「ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。王が分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。」(Ⅰ列王記10:3新改訳)
ソロモン王が持っていた知恵が並外れたものであったことはたしかだ。なにしろシェバの女王が考え抜いて用意した難問に、苦も無く答えてしまったのだから。「ソロモン王は、富と知恵において、地上のどの王よりもまさっていた」(Ⅰ列王記10:23)とあるとおりであった。▼だが私は、この記事を読んで「すごい!」とは思うが、あまり魅力をおぼえない。なぜなら神は、そのような知恵の豊かさを期待して人を創造されたのではないからだ。ともあれ本章はソロモン王朝の絶頂期を描いているが、次章でははやくも繁栄が下り坂に向かう様子を記している。▼彼はシェバの女王や世界中の人々を、その知恵でうならせたが、肉欲に勝つ知恵は持っていなかった。そのため、神のいましめを守らず、大勢の異邦人女性を愛し、彼女たちの偶像礼拝に引きずり込まれて行った。愚かな息子ソロモンよ。ダビデが生きていたら、そう叱りつけたであろう。◆ソロモンはあくまでもキリストのひな型であって、かげにすぎない。やがて主イエスが再臨し、世界の王としてエルサレムに着座されると、本章の預言は完全に成就するであろう。「全世界は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた」(24)とあるが、千年王国では全世界の人々がキリストにお会いしようとエルサレムに詣でることになる。「終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。多くの民族が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。』それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。」(イザヤ2:2、3およびミカ書4:1,2同)◆世界中の人々は、シェバの女王が「息もとまるばかりおどろいた」ように、エルサレムに輝く王座と主のしもべたち、キリストの民として栄化された人々の様子を見て驚嘆するにちがいない。そして、主を知る知識が大洋のように世界をおおう。それはソロモンの知恵もはるかにおよばないキリストを知るという知恵であり、知識なのである。