色を目に焼き付けようと思いながら最後尾に向かう。


休む間もなく高尾を折り返すH7編成。


(左)高尾を発車した直後。このときは旅情さえ感じられたのだが・・・
(右)7号車のプレートは無くなっていた。心ない人が盗んだのだろう。


(左)東京駅に着いた。先頭車両に群がる子供たちが見えるかな?
(右)この子は、何がきっかけで鉄道好きになったのだろう?


新宿駅を発車した201系H7編成。さよなら!


終着駅の「東京」で記念写真? いい顔してます・・・


 ショックだったのが、旧交通科学博物館。旧万世橋駅の遺構もあるので、撤去されないと勝手に思い込んでいたが、跡形もなく更地となっていた。跡地には20階建ての商業ビルが建つらしい・・・JR、お前もか!


祝、くりでん復活運転!

2010-06-14 23:26:00 | 鉄道紀行&乗り物


 夜勤を終え、長い会議を終えて家に戻ると、午後3時を回っていました。昼食抜きだったので、軽くカップ焼きそばとアンパンを食べ、2時間ほど仮眠しました。夕食後に、PC(相変わらず主力のデスクトップの調子が悪く、再セットアップした方が良さそうだ・・・)を開けたら、「くりでん母」さんから嬉しいメールが届いていました。

 2007年3月30日、最初で最後の「くりでん」に乗ったことを先日書きましたが、そのとき自分の向かい側の席に座っていたのが「くりでん母」さんと5歳の息子さんでした。「くりでん母」さんの実家は「くりでん」の線路沿いにあり、お父上は「くりでん」の生き字引とも言われている車掌さんでした。「くりでん母」さんは、見ず知らずの私に持参したお弁当まで勧めてくれながら、幼い頃から慣れ親しんできた「くりでん」について色々話をしてくれました。庭先から勤務中の父に手を振った話を聞かせてもらったときは、映画の一場面を見ているような気持にさえなりました。
 非常に多くの人々が「くりでん」に別れを告げに来ていました。涙雨が肌に突き刺さるようなみぞれ交じりの牡丹雪に変わっても、駅舎やホームには熱気がムンムンこみあげていました。すっかり意気投合してしまったニワトリさんは、「くりでん」のヘッドマークに描かれている「レールを走る三個の団栗」にも(容貌じゃなくて関係が)似ている父&娘&孫の三人に若柳駅と「くりでん本社」を案内してもらい、最後には「くりでん母」さんの運転で、白鳥が訪れる旭川まで送ってもらいました(23羽の白鳥と遊んだっけ)。
 その後も、「くりでんウォーク」を一緒に歩き、その年の11月に開催された「くりでん乗車会」でもお目にかかることができました。「くりでん」の大ファンでもある息子さんは、東京に遊びに来たときは真っ先に「都電荒川線」に乗ったとか・・・。

 皆さん御承知のとおり、二年前の今日6月14日に「岩手・宮城内陸地震」が発生しました。また、詳しい事情は全く知らないのですが、「くりでん応援クラブ」が設立させたNPO法人「夢くりはら」を巡って、端的にいえば「くりでん」中心の「応援クラブ」と、「くりでん」を町おこしの一環として考えていた「夢くりはら」との間に見解の相違が生じ、「くりでん」派がこぞって「夢くりはら」を退会するという事態が起こり、いずれの出来事も部外者に過ぎないニワトリさんは、「くりでん母」さんに連絡することを躊躇しているうちに今日に至ってしまったのです。
 「くりでん母」さんから連絡を頂き、本当に嬉しかったです。乗車会は11月まで毎月開催されるとのことなので、近いうちに必ず若柳駅に参上します。現地での足を考えると、アオガエル君の出番ですね。初の長距離ツーリングになるかしら? 「くりでん」のアイドルだったF君も、もう小学校四年生ぐらいかな?

 6月13日に行われた「くりでん乗車会」の動画(YouTube)は、 → ここをクリック

 ニワトリさんの「くりでん乗車記」は、 → その1
                             → その2
                             → その3
                             → その4

「2007 くりでんウォーク」の様子は、 → ここをクリック

「2007 くりでん乗車会」の様子は、  → ここをクリック