草々、四草、草原と来て、最後は小草若の番だったのですが、私の期待は見事に裏切られました。
なんで? なんで小草若だけが、あれから三年経って、さらに落ちぶれていなければいかんとよ? 小浜の決心(だと思った)も、小草若を助けてくれなかったわけ?
底抜け誕生秘話にしても、喜代美のようには感動できず・・・小草若を演じている茂山さんが考案したギャグですよね。それが、母に見せてあげることができなかったという点を強調したいがために? 母の初七日の席で「痺れを切らして」飛び出したことになってしまったのですか?
同じ「痺れる」なら、小草若が高座から退場するときに転んでしまって、恥ずかしさをごまかすために「底抜けにぃ~」とやったら受けてしまった、とでもしてくれた方がどんなに良かったことか・・・。
(それだと、草若師匠の慧眼も指摘できないのですが)
菊枝さんがいてくれなかったら、ちょっと頭に来てたかも。なぜ小草若ばかりが、割りを食うのだろう?って。
(茂山さんにしてみれば、やりがいあると思うけどね)
今日の放送は辛かったです。おそらく殆どの人が、ヒグラシの鳴く音に耳を傾ける草若師匠の姿に涙し、辛い気持ちになったと思いますが、私は、他の弟子たちとは違った境遇に貶められた小草若の哀しい瞳と、荒れた仕草を見て、心が痛みました。菊枝さんがいてくれて、ほんと、助かりました。
あとは、菊枝さん(や師匠)が言ってくれたように、草若の息子という呪縛から解き放たれて、小草若にしかできない「底抜けにぃ~」落語を見つけてくれることを願うばかりです。
(これ以下は「予言」と愚痴です)
明日の土曜日、若狭は帰宅した草若師匠に「悩み」を話し、師匠は「古典落語」が受けないなら「創作落語」をやってみたらどうか?と、アドバイスするでしょう。
これはネタバレではなくて私の勘ですが、彼女には「創作落語」の才能があるのですよ。思い返せば、初高座でドジってしまったときに、咄嗟にアドリブを使ったでしょ。
それから、つい最近だと小浜でも、時間稼ぎの苦しまぎれとはいえ、オチがついた後もその先をアドリブで演じました。「枕が面白い」というのも、喜代美に「そちらの方面の才能」があるからで、年季明けがかかった天狗座の大舞台で、師匠はそのことに気づいていた筈。だからもう、これについては、鍋焼きうどん&おかめうどんを賭けてもいいです。
でも私は、同じことを師匠から小草若に言ってほしかったのです。小草若も「枕みたいな落語」(草々談)で、人を笑わせてきたのだから。さらに小草若には、「底抜け~」のような「繰り返しのギャグ」で、お客さんを笑わせる才能があります。『寿限無』だけが受けるというのも、そういうことではないでしょうか?
「ワンパターン」「それしか芸がない」と草々に謗られようと、小草若は同じことをしつこく何度も何度も繰り返すべきです。繰り返すことで芸に磨きがかかり洗練されていくタイプなんですよ。それが彼の落語なんだと、私が言うんじゃなくて、師匠の口から聞きたかったんだよ~~草々を見返すためにも!
今日の一席は、副音声の「二人に割りこめない喜代美」。
というのは半分冗談で、昨日の『スタパ』のゲスト、林吉弥さん。これは、本気。
国会中継のために延び延びになっていた『スタパ』(17日収録)が、ようやく30日に放送されました。当日、たわ子さんのブログ(感想は⇒ここをクリック)で放送を知り、運良く見ることができましたが(録画は失敗!)見逃した人が結構いるかもしれません。NHKは、『ちりとてちん』視聴者のために急遽再放送を行うべきです。なぜなら、吉弥さんの『スタパ』は、『ちりとてりん』を「うどん」に例えると、「薬味」に相当する内容だったから。葱や七味唐辛子の入ってないうどんなんて・・・
吉弥さんの話で、『ちりとてちん』の世界がより身近に、そしてよりリアルに感じられるようになりましたし、吉弥さん(=「草原」兄さん)の人となりも、武内陶子アナ(インタビュアーとしても、前任者より上ですね)が巧みな話術で引き出してくれたから、「本物の落語家」を知るだけでなく、「緑さん抜きの草原兄さん」を知る上でも、本日の「草原&緑の今も ♡ ♡ 」放送とトレードした方がいいかもしれません。
(奈津子はんが目撃したら激怒したでしょうが、個人的には「アレもあり」だと思う)
徒然亭の弟弟子たちとテレビ電話で交わされた会話(吉弥さん、貫禄です)といい、秘蔵のVTRまで出てきた(「人間国宝」の米朝さんを取材中に偶然、吉弥さんや柳眉役の桂よね吉さんが・・・)家事に雑用の内弟子修行といい、『ちりとてちん』そのものではありませんか!
裏を返せば、『ちりとてちん』が落語の世界をリアルに描いていたわけで、他のお師匠さんに稽古つけてもらうのも、『ちりとてちん』で描かれたとおりだそうです。
(ただし、稽古中はメモなど一切禁止なので、稽古が終わるとそそくさと退散して、玄関から一歩出たところで、覚えていることを必死でメモったとか)
今日の放送では、草若師匠が一番弟子の草原を「学者肌で、稽古熱心で、面倒見がよい」と評していましたが、本当にそのままの人柄が伝わってきたし(神戸大学教育学部に学び「落研」に所属、桂吉朝さんに恋して高座通いを重ね弟子志願、何度も断られた末、内弟子にしてもらった)、家族を愛する姿も「草原」兄さんとぴったり重なります。最後に、ダイジェスト版だったけれど『ちりとてちん』を披露してくれる一幕もあり、あっという間に45分が過ぎてしまいました。
(「ニュース解説」省略して、目いっぱい時間を取ってほしかったなあ~)
で、今日の放送に戻りますと、正典&糸子さんに続いて二十の頃を演じた二人、「噛み噛み」草原兄さん&「落研!」の緑さんの手紙のやりとりが、ほのぼの良かったですね~。緑さん(背景も緑で統一)、二十で通ります! 一方の草原兄さんは、「スタパ」によれば、大変な男前。「サッカー!」をしていたせいか(回想場面では自分がサッカーボールみたいでしたが)、今よりうんとスリムでした。
緑さんは、奈津子はんの天敵の「手編みのマフラー」女で、なおかつ小まめな「文通」女でした。今の若い人は「メール」でリアルタイムにやりとりするから、文通なんてしたことないとは思いますが、どうです、なかなかいいでしょう? こんな時代もあったんですよ~。私も、せっせと手紙を書きました。手編みのマフラーなんていうのも、ひどく懐かしいですね。当時は、憧れのアイテムでした(今でもそうかな?)。
あっ、もう時間来ました。明日は、いよいよ小草若の出番ですね。えっ、若狭の悩みはどうなったって? 四草の年齢も知らなかった人のことなんか知りません! なんちゃって、小草若が彼女に何と答えるか、密かに楽しみにしております。
最後に一言。桂吉弥さんが恋人のように慕って弟子入りした師匠の桂吉朝さん(吉朝さんのお師匠さんが米朝さん)は、1999年に胃がんを患い、一度は回復しましたが2004年に再発、治療しながら高座に上がり続けました。
2005年の10月27日、「米朝&吉朝の会」で米朝師匠が珍しい『狸の賽』を口演、吉朝さんは『弱法師』と『ふぐ鍋』の二席を演じるため、医師付き添いのもと酸素吸入をしながら高座に上がったのですが、45分間『弱法師』を演じたところで精根尽き果て、「劇場の前をたまたま通りかかった」という桂雀松さんが『替り目』を代演したそうです。吉朝さんは、それから11日後に他界しました。
通りすがりの私でも、すごい人だなあと畏敬の念に打たれる人に恋焦がれて飛び込んだ落語の世界。師匠の早すぎる死に直面して、吉弥さんがどれほど辛い想いをしたか? 察するに余りあります。その人に、ドラマとはいえ「同じ想い」をさせていいのだろうかと、余計なことを考えてしまうのです。
俳優という仕事は真に因果な商売かもしれません。プロの落語家もまた、どんなに悲しいときだろうと、高座では「楽しく」お喋りしなければなりません。亡くなった人を偲べば、悲しさだけではなくて、楽しい思い出もたくさん蘇ってくるだろうし、吉弥さんを見れば、吉朝師匠が吉弥さんの血となり肉となり、吉弥さんの中で生きていることがわかります。そうしたことは全て承知した上で、脚本・・・恨みます。 先ほどまで『鹿男あをによし』を見ていました。桂吉朝さんのことでコメントくださったキリコさん、RIKAさん、わらめろんさん、ありがとうございました。私も落語のこと、全然詳しくないんです。でも、吉弥さんが「恋をした」とまで言った師匠の吉朝さんがどういう人だったのか興味を抱いて「付け焼刃」的に調べただけで・・・ちなみに、天狗座の一門会で吉弥さんが演じた『蛸芝居』は、吉朝さんの十八番だったそうです。米朝門下の芝居ネタを得意とし、『七段目』『地獄八景亡者噺』(すごく聴いてみたいですね~)『百年目』そして『愛宕山』も代表噺で、一門以外のネタでは、若狭が二番目に取り組まされた『天災』もよく高座にかけたとか。吉朝さんの代表的な噺はCDなどで聴くことができるので、ひと段落したあたりで私もじっくり聴いてみるつもりです。
なるほど、今週は、こういうことだったのか!
「どんな長い仕返し」に「真っ赤なスーパーカー」・・・今まで何気なく語られてきたことがジグゾーパズルのコマになっていて、糸子さんという絶妙の聞き役を相手に草若師匠が回想しながら、一つひとつの断片をしかるべき位置に嵌めこんでゆく作業。喜代美のスランプがまた、兄弟子たちの「人となり」を浮かび上らせる「狂言回し」の役目を担っていたとは・・・最後の1ピースを残して「徒然亭」の絵が完成する、という筋書きだったんですね!
選ばれた落語が、多くの人が知っている『饅頭こわい』だったのにも意味があって、この笑い話は、「俺はあれが好きだ」「私はそれが怖い」「なんでそんなものが。こっちの方がもっと怖いと」いった具合に井戸端会議が進んでいき、皆の「怖い」を馬鹿にした男が「饅頭を怖がった」ものだから、「よし、ひとつ懲らしめてやれ」と饅頭を大量に買ってくると、この男は饅頭を見るなり震えあがって、「うわあ~、こわいこわい、こんなこわいものは見たくないから食べてしまおう」「うわあ、今度は粒餡だ。俺はこの粒粒が気持ち悪くて鳥肌が立ってきた~」とか何とか言いながら次々うまそうに食べてしまい、ようやく皆も騙されたことに気づく、というお話なのですが、噺家の実力次第で面白くもつまらなくもなる「怖い」落語ではないかと思います。
侃々諤々喧々囂々、熊さんや八っさんが手前勝手な「好き嫌い」を、感情から屁理屈まで繰り出して「いきいきと」述べるくだりが面白くて、結局は「十人十色だからこそ面白い」ということを伝えてくれる点でも、今週のテーマにぴったりです。
喜代美の悩みを聞いた兄弟子たちの対応も、昨日の草々と今日の四草では全く違うのが面白く、草若師匠の回想から、弟子たちの気質や長所、それに弱点までも明らかにされました。
(ミステリアスな四草の「ヘーベー」との馴れ初めや、本名も明かされましたね)
明日以降、草原&小草若と続き、最後に草若師匠が「十年後になって初めて意味がわかってくる」言葉をアドバイスをしてくれるのかな。
この【徒然亭ジグゾーパズル】、皆で一緒に完成させましょう!
(でも多分、最後のピースは出てこない。その代わり、全く新しいピースが?) 今日の「ただいま修業中」は、ヘーベーつながりで「ペットショップ」でした。第100話が、こういう話になったのも計画的?それとも偶然?
まずは、訂正から。
昨日私は、「若いということは残酷で・・・」と言った上沼喜代美に反発しました。「自分が清海に対してしたこと(厳密にいえば、しなかったことだけど)」を一般論で正当化していると勘違いして反論したくなったのですが、(あんこさんのブログが考え直すきっかけになりました)自分は本当に誠実だったと言えるのだろうか、胸に手を当てて考えてみたら、出るわ出るわ、大量の至らなかったことが・・・
「誠実だった」と言ってのけた私こそが「真の大馬鹿者」だったわけで、今は穴があったら入りたく、地面から首だけさらしておりますが、一般論でくくってくれると、確かに少しだけ気が楽になりました。でも、恥ずかし~い!
さて、『ちりとてちん』第18週に出てきた上方落語は『饅頭こわい』。『寿限無』や『寝床』のように昔から広く親しまれてきた落語ですね。
(「ただいま修業中」の修行中も酒饅頭でした)
演じるは宝塚歌劇団。特に、奈津子はんの大きな瞳を見ていたら、星組&月組のトップスターになれたかも・・・なんて想像しちゃいました。草若師匠も言ってましたが、この落語を聴いたら、「好きなもの」を訊ねてみたくなりますね。あなたの好きなもの、何ですか?
草若師匠が縁側で訥々と糸子さんに語る言葉の節々に、落語と弟子たちへの深い愛情が感じられて、心に深く沁みてくるのですが、月曜日の最後の言葉を聞いてしまった以上、何ともいえない気持もこみあげてきます。
(病気も「天災」の一つかもしれませんが、師匠の場合は制作上の都合から「天災」を背負わされるわけで、確かに飲みすぎのきらいはありましたが、それでも「人災」です。また、月曜日のひと言がなくても、悟りを開いた人のような穏やかな表情を見て「不安を覚えた」かもしれませんが、この展開、やはり納得できません)
今日は草々について喋りましたが(確かに、「でかいけどもろい」恐竜のような男ですね)、明日以降、草原兄さんや四草、そして息子の小草若についても語っていくのでしょう。一言ひとことを噛みしめながら聴こうとは思うのですが、気持ちが乱れて上の空になってしまうかもしれません。ほんと、恨みます。
ジグゾーパズルのピース、「欠けたままでいい」というのは、例えとしてならよくわかります。(実際、最後の1個が見つからないと癪にさわるでしょうね)
誰が言ったのだか(トリュフォーの映画だったかしら)、「人生は三つぐらい謎を残しておいた方が面白い」という台詞がお気に入りのニワトリだから。
完璧主義に関しても同じことが言えるでしょう。100%を追い求める気持ちは必要だけど、機械と同じで「遊び」がなければたちまち壊れてしまうし、逆説的にいえば、人は決して完成することがない生きものだからこそ、完璧を目指すのかもしれません。実際、生きている限りゴールが訪れることはないのだから。
それを生きることへのプレッシャーに感じてしまうのでなく、生きることの喜びに変えて、人生のど真ん中でもはしっこでもいいから、歩いていけたらいいですね。ときに道に迷ったり、わざと回り道をしてみたり、道端に腰をおろしてのんびり景色を眺めたり、風の音や鳥のさえずりに耳をすませながら。
行く先々に「別離」が用意されていなければ、楽しい道なのですが・・・ あっ、書き忘れました。『饅頭こわい』でも、清海の姿はなかったのね。スケジュールの都合かもしれないけど、せめてここだけでも皆と(男がすなる落語の)男装を楽しんでほしかったワン!
あれから三年・・・
良い意味で変わっていないのは熊五郎夫妻くらいで、普通に(一般的には普通でないかも)変わっていないのが青木夫妻と小次郎カップル。あとの人々は様変わりしましたね。
順ちゃんの「双子」出産。実は読んでました。でも、義理のお母さんを病気にするとは感心しない脚本です(実際の話だったら、心労が重なってその可能性は高いでしょうが)。静さんが孫の顔を見て喜こんでいたのが、せめての救いでした。
変わったといえば清海。先週私が完全に見落としていた「B子が持っていたはずのキーホルダー」を肌身離さず身につけているようで、石に触ろうとした友春の子供を激しい言葉で拒絶してしまいました。彼女が「良い子」でなくなったのは、ある意味歓迎すべきことですが、ある程度予想していたこととはいえ、痛々しいですね。あのときは喜代美が気の毒に思えて、交換したキーホルダーを海に投げ捨てたことに爽快感さえ覚えたのですが、やっぱり捨ててはいけなかったのではないかと、今更ながら後悔しました。
「良い子」でなくなった人がもう一人。正平君です。就職氷河期と言われた時期に大学卒業だから、考えられないこともないけれど、彼が変わったのは就職できなかったからではなくて、海外留学のパンフレットを引き裂いてからでしょう。まあ「若年寄」でいるより、あれぐらい変わってくれた方が良かったのかもしれませんが、恐竜博士になる道を自ら閉ざしてしまったのだとすると、残念で仕方ありません。
何でも正平が、「一番小次郎さんの血を引いていた」らしいのですが、若狭塗箸の腕が認められて人間国宝になった(なってない、なってない)正典さんの血を引いているのも確かだから、この先、正平が若狭塗箸を継ぐことを暗示しているのかもしれませんね。(正平が清海と接近する可能性もありますが・・・)
それにしても、納得できないのが上沼喜代美(上村喜代美と書いてました。他にもやっている可能性が・・・ナレーションの上沼さん、ごめんなさい~)の述懐。
「若いということは残酷です」とか何とか言ってましたが、そうじゃないでしょ。その頃の自分が薄情な人間だったんでしょ。
私はあのとき、喜代美にとって清海は「天災」なんかじゃない、と言いました。清海に対して常に劣等感に苛まされていたけれど、それこそ「自意識過剰のアホ」のなせる業で、「清海だって喜代美のことを羨ましいと思っているに違いない」と考えていましたし、清海本人が「そう思っていた」と喜代美に告げました。私は、「この時点で、二人が親友になるのかな」と期待しましたが、実際はそうならずに音信不通のまま。表面上のつきあいもなくなってしまったわけです。
このことを「若さ」に共通する「残酷さ」で片づけられてしまったら、心ある若い人たちは憤慨するんじゃないかな? そりゃあ、私だって若い頃は、ときには傷つき、ときには傷つけたと思います。でも、相手に対して誠実でありたいと、決定的なことがあった後でも友達としてのつきあいは続けてきました。もちろん、今では一人を除いて音信不通になってしまいましたし、私が取った態度こそ「残酷」だと言われれば返す言葉はありませんが、今となっては全て良い思い出に昇華されています。
橋の欄干での感動的な別離がなければ、私も口を挟んだりしないのですが、その後音信不通になってしまったということは、(清海が東京で失敗したことを考えても)「捨て身の戦術で恋のライバルを東京へ追い払った」だけのことだったのかもしれませんね。上沼喜代美はそれに気づいて、「あの頃は自分の恋や生活に必死で他人のことを考えることのできない薄情な人間だった」と述懐しているのかもしれません。
この頃は、清海のことを「鈍感」だと批判していましたが、喜代美の鈍感さも相当なもので(弟が悩んでいることも気づかなかった・・・)、三年後も「自分のことを考える」だけで精一杯のようです。もしかして、徹頭徹尾「自己中」な人なのかしら?
人気ブログのコメント欄でも騒がれていた「衝撃の事実」とやらが、明らかになりました。私はネタバレに関して比較的寛容な人間ですが、例えば「どんでん返しがある」と書いただけで、もうネタバレなんだよ! ネタバレはいけないと言っている人々が「衝撃の事実」なんてネタバレ投稿しているんだから・・・でも、色々なところで囁かれているからといって、ドラマの語り手が先手を打って「ネタバレ」するのも変な話だと思います。しかも「死の予告」でしょ。
「死」の本質が理不尽なものだけに、ドラマの中でそれをどう扱うのか注視しているのですが、この展開には断固異議を唱えます。それとも草若師匠は、『芋たこなんきん』に登場した落語のお師匠さんと同一人物だったのでしょうか? 健次郎さんを訪ねた落語家は大作といわれている『駱駝』を自分の落語の集大成にしていましたが、草若師匠の集大成はやはり『愛宕山』なんでしょうね。
昨日のタコ壺(フジツボ・墨壺・痰壺・・・タンツボは嫌だなあ)が、和田小次郎(17才)なら、今日の桐壷の君(光源氏のお母さん)は、ラスト1分に登場した、
和田清海(22才?)でした。?マークがついているのは、22才の誕生日を迎えて、故郷に戻ってきたのかもしれないと思ったからです。
足元に光るきれいな小石を拾い上げ、愁いのある表情で海を見つめる清海。
三年間、何があったのか知らないけど、明らかに美しさを増しています。
アホのニワトリ、腰を抜かして、フォーリン・ラヴ?
さてさて、オチがついたのに、『天災』の続きを勝手に創作して、時間を稼ぐ喜代美と、立ち上がって「ふるさと」を歌いだした父、正典。
昨日は「五木ひろしは必ず間に合う」と書きましたが、実は、この展開を待っていたんですよ~~。 (mamemo さんが、糸子さんの気持ちを代弁してくれてます)
もしかしたら、(五木)ひろしはここまで読んで、最初から和田塗箸店の店先にいたのかもしれませんね。そうだとしたら、草若師匠並の洞察力に乾杯!
まったく、「子はかすがい」とはよく言ったもので、草々が喜代美に意見したように、彼女が二人の大事なかすがいだったんですね。そうすると、やはり mamemoさんが指摘していた「正平君」ですが、彼が二人のどういう「かすがい」になるのでしょうか?
部屋に戻ってから、正平は、せっかく取り寄せた留学案内をビリビリに破り捨てていましたが、彼こそ今週のお題である「子はタフガイ」になってくれることを、来週以降期待します。
それにしても喜代美の鈍感力というか、アホ度はいよいよ輝きを増しているようです。あれだけのことができながら、まだ「人生のど真ん中を歩く」とは「自分がスポットライトを浴びること」だと勘違いしている。まあ、久しぶりに、順ちゃんが「喝」を入れてくれたからいいけど。
幸せいっぱいのアホヅラ(ごめんね)で、草々の腕にぶる下がるようにして浜を歩く彼女のあとに、清海が登場すると、「やっぱし、あんた(喜代美のことよ。演じている貫地谷さんのことではなくて)はドラマの主役になれんかもね」と思ってしまいました。
でも来週は、喜代美の真骨頂とも思える「ちょんまげ姿(ちょび鬚まで!)」も披露してくれますので、乞うご期待!
このドラマ、たわ子さんも「登場人物の一人ひとりが主人公だから好きだ」と仰っていましたが、だから来週以降も目が離せません。和田製作所の問題、正平君の留学問題、小次郎さんのプロポーズ、和田清海さんの動向、そして草若師匠の身に・・・?! HDDが知らない間に満杯になってしまい(容量少ないんです)、今日の放送をお昼まで見直すことができないのですが、クレジット、青木喜代美になってました?
今日の『ちりとてちん』、
「なるほど、純愛落語の『たちぎれ線香』は、こんな風に夫婦の物語とつながっていたのか!」と(古典的に)手のひらをポンと叩き、「それから、どうした」と身を乗り出した次の瞬間、腹をかかえて笑ってしまいました。こんなに笑ったのは久しぶりです。
和田小次郎(17才)・・・恐るべし。打ち上げの際か、二度目の「スタパ」に出演されることがあったら、是非とも学生服でお願いします。
それから正典さん、ひろしの代わりに「ふるさと」歌いました~。そのおかげで、珠のような赤ちゃん=喜代美が生まれて・・・ああ、いいなあ~♪
第1週と第2週だったと思いますが、糸子さんが正典さんのために、正太郎さんと竹谷さんに頭を下げていましたね。
「この人を塗箸職人にさせてください。どうしても、跡を継がなければならないんです」
経緯を聞かされていない喜代美は、「なんでお母ちゃんが頭を下げる必要があるのか」と憤っていましたっけ。視聴者はおよその事情を知らされていたのですが、『たちぎれ線香』と同じドラマが用意されていたとは、放送が始まるまで私は全く気がつきませんでした。もう脱毛(脱帽だけど、コーフンして毛が抜けた)です!
『たちぎれ線香』小浜編では、正典さんは愛する者のために「塗箸」を捨てました。正太郎さんには気の毒ですが、私は正典さんの決断を支持します。
(オモチャの結婚指輪が、やっぱり本物になりましたね!)
正典さんは十年後に「塗箸職人」になるために小浜へ戻り(この決断も支持します)、苦労しながら塗箸修行を重ね、師匠の域には至らなくても、立派な「塗箸職人」になりました。ということは・・・
いちはやく mamemo さんがご自身のブログで指摘してくれましたが、正典さんの塗箸を継ぐのはいったい誰?
手先の器用な正平が向いているような気もしますが、mamemo さんと同じように正平君には「恐竜学者」になってほしい。でも、そうなると、「徒然亭の落語は語り継がれてゆくけれど、おじいちゃんの塗箸は正典さんの代で終わり」、ということになりかねません。
実際には、そのような例も珍しくないとは思いますが、エンディングの「ただいま修行中」(今日は助産婦さんでした!)を見ても、「誰かが伝えていかなければならない」と言っているような気がします。
そこで再び、伝統工芸の「若狭塗箸」を後世に伝えていく者として、野口友春に白羽の矢を向けたくなるのですが、製作者サイドがこの問題をどう考えているのか、何となくわかってきたような気がします。友春に一度は名前ごと捨てさせたのも、そこまで深い考えがあったから?
でも、友春自身は「自分には向いていない」と言っていたことだし(会社経営が向いていないのか、箸作りが向いていないのか、どちらも嫌いなのか、明らかにはしてませんが)、鯖を焼いている方がお似合いだと思うようになりました。
正太郎の「匠の技」を継ぐ人は誰なのでしょう? (ふつうは、和田塗箸製作所の中に有望な人が必ずいるはずだけど)
ここにきて、正典&秀臣さんの今後の身の振り方と同じくらい興味深い問題が出てきたような気がします。まさか、小草若とか? 落語を聴いていても「うわの空」だった糸子&正典さん。それもその筈、そんな二人を見ていたら私も、ひろしの遅刻や、そのため焦りまくっている喜代美とか、正直どうでもよくなってしまいました。ひろしは必ず歌ってくれると信じていますが、清海が現れるとの怪情報も流れており、そっちの方がどうにも気になって・・・
今日は何といっても、正典さん&糸子さんの「二十の頃」。桜の花びらがヒラヒラ舞う春の季節に、二人は初めて出会ったのですね。
得意の思いこみが先行して、おもちゃの指輪を売りこむ木野糸子さん(客の思いつめた表情から「恋人への贈り物を探している」と早合点しました)と、リーゼント!のエッジの部分にひとひらの桜の花びらをくっつけて、長身を折り曲げるように狭い店内に入ってきた和田正典さん。
思いこみと思い過ごしから恋が始まりましたが、突如訪れた辛い日々を二人三脚で凌いできたのですね・・・まだはっきりと語られてはいませんが、正典さんにとっての空白の十年間は、そういう十年間だったのでしょう。その間に喜代美と正平が生まれ、ようやく小浜に戻ってきたら、今度は正太郎さんが倒れてしまい・・・次の十年間も二人にとって大変な思いで過ごしてきた十年間だったはずです。
(確か「塗箸を十三年作ってきた」と小草若に言ってましたが、それが、「復帰」してからのことだとすると、九年目の秋に自宅を改装して出店したことになります。喜代美が高校三年生のときでした)
二人は、それこそ塗箸に漆を塗り重ねるように、様々な想いを日々塗り重ねてきたに違いありません。ちょっとした見解の違いから、今はお互い意地を張り合っていますが、桜の花びらを髪の毛に貼りつけて台所を覗きこんだ正典さんに、自分のおでこを指差して教えてあげる糸子さん、見事に昔のままですね。
「人間も塗箸と同じで、研いで出てくるのは塗り重ねたものだけだ」と言った正太郎さんの言葉を思い出しました。「一生懸命生きてさえいれば、悩んだことも落ちこんだことも、きれいな模様になって出てくる」
年を取るとは美しくなることではないかと、人生という名の塗箸に漆を塗り重ね切磋琢磨研いできた二人を見ながら、強く感じました。
それにしても「木野糸子」さん! 和田糸子より素敵かも。本日の「一席」は、苗字を考えた人に差し上げます。次席は「二十の頃」を演じた二人! 年齢に無理があると仰る方もいるかもしれませんが、「そこ」がいいんです。ソフトフォーカスな画面の中で、ちょっと恥ずかしげに演じているところなんか、初々しくてとっても良かったです。30年前のミュージカル映画『グリース』を思い出しました~♪
今日の一席は『たちぎれ線香』に出てきた芸妓の「小糸」さん。糸子さんが演じていましたが、糸子さんの名前は彼女からもらっていたんですね~!
そういえば、『ちりとてちん』の感想文を書いているときに、糸子さんのことを小糸さんと書いてしまったことが度々ありました。たぶん、小梅さんの「小」に引きずられて「糸子」さんが「小糸」さんに(ニワトリ頭の中で)変換されてしまったのだと思いますが、記事をUPしてから丸一週間、間違いに気がつかなかったこともありました。
( 記事のUP後も「誤記」「誤変換」「おかしな言い回し」「不適切な表現」を訂正することが多く、UP直後に読まれた皆様には何かとご迷惑をおかけしてます・・・)
さて、草々が若狭の下座でかけることにした『たちぎれ線香』という落語は、お客さんを笑わせるのが落語だと思っていたニワトリには、またまた目からうろこの演目でした。泣かせる落語といえば、『子別れ』だったら私でも知っていますが、『鴻池の犬』や『景清』もそうでしたね。かと思えば、『算段の平兵衛』のようなブラックな落語や、春の陽気を思わせる『愛宕山』のような愉快な落語もあるし、教訓話にもなる『天災』とか、まだ具体的な題名は出てきていませんが「怪談落語」といい、落語の世界の広さと内容の豊かさに、今更ながら感心させられます。
こうなると、趣は少し違うかもしれないけれど、『しゃべれども しゃべれども』を見たくなりました。調べてみたら、松重お父ちゃんも出ておりました!
(喋りが苦手な元プロ野球選手の解説者というおもろい役で!) 映画『しゃべれども しゃべれども』の公式HPは、 → ここをクリック
『たちぎれ線香』、「オチがわからない」と正平が首を捻っていましたが(若狭は、ここぞとばかりに鬼の首を取ったような顔つきをしたけど、そのあと草原兄さんから三味線を渡されて毎度の「エエーッ!」。いつまで聞かされることやら・・・)、私も草原兄さんが説明してくれるまで、何のことだかさっぱりわかりませんでした。
「芸妓をお座敷に呼ぶと、線香一本ともして、それが燃え尽きたらおしまい(次の線香焚いて時間延長)」というのはなかなか洒落ていますが、この演目をやるときは、枕で当時のお茶屋通いの様子などをさりげなく話すなどして、オチが通じるように工夫する必要がありますね。あっ、でも常連さんなら百も承知か・・・。
久しぶりに三味線を、しかも文化祭で挫折したことを知っているクラスメートの前で弾かなければならなくなった喜代美ですが、あっという間に当日がやって来てしまいました。本番でも、「そのヘタクソな唄は、お前の仕返しか~!」と、草々にアドリブ言わすんだろうか? それは明日のお楽しみです。(本日の一等賞)
小草若の「昨日の宣言と抱擁」は、単なるアホ同士のそれではなくて「含み」を持たせていたんですね。今日の真打は、(四草の真剣な物言いは多くの女性のハートを鷲掴みにしたでしょうから省略して)小草若と正典さん。
工房を訪ねた小草若が(「普通に入ってきたらええのに」に一票)、正太郎の作品を(ちゃんと指輪はずして)手に取り、真剣な眼差しで見据える姿も良かったし、その姿を眺めているときの正典さんの表情が何ともいえず素晴らしかったです。
正典さん、「自分は父には決して追いつけない」と、淡々と小草若に語りましたが、小草若を見つめるその瞳が草若師匠になっていました。小草若が昔の自分に見えたのかな? その意味では正太郎さんの域に達しています。
塗箸と落語。道は違えども同じ立場の二人。正典と話して小草若は何かを感じたはず。この二人、「お父さん&ハジメ」以上のいい関係になりそうですね。
(以下は余談=苦言です)
完璧な正平クン、プータローの小次郎さん(「同じ意味や」にも一票!)に説教する時間があったら、アルバイトして留学資金を稼ぎなはれ。お父さんもお母さんも(そしてニワトリさんも)、あなたのこと応援してますよ~。GO!GO!正平~♪
それから、離れて正平を見ている順子&正平を目で追う順子(副音声)!
「ほっとけない」のは、あなたの場合、正平君じゃないでしょ。心配するなら、婿殿の実家の心配してください。(また言ってしまった・・・罰金100円入れなはれ)
今日の一席は、「五木ひろし」の「瞳で微笑むカウンセリング」でしょう。
過去のトラウマのせいで地元小浜で開催しようという落語会にビビってしまった「くよくよ暗く陰気に育った子」(四草談)の目の前に、先日60円しか持ち合わせがなかったために未払いになっていた若狭塗箸の代金1万3000円を支払いに店を訪れた五木ひろし。人に物事をうまく説明できない喜代美が、立て板に水の如くすらすらとその後の顛末を説明できたのも、自分が抱えている問題を過去のいきさつから今の気持ちまで素直に打ち明けられたのも、『微笑み返し』を駆使しながら巧みに話を引き出す五木マジックのおかげ!
しかも、「紅白」では幻に終わった『ふるさと』を、ここ小浜で歌ってくれるなんて・・・
「本当にいい人なんですね!」
悩み多きニワトリも、五木ひろしさんの微笑みカウンセリングを受けたくなりました。そしたら、なりたい自分になれるかな?
次席は、奈津子はんの「ええやん、昔の同級生なんて。どうでも」発言。「肉じゃが女」「ボタンつけ女」に続く、「恨み節」第3弾が炸裂しました!
奈津子はんが、高校時代?「教室の隅の眼鏡女」だったという衝撃の事実が明らかになりましたが、私が同級生だったら間違いなくチェック入れてたでしょう。今はとっても美しい「山の彼方の貴方」(なんのこっちゃ)も、不遇な「喜代美時代」を経て大輪の花を咲かせたのですね!
奈津子はんが「喜代美に昔の自分を重ねている」ということは、裏を返せば、10年後の喜代美が奈津子はんのような綺麗な塗箸になっている、ということですが・・・(以下は余談)
今日はトドメさされちゃったからね。サバTシャツと小草若のひと言で。
本当だったら「同じアホ同士」(四草談)、小草若と三人で「よくぞ名前を捨てた」と抱擁していた筈ですが、(正典さんと同じくらい)和田塗箸製作所が心配で・・・。
先週の全員集合、経営不振を知らされて友春が沈黙しましたよね。そのとき喜代美は「優柔不断やな」と、私がそこにいたら間違いなく喧嘩になった「突っこみ」を入れましたが、あそこで考えない人はいません。
以来、魚屋食堂が出てくるたびに、「今から鯖を焼かなければ、跡を継げないものなのか」と、いらぬことを考えてしまいます。友春は製作所が稼いでくれたお金で成人し、昨日まで友春自身も跡を継ぐべく修行していたわけだし、順子にしても、お嫁に行かないことが相手の家のことを考えなくてもいいということではないのだから、「製作所がどうなろうと関係ない」とは絶対に言わせません。それ故、「責任」を放棄する形になった友春&順子の決断を、今でも手放しで喜ぶことができないのですが、それに言及するのも今日を最後にします。
戦うだけが人生ではないけれど、「そのとき逃げたことを後になって悔やむ」のだけはお互いやめましょう。何はともあれ、おいらも五木ひろしさんに相談しにいこっ!
清海が火曜日に登場すると、まことしやかに囁かれていたけど、これ(回想場面)だったとは・・・?「嘘ではないけど事実と違う」話を流したのはNHKの関係者?