「なぜ、あなたがたは、食糧にもならないもののために金を払い、腹を満たさないもののために労するのか。わたしによく聞き従い、良いものを食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づく。」(イザヤ55:2新改訳)
イザヤ書を読んでいると、新約聖書を読んでいる気持ちになることがある。ここもそうで、主イエスが祭りの日に、神殿の庭に立ち、人々に呼びかける御声のようだ。イザヤ福音書と呼ぶ人がいるのもうなずける。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28~30同)▼連日テレビやネットで流されるニュースや情報の洪水、わざわざ受信料を払ってそれを見ている私たち、そこには永遠にふさわしい価値ある情報が、どれだけあるというのだろうか。もしかすると、反対に、それらにより、知らず知らずのうちに私たちの心に意図的な思想や価値観が作られているのかもしれない。イザヤが食糧にもならず、飢えもいやされないものになぜ金を払うのか?と言うのが痛いほどよくわかる。▼イエス・キリストが語り、示されたいのちのことばは、まったく違う。そこには永遠のいのちがあふれ、私たちの心を喜びと満足で満たす天的生命が躍動している。どうしてそれがわからないのか。むだなことをやめ、わたしのところに駆けよって来なさい。イザヤの内におられた御聖霊が、今も全世界に呼びかけておられるのである。
告げよ主に 告げよ今 内にある悩みを み恵みに富める主は 聞き給わん親しく
告げよ主に 友にさえ 語り得ぬ事ども み恵みは深き海 飛び込みてきよまれ
試みを受けし主は 罪人の友なり 試むる者いずこ 仇よ とくしりぞけ
告げよ主に 告げよ今 慰めは主にあり 力あるみ手を伸べ 主は支えん汝が身を
主のもとに降ろせ 汝が重き荷のすべてを
み恵みに富める主は 取り給わん 残らず
<告げよ主に 新聖歌35 詞:Elisha A.Hoffman,1839-1929>