goo blog サービス終了のお知らせ 

JR鹿島線 ~水を渡る!

2012-08-25 21:12:00 | 鉄道紀行&乗り物


 夕暮れ迫る全長1236mの北浦橋梁を渡りました。往きは空中散歩を楽しみ、帰りの橋梁通過中にこの写真を撮りました。海のような浦の中心に突き出ている家が気になります。地図で確認すると、あの部分は桟橋のように細長く突き出ているわけではなくて、半島みたいな感じに突き出ています。あそこ(爪木ノ鼻)に一度立ってみたい・・・。先っぽから北浦と橋梁を眺めたらどんな感じだろう? 

 銚子駅で千葉行の電車を待ちました。うまい具合に、往きに乗った総武線ではなく、成田線の千葉行に当たったので、途中の香取駅で下車して鹿島線に乗り換え、北浦を渡ってきました。18時近くになっていたため、鹿島神宮の参拝はあきらめ、そのまま鹿島神宮駅を折り返したのですが、相棒はニワトリさん以上にタフでした。殆どの人が嫌がる「始発電車出発」を全く苦にしなかった時点で、鹿島神宮までコースに入れるべきだったかも? 素晴らしい~♪ 



 黄金色に色づき始めた稲穂の先にたっぷりと水をたたえた北浦が・・・水田地帯を高架で行くJR鹿島線はお気に入りの一つです。
 最初の見どころは「十二橋」から「潮来」にかけての田園風景。まだ見たことがないのですが、田植えの時期も良さそうです。十二橋駅は、プラットホームに降りると目の前に空と田園風景が広がる素敵な駅です。ここから十二橋を巡るのが、またいいんだよなあ~。
 続いて、「延方」~「鹿島神宮」の北浦橋梁。トラスのない橋なので、本当に水の上を渡っているような気になります。少し前まで、窓の開けられるクハ115系が走っていましたが、全て引退したようです。一度もすれ違いませんでした。
 北浦橋梁は、「乗って良し、眺めて良し」な素敵な橋で、延方から少し歩くと、橋の下に行かれます。参考までに、三年前に撮影した写真を再度UPしますね(クリックすると、大きくなるよ!


 満々と水をたたえた北浦を渡るクハ115系

 水の上を飛ぶ・・・乗りたくなりません? 


 無人の「香取」駅は、駅舎(待合室)が新しくなったような気がします・・・。駅ネコが2匹いました(クロとキジトラ)。この暑さの中、部活の陸上練習を終えた中学生が、クロについて親切に教えてくれました。言葉づかいも丁寧な、折り目正しい少年です。東京ではあまりお目にかかれない?


 少し痩せていたけど、かなり前からここにいるらしい・・・。中学生も喉を撫でてましたが、ニワトリさんにもゴロゴロなついてくれました。


 


飯沼観音 ~銚子電鉄「観音」駅から・・・

2012-08-23 09:35:00 | 鉄道紀行&乗り物


 立派な五重塔(平成21年再建)に、全長5mの大仏像・・・寺院に近づくと、京都か奈良にいるような気持ちになりました。それもその筈、飯沼観音(観音様)と親しまれて呼ばれている圓福寺は、今から1400年前に建てられ、門前町として栄えてきたのです。
 銚子電鉄の各駅に下車してきたニワトリさんですが、「観音」と名付けられたこの駅では、名物のたい焼きを食べただけで、飯沼観音に立ち寄ったことはありませんでした。今回、寺好きな連れがいたこともあり、たい焼きを食べる前の腹ごなしに「観音様」まで歩いてきました(徒歩5分くらいかな?)。
 寺に近づくにつれ門前町らしい町並みが現われ、放射線状に延びる交差点に差しかかると、二人同時に「京都みたい」と呟きました。
 駅から寺までは迷いようがない一本道だったのと、このとき、ちょっとした驚きに興奮していたせいか、交差点を渡った時点で5本ほどある道のどれが駅に続く道なのか確認しなかったため、帰り道を間違えてしまいました(まあ、国木田独歩の句碑があったりして、迷ったのも良かったけど)。
 かなり歩いてからようやく間違いに気づいて、交差点まで戻ったのですが、地図は読めるけれど方向音痴なニワトリさんは、駅に戻る道が判らず、地元の人に道を尋ねて事なきを得ました・・・。


 立派な本堂には十一面観音が祭られています。後で調べたのですが、太平洋戦争中にこのあたりも空襲を受け、殆どの伽藍が焼け落ちました。この大仏様にも機銃掃射を受けた際の弾痕が残っていたそうですが、気づきませんでした。先日シリアで命を落とされたジャーナリストの山本美香さんが訴え続けてきた戦争の実態が、ここにも生々しく刻まれていたのですが、我々はすっかり忘れてしまったようです。忘れずにいることが大切なのに・・・。
 かつての賑わいはないけれど、門前町として栄えた街並みを歩くのはなかなか楽しく、さらに詳しく調べると、もう一つの顔が現われてきました。今度訪ねたら、路地の裏を歩いてみるつもりです。


今でも大勢の信徒さんがいるのでしょう。戦後、仁王門、鐘楼、観音堂が再建され、2009年には高さ33mの五重塔も完成しました。立派な塔です。

  観音駅でたい焼きを食べた後、君ヶ浜から白亜の犬吠埼灯台へ向かったのですが、九十九段の螺旋階段を上って灯台から太平洋を一望したところで、カメラがないことに気づきました・・・。とりあえず犬吠駅に戻ると、観音駅や走行中の電車に電話連絡してもらったのですが、やはり見つかりません。あきらめかけたところで、念のために確認してもらった観音駅のトイレから無事に発見され、犬吠駅まで届けてもらうことになりました。ほっとしたニワトリさんは犬吠崎に再び戻って、マリンパークの、華はないけれど心温まるイルカのショーなどを見てから、イワシの天丼を食べました。この日のマリンパークは、かなりのお客さんが入ってましたが、イルカやアザラシの水槽は濁っていて、設備にお金をかける余裕はなさそうです。こういうのを見てしまうと、応援じゃないけど、毎回寄らねば、と思ってしまいます・・・。次回は?


銚子電鉄 2012

2012-08-22 23:20:50 | 鉄道紀行&乗り物


 ここ二週間は、休む間もなく週末飛び回っていました。でも、この言い回しは正しくありません。飛び回ることがイコール休んでいたに等しいような気がするからです。だって、先週が蓼科&白樺湖で、今週が湯河原と名栗渓谷だから・・・。月曜日は二年ぶりに銚子電鉄を訪ねてみました。
 写真は、朝の外川駅です。いつもながらの光景に見えますが、引込線に停まっているデハ801(1950年生まれ)はすでに廃車になっています。戦時中(1941)生まれの貴重なデハ701と、701に連結されて走っていた702の姿は、どこにも見当たりませんでした。きっと解体されてしまったのでしょう。車両の墓場とも呼ばれている笠上黒生駅に停まっていることを願ったのですが・・・。
 笠上黒生駅の裏手には、トロッコ列車の「澪つくし」号が雨ざらしになっていました。かつての面影は全くありません。でも、解体されないだけましか・・・。無くなったといえば、外房駅でカフェとして使われていた車両も綺麗に撤去されていました。枕木だけがごろんと放置されていて、朽ち果てた生き物の骨のようでした。
 この日は珍しく相棒がいて、実に楽しい一日だったのですが、喪失感で胸が痛みました。一人で来ていたら、早々に退散していたでしょう。


今はもう動かないデハ801・・・せめてもの願いは、このまま解体しないで!


 一枚目の写真は、外川駅に入線した2501型です。新たに導入された2501型(左上)と2502型は1962年生まれ。廃車を免れ、京王電鉄から伊予鉄道へ譲渡され、第二の鐡道人生を送っていた車両です。走り続けて半世紀・・・まさか関東に戻ってくるとは思わなかっただろうね~。ある意味、実に幸福な車両です。
 この日は2501型(京王線カラー)と2502型(伊予鉄道カラー)しか走っていませんでした。確かに貴重な車両ではあるけれど、デハ801との違いは歴然としていて、モーターの音や、車内に響いた人々の笑い声や、子供たちの歓声、そして圧倒的とも言える乗り心地(揺れ具合)が、ひたすら恋しくなりました。2501型で初めて銚子電鉄に乗った人は、車内があまりに揺れることに驚いただろうし、「ガタンゴトン」というレールの響きを新鮮に感じたでしょうが・・・。
 続く二枚は、地下鉄銀座線カラーに塗り替えられた1001型(右中)と、「鉄子カラー」から地下鉄丸の内線カラーに塗り替えられた1002(左下)です。悪いアイデアではないとは思うけれど、自分がなぜ銚子電鉄に乗りに行ってたのか、デハ701&801を失った今、はっきりわかりました。


90歳になったデキ3号。相変わらず可愛い!


眠れる夜の前に・・・

2012-04-22 23:13:13 | 鉄道紀行&乗り物


 写真は、新潟駅13番線。仲良く並ぶ二階建て新幹線です。高崎まで左のMAX「とき」に乗り、高崎で八高線に乗り換えました・・・。
 今、一泊二日の鉄道旅行を終え、無事の帰りをマンゴー&オレンジ(カクテル)で一人祝っているところです。時速300kmの「はやぶさ」から蒸気機関車まで計16時間鉄道に乗り、一日2万歩二日で4万歩きました。風呂から出た直後は猛烈な眠気がやってきたので、いつまでまぶたが落ちずにいられるかわかりませんが、それまでしばしお付き合いくださいませ・・・。


 仙台駅を発車する「はやぶさ」。帰りに上越新幹線に乗って「はやぶさ」の速さを実感! 時速300キロは半端じゃない・・・最初で最後の500系が思い出されます。

 

 仙台から各駅停車(東北本線)で郡山まで戻ります。郡山から会津若松へ、べこちゃん(だったと思う)シールがたくさん貼られた電車でGO~♪ 昼食の駅弁は、福島牛の牛めし。絶品のたれがしみこんだ柔らか牛肉&しゃきしゃきゴボウが、どさっと乗っていました。付け合せはシンプルに、玉こんにゃく、卵焼きそして芝漬け。かなりの駅弁を食べてきたけど、福島牛の牛めしは、一、二を争うほどおいしかった~!


 

 会津若松に着くと、転車台を探しました。嬉しいことに、一足早く新潟から到着した「SLばんえつ物語」号(C57-180号機)が転車台にバックで入ってきて、向きを変えると扇形に広がる車庫の一つに入りました。資材の上に爪先立ちになり、腕を思い切り伸ばして金網の上からノーファインダーで撮影。仕事のことは完全に忘れていた?


 西日を浴びて黄金色に輝くC57-180号機。現在JR東日本は、三輌の蒸気機関車を走らせています(残る二輌は、D51-489と、C61-20)。C57-180号機は、今から14年前に最初に動態復帰しました。ニワトリさんは、2007年にC57に乗ってますが、客車はそのときよりかなりくたびれていました。そろそろ塗り替えの時期だけど、予算がない?


 阿賀野川に沿って新潟へ向かう蒸気機関車。ドラマほどではないけれど、顔が真っ黒になりました。


 新潟は信濃川にかかる萬代橋。橋好きにはたまりません。ここでも、仕事をほったらかして橋を渡る、橋を撮る、また橋を渡ると、やりたい放題?



みなとぴあで見つけた竜宮城? 仕事を完全におきざりにし、興奮の極致で駆け寄った旧新潟税関庁舎。この日の新潟は桜が満開で、最高の瞬間に立ち会うことができたと感激しました。



 同じくみなとぴあにて。ここはどこ?状態。門司港以来の興奮に襲われました。強風のため人がほとんどいません。「仕事でなければ・・・」と、何度思ったことでしょう!


 (上越新幹線の)トンネルを抜けると(まだ)雪国だった・・・東京方面へ戻っているのですが、豪雪地帯なのかなあ? 最後の駅弁は、迷いに迷ってまさかの・・・(まス、さケ、かニ、そしていくら)寿司。これも大変おいしかった~。さすが新潟ですね、お米がおいしく、朝からかる~く三杯食べちゃった!


 高崎駅を発車したMAX「とき」を見送り・・・そろそろ限界です。思考力も限りなくゼロに・・・お休みなさい~♪


雨の日の鉄道博物館

2012-03-10 22:44:33 | 鉄道紀行&乗り物


 今日は(仕事で)鉄道博物館に行ってきました。ここに来るのは二度目ですが、プライベートで来たことはまだありません。三月とは思えない寒い日で、おまけに雨が降っていたものだから(途中で止んだようですが)、かなり(と言っていいのでは?)空いていました。車両によっては独占できるほど!

 2007年3月に廃止された鹿島鉄道とくりはら田園鉄道。思えば、ニワトリさんの鉄道の旅はこのときから始まりました。が、あれから5年経った今、いよいよ「鉄道をめぐる状況」は厳しさを増しているようです。赤字路線の多くは存続の岐路に立たされています。台風被害を受けた高千穂鉄道は、もし復活すれば真っ先に乗りに行きたい鉄道でしたが、(職務を途中で放り出した)お笑い知事に一縷の望みを絶たれ廃止になってしまいました。そして去年の大震災・・・。線路や駅舎が流されてしまった路線は、再開のめどが全く立っていない状況です。
 それらに比べれば致し方ないことだけれど、お気に入りの旧型車両が次々と姿を消していきました。自分にとって、「車両」はかなり重要だったようです。というのも、好きな車両が走らなくなったことで、その路線に乗ろうという気持ちまでが消え失せてしまったからです。JR山田線&岩泉線も、窓の開けられないキハ110系で走るのと旧国鉄型気動車で走るのでは、見える景色も肌に触れる空気も伝わる振動や聞こえてくる音も全然違うと思うのですが、そう考える自分の方が「普通(の鉄)」ではないのかもしれません。
 とはいえ、乗りたい路線は全国各地にまだまだ沢山あるのですが、まとまった休みがなかなか取れないため、数年前と比べると、乗っていないに等しいくらい減ってしまいました。
 もっと早く鉄道に目覚めるべきだった・・・そう痛感しながらもこの五年間に、廃止された寝台特急「なは」、寝台急行「銀河」、急行「能登」、0系&500系新幹線(もうすぐ引退する300系には思い入れはない)に、583系寝台特急(会津若松で快速電車として偶然乗れた)と氷見線のキハ47、島原鉄道の旧国鉄型気動車(南線廃止と共に引退)、熊本電鉄の最後の東急5000系アオガエル(まだ乗れるか?)、琴平電鉄の京王5000系(多分引退した・・・)、銚子電鉄のデハ701&801(涙)、最後の砦だった京葉線(京浜東北線と同じ)の青と無くなる日が来ることは思わなかった橙色の中央線、そしてまだ運行されているけれど群馬を走る湘南電車など、自分の好きな車両に乗れることができました。それだけでも良かったと思いたい?

 青梅の鉄道公園や大宮の鉄道博物館に行くと心が弾みます。ここに来れば、いつだって自分の好きな車両たちに会えるから。懐かしいオレンジ色の中央線や、もっと懐かしいチョコレート色の電車が、昔のホームに停車しているではありませんか! 寝台特急を引っ張っていた電気機関車はこんなに格好良かったんだ! 
 ぐるぐるぐるぐる、車両を一周二周している間に、子供に戻っていくようです。103系の色あせたブルーのロングシートや、ボンネット型特急と0系新幹線の三列座席に腰を下ろした途端に幸福な時間に包まれ、このままずっと座リ続けていたくなる・・・。
 103系のロングシートは、最高級のソファよりも坐り心地が良い魔法の椅子です。この日は二回も坐ってしまいました。展示車両のシートは茶色だったような気がするけれど、家に帰って思い出すと、慣れ親しんだ201系の青色に、それも背もたれの部分が色褪せてまだらになった青色に変わってしまったようです。このロングシートにどれだけ長い時間坐っていられるか、我慢比べ大会をやれば、ニワトリさんの優勝は間違いありません!
 鉄道博物館に行くのは二度目ですが、前回以上に心安らぐ場所になっていたことに驚きました(普段の乗車では満たされていないということ?)。今日のように寒い日とか、雨の日の平日などは特に狙い目でしょう、実に有意義な時間が過ごせます。今度は一人で行こう、と思った。


色んなモノに逢えました~♪ ~ひたちなか海浜鉄道~

2011-08-24 22:00:01 | 鉄道紀行&乗り物

な~んて、可愛いんでしょう。思わず、手に乗せてしまいました・・・


 今日は思いがけず休みになったので、「18きっぷ」を使って【いすみ鉄道】に乗ってきました。その他もろもろ活動しているのですが、記事が全然書けません・・・。
 先週の土曜日は、やはり「18きっぷ」を使って【ひたちなか海浜鉄道】に乗ってきました。夜勤と夜勤の間を縫うように出かけているので、移動中は外の景色も見ずに寝ていることが殆どだったりして・・・その日も危うく「勝田」を通り過ぎそうになりました。危ない危ない・・・。


この景色が見たかった! ニワトリさんは、「金上」~「那珂湊」間を特に好む。

 

 6月に訪れてバイクで「全駅下車」したときの記事もまだ書けてませんが、猛暑が途切れた20日は、暑くもなく寒くもなく雨にも降られず、ラッキーでした。
 始発電車で出発し、8時33分に「阿字ヶ浦」に到着。天気が良ければ海水浴をしたのですが、あいにくの曇り空。そこで、次の列車で「中根」まで戻り、(前から歩いてみたかったのですが)「那珂湊」まで線路沿いを歩きました。混む前に「お魚市場」でおいしいお鮨を食べて、(ある事情で動いてくれた)キハ20形(キハ2004)に運良く乗って、「那珂湊」→「勝田」→「阿字ヶ浦」の走行を楽しませてもらいました。久しぶりのキハ20形です(2004に乗るのは初めて!)。「阿字ヶ浦」に着くとキハ2004から締め出されてしまったのですが、キハに曳かれて「勝田」まで戻り、帰路につきました。


阿字ヶ浦海岸。泳ぐ気満々でしたが、ちと寒い・・・


ここ(仲根)から、那珂湊まで歩くことにしました。楽しかった~♪


 

キハ2004から見た風景。これが最高~! 午前中は田んぼと森の間の道を歩いていた・・・。


 この日に出会ったモノ(人)たち。「勝田」駅標(前回、入場券を渋って勝田駅1番ホームに行かなかったので、これだけ見なかった!)。稲穂をつけ始めた田んぼ。人のいない海。小さな小さなアマガエル(今年生まれたのかな?)。黒+サファイア色の糸トンボ。キハ2004。横見君と『新・鉄子の旅』ご一行(読者を含む団体)。吉田社長(は、いつもいらっしゃいますが、硬券の一日乗車券にサインしてもらっちゃった~)。駅ネコのオサム君はどこかへ出かけていましたが、色々な出会いがあって、本当に楽しかったです。また行きたいな~~♪


キハ2004の前で「ホワイトPEN」(1型だと思う)を構えている女性は・・・村井美樹さん?
帽子に隠れて横見君、漫画家(菊池さんからバトンタッチ)、運転席の横には・・・編集長!


彼女が撮影していた駅標。ニワトリさんは朝一で撮影。
 


「ひたちなか海浜鉄道」、走る!

2011-06-26 11:01:11 | 鉄道紀行&乗り物

全線復旧の日まで・・・


 ニュース番組でも報じられていましたが、東日本震災で被災した「ひたちなか海浜鉄道」の旧国鉄型気動車が三両連結して、「那珂湊」~「仲根」間の、たった一駅だけれど、震災以後初めて線路を走りました。
 ニワトリさんが訪ねたときは、7月中には全線開通させようと復旧工事に勤しんでいました。いち早く走らせてくれてありがとうございます! 全線復旧の際は乗りに行きますね~♪
(その前に記事をUPさせないと・・・)

 那珂湊駅で出番を待つ気動車たち(クリックすると拡大されるよ!)


駅ネコ「オサム」も、その日が待ち遠しい~♪!

 新しい週が始まりました。ちょっと早過ぎない?


「ひたちなか海浜鉄道」全駅確認!

2011-06-04 22:07:00 | 鉄道紀行&乗り物

 


 少しばかりお金が余分にかかってしまうけれど、ひたちなか市は城ヶ島に行くより近かった? 
 高速道路を使えば自宅→(約4km)→中央道国立府中IC→首都高山手外環→常磐道→北関東自動車道ひたちなかIC→(約4km)→阿字ヶ浦という具合に、約2時間で結ばれてしまいます。今だとまだETCの休日割引&早朝割引が使えるので、往きは250円+560円+1050円=1860円、帰りは1200円+560円+350円=2110円と、国立→勝田間のJR運賃2520円より割安になります。ガソリン代が1822円(単価134.8円。今回燃費=27.88 ℓ/km)かかったので、合計金額では鉄道の方が安上がりだけれど(「18きっぷ」のシーズンになれば2300円で往復できる)、国立から勝田まで鉄道だと片道3時間10~20分かかり、寝て過ごす手もあるけれど、帰り道はかなりの苦行を強いられます。バイクは風を直接受けるため体力を消耗するけれど、2時間程度の高速走行は思った以上に楽でした。
 今日は前回(2009年1月)同様全駅訪ねたのですが、各駅&数箇所の踏切で結構時間を使い、その上阿字ヶ浦、川子塚前方後円墳(初)、酒列磯前神社、比観亭跡、磯崎灯台(突然の霧で見えず)、白亜紀海岸、鯨の大ちゃん、虎塚古墳、十五朗穴、反射炉などを回り、おさかな市場でお昼を食べ、「那珂湊」駅ネコのオサム&サバトラの美猫とたっぷり遊んでも(6時20分から13時10分まで、7時間近く現地にいたわけだけど)、15時半には自宅に戻っていたことを考えると、バイクの機動力は圧倒的で、アオガエル君には377kmを無給油で走ることのできる足の長さ(あと100kmぐらい走れた)があります。シートがもう少し柔らかくて、ステップの位置がもう少し膝を曲げずに済む位置にあれば・・・。

 色々面白いモノが見られたのですが、それらについては逐次記事にするつもりです。22時を過ぎて、急速に眠たくなってきました。明日も4時に起きて、半年ぶりに毘沙門湾&城ヶ島に行ってきま~す!




「殿山」駅で停まったままの気動車。7月中旬に復旧します! 次回は「18きっぷ」かな?


F1モナコ・グランプリ

2011-05-29 23:13:23 | 鉄道紀行&乗り物

1977年のモナコGP。六輪のタイレルP34(ティレルではない)を駆るロニー・ピーターソン。
前年のモナコで2&3位、続くスウェーデンGPで1&2フィニッシュした異形のモンスター。
1977年は数々のトラブルに見舞われ、その結果僅か2年で表舞台から姿を消したが、
視覚的側面からも技術的側面からも、六輪タイレルは多くの少年の心を捉え、今日に至っている。
レインタイヤ(グッドイヤーがタイヤを供給)を履いているようだが、この年は雨が降ったのかな?


 今夜23時過ぎから F1 モナコ GP のテレビ中継があります。友人が教えてくれたのですが、話をしていたら久しぶりに見たくなりました。
 ニワトリさんは特定の人やモノに固執する性質があり、F1グランプリは70年代から追いかけてきましたが、ホンダの撤退でかなり熱が冷め、アイルトン・セナが事故死した1994年のサンマリノGP以後は殆ど見なくなりました。
(話は逸れますが、ニワトリさんは競馬も好きだったのですが、デビューしたときから追いかけていたサイレンススズカが事故死した1998年秋の天皇賞以後、馬券を買わなくなり、レースも見なくなりました。今日のダービーは不良馬場をものともせず、オルフェーブルが皐月賞に続いて二冠を達成したそうですね!)
 ホンダがF1に再復帰し、日本人ドライバーの佐藤琢磨がアグレッシブな走りを見せてくれた2003~2005年にかけてはニワトリさんもF1復帰したのですが、ホンダが完全撤退した2009年以降は全く見ていません。

 

同じく1977年のモナコGP。タイレルP34がヘヤピンカーブに進入している。


 F1モナコ・グランプリ。コース幅が狭く直線も短いので、最高速付近の競り合いや、抜きつ抜かれつの派手なバトルに「手に汗握る」ことは少ないのですが、殆どのコーナーが出口の見えないブラインドコーナーになっていて、一般公道を走る関係上ラインを外せば即ガードレールが待っている難易度の非常に高いコースとして知られています。ドライバーには技量と度胸が、マシンにはタイヤやサスペンションのセッティングも含めた高度なトータルバランス性能が求められます。何といっても、一般公道を走るレースとして、モナコGPほど華のあるレースはありません。ヘアピンカーブとトンネルは余りにも有名ですよね~、周囲に立ち並ぶ高級ホテルやヨットハーバーも・・・。
 モナコのコースは抜くポイントがないに等しいので、予選最速のタイムを出してポールポジションを獲ることが重要。ポールポジションを獲ったマシンが過去23回優勝しています。最多はアイルトン・セナの6回。
 そろそろ時間です。テレビの前に移動しましょう!


コース図。92年、セナとマンセルがラスカスコーナーなどで大バトルを演じた・・・。

土砂降りの雨の中、山中湖ロードレース(一周)無事完走できました!

 【追記】2011年モナコGP、見ました。去年、最年少でワールド・チャンピオンの座を獲得したセバスチャン・ベッテル(レッドブル・ルノー)がポール・トゥ・フィニッシュでモナコ初制覇。今季6戦中5勝と圧倒的強さを見せつけた。でも、レース中に順位が入れ替わり、最後は92年のセナ対マンセルのバトルを彷彿とさせるような新旧ワールド・チャンピオンの三つ巴のバトルもあり(ベッテルをフェラーリのアロンゾとマクラーレン・メルセデスのバトンが猛チャージ)、見ごたえ充分! 小林可夢偉(ザウバー・フェラーリ)が素晴らしい走りで5位に入賞! 私は初めて見たのですが、小林選手の走りは凄くクレバーな感じがする。そしてタフだ。ホンダがかつてのように熱心にF1に取り組んでいれば、彼のドライビングで優勝することも夢ではなかった? ザウバーには申し訳ないが、来シーズンは有力チームに移籍させたい。そしたら、日本人初のF1GP優勝も?


小林選手の白いフェラーリ。モナコGP5位入賞はフロックではない! 


川原湯温泉へ

2011-01-09 23:43:43 | 鉄道紀行&乗り物

凍った滝


 「18きっぷ」五回目はJR吾妻線に乗って、(どうしようもない民主党の)二転三転した政策により、再びダムに沈むことになる(のでしょう)吾妻渓谷の川原湯温泉に行ってきました。
 東京とは一線を画した、凛と背筋の伸びる冷たい空気に包まれ、鼻の奥まで冷えました。「寒いのは嫌い」と言いながら、「寒い、寒い」と喜んでいるニワトリさんは、「どエム」なのかもしれません。気温は0度前後でしょうか、日差しは暖かいけれど、時折身を切るような風が吹き、吾妻川に流れ込んでいる滝(湧き水)が全て凍結しているではありませんか! たくさんの枯葉が氷の中に閉じこめられ、まるで化石のようでした。
 前回訪れたのが、ムーミンこと電気機関車EF55-1の「さよなら運転」のときだったから、二年ぶりの訪問になります。ダムを跨ぐ橋が幾つか完成したそうですが、今回は終着駅の「大前」はおろか(「大前」行きの列車は一日5本しかない・・・)「川原湯温泉」より先に行かなかったので、どんな様子なのかわかりません。


約一時間後、特急「草津」がやってきた!



 明日10日は、もしかすると泊まりになるかもしれず、そうでなくても朝から21時過ぎまで仕事があるわけだし、今日は一日ゆっくり体を休めるべきでしたが、4時に起き(前日は、夜勤明けの上に旅行の準備作業+新年会というスケジュールでした・・・)、始発電車で高崎に向かい、ダムに沈む川原湯温泉駅に降り立ち、日本一短い樽沢トンネル(全長7.2m)まで往復して、列車がトンネルをくぐる様子を見届けてから温泉に浸かって、昨日までの疲れと雑念を振り払ってきました。
 空気も断然おいしかったので、自宅にいるより健康的に一日を過ごせたのかもしれません。道中かなり寝たにもかかわらず、かなりの眠気がやってきました。このままグアムに突入かな? 


川原湯温泉で一番好きな「笹湯」。このタイルがいいんだなあ~♪  


この日は運良く、往きも帰りも「窓の開けられる」クハ115系に乗れました!

 それでは、そろそろお休みなさい・・・。