京都マラソン。
毎年ずっと参加してきましたから、いろんな思い出があります。
ある年は青空応援団がポスターの表紙になったこともありました。
天一でラーメン食べたり、なんとかっていう天満宮を見てまわったり。
色んな思い出があります。
そして、素敵な最後の思い出も出来ました。
応援団結成当初の懸念材料は、
「応援の依頼ってあんの?」
というものでした。
結果からすれば、メチャンコありました。
世界からも日本中からも。
依頼はメチャンコありました。
青空応援団にはたくさんの団員がいます。
僕はたくさんの人生と共に生きて、少しの間だけ同じ目的で集まって、またそれぞれの人生に戻っていく。
そのような12年を過ごして来ました。
飲み会なども殆ど開催せず、家族や仕事を最優先した活動を目指しました。
練習が終わったらまっすぐに帰る。
応援が終わったらまっすぐに帰る。
そんなストイックな活動でした。
もう、僕らは13年生です。
自分で言うのもなんだけど、こんなに長く学ランを着た人もいないだろうし、こんなに多くの人にエールを送った人もいないと思う。
僕らには「エール」という武器がありました。
エールという表現ではなく、ちゃんとそこには武器がありました。
その武器で倒す相手はその人の中に潜む怠け心だったり、周りからの雑音だったり。
京都マラソンの応援がはじめて決まった時、嬉しかった。
「フレフレ京都」
そんなことを言える日が来るなんて、田舎の高校生応援団が当時は思うわけもなく。
「ガンガン一高」と母校の名前しか言えない高校の応援団から、
「フレフレ宮城」や「フレフレ東北」と確実に対象が大きくなって、いつかそれは「フレフレ日本」となって世界やオリンピックの応援に行ったり来たりラジバンダリ。
震災後の活動。
スコップ団は本当に嫌だった。
無くなればいいと思ってやってた。
自分たちは本当はいない方がいいんだと思ってやってた。
色んな人たちが駆け抜けていった気がする。
それでも、やらなければいけなかった。
ずっとやり続けなくちゃって思った。
心を凍らせてスコップで片付けをしていました。
(これからは支援ではなくて、応援に切り替えなくちゃ。)
ある日そう思って、アベテツに相談した。
「応援団やろう」
そんな話から始まった。
「青空応援団」はなにもなかったんです。
当たり前だけどエールもないし、応援歌もない。
旗もないし、なんなら学ランもない。
団員もいない。
そもそも、依頼もない(笑)
あるのは、気持ちだけだった。
「俺が、ずっと応援する」
いつでも、ずっとその気持ちだけを持ち続けなくちゃいけなかった。
心を笑われてズタズタにされることもあった。
人を信じて馬鹿を見ることもいっぱいあったし、
「なんでこんなことしなくちゃなんねぇんだよ。」
と思うこともいっぱいあった。
「男が決めたことだろうがよ」
なにがあってもやり抜く意思と、いつでも「鍛えておく」という鉄の意思、この考えだけは絶対に曲げないぞという固い誓いみたいなもので生きてきた。
青空は、
「君のことを笑う奴を応援してくるから、待っててね。」
そういう応援団だった。
「そうすれば君のことを笑う暇なんて、ソイツにはなくなるじゃんか。」
それが狙いであり、理想だった。
みんなが幸せであれというより、本当は、みんなが自分のことに一生懸命であればいいだけなんです。
誰かに親切にするなんて当たり前のこと。
手伝えることがあるなら、無理のない範囲で。
言いたいことは、僕らに対しても同じ。
僕らも自分のことに一生懸命であるべきだと、やっと分かったということ。
人生はたぶん、本当に短いから。
信じてくれる人と過ごさなくちゃならない。
信じられる人を命がけで護らなくちゃいけない。
その人と様々な場所に行かなくちゃならない。
その人をずっと笑顔にしてあげなくちゃいけない。
ストレスフルな人は、マジでもういい。
僕と阿部副団長は、青空応援団を引退することにしました。
それは「信じる者」であり続けるためにです。
人助けに理由はいらないし、応援はその人を信じるバカモノであればよい。
人助けにオンオフがないように、応援する気持ちにもオンオフなんてあってはいけないよ。
僕たちは団長、副団長ではなくなるけれど、これからも信じ続け応援し続けるのだと思う。
もう少し自分や周りとの時間を大事にしながらね。
昨日の京都マラソンがスポーツの応援ではラストエール。
3月1日の富谷高校の卒業式の応援が本当にラストエール。
僕らの最後のイベントはいずれ発表します。
今は良くても、未来の自分はどうなるか分からない。
誰かの応援が必要になる時は「絶対に」来る。
僕らのエールが未来の自分に必要であれば、どうぞエールを撮影して未来に、未来の自分に我々のエールを持っていってください。
それも、備えであると僕は思います。
備えあれ。
そして、死ぬまで頑張れ。
初代青空応援団は、現在応援の依頼を全て締め切りとさせて頂いております。
もう、僕らのエールは誰も受けられない。
チャンスは、もう、殆どないのです。
でも、全てのことが、なんでもそうなんです。
どんなことも、そうだったんです。
父さんに頭を撫でてもらいたかった。
「頑張ったね」って。
でも、出来ない。
大切に生きてください。
昨日の京都マラソン。
数年ぶりに小南団員が来てくれた。
それだけで、そんなことだけで俺はアガる。
最後だから、太鼓をぶっ壊すぐらい叩いてやれ。
そんな始まりから、一瞬でバチが折れて。
とにかく、ずっと声を出してあっという間に終えました。
小南が旗を振ってるのを見て、涙を堪えるのが大変でした。
澤さんが帰り際に、
「青空応援団で良かったです。」
と涙ながらに言ってくれたことが嬉しくて、涙を堪えるのが大変でした。
マルさんが空港で、
「今までお疲れさまでした。ありがとう…団長。」
と泣いてしまって、涙を堪えられませんでした。
ナイスエールだった。
ずっと一緒だった佐々木さんの太鼓。
それを支えるクマのビート。
バシータの通る声。
辻君の真っ白なまっすぐさ。
ヨコシンのスカポンタン。
潤の安定感。
南の不器用さ。
全部愛してる。
京都マラソンで、素敵な思い出がまた増えました。
お前らがいると、アガるねぇ。
今までありがとう。
俺がいるだけで、アンタの気持ちがアガるなら。
声かけてくれ。
今までありがとう。
アンタの心の傘になりたかった。
傘に、俺たちはなれたかな。
今まで、ありがとう。
青空応援団 団長 平了