しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <光と闇に何の交わりが>

2021-12-03 | Ⅱコリント

「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。」(Ⅱコリント6:14,15新改訳)

キリスト者とそうでない人の間には、決して埋められない溝がある、とパウロは強調する。その第一は選びの問題で、「わたしが世からあなたがたを選び出したのです」(ヨハネ15:19同)と主が言われたおことばに基づいている。▼第二は方向性の問題だ。キリスト者はこの世から選びだされた瞬間、やがて来る神の国を目指して生きるようになる。しかしそうでない人にとってはこの世がすべてであり、地上でいつまでも栄えることが目的である。つまりお互いにとって完全に正反対の生き方、価値観になるのだ。その違いはキリスト者が設けたものではなく、神が設けられた違いだからである。ただ、そうだからといって私たちは世とそこに生きる人々を見下げ、軽蔑してはならない。その生き方に賛同することはできなくても、違う方向に向かう人々を愛し、なんとかしてそこから立ち返り、救いの恵みにあずかるようにと最善のことをすべきはもちろんである。なぜなら、死後の世界では立ち返る機会が皆無になるからである。▼「しばらくして、この貧しい人は死に、御使いたちによってアブラハムの懐(安息の場所と言われている)に連れて行かれた。金持ちもまた、死んで葬られた。金持ちが、よみ(ハデス)で苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。金持ちは叫んで言った。『父アブラハムよ、私をあわれんでラザロをお送りください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』するとアブラハムは言った。『子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。そればかりか、私たちとおまえたちの間には大きな淵がある。ここからおまえたちのところへ渡ろうとしても渡れず、そこから私たちのところへ越えて来ることもできない。』」(ルカ16:22~26同)