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僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

今年もお世話になりました。

2023-12-31 20:17:00 | 日記
「ただいま!」
「おかえり〜。りょうくんおかえり〜。」



「はい、へんなニワトリ。」
「それね、あのね、もう飽きた。」



「そうか。さて行くよ?お前も一緒に。ほら、出かけるよ?」
「え????」
「実家に行くよ?」
「え?????」
「りょうくんのジッカ。」
「そうだよ〜」



「ジッカでゴローン!」
「そうだね〜」



かわいすぎるね。
皆さん、良いお年を。
来年は心穏やかで、楽しく過ごす毎日を目指したいと思います。

つらいことって、やっぱりあるし、頭に来ることもいっぱいあった。
でも、友人達がそばにいてくれた。
僕もそうありたいと思って生きています。
「コイツとは合わない。」
それでもやっていかなきゃいけないって思ってた。

違うね。

そいつが誰であれ、僕は僕の人生と僕の時間を大切にしたいと思う。

父さんが死んで、そんな風に生きていこうと思った。

誰の人生だよ。
自分のだろ?

そうそう。
暮れもギリギリで岩手県交通さんに打合せに行ってきた。
タモと。
タモ久しぶり(笑)

タメなんです。
お互い、年取ったんだね(笑)
君を見るとそう思う(笑)

来年はCMの仕事からだね。
頑張ろう!



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元気にライブを

2023-12-26 17:30:00 | 日記
ライブだよ。
28日はライブだよ。

上海経由、年末ラストライブ
【フミヱ】

19時開場、19:30開演
1,000円を入口で払ってちょ。
持ち込み自由だから、なんか買ってきて平気です。

年末最後、いろんなことあったけど笑って終わりにしよう!

元気にライブをしよう。
みんなの応援、お待ちしております。




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おやすみ。行ってきます。

2023-12-03 11:13:00 | 日記
「パパは無敵だと思ってたから。」

そんな見出しで、令状を書きました。
僕たちにとってどんな人だったか。

限られた文字数でそれをお伝えして、来てくれた友人たちに感謝を伝えたかった。
限られた文字数では難しかったけど。

感謝とは「ありがとう」だけではなく、正直に心の底の何かを伝えることなのだと最近思っています。
弱音も含めて、言いたいことを正しく。
そんな間柄の人たちが弔問の際に足を運んでくれたように思えた。
それがとても心強く、幸せだと感じました。

みんな、来てくれてありがとう。
お花をありがとう。
弔電をありがとう。
一人じゃないって気になれました。

文字数を減らす前の、原文ままを載せます。

【パパは無敵だと思ってたから。】

「喫茶店みたいなお家ですね!」
僕らが子どもの頃、家庭訪問で家に来た先生たちが口を揃えてそう言ってくれました。
両親が、とてもお洒落にしてる家でしたから、そんな言葉が嬉しくて何よりの自慢でした。
リビングにはどんな時でも音楽が流れていて、それが普通だと思っていました。
喫茶店で音楽が流れてるように、僕らのお家にはずっと音楽が溢れていました。

車は赤いビートルで、僕らは「ワーゲン」と呼んでいました。
そして、そのワーゲンが大好きでした。
赤くて、丸くて、大好きでした。
どこに行くんでもワーゲン。
ちょっと音のうるさいワーゲン。

「映画は映画館で!」そんな人でした。
それが鉄則だったから学校を休んで観に連れていってもらうのが当たり前で、しかも公開初日の封切りを観に行く!そんな人でした。
スターウォーズもゴーストバスターズもネバーエンディングストーリーも全部「最初の日」に。
だから、僕らは今も映画が大好きです。

スキーも、キャンプも、旅行も、外食も、本当に色々な所に連れて行ってくれました。
温泉が好きな人でしたね。
洞窟みたいな温泉に連れて行ってもらったことがあったんだけど、暗くて怖くて泣いてました。
父にはたくさんお友達がいて、それも自慢でした。
車やバイクにも詳しいし、それぞれの世界にそれぞれのお友達がいました。
色んなことに詳しくて、色んなお友達がいて、それも自慢の一つでした。
スポーツも凄かったな。ソフトボールの試合に出ればホームランを打ったり、毎週テニスやスケボーをしていたり、登山も無限の体力があるような人でした。
尾瀬にも連れて行ってもらいました。
楽しい思い出がたくさんあります。

「パパは無敵だと思う。」
そんなお父さんが病気になって、余命の宣告を受けたのが昨年でした。
それから一年以上もお父さんは頑張った。
お母さんのことを心から愛してたからだと思う。

僕らのこともいっぱい愛してくれた。
だから、お父さんが一番大好きだった車をプレゼントした。
ワーゲンを、頑張って買ったよ。
もう一度、パパとママが赤いビートルで遊びに行けるように、そうした。
「いらないって言われたらどうしよう??
そんな不安はすぐに吹っ飛んだね。
パパ、楽しかった?
僕らは、ずっと楽しかった。

パパは無敵だと思ってたから。
何にも負けないと思ってたから、まだ信じられないよ。

天国で赤いビートルに乗って遊んでるんだろうね。

パパ、ありがとう。
パパ、おやすみなさい。

父 佐藤 功(チャオ)は、令和五年十一月二十九日に生涯を終えました。
人生という旅の途中で出逢った皆さまへ、心からの感謝を申し上げます。

令和五年十二月一日

喪主 長男 佐藤 秀

妻 佐藤 美恵子
次男 平 了

今日は応援で東京に行きます。
休まないぞ。
こんなことでは。

お父さんに笑われるからね。

行ってきます。
早く帰ってきて、母さんと食事をするよ。
寂しくないように、みんなで支え合って生きて行くからね。

行ってきます。

遺影、みんなニコニコして見てた。
嬉しいね。


エール。
どうだった?
いつも通り、本気でやったよ。
いつもこうしてやってるんだよ。


僕が、パパを抱っこする時が来るなんてね。


ずっと抱っこしてくれてたからね。
選手交代だね。

行ってきます、パパ。




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行ってくるね。

2023-12-01 10:50:00 | 日記
今夜はお通夜。

父のお通夜。
写真を集めたスライドショーを作りながら涙を堪えて、
香典返しの令状文面を書きながら涙を堪えて、
きっと今夜の、父へのエールの際にも涙を堪える。

「団長、金曜の応援どうすんの?」
サダポンから、団員から、みんなから聞かれたけど、そんなの決まってんだろうが。
決まりきってんだろうが。

男が一度決めたこと。

16の頃から、ずっとそうしてきたんだ。

緩和ケア病棟で、父さんは僕の自慢をしていたそうだ。
「まず、人のために応援に駆けつける息子なんだと仰っていました。誇りに思う、本当に。自分のことより、人のことなんです。特別な教育なんてしてなかったんだけどねって笑いながら、泣きながら教えてくれました。」

父さんが誇りに思ってたんだと知った。
知ってたけど、改めて先生達から聞いたからその時は涙を我慢できなかったよ。

誇りに思われるような男でありたいと思います。

だから。
行ってくるね。

今日は石巻で、和渕小学校で応援です。
待ってる人がいるからね。
「行ってこ〜い!」
って言うんだろうしね、お父さんは。

応援団として生まれてきたわけではないけれど、
応援団として生きてきた。

なにがあっても誰かの応援団であろうと思う。

お通夜までには戻りますから。

皆さんも、父へのエールの際に。
どうかお手を拝借。

今夜です。
お手を拝借したい。

故 佐藤 功

喪主 佐藤 秀

セレモール仙台
〒989-3121
宮城県仙台市青葉区郷六舘22−1

12月1日 金曜日
19時〜通夜

12月2日 土曜日
13時〜葬儀




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