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24時間(耐久)北陸ツアー ~上野駅16番ホーム

2010-04-22 10:30:30 | 鉄道紀行&乗り物


 23時17分、上野駅16番ホームに「能登」が入線してきました。先頭1号車(金沢へ向かう際は、長岡までこちらが最後尾になる)で乗務員の引き継ぎが行われていました。「鉄」ではないニワトリさんは、「なぜ、ここで乗務員が交代するのだろう?」とかすかな疑問を感じたのですが、この489系ボンネット型車両はたった今車庫から発車したのではなく、ホームライナーとして「上野」から「久喜」まで往復してから「能登」に変身して金沢に向かっていたのでした。何て、働き者なんだろう~♪
 と、感心するのもいいけれど、489系がこのような運用をされていることをきちんと把握していれば、たった1回ではなくもっと乗れた筈・・・とは言ったもの、2月は夜勤を8回こなしながら北陸と九州に出かけており、これが精一杯だったでしょうね。それに「もっと乗れた」を言い始めたら、「鉄道」に興味を持つのが30年遅かった!という結論になってしまいます。せっかく宮脇俊三さんの『時刻表2万キロ』をリアルタイムに読んだのに、「鉄」にならずに二輪に夢中になっていたのだから・・・。


(左)23時10分。「能登」が発車する16番ホームへ。最終日は身動きできないほど人々が見送りにきたそうですが、2月4日はこの程度(それでも100人はいたと思う)。上野駅の長距離列車用のプラットホームといえば、石川啄木の短歌「故郷の 訛懐かし 停車場の 人混みの中に そを聴きにいく」が有名で、写真のように歌碑もあります。今では、実感するのが難しくなってしまいましたが、大事にしたい時代背景と風景です。
(右)人々の頭越しにノーファインダーで撮影。たまたま垂直が取れていた! 冒頭写真の車掌さんたちが直立不動でホームに立っています。


    

(左)23時13分。「能登」待つ間に周囲を見回すと、彫像を発見。上野駅構内には、啄木の歌碑以外にもいろいろ面白いものがありそうです。
(右)23時14分。16番線の向こうに三角形の「三つ星」が見えてきた! いよいよ「能登」の入線です。


    

(左)ゆっくりホームに入線する「能登」。
(右)目の前で停車する「能登」。でも、雪を少しかぶったヘッドマークの文字は「ホームライナー」。舞い上がっていたせいか、リアルタイムではヘッドマークの文字が違うことも気づきませんでした。


(左)21時18分。真横からの写真が撮りたかったのですが、冒頭写真のようにホームの柱でノーズが隠れてしまうので、やや後方から撮影しました。
(右)21時19分。わずかな空間にしゃがみこんでヘッドマークを撮影。そのときは気づかなかったけれど、この間にヘッドマークが「ホームライナー」から「能登」に変わっていたのですね・・・。

 今週もかなりハードで、記事も小出しにしか書けません。やっと暖かくなった思ったら、またしても・・・早く普通に戻ってほしいです。


全然当たりません! ~201系H4編成さよなら運転

2010-04-21 22:15:00 | 鉄道紀行&乗り物


 試し撮りでは完璧でしたが、本番ではシャッターを切るタイミングがやや早かった・・・連写モードにすれば良かった?(50mm相当)。幼い頃、後ろに写っている薄い水色の陸橋から電車を眺めていた。今も、小さな子供の手を引いた父親や母親が陸橋にやって来る。


 帰宅すると、またも落選葉書が届いていました。一枚は応募期間中に出し忘れたので、6月20日の最終運転がラストチャンスになってしまいました。
 昔から「くじ運」が悪く、商店街の福引きでは「赤玉」専門だったし、お年玉年賀葉書も良くて切手シートどまり、懸賞の類も当たった試しがない・・・懸賞&抽選にめっぽう弱いためなおさら応募しなくなるという「負のスパイラル」に住むニワトリさんですが、今回も全く駄目です。いったいどのくらいの倍率になっているのでしょうか? それだけでも知りたいものですが・・・。
 抽選に外れても、その日は201系が走るのだから追いかけよう、と心に言い聞かせてはいるのですが、外れた悔しさなのか足が鉛のように重く、なかなか動く気にならなかったり、奥多摩街道を201系と並走できる4月
25日は仕事が入っているなど、散々の体たらくです。ダイヤ編成を外れた時点で、心のロウソクの火が消えてしまった感もあります。
 先週の土曜日、映画に行く前に、武蔵五日市に向かう201系を近所で待ち伏せしました。本来だったら、もう少し絵になる場所で待つ筈で、五日市駅までバイクで追いかけるつもりだったのですが・・・6月20日のラストランはどうしようかな~?
(これだって、全然当たる気がしません)


2コマ目の写真(45mm相当)。「ガ~~ン、電柱が・・・電柱が~~~!」と、心の中で叫びながらシャッターを切った(さらに電柱が写っていたのでトリミング)。


 3コマ目(50mm相当)。線路脇の資材がゴミに見える最悪の写真? 現場では意外と気づかない・・・。この後、電車は国立駅のホームに入線する。国分寺~国立駅間の中央線は、国分寺崖線を谷のように削って横切っていて、写真の一戸建てのところで山(国分寺崖線)が切れる。マンション群が建っているところは崖の下のため、昔は代わりに空が見えた。


 最後の4コマ目は望遠側(157mm相当)で撮影した。垂直も取れていない・・・ひどいものだが、編成写真はやはり望遠レンズで撮影した方が格好良い。70-300mmSSGレンズで撮るべきだった・・・。


24時間(耐久)北陸ツアー ~「北陸」を見送る・・・

2010-04-16 22:27:00 | 鉄道紀行&乗り物

 早めに上野駅に向かったのはもちろん、急行「能登」より30分早い23時03分に発車する寝台特急「北陸」を見送るためです(翌日夜、これに乗って東京へ帰って来る筈だったのに・・・)。


 22時27分。東京駅に着く。山手線に乗換え「上野」へ。「御徒町」に着くと正面に上野松坂屋が見える。ビルの壁には雨どいを覆い隠す化粧パネルが屋上から垂直に降りている。ここを通るたびに、夜間&日中に足場の上で危険と背中合わせで行った雨水管(重い鋳鉄管)の取り換え工事や、徹夜で行う物産展用の給排水工事が思い出され、転職できて本当に良かったと胸に手を当ててしまうのだ・・・。
 22時36分。駅のコンビニで夜食(おやつ)と飲み物を買い、13番ホームに向かう。廃止までまだ一ヶ月以上あるが、熱心なファンが結構集まっている。
 22時48分。寝台特急「北陸」が入線してくる。人々が列車に群がった。満足する写真が撮れずイライラする。どうせ明日乗るのだから・・・と思い、見たり触ったりに気持ちを切り替える。
 23時03分。定時に「北陸」が発車。人々は「北陸」を見送ると、16番ホームに移動した。


(左)東京駅にターミナル駅としての地位を奪われてしまった「上野」だが、13~16番ホームは長距離列車の発着プラットホームとして、他にはない独特の雰囲気をまとっている。ターミナル駅はやはり「くし形」ホームでないと・・・(常磐線の「スーパーひたち」が停車中)。
(右)「北陸」が入線すると、素早く今夜のベッドが整えられる。このときは、乗れずに新幹線で帰るとは思っていなかった。


     

(左)平日にもかかわらずかなりの人が集まっため、後進しながら入線してくる「北陸」の写真はこれ1枚だけしか撮れなかった。人が画面に入らないように工夫したが、左端に腕が写ってしまった(心霊写真ではありません・・・)。視野率100%のファインダーだったら排除できた?
(右)「北陸」のヘッドマークと、列車を牽引する電気機関車の型番をアップで撮る。ボンネット車両と違って、機関車が廃車になるわけではないらしい(よかったよかった)。1052号機は昭和57年に製造された。


(左)この「行先表示」も見収めになってしまう。(以下妄想)まずは浅草の「谷バー」で食前酒にデンキブランを一杯。上野の「精養軒」か「伊豆栄」で夕食を奢り、寝台特急「北陸」に乗りこむ。目が覚めると金沢だ。金沢漁港までひとっ走りして、「宝生寿し」で水揚げされたばかりの魚を握ってもらい、贅沢な朝食を楽しんだ後は「金沢港大野からくり記念館」でからくり人形と遊び、上手いコーヒーでも飲んで「金沢蓄音器館」でSP盤の音色に耳を傾ける・・・そんな贅沢な旅をいつかしてみたいと思ったが、東京の夜と金沢の朝を結ぶ寝台特急が廃止された今、単なる夢で終わった。最後の夜行列車となった「あけぼの」「北斗星」を使えば、「東京の夜」に関してはまだ実現可能だが、東北新幹線が青森まで開通すれば「あけぼの」は用なしに?
(右)よく覚えていないのだが、「北陸」には二階建ての「ソロ寝台」も連結されていたようだ。自分は一度も使ったことがないが「シャワー」も浴びられる(有料)。ホームに見送りに来ていた人の多くは、発車時刻まで車内に乗りこんで写真を撮っていたが、自分は明日乗れるのだから、あえて乗車しなかった。万が一に備えて乗っておくべきだった?


(左)天候が心配されたが、「北陸」は定時に発車した。
(右)13番ホームの「北陸」を見送ると、人々は16番ホームの「能登」へ足早に移動する。


二度と見ることのできない上野駅の「北陸」


24時間(耐久)北陸ツアー ~スタート前

2010-04-15 23:58:15 | 鉄道紀行&乗り物

 「能登」の車内に貼ってあったパネル。自分たちが廃止にしたくせに、「もうすぐその日が来てしまう・・・」とはよく言ったものだ。ついでながら、「ありがとう。そして、さようなら・・・」というのも嫌いな文言だ。「ありがとう」と言うならスクラップにするな~! 0系新幹線に続いて(それ以前の超特急だった)ボンネット型特急が消えた。蒸気機関車は未だに現役なのに、昭和を代表する車両が動態保存されないのは残念で仕方がない。明治&大正の建築物が残って昭和の建築物が残らないのと同じ理屈だろうか?
(ちなみに、物議を醸した昭和の名建築「東京中央郵便局」も、跡形もなく解体されました)



 早いもので、「能登」&「北陸」の廃止からもう一ヶ月になります。この写真は、上野駅16番ホームに到着した「能登」です。向こうのホームからカメラを構えている人が写っていますが、今この写真を見て初めて気づきました・・・駅に停車中の車両を撮るときは、反対ホームから撮影すること。なぜなら、ホームに邪魔されずに足回りも撮れるから。
 なのに、乗ること自体で舞い上がっていたニワトリさんは、「鉄則」をすっかり忘れていたため貴重なボンネット型車両の足回りを一度も見ないまま終わってしまったのです。
 気づかなかったチョンボに少しばかりショックを隠せませんが、大雪のため後半不発に終わった(=帰りに乗る筈だった「北陸」が運休)旅行の顛末を書くことにしましょう。2月のお話だけれど、今日(&明日も)真冬の異常気象だから、それほど違和感はないかもしれません。
 (リアルタイムで少し報告しましたが)21時25分に家を出て翌日の21時27分に戻りました。その間、殆ど寝ていないせいか、まるで「ル・マン」24時間耐久レースを観戦したか、テレビドラマ『24』をぶっ続けに鑑賞したかのように時間が過ぎていきました。映画でいえば、ジョン・ランディスの『眠れぬ夜のために』を不意に思い出しました。
 『眠れぬ夜のために』(86)のオマケ解説。
 不眠症の男(ジェフ・ゴールドブラム)が眠れぬ夜に仕方なくドライブに出かけた。深夜の空港駐車場で見知らぬ女(ミシェル・ファイファー)が助けを求めていきなり助手席に飛びこんでくる。女は何者かに追われていた・・・その場は何とか難を逃れたものの女を厄介払いすることができず、自分も一緒に逃げる羽目になる「巻き込まれ型」サスペンスドラマ。主人公が終始寝ぼけ眼で「ぼお~」としているせいか、追いつ追われつの展開なのに全体的にまったりとしていて、ひっこみ思案の男性が自分勝手な女性に翻弄される(生活が滅茶苦茶になる)伝統的なスクリューボール・コメディと同じ語り口が何とも楽しい。ブレイク前のミシェル・ファイファーの美しさと、七割以上を占める夜の描写の美しさに加えて、映画好きにはたまらないカメオ出演の面々など、題名どおり「眠れぬ夜」に鑑賞するのが相応しい作品。ただし、この邦題から「見たい」と思った人は殆どいない筈なので(それでもカタナカ表記よりはマシか?)、その点では落第(原題は『 Into the Night 』)。

 横道に逸れましたが、以後は時間表示と共にお送りします。
 3日14時00分。夜勤の仕事が片付き事務所に寄る。緊急事態に至らず、明日&明後日が予定どおり休みになったので晴れて旅行に出かけられるが、北陸地方は大雪が降っており、今夜「能登」が走れるのか不明。「能登」が走れたとしても、帰りの「北陸」が運休になったら新幹線で帰ってこなければならない。片道だけのために2万円以上使っていいものか? それに、もし今夜の「能登」も運休になったら、切符を払い戻せるのか? キャンセルできず、往きも帰りも新幹線となれば金を捨てたも同然ではないか? などなど色んな不安が生じて一度家に戻る。
 14時30分。天気予報を調べる。北陸地方は今日だけでなく明日も明後日も雪。新潟地方は記録的な雪になるらしい。が、今のところ鉄道は動いているので、国立駅の「みどりの窓口」へ向かう。
 14時40分。「能登」の運行状況を尋ねる。今のところ、平常通り発車する予定らしい。それを聞いて「北陸フリー切符」を購入する。「能登」の指定席も予約。
 15時10分。昨晩も1時間ほどしか仮眠していないので、出かけるまでに少しでも睡眠を取ろうと思ったが、雪が気になって眠れない。インターネットでJRの運行状況をリアルタイムで表示しながら旅支度にかかる。
 16時30分。JR大糸線の「南小谷」~「糸魚川」間が運休になる。北アルプスの麓を走る線だけに致し方ないだろう。長距離列車(寝台など)の運休はなく平常どおり。
 17時50分。30分ほどウトウトして目を覚ます。雪が降り止む気配はない。北陸本線のダイヤが遅れ始める。不安を紛らわせるためにブログを書き始める。
 18時30分。JR信越本線が運転見合わせになる。「能登」が走るJR上越線は大丈夫なのだろうか? 非常に不安だが、まだ運休の知らせはない。
 19時00分。夕食。テレビニュースで記録的な大雪の話題。
 19時15分。急いで食べて部屋に戻り、パソコンの画面を確認するが、運休の知らせはない。走るものと決めて、リビングに戻る。
 19時30分。コーヒーを飲んで心を落ち着ける。
 20時00分。熱いシャワーを浴びる。あと一時間少々で出発だ。長距離列車はどれも走る模様。ここまでもったのだから、走ってほしい。ネコと遊んで過ごす。
 21時25分。ネコに別れを告げて(例によって、手を噛まれる)家を出る。短いけれど、いよいよ旅の始まりだ。
 21時32分。国立駅着。一応駅員に確かめてもらう。定時発車とのこと。バンザ~イ! 上野駅で「運休」を知らされるのだけは勘弁してほしいと思う。
 21時36分。東京行の快速電車に乗り込む。東京駅まで寝ようと思ったが、眠れなかった。持参した文庫本『本番台本』(ギャビン・ライアル)を読んで過ごす。


ダイヤ編成から外れた中央線の「201系」 ~残るは全7回の「さよなら運転」のみ!

2010-04-04 09:05:15 | 鉄道紀行&乗り物


こういう写真を撮る筈でした・・・(「東中野」~「中野」間。実はこれ、トレーディングカードの絵柄)

 ひどい文章だったので、「てにをは」を直しました( 5日11時30分。まだ勤務中だけど・・・)

 予定どおり5時に起きて、クルミさんに朝食をあげてから国立駅に向かいました。今までのケースだと、8時頃までには最初の一編成が姿を現わすかもしれません。改札を抜けてプラットホームへ向かったのですが、窓口を振り返ると、若い女性職員が座っています。感じの良さそうなお嬢さんだったので、ちょっと声をかけてみました。(眼鏡フェチが役立って声をかける気になった?)
「すみません、今日の201系の運行状況がわかるでしょうか? もしわかれば、教えていただきたいのですが・・・」
「201系ですか、少しお待ちください」
 そう言うと、なにやらファイルを取り出していましたが、
「すみません。ここではわからないのですが、もしお時間があれば調べてみますけど・・・」
 願ってもないことだったので、喜んでお願いしました。寒風(今朝も10℃以下では?)にさらされながら、ただ待つのは辛いもんね。しばらくして、
「運転室に電話をかけたのですが、電話がつながらないので、もう少しお待ちいただけますか?」
 全然、OK!です。そして、
「えとですね、申し訳ございませんが、201系はダイヤ改正で定期運転を終了したそうです」
 ガ~~~ン!!! でも、うすうす感じていました。それ以前はたった2編成とはいえ、運良く乗車できる日もあったし、その気になって反対側のレールを眺めていたら、結構すれ違うことがあったのに、このところ全く見かけなかったから。やっぱり!そうだったのか・・・。
「ということは、201系が見られるのは『さよなら運転』だけ、ということですね」
「そうですね、残念ですが。申し訳ございません」
「いえ、教えていただいて助かりました。待ちぼうけにならずにすみましたから」
 それなら、家に帰って出勤時間までもうひと眠りしよう・・・《SUICA》の入場記録を取り消してもらい一度改札を出たのですが、折角早起きしたのだからせめて土日限定の「トレーディングカード(キヨスクなどで300円以上の買い物をすると、1枚もらえる)でも手に入れて帰ろうと国立駅独自の「通行証」をもらって再び改札をくぐり、キヨスクで買い物をしようと思ったら、「ごめんね、6時20分からなの」と言われ、20分ほど待つことにしました。

 結局、「熊本電鉄」のときと同じだった・・・金曜日に同じ「みどりの窓口」で、同じ質問をしたのですが、そのとき応対してくれた50代の男性職員は、「どこを走っているかはその日その日で違うからわかりません」と素っ気なく答え、調べる気などさらさらない感じでした。さらに「まだ走っているから、待っていれば乗れるでしょう。申し訳ないけど、待つしかないですね」と、つけ加えました。
 その言葉を信じて、土曜日を「いすみ鉄道」に使うか、「201系」に使うか、悩んだ結果(実は「いすみ鉄道」も、今年6月に廃止が決定されてしまうかもしれない)、「201系は、日曜の昼までに桜とのツーショットだけ撮ればいい。続く火曜日に、丸一日使って色々な場所で撮ることにしよう」と決め、土曜日はちょっとしんどいけれど「いすみ鉄道」に乗りに行くことにしたのですが、本当にそうして良かったよ! もし、「201系」に使っていたら・・・知らないことは罪じゃないけれど、調べもせずに「まだ走っている」なんて、いい加減なことを言うな~! アオガエルに乗れなかった恨みまで思い出してしまったよ。

 20分後、トレーディングカードを3枚ともGETした(ということは、小出しに300円ずつ3回「大人買い」したわけですが)ニワトリさんは、先ほどのお嬢さんにもう一度お礼を言って家に戻りました。家では、くるみさんが大喜びで迎えてくれました。
(今は、定位置で寝てますね。この後、自分も朝寝しようかな?)


 キヨスクが開く6時20分まで改札越しに駅前の桜を撮ってみました。蛍光灯モードにすると、朝の青白さが強調されました。


ちなみに、こちらは土曜の夜。たまたま、ロータリー上に車がいません。三脚をセットして長時間露光で撮影したら綺麗な写真が撮れるかも?


 今年も元気に帰って来た「駅ツバメ」。定位置に止まっていました。帰る頃には活発に飛び回っていました。


 早起きは三文の得といいますが、約千円の出費・・・2編成になっても、写真撮影の機会は幾らでもあった筈。悔やまれます。JRのダイヤ改正で消滅したのは「能登」「北陸」「キハ52」総武線の「郵便列車」「500系のぞみ」だけではなかったんですね。ショックですが、実感が湧きません。最後の望みだった「秩父鉄道」のオレンジバーミリオン(101系)も新型車両導入に伴い編成から外れたそうです・・・駄目元で訪ねてみる? 


今年も菜の花レールウェイ! ~ムーミン谷からお引っ越し?

2010-04-03 23:40:00 | 鉄道紀行&乗り物

 今年も歩いたあの道(「国吉」~「上総中川」間)。良いポジションにたどり着く前に警笛が鳴って・・・
(以下、ネコ以外の写真は、クリックすると大きくなるよ~♪)


 金曜日は歓送迎会がありまして、21時に仕事が終わったニワトリさんは、1時間少々顔を出し、
ヘロヘロに酔っ払ってベッドに直行しました。
 でもやはり、ニワトリだけに早起きはお手のもの? 始発電車で「いすみ鉄道」を訪ねました。
(中央線では「吉祥寺」で眠りに落ち、東京駅で乗換えた総武線快速ではスカイツリーを見たのが最後で、
はっと目を覚ました直後に「千葉」に着いたので、「佐倉」まで行かずに済みました。続く外房線でも、
乗り継ぎ駅の「上総一ノ宮」に着いたのに熟睡してしまい、ホームの反対側で待機していた「安房小湊」行が
行ってしまうか、乗っていた電車が「千葉」に折り返しても文句は言えなかったのですが、予定どおり
7時39分に起点駅の「大原」に着くことができました)


 今年は誰も隠れていなかった?(「西畑」~「上総中野」間)けれど、「立入禁止」を守ってくださいね!


 

 去年の10月から、「いすみ鉄道」にムーミントロールたちが引っ越してきました(国吉駅)。


「国吉」駅の先住民は(駅前食堂のネコだそうです)は、今年も健在でした!


 こちらは、トトロも棲んでる「小湊鉄道」上総大久保駅。少し前まで陽が射していたのに・・・!


 今年は「桜」との2ショットも撮れました。でも、ニワトリさんは、桜よりもムーミンが好きだったようで、
以前からお気に入りの「国吉」に入り浸っていました。
 カエルの唄に、線路を横切る綺麗なキジ・・・楽しい一日でした! 明日は、夜勤に入る時間まで、
中央線の201系を追いかけてみます。5時に起きればいいかな?
実は、国立駅で桜を撮った日にリュックからカメラを落としてしまい、ファインダーから覗いた絵と実際の写真が
かなりずれてしまいました。仕上がりを予想してフレーミングしなければならず、何度失敗したことか・・・
明日も泣かされそうです。


銚子電鉄 ~愉快な一日(その2)

2010-03-28 11:11:20 | 鉄道紀行&乗り物


 可愛いデキ3号と鉄道博士たち。勉強は苦手と言っていたけれど、ニワトリさんの小学校時代とは比べものにならないほど利発です。本人たちから撮影&掲載許可をもらっていますが、問題があれば保護者の方のご連絡をお待ちしています。


 電車は8時52分に銚子に着きました。30分近く待ち時間があるので、改札を降りて駅前をふらふらすることにしました。今まで何度も銚子を訪ねていながら、改札をくぐったのは今回が初めてです。平屋の駅舎は、なだらかな傾斜の瓦葺の屋根がのんびりした感じでなかなかよろしく、高い建物が周囲にないため空も広く感じられます。銚子漁港まで歩けたのですが、そのときはそこまで考えが回らず、とりあえずコーヒーが飲みたいなあ~と、マックに飛びこんでしまいました。
 今朝のニワトリさんはいつものように千葉で万葉軒の駅弁を買わず、国立駅に向かう途中のコンビニで50円引きの天丼を買い、中央線の車内で周りに人がいないのを幸いにさっさと食べてしまったのですが、これが実にまずくて、同じ値段(480円)の万葉軒のとんかつ弁当を食べるべきだったと深く後悔していました。それから4時間以上経過して程良くお腹も空いています。コーヒーだけのつもりだったのに、フィレオフィッシュを食べてしまいました。

 駅に戻ると、「銚子電鉄」の電車がホームの先っちょに入線していました。青色のラッピング車両「桃太郎電鉄」(デハ1001)です。
 不親切な「銚子電鉄HP」より信頼できるHPで、運行状況を事前にチェックしたのですが、「伊予鉄道」から譲渡された新型車両は試運転こそ終わっているようですが、未だに編成に組み込まれておらず、デハ701&801の引退も4月にずれ込むとのことでした。主力車両だった「鉄子車両」(デハ1002)が検査のため編成から外れており、稼働しているのは3両だけということから、「今ならデハ701とデハ801の両方に乗れる可能性が高い」と書かれていました。
 でも、やって来たのはデハ1001です。もう一編成が何度も乗ったことのあるデハ801ではなくてデハ701だったらいいんだけど・・・そんなことを思いながら車内に乗り込むと、先ほどの学生さんと顔を合わせました。
「残念だったね~」と声をかけると、「そうですね~」と苦笑していました。続いて、後部ドア横に坐っていたFB(ファット・バスタードの略。詳細は前回記事を参照)がチラチラ光線を送ってきましたが、声をかける間もなく電車が出発してしまい、FBも眼光鋭く自分の仕事に取りかかりました。車両基地のある次駅の「仲ノ町」では、側線にデハ801が停まっていました。ということは・・・やった~!

 今日は全駅下車をするつもりですが、「銚子電鉄』は1時間に2本運行されていて、中間駅になる「笠上黒生」でタブレットを交換しながら電車がすれ違うことを頭に入れて上下線を乗っていけば、短時間に全駅下車ができてしまいます。
 やってきたのがデハ1001だし、ニワトリさんは(銚子から数えて④駅目の「本銚子」から始めることにしました。「本銚子」で電車から降りるなり猛ダッシュして近くの陸橋から去ってゆく電車を「撮り」に行きます。漫画『鉄子の旅』でこの方法が紹介されたのですが、テレビなどでも紹介されて皆が真似するようになったそうです。こうしたことを含めて、この先出会うことになる博学な少年達が教えてくれました。

 一度駅に戻って、上り電車がやって来ると再び橋から写真を撮って駅に駆け戻りますが、道が「下り」ということもあって、こちらの方がずっと楽です。
 踏切の警報機がチンチン鳴り出し、緑のトンネルをくぐりながらデハ701が近づいて来ます。シャッターを切るなり駅に駆け下りました。ニワトリさんから20mほど遅れて電車に飛び乗ったカップルは、息を切らしてそれどころではなかったようですが、「今日は一日中デハ701に乗れる」と思うと、胸が高鳴りました。
 デハ701の車内は大変混んでいたので、写真撮影はしませんでした。(③駅目になる)「観音」で「たい焼き」を食べる予定だったので、たった一駅乗っただけで降りてしまいました。デハ701が銚子を折り返してきてから、乗り心地を楽しんだり、ゆっくりつきあうつもりだったのですが・・・!

 90円!の「たい焼き」を食べ、フィレオ・フィッシュを食べないでここで「たこ焼き」を食べるべきだった・・・と少し後悔しながら電車を待っていたのですが、やって来たのはデハ801ではありませんか! どうやら「仲ノ町」で、デハ701とデハ801の車両交換が行われたのでしょう。ということは、この先デハ701が走る可能性は非常に少ないことを意味しています。
 かなりがっかりしながら電車に乗り込みました。予定では⑤駅目の「笠上黒生」でタブレットの交換を見届けて、そのまま⑦駅目の「海鹿島」まで行って、上り線に乗換えるのですが、全駅下車にこだわるよりデハ801に乗ろうと思い直し、「海鹿島」で降りずに終点の外川まで行くことにしました。

 車両後方が比較空いていたので移動しました。真ん中に立って流れてゆく景色を眺めていると、デジタルkiss X3 と軽めの脚立を携行した少年二人組が隣に立っています。もしかして車窓の風景を撮りたいのかなあと思い、「君たち、写真を撮りたいんじゃないの? 場所変わってあげるよ」と話しかけたら、「ありがとうごさいます。大丈夫です。いいんです」と丁寧な言葉が返ってきました。一人の子が素早く運転席の写真を撮りました。
 なるほど、景色を撮りたいわけではないんだな・・・そんなことをチラッと思いながらキャベツ畑を眺めていたら、「僕たち、田園調布から来たんですけど、どこから来られたのですか?」と、話しかけられました。

 少年たちと話して驚いたのなんのって・・・「銚子電鉄」については知らないことは何一つなさそうです。そんなに熱心なファンなのかと思い、「よく来るんだ?」と訪ねてみたら、今日が初めてとのこと。本当に驚きました。少年の一人は鉄道模型も好きらしく、とりわけ古い車両についての知識が半端ではありません。元東急電鉄のアオガエルも、「上毛電鉄」のデハ101も、小湊鉄道やひたちなか海浜鉄道のキハ20形についても、ニワトリさんを遥か置き去りにするほどの知識があり、もちろん解体された銚子電鉄のデハ101の台車の1つが「上毛電鉄」にあることも知っていました。
 「彼はほんと、オタクなんです」と、もう一人が自分の友達を誇らしげに揶揄すると、「違うよ。鉄道オタクなんて、あんな宇宙人みたいな会話をしている奴らは大嫌いだ。僕は彼らと違って普通に話ができる」と、(一部意訳していますが)理路整然と反論しました。友達もうなずきます。
 ここでニワトリさんも、「確かに自分も彼らの会話についていけないし、子供たちのことなんか目もくれずに(テツにとっての)特等席を一人占めにする輩も結構いるもんな~」と思いました。自分が場所を変わろうと話しかけたから、彼らが興味を持ってくれたのかもしれません。

 少年たちの話によると、小学校!最後の春休みを利用して、車で3時間かけて銚子まで送ってもらったとのことでした。今日は最高の日で、デハ701&801が二両編成で走っていたこと、デハ701&801の乗り心地のこと、運転の難しさから始まり塗装が剥離して可哀相だったとか、デハ701の速度計が壊れていてゼロのままだったとか、銚子電鉄は路面電車並みの低電圧(600V)だから速度が出ないし、新型車両にしても色々制約があることとか、伊予鉄道から譲渡された2編成は、片側が京王3000系(昔自分が通学時に乗った緑の無冷房車)で、片側が「耳すま」京王5000系で、京王電鉄の技術者が伊予まで溶接に行ったことに、デハ700&801に傘が置いてあるのは雨漏りがするから(特にデハ701がひどいらしい)といったことまで、こうして書きとめておかないと忘れてしまうことをたくさん教えてくれました。

 とても愉快だったので、この先一緒に行動するのもいいなあと思いました。向こうもそう感じたのか、ごく自然に「次はどこへ行こうか?」という雰囲気になりました。そんなわけで、父親と子供以上に年の離れた不思議な三人組は終点の「外川」まで行き、折り返して車両基地のある「仲ノ町」に向かうことになりました。
 もう、時間が来ました。「能登」や「500系」に青梅の梅林と、記事がつまっているのですが、このまま続きを書こうかな? あっ、その前に写真を整理しないと・・・!


    

嫌いなラッピング車両も、こうしてしまえば・・・
左=本銚子駅近くの陸橋から。右=海鹿島駅。


左から「鉄子」車両(デハ1002)、「耳すま」京王5000系の顔も持つ新型車両、
引退直前のデハ701、「桃太郎電鉄」デハ1001。「鉄子」もくたびれてきた・・・。


銚子電鉄 ~愉快な一日

2010-03-27 23:58:58 | 鉄道紀行&乗り物


 土曜日は、「銚子電鉄」に乗ってきました。3両のデハといよいよお別れなので、ちょっぴり湿っぽくなるかと思ったのですが、デハ801の車内で会った少年二人と、呼び水になってくれた?「18きっぷ」で旅行中のオヤジさんや学生さん(+ファット・バスタード)のおかげで、とても愉快な一日を過ごすことができました。本当にありがとうございます!

 いつものように4時に起床し、37分の始発電車で出かけたのですが、北風の冷たさにびっくり! あまりの寒さにホームに立っているのが嫌になりました。Tシャツを二枚重ねしたけれど、セーターのたぐいは着ていなかったので、骨に沁みます・・・御茶ノ水で総武線に乗換えるのですが、電車が発車するまでの約10分間に、開けっ放しのドアから吹きこんでくる風が、冷凍怪獣ペギラの吐く息ほど強力で、車内はたちまち氷河期と化しました。
 いつもだったら、弁当を急いで買わなければならないほど連絡が良く、「銚子電鉄」の乗り始めも8時半頃だったのに、ダイヤ改正に伴い?待ち時間が増え、銚子着が8時52分と遅くなり、おまけに「銚子電鉄」もダイヤ改正したため、乗り出しが9時20分と、従来より50分以上も時間をロスしてしまいました。新幹線がもう少しで「博多」に着くというのに、「銚子」は何て遠いのだろう・・・。
(帰りは特急で帰ってきたので、3時間を切ることができました)
 おまけにですね、紺白ツートンのクハ111~112の引退が始まったのか、自分が千葉から乗った車両がそうだったし、すれ違う車両がことごとくステンレス製の車体にロングシートのクハ211で、全く面白くありません(佐倉でようやく112系とすれ違う)。
 この車両で2時間過ごすのは拷問とまでは言わないけれど、限りなく修行に近い苦行です。リュックの中から文庫本(今日は宮脇俊三さんの『最長片道切符の旅』を久しぶりに持ってきた)を取り出して読み始めたら、隣の隣に座っていた(車内はかなり空いていた)60~70才ぐらいのスリムなオヤジさんが、「失礼ですが、旅行で来られているのですか?」と話しかけてきました。
「いいえ、旅行というほどではなくて・・・東京から銚子電鉄に乗りに来ました」
「そうですか、私は福井から来て、昨日は佐倉に泊まりました。それで今日は~~~」

 オヤジさんは佐原で鹿島線に乗換え、北浦を渡って鹿島神宮をお参りした後、鹿島臨海鉄道で水戸へ出て水郷線に乗り継いで郡山まで行き、磐越西線に乗換えて会津若松で一泊する予定であることを話してくれました。
「18きっぷで旅されているんですね」とニワトリさん。
「そうなんですよ、青春なんです!」とオヤジさん。
 この方はバリバリの「テツ」ではなく、自分と同じような感じでぎこちなく時刻表を紐解きながら鉄道の旅を楽しんでおられる様子です。車両のことも知らないし、線名も駅名もすらすら出てくるわけではありません。オマケについていたという旅の手帖はよく使いこなされていました。手帖にプリントされた全国のJRの路線図から北海道のページを開いて、旅の話をしてくれました。
 自分もまた、昨夏に訪れたばかりの鹿島線と鹿島神宮の見どころや、自分が訪ねた北陸の鉄道の話をして、福井の鉄道について質問しました。そんなこんな話していたら、あっという間に時間が過ぎてしまい、鹿島線の乗換え駅になる「佐原」に着いてしまいました。4両編成のクハ111系が跨線橋の向こうで待機してます(懐かしい~)。「良い旅を~」と言って別れました。

 銚子まで残る9駅、再び文庫本に目を落としたところ、話が終わるのを待ち構えていたかのように、もう二つ隣に座っていた若者(多分学生)が、「自分も東京から来て、仲ノ町に行くのですが・・・」と話しかけてきました。
「それなら君も、デハ701、801に会いに来たの?」「そうなんですけど、長くいられないんです。自分はツーデーパスで来たんだけど、今日はハードに動かなければならなくて・・・」
 先ほど、自分とオヤジさんが「18きっぷ」以外のお得で便利な切符の話をしていたので、そのころから興味深く聞いていたのかもしれません。すれ違いがあるたびにEOS20Dを取り出して写真を撮りに行っていたから、車両好きの「テツ」なのでしょう。話の途中でポツンと彼が「今乗ってる車両も終わりなんですよ」と呟いたのですが、間髪を入れずに斜め前に坐っていたファット・バスタード(『オースティン・パワーズ・デラックス』に出ていたアイツです)が、「それは違うよ、この車両は◎×△■に行くんだ。それから、今度来る○▽凹◇も撮らなくちゃ駄目だよ」と言葉を返してきました。
 
 早口だったので聞き取れませんでした。それにニワトリさんは、ステンレス車両が廃車になろうがどこかへ転属になろうが知ったことではないので、聞き返しませんでした。学生は、「そうだったんですか、僕はてっきり、ΩβΛΣξ・・・」と返答していたので、ちゃんと意味がわかっていたのでしょう。
 この「テツ」のファット・バスタード、マイク・マイヤーズの特殊メイクほどインパクトが強くありませんが、電車が千葉駅を出発したときに万葉軒の弁当を2個ペロリと平らげたものだから、『オースティン・パワーズ・デラックス』のファット・バスタードを懐かしく思い出したのです。フィルムカメラのEOS 5 を首にぶら下げて、片手に編成写真が綺麗に収められているA4のクリアファイルを持っていました。弁当を食べていた頃から彼は、ニワトリさんをチラリチラリと意識していたのですが、『銚子電鉄』でも何度も顔を合わせ、そのたびにチラチラ目線を送ってきました。
 まだ「師匠」に会う前だというのに、こんな綴ってしまいました。二人の可愛い「師匠」につては、明日夜勤に出かけるまでに別項で書きます。それでは・・・おやすみなさい~♪
(何だ、もう眠いのね・・・)


外川駅にて。君たちぐらい年の離れた友達ができたら、実に愉快だろうな~!
(君たちと同じ春休みに、僕も友達と城ヶ島まで大冒険=一泊旅行に行きました)

 すいません。やっぱり、眠かったのかな~。誤字脱字意味不明が結構ありました。日曜の朝に直したけれど・・・。


いよいよその日がやって来ます・・・中央線201系ラストラン!

2010-03-23 12:08:00 | 鉄道紀行&乗り物



 覚悟はしていたけれど、とうとう中央線からオレンジ色が姿を消す日がやって来ました。たった2編成(H4編成&H7編成)とはいえ、高架化工事の関係で生き長らえることになった中央線の201系・・・運良く201系に乗れたときとか、201系が走っているのを見かけたときなど、「おっ、今日はついてるな!」と嬉しい気持ちになったのですが、それももうおしまいになります。今年は、旧型車両ファンにとって、ショッキングな出来事が立て続けに起こり、未だに立ち直れていませんが(もう鉄道ファンをやめてもいい?)、201系の消滅は何よりも心が沈む出来事で、喪失感は計りしれません。

 先週の金曜日、南武線の西国立駅で「さよなら中央線201系H4編成 日帰り旅行」と書かれたオレンジ色のポスターと案内チラシを見かけました。とても気になったのですが仕事の途中だったので、翌日「パリ・オペラ座」のバレエ公演を観に上野へ行く際に国立駅でチラシをもらうことにしたのですが、どういう理由なのかわからないけれど国立駅には置いてありません(だから、気付くのが遅れたのですが・・・)。改札窓口で問い合わせてみたところ、「ございますよ~」と言いながら、奥の方からチラシを取り出してくれました。
 チラシには、4月11日から6月20日までの期間に、これまで201系電車が走ってきた各路線の「さよなら運転」を行う旨が記されていました。

①富士急行線河口湖(4月11日)、⑥(6月13日)
②武蔵五日市(4月17日)
③奥多摩(4月25日)
④初狩スイッチバック体験+笹子設備トレーニングセンター見学(5月8日)
⑤高麗川・河辺(5月16日)
⑦ラストラン松本(6月20日)
 *松本までのラストランを終えた201系H4編成は、そのまま回送されて廃車となります。

 特製弁当&記念乗車証付ツアーは、先着順に受け付けるのではなくて、往復葉書による抽選で決まるとのこと。どれくらいの確率で乗れるのか全く分かりませんが、公平といえば公平なので、とにかく7つの全てに応募しようと思ったのですが、①と②については、すでに締切日を過ぎていました・・・。残るは5つになりますが、パンフをよく読むと、2名以上~4名以内で申し込まなければなりません。単独行のニワトリさんにはネックです。誰か友達を誘えばいいのですが、友人には「テツ」はいないので、どうしたものか・・・まあ、誰が同行してくれるかは、抽選に当たってから考えることにして、夜勤前に往復葉書を買いに行ってきましょう~♪
 もう一つの201系H7編成も「さよなら運転」を行って今夏、引退します。本線を走っている間に、少しでも乗り(撮り)に行かなくては・・・。


僕らを乗せて シュッポ シュッポ シュッポッポ  ~真岡鐡道  

2010-03-19 23:54:54 | 鉄道紀行&乗り物


 今回、満足な写真を撮ることができなかったのですが、生きている(動態保存されている)蒸気機関車は、例えようもなく美しかったです。真冬だから正午過ぎといえども太陽は低い位置にありますが、逆光に佇む鉄の塊は神々しいほど輝いていました。この写真はお世辞にも良い写真ではないのですが、一番気に入っています。



 冒頭の写真は広角側(24mm相当)で、こちらは望遠側(157mm相当)で撮影しました。遠近感が強調された広角レンズの写真に対して、望遠レンズの圧縮効果がそれなりに出ています。車両を遠くから望遠レンズで撮ると格好いいです! 鉄道写真に「サンニッパ」(300mm F2.8)が必要な理由がわかりました。



    

(左)待つこと1時間、機回し線を後進して本線に戻ったC12&C11は、一度本線を前進してホームを通過後バックで機回し線に入り、機回し線上に置きざりにされている客車を連結して本線に復帰する。写真は、客車を牽いて機回し線から本線に戻るところ。客車の最後尾がポイントを通過したところでポイントを切り替え、バックでホームに入線する。
(右)定刻どおりに、重連が汽笛を鳴らして発車した。上りの「SLもおか」号は、下りの「SLもおか」号ほど混んでおらず、「窓は全部開けるからな」と公言していた「テツ」のグループと同じ列に並んだ幸運?もあり、自分もまた、気兼ねすることなく(向かいの席に座った人の許可をもらって)窓を開けることができた。ちなみに、ニワトリさんが乗った最後尾1号車(帰りは1号車が後ろになる)の窓開け率は、「往き」と比べてかなり高かった。


    

(左)車内から先頭を走る重連の姿が見える左カーブに差しかかった。「汽車汽車ポッポポッポ シュッポシュッポ シュポッポ~♪」。思わず、『汽車ポッポ』を口ずさむ。
(右)このカーブは「撮り鉄」側でも見栄えがするのだろう、ここだけで数百人のギャラリーがいた。自分にカメラを向けているわけではないのだけれど、有名人になった気分を味わえた?


    

 窓を開けて身を乗り出していると、顔にパラパラ燃えカスが当たる。水蒸気が混じっているからだろうか、焚火の煙とはひと味違う匂いと感触がする。耳に直接鳴り響くレールの音と汽笛は音楽だ。少しは顔が黒くなったかもしれないが(後で、トイレの洗面所で確かめたら、別に変りはなくちょっと残念・・・)、蒸気機関車に乗るときは窓を開けた方が数倍気持ちが良い。真岡鐡道はトンネルがないので、安心して窓を開けていられる。近所に住む子供たちはSLが通る時間を知っていて、家の外に出て、ときには部屋の窓越しに手を振ってくれる。彼らに手を振り返すのも、窓が開いていた方が距離が縮まる気がする。


    

(左)完全な逆光だけれど、影が美しかったのでカメラを構えてみた。たなびく煙がフィルターの役割までしてくれた? あとで思ったが、ここが春の撮影ポイントになる桜並木だと思う。
(右)真岡駅で先頭を走っていたC12-66が切り離され、最後部にディーゼル機関車が連結された。「下館」についたら、C11-325もお役御免となり、ディーゼル機関車に牽かれて真岡に戻るというわけ。C12の切り離し作業には大勢の人が集まっていた。釜が燃えているところが見たかったので、C11の運転席に貼りついたら、その甲斐あって見えました~♪


 下館駅に戻ってきたC11-325。別れを惜しむようにしばらく停車してから、ディーゼル機関車に牽かれて行きました。ニワトリさんはC11-325を見送ってから、水戸線で「小山」に出て東北本線に乗り換え、宇都宮の餃子を食べに行きました。

 これでようやく、「冬の18きっぷ」の旅が終わり、記事も「怒涛の移動?」に移ります・・・。