小さい頃、うちはパパ、ママだった。
パパがカイシャに行くのが嫌で、カイシャは敵だった。
カイシャってなんだ?!
って思ってたっけなぁ。
赤いビートルに乗って行ってしまう父を、母に抱かれて泣きながら見送っていた。
物心ついた頃のうちの車は赤いビートル。
フォルクスワーゲンのタイプ1という車です。
とにかく、ビートルと呼ばれているその車が「うちの車」だった。
赤くて、丸くて、大好きだった。

左の運転席が兄で、僕は右のチビの方。

40年も前の話ということになります。
でも、覚えてます。
三角まど。
後ろの後ろ。(後部座席のさらに後ろの荷物入れスペース)
丸いスイッチいっぱい。
後ろの後ろでお菓子を食べたり、楽しくて大好きな車でした。
父はいつでも車を磨いていた。
車が好きな人なんだね。
バイクも磨いていた。
基本、何かを磨いていた。
楽しそうに。
飽きずに。
ビートルがある日、白い四角い車になった日があった。
僕は、コトの経緯は分からないけれど、ばあちゃんの家にいて、リヤカーで売りに来るお団子屋のおばあちゃんから買った「しょーゆだんご」を食べていた。
丸くて赤い車じゃなくて、四角くて白い車が祖母の家の前の砂利道に停まった。
「うちの車」はどうやら今後はこれになるらしい。
そのように聞かされた。
「しょーゆだんご」が美味しくなくなった。
ゴルフという車なんだけど、同じフォルクスワーゲンだけど、僕はそれがなんだかとても寂しくて、悲しかった。
(父はワクワクしてた。そりゃそうさね。)
それ以来「うちの車」はゴルフで、何台かゴルフを乗り継いだ。
そのうち、赤いビートルの思い出は写真の中だけのものになっていった。
いつしか僕も家を出て、自分の車を持つようになる。
両親も歳を重ね、乗りたい車から国産車の乗りやすい車になっていった。
国産の文句を言ってるのではなくて、そうなるんだなと思って見ていた。
僕は基本的には作業車だからハイエースとか軽トラとかそんなんばっかりだけれど、本当は古い車が好きだから今は作業車以外は古い車に乗っている。
修理しながら、快適さではなく、気分屋のエンジンと対話しながらみたいな感じが好き。
よりバイクに近いほどいいのです。
(ビートルもいいよなぁ、カルマンギアもいいよなぁ。)
ただそんな風に思って過ごし、44歳になった。
時間だけ、流れていた。
強く、無敵だと思っていた父も病に冒され、いつの間にか両親の年齢を意識し始めた頃の年齢に追いつき、その覚えている両親の年齢すらもはるかに追い越した。
僕は両親に迷惑はかけたけれど何をしてきたろうと思い始めていた。
恩送りも大事だけれど恩返しもしてこそ。
勝手に全てを決める僕を、彼らはどのように見ていたのだろう。
勝手に全てを事後報告で推し進める僕をどう思っていたのだろう。
生き方を変える気はないけれど、親孝行は出来るうちにすべきだし、定型もない。
なんか、そんな風に思ってる矢先に父の「余命宣告」というものを受けた。
「父さんが?本当に?」
そんなはずはないし、元気だ。
信じられないくらい今は元気だ。
本人も信じられないようだ。
本人も周りも知ってるなら遠慮なく応援をしようと思った。
「やれる限りのことをやろう。」
考えてみれば、それはいつだってそうあるべきだったのにね。
「よーし。遠慮なくやらせてもらう。」
そう考えが切り替わるまで時間はいらなかった。
父はワーゲンクラブというクラブの会長をしていた。
詳しくは知らないけれど、100台規模のクラブ。
今もその時の仲間たちは、僕の面倒を見にきてくれたりする(笑)
この頃から、ずっと見守ってくれてる。
実家にはワーゲンのグッズが今もいっぱい飾ってある。
とにかく好きなんだね。
「好き」がハッキリしてる人でよかった。
10月7日は父の誕生日だったから、思い切った誕生会を開こうと思った。
準備期間は1ヶ月もない。
病気のことは本人も知っている、そして周りも知っている。
仲間を呼ぼう、父の仲間を。
みんなで応援をしよう。
応援をする。
応援をする誕生会にしよう。
グッズや好きそうなものを並べ、好きそうな人たちのみで空間を満たす。
そして。
僕は、ワーゲンを買おうと思った。
サプライズで外に停めておく。
間に合うのか?
何度となく事情と経緯を説明し、全国のショップに問い合わせをした。
ハートのあるショップから買いたいと思っていた。
そんな中、キチンと返事が来た会社さんが2社のみ。
その内の一社が素敵だった。
「今回の平さんのご家族を想う気持ちに感動し、自分自身が車屋をやろうと思った頃のことを思い出して涙が出ました。人を感動させる。人に喜んでもらう。それらを思い出すことができました。」
そんな返事をくれたお店に決めた。
超特急で仕上げてくれた。
愛知県から「うちの車」はやってくる。
フェリーに乗ってやってくるんだ。
左がママ。
僕。
お兄ちゃん。
けいちゃん。
正しく言えば、母、自分、兄、叔母。
赤くて丸いあの車を買った。
間に合うのかだけが心配だった。
「平さん?なんとか今日のフェリーに間に合わせましたから!」
日程ギリギリだったけれど、そんな連絡が来ました。
(沈没とかやめてちょ〜)
と祈って待った。
仙台港まで分刻みのスケジュールの合間を縫ってお迎えに。
かわいい!!

中も最高!

工場に到着!!
いらっしゃい、よく来たね。

どんなことでもいいから、楽しみさえあればなんとかなるってことぐらい知ってる。
前みたいに、いつでも車を磨いてる父に戻って欲しいと思った。
だから、できる限りピカピカに仕上げた。

当時のカッティングシートも写真から再現して作って、貼った。

昔の写真、チェキで印刷して車の中を写真でいっぱいにした。
幸せや、たくさんの思い出はその人の応援になる。

「忘れられない1日にしましょう。」
いつかサダポンが言ってくれた一言が忘れられずにいる。
すごくパンチのあるいい言葉だと思った。
今回は、そうしようと思った。
「忘れられない夜にしよう。」
ビリヤード台にテーブルクロスを。
天井は風船で満たす。

バルーン屋さん、色々とありがとうございました。

ひたすら、VWで店内を満たしました。

バルーンのアーチゲートも設置してもらいました。

「お父さんのギター」も壁に飾ります。
多くの父の友人達が駆けつけてくれました。

父さんは、みんなに愛されてるということを忘れないで頑張って。
みんな応援してるんだから。
誰も、未来を諦めたりしない。

僕の友人たちも景気付けに来てくれました。
ブレイズからはお歌のプレゼント。
Peter,Paul and Maryが好きな両親なので、その中からの一曲を。
ブレイズありがとうね。

いい夜でした。
本当にいい夜でした。
初孫がケーキを運びます。

山寺宏一さん(山ちゃん)にお願いをして、ビデオメッセージを送って頂いた。
感激してた。
「山ちゃんだ!!」
会場が温かい空気に包まれました。
いよいよです。
すごく手のかかった、木製のキーを渡します。
でも、まだこの後のことは誰も知らない。
クラブのメンバーも知らない。
僕たちスタッフしか知らない秘密のビートルがこの後スグ!

木とレジンで作った、特大キーです。
目録のように使いたくて、作りました。
綺麗なのです。とっても。

レジンと言えばもう一つ。
一輪挿しを。

このように、車内のお花をね。

裏の工場にコッソリダッシュ。
みんなはケーキを食べている。
「さぁ、出番だよ?もうコソコソしなくて大丈夫。父さんをよろしくお願いします。」
車は話しかけるといいと思います。
さぁ行こう。

そんな裏準備が並行して進められていました。
さ、山ちゃんのところまで戻ります。
山ちゃんメッセージを流し終えて、木製のキーの贈呈を。
まだ分かっていない。
そりゃそうだ。
ビートルの鍵のオブジェをもらっただけだと思ってる。
しめしめ。

「じゃ、父さんはカッコいいままで帰ってください。お見送りでーす!」
扉開きます。

外のライト点きます。
目がまんまるになっています。

だって、コイツがいるんだもん。
当時のナンバーと同じ、赤くて丸くて、かわいいコイツがいるんだもん。

運転に対しての心配なんか必要なかった。

スムーズ。

いってらっしゃい。
小さい頃、お見送りが嫌いだったけど今夜は最高の気持ち。

バンザーイ!
やったね。
僕は疲れた…
「皆さん、本当にありがとうございました。」

「リョウ、おつかれ。beautifulな夜でした。」

料理も美味しかった。
豪華!
spoonではこんなこともできまーす!

みんなが支えてくれたから出来ました。
みんながいてくれたから出来ました。

このビートルが、父のハートに火をつけてくれるはず。
このビートルが、父の仲間達に火をつけてくれるはず。
頼んだよー??
元気に走り回ってちょー!!

翌日、車の説明に行った。
「一輪挿しの花、本物だからね?」
「え?!うそ?造花だと思ってた!お水あげなきゃいけないね!」
「かわいそうだから、そうしてあげて!」
嬉しそうです。
おかげさまで、父が嬉しそうです。
