いつしか今ではベテランランナーと言われ、数々の経験と故障を体験して来ました。
走り始めた頃は故障がどんなものなのかも分からずにただ中途半端に走り続けていたように感じます。ランニングに関する知識も用具選びも適当という訳です。
月間走行距離、わずかに100km程度では故障のリスクも低く、ケガとは無縁だと思い込み、相変わらずの適当ランニングで時間だけが走力以上に進んでました。
初フルマラソンで3時間40分、4時間を切れればOKと考えていたので全て順調と思い込む相変わらずの適当ランナー、それが僕でした。
何度走っても3時間40分前後の僕が初めて月間距離を300kmにした2002年の洞爺湖マラソンでそれまでのベストを30分更新する3時間09分。
お粗末な話ですが、走り始めて3年目で色々なモノが見えて来た適当ランナーの挑戦がこの辺から始まったのだと思います。
そこからは3時間一桁を連発するある意味、安定したランナーとして認知されるようになったのかなぁ?これがギリギリボーイズ誕生の瞬間です。
タイトルの2013北海道マラソンを振り返ると言いながらまったく振り返らない適当さは今も健在ですね。
さぁ、いよいよ振り返ります。ここ数年は坐骨神経痛で苦しみ、昨年は半月板損傷で入院、そして手術、長いリハビリの日々。本当に走れるようになるのか?不安が募りました。
2012年10月、北海道整形外科記念病院での手術、担当医は原則行先生、言わずと知れたスポーツドクター。ランナーであり僕が信頼してやまない友人でもありライバルです。
1週間の入院予定も術後の回復が早く、3日で退院、リハビリも順調に進みました。
走りもLSD(8:00/km)中心のトレーニング、ハノハノ陸上部メンバーとの練習も別メニューでした。本当であれば若いメンバーを短い距離でも引っ張って走りたい気持ちを押し殺しての日々が続きましたが、メンバーはメキメキ力を付けてくれたのが救いでした。
手術後2ヶ月でホノルルマラソンを走り、改めてLSDの大切さを自身の身体、感覚を通して知る事が出来たのも大きな収穫と言えます。
当然、スピード練習などは出来ない訳で、JOGとウォーキングで繋いだ2013年5月の洞爺湖マラソン、手術から10ヶ月でどこまで走れるのか?脚の筋肉は見た目に細く衰え、スピードを少し上げるだけで胸は苦しい。
リハビリ期間には北海道整形外科記念病院で「衝撃波治療」を痛みをこらえて受けていたのでやれることは全てやったと腹をくくりました。
そんな不安と期待の中で走った今年の洞爺湖マラソンのタイムは3時間11分、明らかな回復と強く感じた久しぶりのレースでした。
今年は膝の負担を考えてレースは5月の洞爺湖、8月の北海道マラソンの2本に絞りました。9月16日のサーモン駅伝は走る予定ですが、自分でも驚くほどスピードが無いのでチームメンバーには僕の分も頑張ってもらわなくてはなりません。皆、ヨロシク。
そして、いよいよ北海道マラソン。年間2本に絞った年内最終レースですが、不安よりもフルマラソンを走れる喜びが勝ってました。
目標タイムは3時間15分以内での完走、出来れば3時間一桁でギリギリボーイズ復活を企みましたがマラソンの神様はそこまでは許してはくれませんでしたね。
ハーフ通過が1時間31分、もう少し楽にスピードを維持できれば3時間一桁も狙えたのだけど、スピード練習不足の僕はキロ4分20秒をキープするのが始めからやっとでした。
ラスト、大通り公園の直線はこの1年を噛みしめながら走りました。ラストスパートでゴールを目指すランナーや、精根尽き果て歩いてゴールを目指すランナー、今年も42.195kmの先に感動のドラマが生まれたのでしょうね。
ゴールタイムは「3時間13分33秒」 来年のサブスリー復活に向けて、まだもう少しだけ頑張ってみようかなと気持ちを新たにしています。
最後に、北海道整形外科記念病院の皆さん、原則行先生、お陰さまで、とても楽しい42.195kmでした。ありがとうございました。MAHALO
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