「そこで出かけて行って、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んでそこに住みつきます。そうなると、その人の最後の状態は、初めよりも悪くなるのです。」(ルカ11:26新改訳)
悪霊は、もともとは御使いで、天から地に落とされた霊だといわれている。彼らは地をさ迷い歩くが、天の聖なる光に照らされて、熱砂(ねっさ)の荒地を行くように苦しむので、ただひとつの休み場である人間の霊魂を求めて歩く。つまり、救われていない人の心が絶好の住み家となるわけである。▼こうして世界中の多くの人間が、それとは知らずに悪霊を宿し、その影響下にあるわけで、毎日の世界に犯罪や偶像礼拝などがあふれるのは当然といってよい。ところがイエス・キリストを信じ、新しく生まれ変わると御聖霊がその人の心に住まわれ、完全に悪霊とその影響を遮断(しゃだん)してしまう。かくて人は本当の自由を得るに至る。だがその人が信仰をやめ、この世にあこがれて戻ると、悪霊は待っていましたといわんばかりに再びその人に住みつく。だから信仰から落ちた人の最後は悲惨なことになるわけである。▼私たちは、イエス・キリストを信じ、心と生涯にお迎えした後、一生を通して敬虔な歩みを続けなければならない理由は、悪霊が二度と入ってこないためでもある。キリスト者のからだは活ける神の神殿であるといわれるのはそのためだ。毎日曜日教会へ行き、神のみことばを受けて礼拝し、家に帰れば日々聖書を読み、祈り、家族礼拝を守る。これがどんなに大切であろうか。▼この世の汚れに染まった本やニュース、ネットから入って来る肉欲を刺激する映像や情報、これらを自分の内に入れないよう五感を聖霊に支配していただく必要があることはいうまでもない。「あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。」(Ⅰヨハネ2:15,16同)