しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <ある金持ちとラザロ>

2023-07-01 | ルカ
「その金持ちの門前には、ラザロという、できものだらけの貧しい人が寝ていた。彼は金持ちの食卓から落ちる物で、腹を満たしたいと思っていた。犬たちもやって来ては、彼のできものをなめていた。」(ルカ16:20,21新改訳)

これ以上あわれな光景を見つけるのはむずかしいであろう。自分のからだ一面にできたできものを、野良犬(のらいぬ)がなめに来ても追い払う力さえなかったラザロ・・。▼邸宅(ていたく)に住む大金持ちは、門前のラザロを見てもあわれみの心を持たず、宴会(えんかい)に明け暮れていたにちがいない。もし彼が、せめて食べ物のあまりでも与えていたら、ラザロは栄養失調(えいようしっちょう)と衰弱(すいじゃく)から救われ、金持ちもハデスに落ちることはなかったはずであった。▼神はこの二人を天から見つめておられた。そして定めの時が来て、ラザロはアブラハムのふところへ、金持ちは火の燃えるハデスに落とされた。主の話されたこの例話から、人の一生は神をおそれ、隣人(りんじん)を愛するかどうかのテストコースだとわかる。そこで私たちは、自分の気に入った人だけを「隣人」にしてはなるまい。金持ちにとり、自分の5人の兄弟と家族はたしかに隣人だったろう。だが門前の貧しい病者ラザロなどは、まったく眼中になかった。「迷惑な、そこに居て欲しくない病人」にすぎなかった。ところが、そのラザロこそ神御自身が金持ちの「隣人」として門前に置いた人だったのである。▼私たちが生涯で出会い、接するすべての人が、神の連れて来た隣人だったらどうするか。その問いをいつも自らに投げかける者でありたい。やがて人生コースの果てに、神の国という「永遠の入学テスト」が待ち受けているのだから。