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一ヶ月後・・・

2009-06-12 23:58:10 | オートバイ春夏秋冬

6月7日の城ヶ島。ひと月で緑が濃くなった。この日は珍しく?凪だった・・・


 一ヶ月後に続きを走りに行きました。この日は出かける直前まで行き先を迷っていましたが、4時半に出発したのは大正解でした。夏至が近づいてきましたが、7日の日の出が4時25分で、日の入りが19時ちょうどと、すでに日中時間が非常に長~くなっています。子供の頃、夏休みが来ると、言われなくてもに早起きをして、早朝から雑木林に出かけ、日が暮れるまで遊んでいたから、どうしても7~8月の方が昼の時間が長いと錯覚してしまうのですが、実は梅雨に差しかかるこの一ヶ月が一番「夜が短い」ので、前にも書いたけれど、6月は鉄道旅行向きの季節でもあります(「梅雨の18きっぷ」を出してほしい!)。
 何はともあれ、「早起きは三文の得」とはよく言ったもので、柿生経由で市ヶ尾の先からバイパスを通って金沢八景に出て、後は16号を走って横須賀から観音崎に向かったのですが、早朝の道路は非常に空いていて、空気もまだひんやりしており、爽快そのもの! アオガエル君も実に気持ち良く走り、「早出」はストレス発散にも最高だと思いました。もう「癖」になりそう。うん、早出に限る!


 朝食は三崎港の朝市で・・・一途な思いだけで三浦半島の先端までひた走り、いつもどおりの7時に朝食のテーブルに着きました。朝市には大勢の人々が来ていました。クーラーボックスを積んでくれば「三崎のマグロ」も、4尾200円!の新鮮なサバもGETできたのですが・・・。


(左)まだ7時前なのに売り切れ寸前だったマグロ丼は500円。マグロ汁は200円。マグロ丼は普通に旨く、マグロの味噌汁は最高! マグロのかき揚げ天ぷらうどん=350円も食べたかったけど、何とかこらえた。
(右)市場をひと回りしてから、モーニングコーヒー(100円)とクルミ入りのあんパン(150円)を頂く。コーヒーの隣のブースがパン屋だったから、こらえることができなかった・・・さすがにお腹がふくれたので、城ヶ島灯台を眺めながら(左奥の尖塔が見えるかな?)三崎港でひと休み。岸壁から釣り糸を垂らしている人も結構いる。のんびり釣りを楽しむ休日もいいかもしれない。



 朝食後は、気になっていた4匹の猫に会うため、ガソリンを5リットルだけ補充して三崎から毘沙門湾に戻った。オートフォーカスが中抜けしてしまい、後ろの岩に合焦してしまった・・・猫たちを訪ねる前に、旧日本軍の通信施設跡を探していたら、畑道の泥の上で立ちゴケしてしまい大ショック~~! 先ほどのスタンドで工具を借りて、外れたウインカーをつけ直し、泥汚れも綺麗に落とした。こんなに世話になるなら、ケチケチしないで満タンにすればよかった?(一番安い近所のスタンドが、リッターあたり113円。横須賀が一番高くて123~125円。ここは比較的安い118円だった。自分はガソリンに環境税を導入すべきだと考えているけど、1円でも安いスタンドを探してしまうのは、また別の話)


    

 「やせっぽち」は人なつこく、甘えながら鳴いた。背中の傷はまだ完治していなかった。ある程度の距離感を保つ「はにかみ屋」は、自分が帰ろうとすると、こんなところに寝そべってみせた。もう一匹の「クロ」はエサやりおじさんがいないせいか(近くで見かけましたが)、完全に無視された。


 

(左)いろいろあったが、それでも10時には城ヶ島灯台に着いた。短パン(濡れてもいいように水着を持ってきた)とスポーツサンダルに履き替えている。今日も空と海が青い!
(右)海上は穏やかで、風も殆どない。沖合に浮かんでいるのは伊豆大島。一か月前と違うのは、海食で生じた窪みに雨水がたまって小さな池が幾つもできていて、たくさんのオタマジャクシが泳いでいたこと。海が荒れればひとたまりもないはずだが、毎年繰り返されているのだろうから、この時期をうまく利用しているのだろう。ニワトリさんも池のほとりで朝寝をしたのだが、たった1時間で丸焦げになってしまった・・・。


(左)潮だまりには実に多くの小さな生きものたちがいた。
(右)馬の背洞門の階段を上っていたら、可愛いナナホシテントウが飛んできて、手のひらに止まった。手塚治虫(オサムシ)にも、よくお目にかかった。


    

(左)岩に化けている小魚を探せ?
(右)多くの人が洞門の上を渡っていたけど、崩落の危険があるそうだ。


 馬の背洞門の尾根からウミウ生息地の断崖絶壁を覗きこむ。ウミウの姿は確認できなかった。秋になれば、繁殖のためにここに戻ってくる。


 右端の草地は「グライダー広場」と呼ばれているらしい。そういえば一か月前、ラジコン飛行機を飛ばしている音が終始聞えていた。この日もエンジン音が聞えてきたが、草刈り機の音だった。


 グライダー広場から馬の背洞門を振り返る。写真だと遠そうだけど、小一時間もあれば楽に行って帰ってこられる。景色が素晴らしく、誰もが楽しめる散歩道だ。


    

 ひまわりのように空に向かって花を咲かせているサボテンと、この日もたくさん見かけたトビ。城ヶ島はもう夏だったりして・・・


 海が穏やかだと南国にいるような気がする城ヶ島。早くも半日が過ぎてしまい、アジのたたきをかきこんで油壺に向かった。観光船が廃止されていなければ、海を往復できたのに・・・。


センチメンタル・ジャーニー ~城ヶ島灯台と城ヶ島YH

2009-06-11 21:51:25 | オートバイ春夏秋冬


 楽しかった時間があっと言う間に過ぎてゆき、そろそろ(記事を読んでくださっている方には「やっと・・・」)、立ち去る時刻が近づいて来ました。強風にさらされ西日を浴びている城ヶ島灯台に神々しさを覚えるほどだったのですが、風が受けているだけで体力を消耗する感じ・・・今でこそ無人ですが、灯台守の皆さんは、さぞかし苦労されたことと思います。


 新たに設けられた階段やウッドデッキで、行きやすくなった城ヶ島灯台。昔の姿を全く覚えていないので、天井裏の押し入れから古いアルバムを引っ張り出してくる必要があるかも? 城ヶ島灯台は5番目にできた西洋式灯台で、明治3(1870)年に初点灯した。初代灯台は関東大震災で倒壊し、1927年に現在の灯台が再建された。



(左)城ヶ島灯台近くの京急ホテル側の浜辺は、このようにのこぎり状になっていて、よほど印象的だったのか、鮮明に覚えていた。この付近は夕陽のスポットとしても有名で、自分が島を去る時間になって訪れるカメラマンや人々も多数見かけた。
(右)ウミウ生息地と城ヶ島YHを訪ねて島を去ることにしていたが、向かう途中の待避港から城ヶ島大橋を見上げてみた。記憶どおり、橋の中央部分が赤かったことが確認できた!


 太平洋岸の東側はこのような断崖絶壁になっていて、人が立ち寄ることはできない。その代わり、ウミウにとっては格好の繁殖地になった。


 繁殖のシーズン(11~4月)は終わったが、まだぼちぼちウミウの姿を見ることができた。最盛期には3000羽以上も集まるらしい。小・中学校時代は春休みを利用して旅行したので、この日よりずっと多くのウミウを見ることができた。猛烈な風のため、カメラが手ぶれしている。断崖に生えている木々も真っ直ぐ延びていくことができず、風下に傾いてしまった!





(右)城ケ島公園の入口。「ウミウ展望台まで200m」の表示が見える。城ヶ島というより、三浦半島全体が軍事的に重要と考えられ、城ヶ島にも軍の要塞が築かれた。城ケ島公園は要塞跡地に造られた。数少ない遺構も残っているらしいので、次回はそれも探してみたい。
(左)遊歩道入口のはす向かいに城ヶ島YHがあった筈だが、探してみたところ、YHの入口にフェンスが張られていた!



 神奈川県観光組合が運営してきた城ヶ島YHは、2003年8月31日に閉館された。城ヶ島YHは1962年に開業され、昭和40年代(自分たちも利用した頃だ)には年間1万人以上が利用したが、最近では夏場以外の利用客がなく、4000人台まで客足が衰えたため、県が閉鎖を決めたとのことだ。建物はまだ残されていて、玄関前のロータリーから非常に懐かしかったが、廃墟となってしまった寂しさは拭えなかった。2007年には、自分たちも乗船した「城ヶ島~油壺」間の定期観光船(カモメが船の後を追いかけてくる)が廃止されてしまったが、それを知ったのもつい先日のことだ。ある意味では、センチメンタル・ジャーニーの最後に相応しいエピソードだが、残念で仕方がない。


センチメンタル・ジャーニー ~城ヶ島の歴史と自然

2009-06-10 23:59:59 | オートバイ春夏秋冬


城ケ島灯台へ向かう階段の上から眺めた北側の景色は地中海風だけど・・・


太平洋に面した南側は、手つかずの厳しい自然が広がる。


 (お恥ずかしい話だけど)城ヶ島が鎌倉時代から景勝地として有名だったことを、ここを訪ねてから数十年後に初めて知りました。鎌倉に幕府を開いた源頼朝も、城ケ島はお気に入りの場所だったのか、何度も遊びに来ています。7日の日曜日には、城ケ島から鎌倉まで走ったのですが、もしかすると、頼朝も通った道を通っていたかもしれません。島内には、埋め立てられてしまってかつての面影は全く残っていないそうですが(全く、どうしてそういうことをしてしまうのだろう?)、頼朝に因んで名付けられた「遊ヶ埼」「水っ垂れ」「酔女ヶ浜」といった地名が今も残っています。頼朝は単に訪れるだけでなく、城ヶ島と対岸(三崎)の宝蔵山に桜を数千株植え、瀬戸に舟を出して両岸の桜を眺める、といった豪快な花見もしていました。妻=政子の尻に敷かれている印象が強い頼朝ですが、なかなかやりますね~、それとも、政子に尻を叩かれて植樹したのかしら?


 赤羽崎の突端にある「馬の背洞門」。侵食によって岩がアーチ状にえぐりとられた。中央にも覗き穴風の侵食口があるけど、穴の向こうの海が見えるかな? 関東大震災以前はこの下を舟で潜れたらしいが、地震による隆起で陸化してしまった! 海食は長い年月を経て、磯だまりをたくさん作った。小さな生き物たちのオアシスになっている。


 奥の方にかすかに見える建物からスタートして、海岸線を歩き、馬の背洞門の尾根を登ったところ。ここから先は、高さ30mの切り立った台地を歩いてスタート地点まで戻る道と、ウミウの生息地を眺めながら東側の城ケ島公園まで歩く道が整備されている。海岸線や台地を行く人が点々と写っている・・・この景色をみたとき、『ムーミンパパ海へ行く』の舞台になった島を訪れたような気持ちになった。



(左)城ヶ島は、黒潮の影響で冬場も温暖だが、太平洋に直に面しているため、島の南側は海からの風に常にさらされており、暴風時には人を全く寄せつけなくなる。この日もよく晴れた暖かな一日だったが、強風が吹いていて、沖には白波が立っていた。海が荒れてくると、海食(風と波の激しさがわかる)によってできた岩場を超える高波が押し寄せる。島の南側が天然の防波堤になってくれるので、島の北側と対岸の三崎港は良質な漁港として古くから漁業が営まれてきた。
(右)太平洋岸の木々は全て傾いていて、自然の力の凄さを思い知らされるが、地面に這いつくばるように広がって咲く花を見ると、生命のたくましさにも驚かされる。


(左)磯だまりには無数の小さな生き物たちがいる。じっとして海底の砂に溶け込んでいる稚魚が見えるかな? 左端にも稚魚がたまたま写っているが、このタイプはスイスイ泳ぎ回っている。
(右)お洒落なデザインのクラゲもぷかぷかしていた。ヤドカリやカニ、エビのたぐいもたくさんいて、目の細かな網と小さいバケツがあればたくさんの生き物を観察できる。


 太平洋側の東半分は人を全く寄せ付けないが(断崖絶壁の台地はウミウの繁殖地になっている)、城ヶ島灯台のある西半分は気楽に歩ける。前述したように、海食でできた岩場を歩いて馬の背洞門まで行き、馬の背洞門から比較的緩やかな斜面を登り、30mの断崖の上を歩いて灯台下まで戻ってくる遊歩道が整備されていて、暴風時以外は城ヶ島の自然を満喫できる。


 この日のニワトリさんは、太平洋岸の半分を往復する感じに一筆書きで歩いてから、最後に灯台に向かいました。ダイナミックに景色が変わるので非常に楽しく、運動量もちょうどいい感じ! 実を言うと、城ヶ島にはもう一つの顔があるのだけれど、それにも今まで全く気付いていませんでした。やっぱりもう一度行かないと?

 帰宅して書き始めたのですが、眠気に勝てず・・・書き終わったので、また寝ます(2時33分。日付は前日に戻します)。お休みなさい~♪


センチメンタル・ジャーニー ~雨はふるふる城ヶ島の磯に・・・

2009-06-09 23:24:00 | オートバイ春夏秋冬

城ヶ島大橋から見た三崎港


 『城ヶ島の雨』   北原白秋

 雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利久鼠の 雨がふる
 雨は真珠か 夜明けの霧か それとも私の 忍び泣き

 舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげた ぬしの舟
 ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの 心意気

 雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ


 例によって、肝心なところが抜けていたことを、たった今思い出しました。城ヶ島と言えば、一時期三崎に在住した詩人=北原白秋(『ペチカ』『カラタチの花』『待ちぼうけ』『この道』など。個人的には『ゆりかごのうた』が特に好き)の『城ヶ島の雨』が有名です。島内に北原白秋記念館があり、城ヶ島大橋の下にも歌詞が彫りこまれた記念碑があるのに、頭からすっかり落ちていました。
 遠い記憶を芋づる式にたどっていくと、そうそう、城ヶ島には「城ヶ島灯台」以外に「安房埼灯台」灯台がありました。灯台というより、大きなロウソクと呼びたくなる白亜の小さな塔です。中学時代は城ヶ島に連泊したのですが、一日&二日目が雨になってしまい、特に二日目は終日、北原白秋が作詞したような「利久鼠の」雨(って、どんな雨だろう?)が降りしきる中、海岸線を歩いて島を一周しました(危険すぎて迂回した場所もある)。
 ひと月の間に二度も城ヶ島を訪ねたのに、記念館も安房埼灯台も見ていないとは・・・それにですよ、安房埼灯台のある東側の海岸は、人があまり来ないのも魅力的でしたが、とっておきの「秘密の海岸」もあったのです。思い出したからには、また近いうちに行かないと?


(左)全長575mの城ヶ島大橋は、1958年に着工され1960年に竣工した。城ケ島大橋開通に伴い、それまで唯一の交通手段だった三崎~城ケ島間の渡し船が廃止になったが、去年半世紀ぶりに復活したそうだ。料金所を通過して(自動二輪=往復50円)ここにバイクを止めたとき、懐かしさがこみあげてきた。
(右)城ヶ島大橋の真ん中付近の路肩に停車して記念撮影。背後は三崎港。毘沙門&剱崎方面も見える。


     

(左)橋を渡ると、島の娘?とウミウが迎えてくれる。
(右)風の島では、鯉のぼりもよく泳ぐ。背後の樹の傾き具合に注目!


(左)城ヶ島大橋から港を望む。左奥に城ヶ島灯台も見える。
(右)港の食堂で「城ヶ島定食(2730円)」を奮発した。大変美味しかった!


(左)いかにも昭和の香りがするお土産屋さん。観光地としての城ヶ島のピークは1970~71年で、年間200万人以上が島を訪れた(現在は最盛期の半分ほど)。灯台に行く道の途中にお土産屋や食堂が立ち並ぶ。観光客の数は年々減少しており、2007年には、重油高騰のあおりを受けて、城ケ島~油壺を結ぶ定期観光船も廃止になってしまった・・・。
(右)ニワトリさんも、ここにかかっている「貝のすだれ(壁掛け?)」をお土産に買って帰った。


センチメンタル・ジャーニー ~江奈湾&毘沙門洞窟&猫・・・

2009-06-08 12:25:30 | オートバイ春夏秋冬

キャベツ畑と海と房総半島。スイカ畑もある!


 中学卒業時に、同じコースを二泊三日の行程で、仲の良かった友達6人と旅したのですが、趣向を変えて剱崎から城ヶ島まで海岸線を歩くことにしました。現在、「三浦・岩礁のみち」と呼ばれているハイキングコースが(松輪バス停から剱埼灯台&毘沙門洞窟を経て宮川町バス停まで)ありますが、その当時自分たちが歩いた距離は、ハイキングコースとほぼ同じ11kmぐらいだったのではないかと思います。海岸線の岩場伝いを歩いてゆくので、普通の道を歩くよりもきつく、へろへろになりました。どうしても海岸線を歩けない場所は、国道を迂回しました。夕暮れ迫る頃、ついに城ヶ島大橋の下にたどり着いたときは、皆で手を取り合ってはしゃぎました。


(左)江奈湾付近は一般道も海沿いを走るので、「岩礁地帯はどうも・・・」と思う人も気楽に歩ける。
(右)干潟が始まるところ。京急バスも充実しており、適当なところで途中降車して、散歩を楽しむ人々もたくさんいた。


(左)昨日訪ねたとき(9時~10時)は潮が引いていて、完全に地面が露出していた。
(右)葦原と森が広がる風景は牧歌的で、個人的にもとても好きな場所だ。バイクの機動力には感心するけど、歩きたいときは意外と邪魔になったりして・・・。


(左)毘沙門から城ヶ島(左上の霞んでいるところ)を望む。ゴールが見えるのに、ここから先が長かったことを思い出した。頭上を旋回するトビが自分たちを見守りながら道案内をしてくれているように思えた。トビは今日もたくさん飛んでいた(パラグライダーも一基混じっていた)。
(右)毘沙門港から弥生時代の遺跡(鹿の骨を焼いて吉凶を占う「ト骨」など)が出土した毘沙門洞窟(海食洞。奥行20mぐらい)まで700m。今回もここだけはちゃんと歩いた。弥生人のように洞窟をシェルター代わりに使っている人もいるようだ。


     

 歩きやすいように一部工作物を置いたりしているが、自然の力には敵わない感じ。たった700mだけど、往きは岩から岩へと上り下りを繰り返し、どこまで続くのかと思った。ヤワになったもんだ・・・。


 閉鎖された駐車場近くに住んでいた4匹の猫。面倒を見ている人の話だと、飼い猫を捨てて行く人が後を絶たないのだとか・・・。ここで生き延びても4~5年足らずで死んでしまうらしい。4頭に囲まれたときは嬉しかったけれど、胸が痛んだ。彼らと遊びながら1時間近く休憩してしまった。


(右)最初に現れたクロ(その上の写真のクロとは違う)。一人を好み?愛想を振りまいたりもしない。
(左)大変人なつこいサバトラ。昨日訪ねたとき、この猫だけ現れなかった。どこかで元気に暮らしているといいのだけど・・・。


再び城ヶ島へ

2009-06-07 23:32:23 | オートバイ春夏秋冬

三崎港から対岸の城ヶ島を臨む。


 朝4時に目覚めたときも決めかねていたのだけれど、もう一度城ヶ島にいくことにしました。正確には、城ヶ島から先の行程をなぞることですが、やり残したままだと、先に進めない感じがしました。それと、もう一つ気になっていたことがあったし・・・。
 結果的には、前2回ほどの感慨を覚えることはなかったのですが、すっきりはしました(次は、高校時代のサイクリングコースのおさらい?)。出だしは快調でしたが、調子に乗っていたら、ついに(やっぱり)立ちゴケしてしまい、ブレーキレバーは曲がるわ、ウィンカーは吹っ飛ぶわ(ガソリンスタンドで工具を借りて直せたけど)、カウルもほんの僅かだけど擦り傷がついてしまいました(泣)。まあ、転んだのが泥の上だったので、最小限の被害ですんだのかもしれませんが・・・かなり日焼けしてしまい、肌がヒリヒリ痛みます。それに眠い! 
 今日は、ETC割引になる有料道路を使わず一般道だけを走りました。4時半に家を出て22時近くに帰宅しました。走行距離=258km。三浦半島一周ツーリングにしてはあまりにも多すぎます。無駄な道をかなり走ったのでしょう。そのおかげで、トータル2000kmに届いたから(最終2036km)「良し」とする?

センチメンタル・ジャーニー  ~剱崎

2009-06-06 23:23:23 | オートバイ春夏秋冬

 剱埼灯台の断崖絶壁から磯(浜)に降りる道もあるが、かなり危険そうだったので、公衆トイレ側の緩い道から下ることにした。


 明日(7日)は、城ヶ島をスタート地点にしてそれから先を走るか、はたまた休日のETC割引を利用して常磐道をひた走り、二年ぶりに「ひたちなか海浜鉄道」のキハに乗ってくるか、アオガエル君(Ninja250R)には留守番してもらい、鉄道オンリー(ひたちなか海浜鉄道)にするか、まだ決めかねています。城ヶ島方面に出かけるならゆっくりでもいいのだけど、朝食を三崎の市場で食べるプランも大変魅力的なので、そうなると早出は必至で、ひたちなか市に出かける場合も、6時台には家を出た方が良さそうです。鉄道だったら、いつもどおり4時37分の始発電車で出かけることになります。それを考えると、早く寝た方がいいのですが・・・。



(左)ここから降りてゆくと、安全に浜に出られる。
(右)坂の途中に遺跡が? 「矢根の井戸」には、保元の乱を起こし伊豆大島に流罪となった源為朝がうさばらしに毎日放った矢の1本がここに飛んできて、矢の刺さった地面からこんこんと水が湧き出てきて井戸になった、という伝承がある。訪れる人も少ない剱崎だが、歴史は江戸より深い。朝廷に謀反を起こした平将門が関東最大の英雄になったことから考えても、関東人の判官贔屓はこの時代から始まっていて、為朝に対する同情もかなり強かったと考えられる。革命児=源頼朝が育まれる土壌がすでに出来上がっていたのだろう。


     

(左)剱崎は、神奈川県の「景勝地50選」に選ばれている。
(右)剱崎の浜側から見上げる剱埼灯台。


(上右)風と波の打ち寄せる釼崎は、美しくも厳しい景色になる。
(中左)反対側は、穏やかな入江。対岸は房総半島だ。
(下右)海に向かって立つ神社。


(左)小さいながらも美しい浜辺。
(右)この貝殻が砂になるまで何年かかるのだろう?


センチメンタル・ジャーニー ~古い読み方に戻った剱埼灯台

2009-06-03 23:58:50 | オートバイ春夏秋冬


 剱埼(ツルギザキ)灯台は、江戸条約に基づき、明治政府が明治4年(1871)に設置したもので、三浦半島の南東端に位置し、対岸の房総半島にある州埼灯台と対で東京湾の入り口を示しています。
(なるほど、左右に灯台の明かりが見えたら、東京湾に入ったということですね!)
 晴れた日は灯台から、房総半島の館山、伊豆大島、新島さらに伊豆半島までを展望できます。
(以上、入口にかかっていた説明看板より抜粋)
 初代灯台は関東大震災で倒壊し、大正14年に建て直されました。52万カンデラの光は18海里(約33km)先まで届くそうです。
 剱埼灯台は、自分たちが子供の頃は「剣埼灯台」と表記され、自分はだから長いこと「ケンザキトウダイ」と読んでいました。おそらく「ケンザキ」は読み間違いだと思いますが、「剣」をやめて、昔から使われてきた「剱」に表記を戻したとのことです。



    

 灯台へ行く道・・・(左写真)の石畳の坂道を上って木立を抜けると、(右写真)の灯台の真下あたりに出る。斜めに見えている道は、剱崎の海岸(岩礁)へ下る道。三浦海岸からバスが出ていて、「剱崎」で降車後15分ほど歩くと、灯台にたどり着く。


    

(左)剱埼灯台の高さは 16.9m。「たった、それだけ?」と言うなかれ。剱崎自体が高いので、海上からの高さは 41.1mと必要十分になる。
(右)日本の灯台は全て無人化されていて、中に入ることはできない。入り口前の庇と庇を支える柱の部分が鳥居のようにみえる。


     

(左)剱埼灯台は、観音埼灯台&城ヶ島灯台とワンセットで覚えよう! どの灯台も魅力的だけど、ここは他の二つに比べると、訪れる人の数が非常にに少なく、静けさを好む方には絶対お勧め!
(右)角度を変えて灯台の写真を撮影していると、自分の目と同じの高さにトンビが現れた。海から吹き上げる上昇気流を利用して、羽ばたくことなく見事に空中に停止していた。


続いて、この間に下りようというわけ・・・


センチメンタル・ジャーニー ~剱埼灯台へ

2009-06-02 23:55:15 | オートバイ春夏秋冬


 134号線は金田湾から内陸部へ入ります。「⇒ 城ヶ島・剱崎方面」の標識に従い右折したニワトリさんは、このあたりから奇妙な感覚を覚えるようになりました。何だか、覚えのある道なのです。夢の中によく出てきた風景にも似ているのですが、「一度も経験したことがないのに、いつかどこかで既に経験したように感じる」既視感とは、過去二度この道を実際に歩いたことがあるという点で、決定的に異なります。懐かしさで、たちまち胸がいっぱいになってしまいました。
 剱崎周辺は、数十年前と殆ど変っていないかもしれません。剱埼灯台へ向かう細い枝道が左手に見えた瞬間、時計の針がはるか昔に戻ってしまいました。「この電信柱を伝ってゆくと、灯台に出られるぞ・・・」

 ・・・ずっと昔、時折小雨がぱらつく春休みの午後、三浦海岸駅からしばらくバスに揺られ、剱埼灯台前で下車した6人は、二万五千分の一の地図とにらめっこしながら、まだ見えない灯台に向かって、畑の中の道を歩き出しました。上空にはトビが何羽もいて、それぞれゆっくりと、小さな円を描いていました。しばらく歩いてつゆくと、左手に海が見えてきました。そこから視線を右へ振ってゆくと、右手の森の向こう側に、頭一つ高い剱埼灯台が姿を現わしました。どんより曇った空なのに、海は驚くほど青く、灯台の白さも際立っていました。「色」については、年月を重ねていくにつれて濃くなったのだと思います。




(左)灯台も海もありそうもない「畑の海」を歩いてゆくと、不意に陸地が切れて、思ったより近くに海があったことがわかる。
(右)そのまま視線を右に振ると、灯台がニョキと姿を現わしていた。


 「電信柱を伝っていけば灯台に出られるよ」・・・誰がこの台詞を口にしたのか、今ではもうわからない。


 バイク(や車)はここまで。あとは歩いて灯台を目指します。普段から精神年齢が低いが、この時点で少年に戻っていた。さっさとバイクを乗り捨てて、先へ向かう・・・。


 この道を下れば浜に出る。そのまま道なりに上がっていけば、灯台にたどり着く。元少年は、どきどきしながら小走りに坂を上がっていった。中央に写っている建物は、廃墟ではなくて便所・・・昔のままだった。きれいなトイレに慣れた人は、使う気にならないだろう。


センチメンタル・ジャーニー ~まだ人もまばらな三浦海岸

2009-06-01 22:55:00 | オートバイ春夏秋冬


 

「今は、もう秋~♪」ではないけど、人もまばらな三浦海岸。


 ダイジェストを書いてから早くも一ヶ月が経過しようとしていますが、センチメンタル・ジャーニーを再開しようと思います。
 剱埼灯台&城ヶ島に行く場合は、横横道路を終点まで行く必要はないのですが、この日のニワトリさんは、先も書いたように一度全線走っておきたかったのと、観音崎からスタートしたかったので、第三京浜から終点まで一気に走りました。
 観音埼灯台を左に眺め、それから先は国道134号を走っていきます。


(左)9時半には「ヤシの実ロード」(と勝手に名付けた。広い遊歩道を歩きながら海を眺めるのもGOOD!)に着いて、ひと休みしました。この日も良く晴れ渡り、実に気持ちのいい朝です。潮風が肌に胸に心地良い~!
(右)前々回はマッコウクジラに見えた猿島も、今日はリゾートアイランドのように、緑鮮やかに海上に浮かんでいます。ここもそのうち上陸しないとね!


 国道143号線を道なりに走り、野比橋を渡ると、目の前にいきなり海が広がります。その瞬間の開放感といったら実に爽快で、ここから三浦海岸まで至福の時間が続き・・・ヘルメットを脱ぎたくなる? 道路は緩やかに左に曲がってゆくので、三浦海岸までずっと先を見渡せます。妄想力が豊か?なのか、こうしてビーチを眺めながらバイクを走らせていると、自分が自宅からわずか100km程度の場所にいるとはとても思えません。(行ったことないけど)気分は、沖縄かハワイかアメリカ西海岸?


 夏には、砂浜が見えなくなるほど海水浴客が訪れる三浦海岸だけど、この時期は人影はまばらで、草地には浜昼顔?の花などが咲き乱れていました。観音崎では前方に見えた火力発電所が、後ろに下がります。


(左)強烈な日差しと浜風が吹きつける中、ロープを使って子供たちが遊んでいました。例によって水平が取れていません・・・。
(右)三浦海岸で休むつもりはなかったのですが、あんまり気持ちがいいので、しばらく砂浜を歩きました。