「パパは無敵だと思ってたから。」
そんな見出しで、令状を書きました。
僕たちにとってどんな人だったか。
限られた文字数でそれをお伝えして、来てくれた友人たちに感謝を伝えたかった。
限られた文字数では難しかったけど。
感謝とは「ありがとう」だけではなく、正直に心の底の何かを伝えることなのだと最近思っています。
弱音も含めて、言いたいことを正しく。
そんな間柄の人たちが弔問の際に足を運んでくれたように思えた。
それがとても心強く、幸せだと感じました。
みんな、来てくれてありがとう。
お花をありがとう。
弔電をありがとう。
一人じゃないって気になれました。
文字数を減らす前の、原文ままを載せます。
【パパは無敵だと思ってたから。】
「喫茶店みたいなお家ですね!」
僕らが子どもの頃、家庭訪問で家に来た先生たちが口を揃えてそう言ってくれました。
両親が、とてもお洒落にしてる家でしたから、そんな言葉が嬉しくて何よりの自慢でした。
リビングにはどんな時でも音楽が流れていて、それが普通だと思っていました。
喫茶店で音楽が流れてるように、僕らのお家にはずっと音楽が溢れていました。
車は赤いビートルで、僕らは「ワーゲン」と呼んでいました。
そして、そのワーゲンが大好きでした。
赤くて、丸くて、大好きでした。
どこに行くんでもワーゲン。
ちょっと音のうるさいワーゲン。
「映画は映画館で!」そんな人でした。
それが鉄則だったから学校を休んで観に連れていってもらうのが当たり前で、しかも公開初日の封切りを観に行く!そんな人でした。
スターウォーズもゴーストバスターズもネバーエンディングストーリーも全部「最初の日」に。
だから、僕らは今も映画が大好きです。
スキーも、キャンプも、旅行も、外食も、本当に色々な所に連れて行ってくれました。
温泉が好きな人でしたね。
洞窟みたいな温泉に連れて行ってもらったことがあったんだけど、暗くて怖くて泣いてました。
父にはたくさんお友達がいて、それも自慢でした。
車やバイクにも詳しいし、それぞれの世界にそれぞれのお友達がいました。
色んなことに詳しくて、色んなお友達がいて、それも自慢の一つでした。
スポーツも凄かったな。ソフトボールの試合に出ればホームランを打ったり、毎週テニスやスケボーをしていたり、登山も無限の体力があるような人でした。
尾瀬にも連れて行ってもらいました。
楽しい思い出がたくさんあります。
「パパは無敵だと思う。」
そんなお父さんが病気になって、余命の宣告を受けたのが昨年でした。
それから一年以上もお父さんは頑張った。
お母さんのことを心から愛してたからだと思う。
僕らのこともいっぱい愛してくれた。
だから、お父さんが一番大好きだった車をプレゼントした。
ワーゲンを、頑張って買ったよ。
もう一度、パパとママが赤いビートルで遊びに行けるように、そうした。
「いらないって言われたらどうしよう??
そんな不安はすぐに吹っ飛んだね。
パパ、楽しかった?
僕らは、ずっと楽しかった。
パパは無敵だと思ってたから。
何にも負けないと思ってたから、まだ信じられないよ。
天国で赤いビートルに乗って遊んでるんだろうね。
パパ、ありがとう。
パパ、おやすみなさい。
父 佐藤 功(チャオ)は、令和五年十一月二十九日に生涯を終えました。
人生という旅の途中で出逢った皆さまへ、心からの感謝を申し上げます。
令和五年十二月一日
喪主 長男 佐藤 秀
妻 佐藤 美恵子
次男 平 了
今日は応援で東京に行きます。
休まないぞ。
こんなことでは。
お父さんに笑われるからね。
行ってきます。
早く帰ってきて、母さんと食事をするよ。
寂しくないように、みんなで支え合って生きて行くからね。
行ってきます。
遺影、みんなニコニコして見てた。
嬉しいね。

エール。
どうだった?
いつも通り、本気でやったよ。
いつもこうしてやってるんだよ。

僕が、パパを抱っこする時が来るなんてね。
ずっと抱っこしてくれてたからね。
選手交代だね。
行ってきます、パパ。