僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

仙台にいたい。

2019-01-31 19:42:22 | 日記
本日から大阪、神戸。
2月中旬には京都、神戸、ニューヨーク。
月末はずっと横浜。
ただでさえ2月は短いのに、殆ど仙台におらんのです。
その間も美容室、居酒屋、歯科クリニックなどが重なっています。
細かいものを合わせると、もっともっとです。
応援の依頼もたくさん。

でもですね、楽しいんだね。
仕事もそうですが、なにもかもが楽しいです。
家にいることも、バンドも、稽古も、団活も。
仕事も楽しいので、僕は幸せ者だと思います。
何かを考えて作っていることがやはり楽しくて、朝ごはんと並んで朝起きるということのモチベーションになっています。

もう一息のカウンター。


これは何になるのかの〜。


風除室。


無かったものが出来てくる。
これは毎回毎回とても不思議な気がします。

何もなかった空間に、壁ができれば部屋となる。
そのデザイン次第では「いい部屋」にも「悪い部屋」にも。
ただ壁を作るという仕事じゃなくてよかったなぁと思う。
いいムードを出すという仕事だからこそ楽しいのです。
作業ではなく、50分では終わらない美術や技術の時間みたいです。
テーマも与えられたものではなくて、自分からひねり出す。
「これでいいか」のラインを高くして、予算とお客様の客層の想像をしながらデザインを考える。

これはとっても楽しい仕事です。
若い人たちにこそ目指して欲しいなぁと思うんだけれどもね。

知識を持って賢く、それだけではない。
好きになって夢中に、それだけでもない。

それらも才能なんだろうけれども、楽しんでいる人には敵わない気がする。
楽しんでる人には、何をしても敵わんよ。

そんな人なら、僕らは歓迎するのであろう。

写真は新年会の際のスペシャルユニット。
千田が高らかに歌いました。
吉幾三を。


僕は今、大阪のホテルで珍しくスーツを着てパーティに出ています。

応援団の皆が恋しい。
そんな夜です。
少し前の応援団の写真です。
今夜の写真ではない。
スーツの写真はない。


そうそう。
僕たちの絵本が出ます。
著 平 了です。
もはや、何人なのか分からない。
著平了。
ぷぷぷ〜っ!

「はじめまして」
という絵本です。

トリオジャパンは僕らが継承し、渡航移植が無くなるその日まで頑張ります。
自分たちが必要とされない社会になる日まで。
自分たちが消えることを目的とした団体にしようと話し合っています。

僕らの主張は、
移植医療に賛成=正解
移植医療に反対=不正解
というものではありません。
どちらも正解です。

僕らがやるべきことは、いざ自分の身にその時が来たらどうするのかを話し合っててもらう機会を一刻も早く増やしていくこと。

僕らの国は、移植医療に関してはダントツで後進国。
それは、話し合いがなされていないことからの誤解も多いように感じます。

例えば。
トリオの会議に参加して僕も知ったことなんですが「お金を払って命に割り込みをしている」なんてこともネットではよく言われています。
僕もそうなのかぁ、なんて思ってた。
実際には「容体が悪い順番」であり、渡航するぐらいの子は本当にギリギリであることが多いということ。
渡航してからも何百日も待っている子もいます。
ということです。

ね、知らないことだらけだ。

そして僕がこの本に込めた想いは、レシピエント側(提供される側)ばかりに焦点が合うけれども、ドナー側にも泣きたくなるぐらい幸せな「なんでもない日」があったんだぞ、ということ。

まだ予約の段階ですが、是非、ご家族で話し合って頂ければと思います。

「僕はしない。」
「僕はする。」
どちらも意志です。

その意志は、医師を超えます。

どうぞよろしくお願いいたします。

【出版社からのコメント】
どうぞカバーを外してご覧ください。
本の両側から読み進むことができます。
「きょうりゅうとライオンがだいすき」なぼくと、「くるまとパンダがだいすき」なボクのものがたりです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4899841825/ref=cm_sw_r_cp_api_i_7eTuCbYCHCRSE

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いいね、なんかそれ。

2019-01-27 19:30:44 | 日記
少し時間が経ちましたが。

市原悦子さんが亡くなって、日本昔ばなしが好きだったことを思い出しています。

たまに、ものすごい感動するヤツも紛れておった。
ラストが意表をつく爽快なものもあるし、暗いのもありました。

僕は登園拒否の気があった。
そのため保育園の頃は日本むかし話を見るとなんかこう、気が重くなったことも含めていい思い出です。

オープニングの曲はもちろん、終わりの歌も含めて大好きだった。

そんなこんながあり、僕は市原悦子さんが亡くなったことに寂しさを感じている。
「僕が小さい頃」を育ててくれた様々なコトの中に「日本昔ばなし」は入ってる。
絵の具、積み木、クーピー、ダイナマン、ゴーグルファイブ、ビッグワンガム、ふがし、昔ばなし!
市原悦子さんが亡くなって、僕は少し寂しい。

先日、中華飯店で食事をした。

先客の隣の席には、頭とガラの両方が悪そうな2人組。
兄貴分は奥で子分は手前。

一歩止まって、上から下まで睨んでから座る。
挨拶程度に。
この挨拶によって、
「ナンダテメー!」
とかかって来る人も、もういない。
それも、寂しい。

テレビでは市原悦子さんのことが流れた。

兄貴「この人、なにやっても同じだったよなぁ。」
子分「この人、なにやっても同じでしたっけ?」
兄貴「この人、なにやっても同じだったよ。」
子分「この人、なにやっても同じでウケたっす。」

ぶん殴ってやろうかと思ったけれど。
僕はやめた。
息子達に話すことにした。
頭とガラの両方が悪そうな2人にも聞こえるように。
「この人、日本昔ばなしの人なんだよ。」
「チョロっと覗いて見てるオバさんじゃないんだ。」
「うん。日本昔ばなしを面白く、優しく読む人。寂しいね。」
「ふ〜ん。」
「とっても寂しい。」
隣の彼らは、言葉を失った。
「……。」
「……。」
彼らは会計を済ませて出て行く。
「父さん、いいね、なんかそれ。」
「なにが?」
「良心に訴えるっつぅの?いいね、なんか。」
「誰もがよ、誰かにバカにされるような人生ではなかろう?キムタクのことも、いつも一緒とか言う人おるけどもな自分がやったらどうなんだよ?もっといい芝居でも出来んのかね?好き勝手言われ、バカにされるほど安く生きてる奴なんて、特にこういう有名な人たちにはいないと思うよ、俺はね。」
「そうだね。俺らに話したようだけど、真っ直ぐに話した父さん、よかったよ。ユー、よかったよ。」
「上からものを言うな。」

AKBに入りたいと皆の前で手を挙げた後藤さんを思い出した。
彼女も「友達」に笑われた。
でも、彼女は本当にアイドルになった。
元気にやっとるだろうか?

気にしなければならない事を気にしよう。
バカは気にしなくていいと思う。
もうね、結構世の中ダメだよ。
年寄りだからマナーがいいとも限らない。
先日の応援もそうだった。
「人を呼んでおいて、話を聞かねぇっつぅのはどういうことだ?大したことねぇなぁオイ。」

僕は言う。

呼んでくれたその人たちを信頼してるから。
自分が思ったことを真っ直ぐに言葉に出せないのは何故か?
自分が嫌われたくないからだ。それと、相手を信頼してないから。
相手がその話を自分への批判として受け取るのではないかと尻込みしてんのはさ、相手の人間性を信用してないからだ。
それは気遣いとは言わない。
卑怯な自衛と勇気のなさからからの不信だ。

感情を爆発させてもよろしかろう。
真っ直ぐに言える者が仲間であったりすることも誇りだったりする。

嫌われたくない人間が、僕は嫌いだ。

ネットの中にはウジャウジャいて気持ち悪いね。
だから読まない。
仲のいい人ですらそうだったりするとガッカリするから読まない。

どうでもいいことにアンテナを立てて、時間を浪費するのはやめよう。
君と君の好きな人のために時間を使え。
好きな人と過ごす時間をもっと増やしていこうと思う。

ところで僕は、鰻も好きだが鰹も好きだ。
鰹のタタキは藁でいく。


全身が、野焼きの匂いになりました。
目が痛いよ〜。


最高じゃないの。


明日から月曜です。
小さな最高を積み上げていこうじゃないの。
もうすぐ二月。
今年も残すところあと11カ月。

早いものです。
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練習と新年会と

2019-01-20 09:38:22 | 日記
みやぎ復興応援団の練習が始まりました。
今年もたくさんの新しい「小さな希望」のようなみんなが参加してくれました。
去年や一昨年の子達も勿論います。
今年の未来へのエールもね、いい予感しかしません。


去年、申し込んだけれど抽選で外れてしまった方も、去年も一昨年もご覧になれた方も。

今年も是非ご来場ください。


人のことを思い、頑張って!とエールを切る。
大勢の人たちの前でエールをする。
恥ずかしさや緊張、いろんなものを乗り越えて彼らは「心を込めて」エールをします。


はじめてエールをする子もいます。
動機はそれぞれだけれども、応援している姿がカッコいいと思い、思われるという結果こそがこうして人の増員に繋がっていきます。


去年も参加し、今年も参加するみやぎ復興応援団の子が書いた志望動機が僕の胸を熱くしてくれました。
「私は前回、初めて出させていただきました。練習は、少し大変な所もありました。しかしとても楽しかったです。私は最初、こわいのかと思いました。ですがそんなことは、全然ありませんでした。当日、私はたくさんの人にエールを送りました。私は泣いている人を数人見ました。思い出したのかな?と思い、よけいに力が出ました。私は、何もできる事は無いと思っていたけれど、「ある」と分かりました。私は小さい事でも何かできる事があったらしたいです。今回もぜひやらせてください。おねがいします。」
こちらこそです。
こちらこそ、お願いします。
僕らのエールは、なんだか君たちのエールには敵わない。
そんな気すらします。
裸足で寒かった?
でも、応援団は誰よりも頑張らなくちゃいけない。
自分の身体のみで自身を支えなくちゃいけない。
自分の身体のみで。
靴もなし。
メガホンもなし。
そういうものです。


人は誰しも、誰かの応援があって頑張れる。

なのに。
頑張ってる人を笑うような人が多いことも事実。
数値化できないけれど、そんな人が増えてるように思うのです。
それは、誰もかれもが「発信」という手段を得たからだ。
面と向かって言えなかった便所の落書きのようなことも、昔と違って誰でも発信できる。
そして、なんとなくそれが尤もらしく見えたりしてね。

くだらねぇ。

嫌な暗雲はエールという風で吹き飛ばそう。
卑怯者は高らかに笑い飛ばそう。

俺たちで風を起こそう。


僕らが後ろにいます。
僕らが後ろに並んでいます。
安心して、ぶちかましてやれ。

未来へのエールは未来そのものの君たちがするといいね。
僕らはそれを、いつでも応援する青空応援団だ。
生半可なボケナスどもには負けねぇんだ。
勝つまでやるから。


今年も、是非ご来場ください。

さて、その日の夜。
つまり昨夜。
我々は新年会でした。
団長が適当に作ったカレーと豚汁。
バシータが丁寧に作ったヨダレ鶏。
バシータがイオンで買ってきた餃子。
それと「居酒屋きりん」より協賛頂いた牛タンやコーラ。


楽しかった。


僕らは揉めることがない。


仲が悪かったら人の応援など出来るはずもないしの。


何より、団は家族だ。


朝までボードゲームやカードゲーム、カルタなどをします。
健全過ぎる。
「人狼」というゲームが楽しかった。
そして、僕は人狼の才能に満ち溢れていた。


佐々木副団。
幹事をご苦労様でした。
買い出し、予約、手配。
全て彼がいてこその楽しい時間。
ありがと。


今は新幹線に乗っています。
芝浦っていったかな?
そこへ向かっています。
パラリンピック関係の何かに向かっています。

僕らが向かうところに敵なんかいない。
敵無し。

僕らは無敵だ。
あの子も書いてた。
世のために、やれることは「ある」
きっと、全員にある。

今日も、つっぱってきます。
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ビシバシと

2019-01-18 23:45:03 | 日記
ビッシビッシと仕事をしています。
合間に映画を観ています。
Netflixで。
いい映画だったなぁと観終わった後に思えるのは僅かだけど手当たり次第に観ています。
誰も知らないような映画でもとりあえず行きます。
それがNetflixのいいところだと思うし、それが当たったりする。
一日一本。
これが目標です。

オススメの映画は、会って話せる人にだけ。
僕は批評家でも評論家でもない。

さて、明日から「みやぎ復興応援団」の練習が始まります。
今年のルーキー達、楽しみですな。
3月11日。
会場でお会いしましょう。
彼らのエールは、心を動かす。

ひひひ。
明日の夜は青空応援団新年会があります。
楽しいんだコレが。
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Do not festival

2019-01-14 19:35:37 | 日記
撮影、無事に終了したのですが団長間に合わずでした。

無念です。

名取市の成人式。
行きたかったなぁ。
そして、伝えたいことがあった。

(もうこりゃ無理だ、間に合わない。)
そう思った時、撮影をなんとか大急ぎで!なんて頭をよぎったけれど、その考えはやめた。
12名もの団員や副団長がいます。
もう、任せてしまおう。
そう決めて集中しましたとさ。

僕としては大勢に伝えることは出来なかったけれど、僕が撮影した人たちにはきちんと伝えました。

「今日はアレかい?友達と飲み会?」
「あ、はい。」
「そっかそっか。楽しそうでいいね。」
「はい!」
「でもね、今日はお父さんとお母さんにもさ、キチンと感謝するべきだと僕は思うんだ。約束は守らなくちゃそれはそれで大人としてダメだしね。仕事の約束は守るけど遊びの約束を守れない人は寂しい人だよ。」
「…はい。」
「だから約束をしてしまったのであれば十分楽しんでからさ、ちょっとでも早く帰ってありがとうを言う日にしたらいいと思う。もちろん家にいてもね、今頃友達はみんなでワイワイ遊んでるって思うとソワソワしちゃうのも分かるんだけどさ。大切なものを大切に出来る人にならなきゃいけないよ。」
「はーい。」
笑顔で聞いてくれました。
お父さんやお母さんも、嬉しそう。
「そうだそうだ!」
と笑って言うお父さんも。
そんな風にお父さんが言える機会を作る役になれただけでよい。
余計なお世話だけどもね、そんな人が少ない気がするからコレでいいのだ。

大人になるってなんでしょう?
出来ないことをごまかそうとしたり、嘘をついて煙に巻くことでしょうか?

小さな子どもは出来ないことが多いです。

それでも。

出来なくても愛されるし、器用じゃないからこそ愛される。
本来、僕たちがみんな持っていた「かわいがられる」「愛される」という武器は大人になろうとしてどこかに置き忘れてきたようですよ。
子どもみたいに夢中になって頑張る人は、もちろん周囲の人を振り回すし迷惑もかけるけれども、不思議と周りの人に愛されている。
知ったかぶりで、やりもしないで能書き垂れの人はやっぱり好かれにくいのかもしれないね。

周りは人を全体で見ようとするから、僕らは変に大人ぶってみたりする。
しかしです。
部分的に人を見てみたらいかがでしょうか?
尊敬する人の話や意見は、本当に全て正しいのだろうか。
ムカつくあいつの話はいつでも間違っているのだろうか?

そう思っておけば簡単だからとそうするのだろう。

いいことを言う人がいい仕事をしているわけではないし、性格が悪くたってその意見やしたことが正当でないとも言えないのだ。

その人やその子には、必ずいいところがあります。
人は多面性を持っていて当たり前。
その関係性の中で様々な顔を持つ。

当たり前だろう、そんなこと。

僕たちは、武器を取り戻すべきだよ。
かわいがられるということは、武器だから。
成人式でアホみたいに粋がってる場合じゃないよ。

昨夜、仕事から戻ると晴着のお嬢さん。
近所の子でした。
「君も成人かね、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。この間、新聞見ました!平さんって何歳ですか?」
「40歳、今年で41歳だからバカボンのパパと同じ年齢なのだ。早いものだね、飲み会とかなかったの?」
「はい、少しだけ顔を出してきました。今日は家族で過ごそうと思いまして。」
えらい…
そして、美人。
日本の未来は明るい気がしました。
コレでいいのだ。

さて、今日はDo not festivalですね。
Do not=don't=どんと
festival=祭

YES!
どんと祭!
Do not festival!!

芭蕉せんべい買う。

「りんご飴買ってきてね〜。」
「お前はりんご飴は食べられないよ〜。」
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