リュウが、多分13歳になりました。
石巻から来た、海の男リュウ。
おサカナさんが大好きです。
いや。
なんでも大好きだな、食いしん坊め。
最近、彼は耳が遠くなりました。
猫撫で声で、しかも高めに呼んであげないと聞こえないみたい。
気難しいおじいちゃんになってきました。
足腰もヘロヘロになってきて、朝はいつまでもペタンと寝ています。
それがまたかわいい。
老犬って、かわいい。
「さぁ、食べていいよ!おめでとう!」
「ハムハムはぐはぐ!!ゲホォッ!」
「んふ~っ!」
この後ね。
リュウは泣きました。
涙を流してた。
目にゴミが入ったのかもしれないし、実際は分からないけど、嬉しくて泣いたみたいに見えた。
彼らが何をどのように望んでいるのかなんて、僕らが都合のいいように想像するしかないんだ。
でも、きっと当たってる場合が多いと思う。
千田くんが毎朝、現場前に僕を迎えに来る。
すると彼らも迎えに出る。
「あやや、おはよ~。いい子でしゅねぇ~。」
小さい子に話すように、撫でられて嬉しそうにしている。
色んな想いを抱えて生きている。
ため息をついて、ふて寝をしてる時もある。
機嫌が悪い日もあるし、なにかにビビってる時もある。
フリフリと何があった訳じゃないのにシッポを振ってたり、空をポヤンと見上げてることもある。
ひなたぼっこはノホホンとするね。
世界中の子ども達の願いは、パパとママが仲良くしてくれてるってこと。
戦争反対とか、そんなことじゃない。
両親が仲良しだったら、それだけで完璧。
それだけで。
この子たちはどうなんだろう?
この子たちの一番の願いって、なんなんだろう?
もしも本当の飼い主と過ごす事を選べるとしたら、そうするのだろうか?
でもね。
そんなことは想像しても意味のないことだ。
目の前の彼らに、精一杯の愛情を注ぐのみです。
集中するのみです。
一方僕たちは、想像力があることで身勝手になっている時がある。
想像力があるが故に、消極的になる場合もある。
「どうせ無理だ。」
なんていうのも、その間違った力の使い方のせいだ。
想像しすぎて何もできなくなっちゃったんじゃ意味がないと、僕は思う。
想像力の先には、行動力がある。
きっと、その行動力の先には思いやりがあり、自重へと繋がるのだと思う。
この子たちと過ごす時間。
それは、僕たちにとっては人生の数ページでしかない。
でも、この子たちはうちに来た日から生涯を僕らと暮らす。
途中から来たこの子たちは、色々な想いを抱えて僕らと過ごす。
僕らとの時間はこの子たちの命そのものなのです。
お散歩が辛くなったら、抱っこをする。
それでも嬉しいと思ってくれる「だろう」から。
そして、一番の願いは「僕たちと過ごす時間」なんだと思っています。
一秒でも長く。
そうしたいんだと思います。
命とは時間。
時間の無駄使いは、命の無駄使いだと思うわけです。
今日という日をベストな日に仕上げていきたいものだよね。
さぁ、これから銀座さ向かいます。
船岡の銀座通りではありません。
と、と、と、東京の銀座です。
ほ、ほほほ、ほ、ほ、ホンモノの銀座だべおん。
ちょっくら工事ば頼まれつまってよぉ、車でギッギと行ってくっかんねや。
んで。