「それでは、どのように言うべきでしょうか。義を追い求めなかった異邦人が義を、すなわち、信仰による義を得ました。」(ローマ9:30新改訳)
イスラエルは神の国に入る資格(すなわち神の前に義とされること)を得ようと、モーセ律法を守ることにすべてをかけたがダメだった。もしイエス・キリストを信じて無条件で与えられる義を受け入れれば救われたのだったが、少数のユダヤ人たちは別として、大部分の者たちはイエスを拒否し、滅びの道を選び取ってしまった。じつに残念であり、パウロの大きな悲しみはそこにあった。▼どこへ行って福音を伝えても、同胞ユダヤ人は信じようとせず、口角泡(こうかくあわ)を飛ばしてパウロに逆らい、果ては石で打ち殺そうとさえした。ところが異邦人はどうか、パウロの説教を聞くと、飛び上がって喜び、どこの町でも次々にキリスト教会が生まれていく。しかしすべては神の深く広い御計画のもとで起きていた。今や世界は異邦人から成る教会で埋められようとしているが、その後にイスラエルが救われるときがかならず来るであろう。